人間嫌い
人にはしがらみがあって、社会で生きて行くにはさまざまな人間関係を避けることは出来ず、わずらわしいことが多い。
モリエールの戯曲『人間嫌い』では、レトリックを駆使して本心を隠してつきあう社交界にうんざりし、毒舌で相手をやり込めるアルセストが、その社交界で男たちを手玉に取るセリメーヌに一途に恋い焦がれ、振り回されるさまが描かれているが、本当の人間嫌いはアルセストなのかセリメーヌなのか。セリメーヌがアルセストをにくからず思っていることが明らかになったあと、アルセストは社交界を離れて一緒に隠遁しようとセリメーヌをさそうが、峻拒される。
人間嫌いは人里を離れて隠遁するものらしい。日本でも人付き合いを避けて隠遁することにあこがれた人は多い。旅に漂泊した人たちもおなじだろう。
とはいえ孤独で暮らせば人恋しくなるのが人間であろう。そのときに自分を偽らずに話せる相手であれば会いたいと思う。もしかしたら人間嫌いほど人恋しい人であるという逆説も成り立つかもしれない。アルセストがセリメーヌを必要としたように。しかしセリメーヌはにくからず思っているアルセストすら必要としない。だからどちらが人間嫌いか、と思うのである。
本物の人間嫌いを自称する中嶋義通翁が、人間嫌いの要諦を『「人間嫌い」のルール』という本で、十項目にまとめている。
①なるべくひとりでいる訓練をする
②したくないことはなるべくしない
③したいことは徹底的にする
④自分の信念にどこまでも忠実に生きる
⑤自分の感受性を大切にする
⑥心にもないことは語らない
⑦いかに人が困窮していても(頼まれなければ)何もしない
⑧非人間嫌い(一般人)との「接触事故」を起こさない
⑨自分を「正しい」と思ってはならない
⑩いつでも死ぬ準備をしている
どうであろうか。世の中のしがらみを拒否する代わりに自分が拒否されても何とも思わない覚悟がいりそうだ。いささか軟弱ながら、ほとんどいまの私の生き方に当てはまる。ただ、非人間嫌い(一般人)との「接触事故」を起こさない、という項目だけは守れそうもない。孤独に強いつもりだけれど、人恋しいときもある。それでは真の人間嫌いにはなれないのであろうか。別に進んでなりたいわけでもないけれど。
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興味ある記事でした
私は半分は当てはまります
良いことなのか悪いことなのか よ~く考えています
投稿: イッペイ | 2017年9月24日 (日) 10時12分
イッペイ様
独りで生きるのは気ままで自由である事は間違いありませんが、それほど楽な生き方ではありません。
人間が社会的な生き物であるからには「人間嫌い」の生き方はよい生き方とはいえないでしょう。
みんながそういう生き方をしたら世の中が成り立ちませんから。
だからその不都合を引き受ける覚悟が必要だということでしょうね。
投稿: OKCHAN | 2017年9月24日 (日) 12時23分