チラシ
最近は友人との連絡も携帯かメールでするので、ほとんど手紙は来ない。リタイアしてからはダイレクトメールも減っている。現金なものである。確かに送っても仕方がないだろうし、受け取っても仕方がない。だから郵便受けに入るのは支払い通知とチラシばかりである。
中身を読むチラシがどれほどあるかといえば、全くない。チラシはそのまま積み上げて縛って資源ゴミに出すばかりである。資源ゴミに出されたチラシは製紙会社でインクなどを除去されて再生される。考えれば大きな無駄のように思える。チラシが何らかの有効な宣伝になっているのか、チラシがあって良かった、と思って受け取る人がどれほどいるのか。
とはいえ、そのチラシ用の紙を製紙している会社があり、印刷している会社があり、インクを作っている会社があり、それを郵便受けにねじ入れてなにがしかのお手当をもらって生活している人がいる。チラシが支えている経済もあるのだ。
不要なものでも一度サイクルが出来てしまえば、なくすことはそれらで生活している人を路頭に迷わせることになる。CMが不要な人が大多数なのに、膨大な金が投じられて作られて続けていくのも同じことだろうか。
それでもいまは欲しいものの情報はネットでいくらでも調べることが出来る。欲しいものがあるときだけその情報は必要なのである。そのネットですらCMが散りばめられている。それらは欲望を喚起するもので、欲しくなかった人を欲しい気持にさせるために意匠がこらされている。
年金生活者でも欲望を刺激されて、本当に必要かどうか分からないものが欲しくなったりする。なくてもいいものが欲しくなる。CMは効果をあげているのである。特に暇人ほどそのような欲望喚起のメディアにさらされてる。寿命が尽きたときに残される、何でこんなものがと云う不要品の山が残されることになるのだろうなあ、などと想像する。自分のことである。
資本主義経済はさらに成長をするために、要不要を超えて欲望を喚起してさらなる消費を生み出そうと血道を上げているようである。そのためにチラシは必要か。どうもチラシの役目はすでに終わっているような気がする。
子どもの頃、飛行機からビラがまかれてそれを拾うために走り回ったりした。そういえばあれもチラシである。あんなものを夢中で拾った時代もあった。
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7・8年前には、「センミツ」 という言葉を時々聞きました。1000枚チラシを配ると3件ほどの反応があるという意味です。ネットの普及で 「 センイチ 」 くらいになってるかもしれませんが、それでもまだ効果があるようです。
投稿: けんこう館 | 2017年7月31日 (月) 10時00分
けんこう館様
不動産屋のことを千三つ屋といいますね。
売買が成立するのは千に三つくらいの商売だからそういうらしいです。
もともとは千に三つくらいしか本当のことをいわない嘘つきのことらしいですが。
投稿: OKCHAN | 2017年7月31日 (月) 14時55分