過敏症
人並みを外れて敏感な人がいるらしい。敏感であることはセンサーの感度が高いということで、ときには長所であるが、そのことで苦しむ人が多いというのをテレビで見た。
突然大きな音がすれば誰でもびっくりする。いい気持ちのものではない。しかし普通の人ならそれほどでもないような程度の音にも敏感に反応してしまう人がいる。シャッターの上げ下ろしのガラガラいう音、車の騒音などが苦痛だという。ひどいときはトイレを流すときの音にも苦痛を感じる、となれば生活するのも大変だ。
これは音の話だが、五感全てにそれぞれ過敏に反応する人がいるのである。衣服のざらつく感触が痛みとして感じられてしまったり、ちょっとした光にまぶしさを覚えたり、食べ物の味や食べ物の食感に強い刺激を感じて食べられなかったりするという。
これらが個別にあることもあるし、全てに敏感な人まであるという。そうなるといまの世の中で生きていくことも苦痛である。これらの過敏な感覚は多くが生まれつきなので、学校に行くことも出来ないという子供も少なからずいるという。確かに子どもの集団は刺激に満ちているから過敏な子どもには苦痛だろう。
これは異常ではない、と医師は言う。感覚が鋭く敏感であるという個性の違いがあるだけなのだという。そう言ってそういう過敏症の人を元気づけて生きる励みにしようとしているのだろう。
しかしそのような性質が実際には普通の生活を送ることを困難にしているのであれば、これは何らかの治療を要することになる。親も世話をするのが大変であるし、回りも神経を使わなければならない。
原因は脳の神経の伝達を司るニューロンの興奮の度合いが大きいことによるらしい。それならばそれを鎮めればいいのだが、なかなか簡単ではないようだ。全てを鎮めると鎮まりすぎてしまう感覚も出てくるのかも知れない。人により過敏な感性が違えば過敏なものだけに効果がある薬というのを選ぶのも難しい。そもそも個別に効くものかどうか。
この過敏さは五感だけではなく、他人との関係にも働くらしいから厄介だ。会話の中での相手のちょっとした仕草や表情で相手の心の動きが強く感じられる。それがその通りのことなら良いが、あくまでも感じた側の思い込みだったりする。これではときに人間関係に齟齬を来すことにもなりかねない。
ところでセンサーが適度に敏感であることは私は人間として望ましいと思っている。鈍感さは強さではない。神経が繊細であることは弱さにつながりやすいことは確かであろう。しかしその繊細な神経をたくさん撚り合わせて、敏感さを残しながら強くすること、それが心の成長であり、人間の成長だと以前から考えていた。これこそが強さとやさしさを兼ね備えた人間である。これが強い人間だと思うのである。飲んでも酔わない体質の人ならその人は酒飲みではない。
過敏症は苦痛であるそうだが、ことさら自分の感性を鈍感にさせるような生き方はすべきではない。どうしたら敏感でなおかつ刺激に堪えられるように強くなるのか、それがストレスフルな社会で生きる人間に求められる生き抜く力になるポイントかと思っている。
私は非常に繊細な人間だと自分を思ってきたからそう考えたのだが、私の周りの人間は、私が自分を繊細だというとみな「えーっ!」と言うのがまことに心外である。私が繊細であることを感じとることが出来ないほどみな鈍感なのであろう。
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