たわごと
時々刻々日を追うごとに情勢が変化しているので、衆議院選挙の趨勢は混沌として定まらない。これからも予想もつかないようなことがありそうな気がする。
ひとつだけ気になることがあった。
小池代表(兼都知事)が「改革する保守」と言ったことに噛みついた人々がいたことである。「改革」と「保守」では矛盾しているではないか!というのである。民進党や泡沫野党からこの声が聞かれたし、マスコミの記者にもいた。こういうのをバカモノという。
保守の対立語は一応革新ということになっている。問題点をその都度解決しながら現状の体制を保持しようというのが保守である。体制を維持するためには必要な改革をするのは当然である。改革をするなら保守でない、などということはない。革新は改革とは違う。体制を根本的に見直すものである。保守の改革を弥縫策として唾棄するものであり、仕組みそのものに手を入れることを目指すものである。
だからリベラリストが自らを革新とみなすというのが妥当なのかどうか、私は疑問に思っている。特に日本のリベラリストは百点ではないから駄目、というだだっ子みたいな集まりだから、何を目指しているのかちっとも分からない。私は日本で革新といえるのは共産党だけではないかと思う(いまは猫をかぶっているから解りにくいけれど)。
保守だって改革するのであって、体制を維持するために問題が生じたら改革を謳って当然なのである。自民党に自浄努力が足らず、腐敗が見えたら、それに対して希望の党が改革する保守を旗印にするのは少しもおかしなことではない。
改革が革新だけの専売特許だなどと勘違いしていることがそもそも頭の悪い証拠ではないかと思う。保守に改革されたりすると困るのであろうか。
小池代表には泥縄的なお粗末さが見えて仕方がないが、「保守の改革」という旗印は了解する。「希望の党」は「保守」であることを明言し、そして現状の保守を改革するといっていることには賛成である。支持するかどうか分からないけれど。
しかし数を恃むために、保守とリベラルと革新の境目すら分からない烏合の衆をかき集めることになって、結局自壊するのではないかという危うさも見える。願わくばいまは党勢の拡大だけを目指さずに、次回、次々回の政権交代を目指す実力ある第二野党に育って欲しいものである。
それが緩んだ安倍政権を蘇生させることになれば日本の国にとってさいわいとなるはずだ。そこで初めて真の二大政党の時代が見えてくる。
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