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2017年11月

2017年11月30日 (木)

根拠は無いが

 日馬富士が引退に追い込まれた。追い込まれたというのは私の印象である。暴行をしたことは本人も認めている。後は法的にどのような処分が下るか、である。

  私はこの事件発覚そのものは不快なものととらえたけれど、相撲の取り組みは観続けていた。相撲が子どものときから好きだからである。野球よりずっと好きである。

 それがあの白鵬の敗戦後の判定不服をアピールする見苦しい立ち往生で、気持ちが相撲から離れてしまった。それから相撲の取り組みは見ていない。ニュースのスポーツコーナーで主な勝敗が報じられるから概要は承知しているが、気持を立て直すのにしばらくかかった。それほどがっかりしたのである。

 白鵬の心の乱れはあの日馬富士の暴行事件が原因となっていることは明らかだ。それを思うと白鵬を許してやりたい気持ちがわかないことはない。過去、白鵬は首をかしげざるを得ない言動を何回かしている。それがモンゴル力士に対する差別を根に持ってのことだという気配も感じている。実際にモンゴル力士は差別されてきたのだろう。そしてそれによって、実は差別というほどでもないことも彼らにとっては差別だと感じることもあったに違いない。

 モンゴル力士達はそれを同郷力士として互いに語り合うことで癒やしてきたであろうことが想像できる。

 貴乃花は力士の親睦を認めないという。正々堂々と闘うために親睦などしてはならないと考えているそうだ。ずいぶん心の狭いことだと私などは思うが、貴乃花がどう思おうが勝手である。貴ノ岩はどうだったのだろうか。世話になったひととの宴席だからと特別に親方から許されて飲み会に参加したのだろう。その足でモンゴル力士の集まりに合流しているようだ。無理矢理連れて行かれたのか、それとも酒の勢いで自発的についていったのか。どちらにしても大の(名実ともに大きい)大人である。断れば断れたのだから、同じことである。

 そこでなにがあったのか、貴ノ岩の何が本当に咎められたのか、それはこれから分かるかも知れないし、分からないかも知れない。日馬富士はふだん酒で失態するするようなことがなかったといい、面倒見がいいと誰もが口を揃えて言う。その日馬富士がどうしてそこまで激怒したのか、理由はさまざまに想像がつくが、想像であるから書かない。

 今回の事件について貴乃花の行動を批判するひと、反対に相撲界の本質的な問題だと騒ぐひと、などなどが百家争鳴である。相撲界に対して厳しい意見を言う人ほど、相撲の取り組みなどほとんど観たことのない人が多いと私は見ている。「相撲もスポーツなのだから清く正しく」などという街の意見などを見聞きすると、ちょっと反論したくなる。

 相撲も確かにスポーツだが、スポーツという枠を越えているものだと言いたくなる。神事であり、格闘技である。健全なものとばかりはいえないものだった。それをスポーツの一種として矮小化することが相撲そのものを衰退させることにならないかと危惧する。

 本当に相撲の好きな人は、いま正しいことを正しく語るテレビのコメンテーターの言葉に耳をふさぎたい思いをしていないか。相撲をちっとも好きではないから言える言葉が氾濫している。根拠は無いが私の現時点での感想である。
  法的なことはともかくとして、相撲のことは相撲界に任せよ。相撲界の問題を相撲界が解決できなければ相撲界は衰退し、大相撲は消滅し、スポーツとしての相撲が残るだけである。それでいいではないか。

 蛇足だが、今回の事件の件で最初に貴乃花が映像に登場したとき、サングラスをかけ、それらしい服を着て車に乗り込む姿は、どう見ても暴力団の若頭にしか見えないものだった。そう感じた人が多いと思う。貴乃花のバックには、相撲賭博騒動のときに暗躍したある人物がいるなどという、例によってためにするものと思われるニュースもネットで流れていた。いかにもそうかも知れないと思わせる恰好を貴乃花がしていたなあ、などとつい思ってしまうではないか。根拠は無いけれど。

映画『A.E.アポカリプス・アース』2013年アメリカ

 監督サンダー・レヴィン、出演エイドリアン・ポール、リチャード・グリエコ、バリ・ロドリゲス他。

 エイリアンの襲来により地球は壊滅的な危機にある。人類の存続のために選ばれた人々が次々に宇宙船で地球を離れる。最後の宇宙船に危機が迫り、選ばれなかった人も何とか乗り込もうと押し寄せて来る。大混乱の中、エイリアンの攻撃をすり抜けて宇宙船は宇宙へ飛び立つ。

 宇宙船は加速を続けるが人類が棲めそうな惑星ははるか彼方である。密航者も含めた宇宙船の人々は長期の睡眠に入る。

 長い時間の後、突然警告音とともに宇宙船の人々は次々に目覚める。目的地よりはるか手前と思える星に向かって宇宙船は引き寄せられるように落ちこんでいく。ここはどこなのか。

 不時着した宇宙船は大破し、かろうじて生き残った人たちを誰かが襲撃してくる。透明な存在のその敵は誰なのか。しかも彼らと同様に襲われて逃げ惑う白い人々がいる。しかも人間そっくりである。

 こうしてこの未知の惑星での彼らのサバイバルが始まる。彼らは敵を倒して生きのびられるのか。そしてこの星はいったいこの宇宙の星域のどこのどんな星なのか。

 まあこう書けばそこそこおもしろそうであろう。

 A.E.とはアフターエイリアンということであろう。アポカリプスとはラテン語で黙示ということらしい。黙示録の黙示である。題名の意味が分かりすぎると物語が分かってしまう。

 『猿の惑星』と『プレデター』をつまみ食いした映画であるが、惑星の原始種族の女性リアが結構おもしろい役割で色を添えている。何しろまだらに緑色の肌をしていて、白い種族からも差別され、疎外されている存在であるが、知性が豊かで言葉はすぐに覚えるし、防衛隊の隊長のバウム大尉と恋仲になるのである。こういうところはスペースオペラ的で私は嫌いではない。

 ついに彼らは艱難辛苦の果て、その惑星からの脱出に成功するのだが・・・。ラストは観てのお楽しみ。

2017年11月29日 (水)

独りで酒を飲む

 喜怒哀楽の感度が年齢とともに変化している。喜びとか楽しさの感度が低下して、しかも長続きしなくなった。それに対して怒りの感情が起きやすくなっている気がする。高齢者がしばしば他人に対して激怒して、大声でののしっているのを見ることが増えている。そう感じているのは私だけではないだろう。そんなものを見るたびに自制しなければと自分に言い聞かせている。世の中は自分を中心に動いているわけではない。

 哀しさに対しては敏感になっている。いままで何とも思わなかったようなことに人生の無常や孤独感を感じる。独り旅をすると特にその思いがつのる。少々自虐的だが、その淋しさのようなものを味わいたくて旅をしているのかもしれない。

 山の宿などで一人で温泉に浸かりながら、ああ独りだなあ、などとため息をつくとかえって生きているという実感がわくから不思議だ。そういうときは同時に人恋しいときでもあり、見知らぬ誰かについ声をかけたりする。

 喜びや楽しみの神経には錆のようなものがこびりついてしまって、少々のことでは心に届かなくなっているようである。世の中は欲望をやたらに刺激する機会に満ちていて、しかもそれを得ることも容易になっている。本来はそれを得るために必要だった辛抱が不要になってしまったために満足感が一時的、ときには瞬間的にしか得られなくなったのだと思う。その積み重ねこそが精神の錆である。

 恋愛だってどうぞご自由にといわれては恋心もつのりにくい。「堰(せ)かれてつのる恋心」というではないか。障害があっての喜びなのである。「空腹は最良のコック」ともいう。腹が減っているからこそ美味いと思えるものだ。

 世の中が自由気ままになって社会的連帯などしないで済ますことができるようになったけれど、ひとの役に立つ機会は減ってしまった。自分の存在意味は他人から認められたときにこそ生ずる。あなたがいてくれて助かった、という他人の眼差しこそが本来の人間の生きがいなのではないだろうか。

 誰にも助けてもらうつもりはないから誰も助けない、という生き方をついしてしまうのが現代かもしれない。だから人は孤独になる。そしてそのことを無意識に感じているから哀しみに敏感になるのかもしれない。大きな災害のときに困難に対して人々が助け合っているのを見るとき、その人達が無性に活き活きして見えるのは当然なのだろう。

 それが分かりながら独りで暮らし、淋しさを哀しみとして楽しんでいる。へそ曲がりなのである。そうして急に人に会いたくなって誰かを訪ねるために旅に出る。その思いをつのらせながら、そうそう散財も出来ないので、いまはわが家で独りで酒を飲んでいる。

観てしまう

 観たらおもしろいと確信している評判の映画をたくさん録画してあって、しかももう一度観たい映画のコレクションもたくさんある。それなのに無名のカルト映画をつい観てしまう。カルト映画を観ながらどうしてこんな映画に貴重な時間を割いているのかと腹を立てたりする。

 カルト映画は短い。たいてい100分以下である。長時間のカルト映画など存在意味はない。けっして観ないからだ。何かを我慢して観ている。内容のなさ、映像の粗雑さ、台詞の陳腐さ、俳優のひどさなど、どれかが必ずあってときに三拍子四拍子が揃っていたりするからたまらない。

 嗜虐的なところがあるのだろうか。そうかも知れない。うんざりしないでずっと観続けるのだから、もしかしたらカルト映画が好きなのかもしれない。しばらくそんな映画を主体に、ときには普通の映画も含めて明日から一日一本ずつ取りあげていきたい。

情けない

 中国の製品に信用が出来ないから中国の観光客は日本でものを買うそうだ。信用というものに中国でものを作る人たちはそれほど重きを置いていないのかと感じていた。それにひきかえ日本は信用を大事にしているのだと誇らしかった。

 それを何たることか、次々に名の通ったメーカーがその信用を損なうようなことをしていたと明らかにされている。それは実害に至らないようなものだったとされている。それを誰が保証するのか。信用を失った者がたいしたことではなかった、といっても誰が信用するのか。そもそも信用は既に失われている。そのことの重みを自覚しているのか、信用を失うことの怖さに気がついているのか。

 みな高をくくっていたのである。そのことのツケをこれから払うことになる。会社によってはこれから存続に関わるような事態に追い込まれるだろう。

 そもそも名のある大会社は納入業者に対して理不尽に近いまでの製品規格を要求し、一切の妥協を許さないことが多い。コストにはね返るこのような要求をしながら納入品の価格をひたすら下げるよう求める。それに応えなければ外されるから血のにじむ努力をして下請け業者は耐えてきた。仕事をしていた時代はそれを目の当たりにしてきた。

 その大会社達が自らに甘くてどうするのだと思う。他人に厳しくしながら自らは楽をして言い訳しても通らないのが世の中だが、多分通ってしまうのだろう。これが日本の凋落の兆しでなければ良いのだが、などと感じてしまう。次から次にこのような話は続くだろう。おかしいと思っていた人たちが声を上げ始めてしまったのだ。誰も止められない。

2017年11月28日 (火)

甘くするのに反対

 テレビで漬け物の消費がどんどん減少して漬け物を作っている業者が苦戦している様子が報じられていた。そこでは取材されていた業者の目玉商品である漬け物の野菜を作る農家がどんどん高齢化していることも報じられていた。ここには農業の多様化が損なわれていること、そして老齢化が深刻であること、日本の食文化が失われつつあることが象徴的なものとして感じられた。

 私は子どものときから漬け物がそれほど好きではない。父は子どものときから大好きだったらしく、食卓に漬け物がないことはなかったけれど、私がほとんど手を出さないので母に良く叱られた。

 いまでも漬け物はほとんど食べない。それでもたまに白菜の浅漬けくらいは買ってきて食べるようになった。

 唯一母の漬ける沢庵漬けは大好きだった。秋の終わり頃に大量の大根を買って庭で干す。それをつけ込んで暮れから正月に食べるのだが、漬かるか漬からないくらいの少々辛みの残る大根の漬け物がたまらなく美味しい。食べた切り口を舌にのせるとちょっとぴりっとする感じが忘れられない。

 いまは漬け物が嫌いではない。積極的に買ってこないけれど、旅先で出される漬け物を残すことはない。ただ、甘い味付けの漬け物には閉口する。何を勘違いして甘くするのだろう。

 店頭の梅干しもへたをすると甘い物の方がプレーンの梅干しよりも多いくらいだ。そういえば日本酒も甘くすることが流行ったことがあった。甘くしたことで日本酒を飲む人が減ることを加速したことは間違いがない。梅干しもますます売れなくなるだろう。

 漬け物会社の販売促進のひとが漬け物の売れ行きを回復させるために、漬け物を甘くすることを模索していた。ここにもうま味と甘みの区別がつかないひとがいる。そんなことをすればますます売れ行きは減るだろう。愚かなことである。 

 私は辛党でもあり甘党でもある。しかし甘くない方がうま味が感じられる食べ物が必ずあって、そのうま味こそが味わいであると思うものである。甘みでうま味を代用しようなどと考えることで、日本の食文化を損なうようなことはして欲しくない。護ろうとして損なうことを哀しく感じた。ときには伝統にこだわることが必要なのであろう。

もののけ

 物を処分する作業を続けているが、昨日はその手を休めた。正直いささか疲れたのである。昨晩など9時前にちょっと横になったら今朝目が醒めたら7時過ぎであった。こんなに長時間眠ることはめったにないことである。どうも身体と同時に心も少し疲れたようである。

 「処分する」というのは「捨てる」ことである。物には作ったひとの思いが込められている。物は使うひとのことを思って大事に作られているもので、そうでない物は誰も所有したいと思わないものだ。たまたま手に入っても、そんなものはいつの間にか捨てたり失ったりして手元に残ったりしない。

 物を使っているうちに愛着がわき、用がなくなっても捨てがたい思いがして残されていく。そういう物が溜まりに溜まっていくのが歳をとるということかもしれない。しかしひとはいつまでも生きられない。誰も捨てたりしなくてもこの世から去って行かざるを得ない。いつまでもこの世にいたいと思うのは執着である。

 作ったひとの思いが込められ、使うひとの愛着が込められた物は、使われないままに年を経るとその思いが凝って「もののけ」になる。物の怪である。もののけは物自身に魂が宿るとひとが考えるから生ずる。使われないことを恨んでいるだろうと思うから生ずる。それは物に思いを込めた作る人の気持ちと、使う人の物を愛する気持を感じる人のやさしさから生ずるのだろう。やさしさを持たない合理主義者には、もののけは見えない。

 さいわい私が処分した物たちは、まだもののけというほどの物にはなっていない。それでもその思いが私を心身共に疲労させたのであろうか。それは私自身の思いを鏡のように私にうつして見せたものによるのかもしれない。

 Yさんは「0さんは繊細だから」とやさしく言ってくれた。繊細とはデリケートということであるが、デリケートというより気が小さいのであり弱いことであることは自分がよく承知している。しかしそのことを承知しながら気持を奮い立たせていろいろな困難にも何とか耐え抜いて生きてきたつもりである。

 だから物を捨てる。既に私は人生の後半に、捨てられずにいたもっとずっと大きなものをようやく捨てている。

2017年11月27日 (月)

大雑把に言う

 中国は・・・、中国人は・・・、韓国は・・・、韓国人は・・・、などとひとまとめにして言うことなどできないけれど、感じたことを語ろうとするとそういう大雑把な物言いをするしかないこともある。だからそうではないことを引き合いに出されて反論されればひとたまりもない。語る根拠が感じたことなのであるから、粗雑であると指摘されればその通りなのである。

 とはいえ自分の知り得たことから感じたこと、思ったことはその通りなのであるから致し方ない。ただ、そう感じたり、思ったことが誰かにそう感じさせられたり思わされていないかどうかについて疑った方が良いことは確かである。ひとは気がつかないうちにそういう刷り込みを受けているものだ。

 しばしば私が朝日新聞をこき下ろすのは、この新聞が読者に意図的に刷り込みをすることに熱心であると感じるからだ。その証拠はいくつもあるが、慰安婦報道ひとつだけでも明らかだろう。誤報を認めるのに30年、しかもその後も韓国の主張をそのまま伝えている。ここまで刷り込みが成功すれば朝日新聞は本望だろう。朝日新聞の洗脳能力は強力であることを誇ってよい。朝日新聞の読者のアンケート結果が他のマスコミとずいぶん違うことが多いようだ。

 父が朝日新聞をずっと愛読していたので、私も子どもの頃から朝日新聞から刷り込みを受け続けてきた。それが、どうも変だぞ、と感じだしたのは、中国の文化大革命の報道からだ。いったんそのような思いを感じ出すとそうでない情報も知りたくなる。

 理科系の大学に行ったのに、自ら学んだのは中国について、そして歴史についてだった。それは自分の考えを一から構成し直すことであって、それはいまだに続いている。そういうことに気付かせてくれたのは、皮肉を込めて言えば、朝日新聞のおかげである。

 話は変わる。

 今回中国の雲南を旅行して、あらためて感じたのは中国の人々がみんな元気が良いことである。東南アジアを旅しても若い人が多いこと、みんな前向きで活気にあふれていることである。そういうところでは、誰かのせいにして自分の不遇を嘆いたりしていない。日本がクレーマー社会になりつつあると誰かが言っていたが、その通りだと思う。その風潮を生み出しているのは日本のマスコミであり、政治家であろう。

 中国で感じた中国人の元気さは、中国経済が破綻するとか体制が崩壊するとかいうことをまったく感じさせないものだった。もし何かがあっても彼らはそれを乗り越えるだろう。世の中というのは、自分で苦難に立ち向かわずに誰かのせいにしていても誰も助けてくれないものだ。だが立ち上がろうとする者には不思議と誰かが手を差し出す。

 以前毎年のように中国に行っていたときに感じていた中国人の元気の良さのことを忘れていた。日本に帰るたびに感じたのは多くの若者の姿勢がうつむき加減で活気が感じられないことだった。もちろんそれは比較の問題である。多分マスコミは、それは政府が悪いからだというだろう。しかし前をしっかりと向いて胸を張って大きな声を出せば、元気はおのずから出てくるものだ。中国人のように。

 極めて粗雑なことを書いている。粗雑だが、そう感じたのだから仕方がない。もう「あなただけ損をさせられている」、というおためごかしのマスコミや政治家の呪いの言葉から抜け出した方が良いのではないか。

 蛇足だが、韓国は日本以上にそのようなマスコミや政治家の刷り込みが強い気がしている。反日などほとんど洗脳のレベルに見える。あのロウソク集会での朴槿恵大統領の弾劾騒動なども、マスコミに扇動されていることの典型ではないか。韓国に行けばそういう考えが修正されるだろうか。その可能性がないとはいえないだろうが、残念ながらいま韓国に行きたいとはまったく思えない。

2017年11月26日 (日)

一歩踏み込む

 家の中の片付けを進めている。いままでの廃棄処分の判断のレベルをもう一段高めたところ、処分する物の山が二山ほど出現した。その山はみなさんが想像されるよりもずっと大きい。しかもこれでほんの一部である。

 このレベルでの片付けには一週間ほどかかるだろうか。燃えるゴミの袋をさらに買い足しに行かなければならない(私の暮らす地区では衣料品は燃えるゴミでも資源ゴミで出すことも可である)。タンスの中と押し入れの中のタオルなど、そして背広などの衣料品が想像以上に多い。背広はずいぶん捨てたつもりなのにどうしてこんなに残っているのか。そもそも背広を着る機会はもうない。礼服だけで必要十分である。さらに若いときに着た衣類がタンスの奥からでてきた。それも捨てる。

 タオルは残す。いま古いタオルは台所回りの掃除や床拭きに使用してどんどん使い捨てるようにしているが、そんな必要がなくなるときまでの分くらいは十分ある。私自身の介護などで使う分も残るに違いない。タオルならいざというときに使い捨て用として人にあげることも出来る。

 布団を入れる押し入れ以外の場所の押し入れにスペースが大分出来そうだ。そうなれば部屋のあちこちで床を狭めている物を収納することが出来る。初めて空間が拡がった実感を持てるかもしれないが、それにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 息子や娘の中学や高校時代の制服なんかがタンスに残っていた。聞いたら捨ててくれといわれることは確かなので、告げずに捨てる。本人がいるのだから、思い出は彼らの顔を見れば好い。いまの顔の向こうに、私には彼らの幼い頃も、中学生や高校生だったとき頃の顔もはっきりと見えるのだ。

 期せずして大掃除の様相を呈してきた。12月にはいろいろと予定はあるが、その合間はずっと片付けを続けることになりそうだ。どんなに大変でも無限に物があるわけではない。一つずつ片付けていればいつかは片付けも片付くだろう。

2017年11月25日 (土)

雲南旅行(32)旅行の終わり

虎跳峡を訪ねて麗江の観光は終わり。ホテルに戻り、ビールを飲んでくつろぎ、晩は宿泊しているホテルのレストランでゆっくり夕食を摂る。出来ればビールだけではなく、紹興酒でも飲みたかったのだがないという。ワインならあるとのことだが、翌朝が早いのでやめておいた。


翌朝の上海へのフライトは8時過ぎなので、ホテル出発は早朝の6時である。中国ではすべて北京時間だから時差がない。つまり北京よりずっと西に当たる麗江では夜が明けるのが北京より1~2時間遅いので真っ暗なのである。

夜中に起きた気分のまま出発。夜明け前の一番気温の低い時間だから寒い。チェックインカウンターでも特段の問題もなく通過。和さんに別れを告げて荷物検査に。ここでは特に厳重な検査だった。トランプ大統領が来るからだろうか。関係ないか。

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空港の出航カウンター前で、ぼんやりする。日本と違って無駄にこうこうと照らさないから暗いし、外気が入ってとてつもなく寒い。

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普洱茶を買おうかどうか迷い続けたが、とても高価になっていて、ついに買う気にならなかった。日本で買う方が安い。

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パンダのぬいぐるみもビックリするほど高い。中国の物価が高くなった上に円安だから二重に高く感じるのだ。日本人は土産物をあまり買わないと言われるのも仕方がない。

それにしても今回のガイドは誰もみやげ物屋に連れて行こうとしなかった。多分私たちを見て脈なしと思って諦めたのであろう。

この日は上海泊まり。無理すれば上海から帰れないことはないが、上海の虹橋(ホンチャオ)空港(おもに国内便)から浦東(プードン)空港(国際便)への乗り継ぎの時間に余裕があまりないので、万一乗り遅れると面倒なことになる。

私の判断で上海でゆっくりすることにしたのである。それにちょうど上海ガニの季節である。以前この仲間たちと上海で上海ガニを食べて感激したことが忘れられない。その至福の味を楽しもう、と衆議一決している。

ところで旅のはじめの旅行会社の手違いによるトラブルは解消していると思うが、万一空港でごたごたしてはかなわない。上海はガイドを一切頼んでいないから、自分で空港からホテルにチェックインし、食事も自分で探す。そして翌朝の空港へも自分で言ってチェックインするのである。

念のため日本の旅行会社に電話してもう一度確認をしてもらった。大丈夫だ、という連絡をもらったので安心する。

この晩の上海ガニも絶品であった。もちろん紹興酒を頼む。五年物だけれど、十分美味い。一本があっという間に空いてもう一本頼む。至福の上海の夜を堪能した。

終わりよければすべて善し。

雲南よさらば、中国よさらば。再見(ツァイツェン)。


長々とした旅行の話におつきあい戴いてありがとうございました。

雲南旅行(31)虎跳峡

虎跳峡は金沙江(長江)が幅30数メートルに狭まって激流となっているところ。真ん中に巨石があり、激流に立ちふさがっている。虎が対岸からこの石を足がかりに飛び越えたという伝説から虎跳峡と名付けられている。


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崖の中腹に道路が穿たれているのが分かるだろうか。これがシャングリラ側の道路である。この道路を左手からやって来た。駐車場は右手の崖の上にある。

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こういう道路を車は走る。見えているのは観光バス。このような崖の上から延々と川岸まで階段を降りるのである。

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駐車場から階段を降りる途中の眼前の景色。

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こういう景色を見ながら降りるのだが、膝が突然痛くなってきた。降りれば登らなければならないのである。やめようか、としばし悩む。

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金沙江の上流側。右側が崖崩れして河が狭まっている。

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もうすぐ一番下だ。対岸の橋は麗江側で、橋の右手はトンネルになっている。以前あちら側に行ったので知っているのだ。橋の左手から階段を降りて激流の目の前にでることが出来る。通行止めになっているから誰もいなかった。

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分かりにくいがこの崖に張り付くように階段が作られていて、それを降りてきたのである。

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虎跳峡、シャングリラ側の虎。

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激流。音がないとその迫力は伝えられない。

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河の真ん中の石。頑張っているのだ。

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水しぶきに虹が立つ。

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これは麗江側の崖に置かれた虎。

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この写真の中に麗江側の虎がいるのだが、分かるだろうか。

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シャングリラ側の虎も吠える。

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あえぎながら階段を登る。行きはよいよい帰りはこわい、である。ご褒美は登り終えてからの展望台から見る玉龍雪山。目の前である。

2017年11月24日 (金)

久しぶりに

 ずいぶん久しぶりに大阪の兄貴分の人と電話で話をした。いつもなら秋には長老も交えて小旅行に行くところなのだが、連絡がないので体調でも崩しているのではないかと心配していたところだ。

 やはり体調を崩していたそうだ。入院するほどのことはなかったけれど、熱中症で二度ほど倒れたという。数年前に一度大病して、心臓に爆弾を抱えている。だから塩分をとことん控えているのだが、そのためにミネラル不足になったのではないかという。

 中国の話や知人の消息の話をした後、一度大阪へ訪ねることを約して電話を切った。体調万全なら酒を酌み交わすところだが、それが叶わないことが哀しい。

 家の中の片付けを少しずつ進めている。何年もしまったままになっている物の処分をしている。もったいない、まだ使える、と思ってもいままで使わないのだから、今後多分使う可能性はほとんどない。そんなもの人にあげても喜ばれるはずがない。

 以前紙袋が山のように出てきて我ながら驚いたことがある。さいわいそれは母の介護の汚物処理に使えたのが幸いであった。

 まだまだものが減った実感は全くないが、いつかはゆとりが出来てくるに違いない。さらに古いものを新しいものに買い換えることもしてみるつもりだ。なんとなく使い古したものを使っているとみすぼらしい気がしていけない。それを捨てて新しいものに替えると気持が豊かになる。ちょっとくらい贅沢してももう良いだろう。

雲南旅行(30)昼食そして虎跳峡入り口へ

虎跳峡へ向かう道の途中で昼食。


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レストラン(というより食堂)の中から外を見る。道路を挟んで向かいにも似たような食堂がある。これらの建物はチベット式であろうか。

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食べ散らかした後の食卓。味付けはそれほど辛くも濃くもなく食べやすい。野菜がたっぷりである。

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もちろん地元のビールである大理ビールを飲む。アルコールは2.5%だが、適度に好い気持ちになる。

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魚の空揚げ。ワカサギに似ているが、ちょっと揚げすぎ気味。

このあと外のトイレを借りる(汚いですよ、と和さんが言うので私はパス)。外で待っていたら調理場から女性が悲鳴を上げて飛び出してきた。

なにごとかと思ったらキュウという不思議な音がして、男が笑いながら何か踏みつけている。ネズミが踏みつけられていた。逃げるネズミを踏みつけるとは、さすがの早業である。

そのまま金沙江に沿って虎跳峡に向かう。

虎跳峡を訪ねるには麗江側とシャングリラ側との二つの行き方がある。麗江側は金沙江を左に見る側を行く。シャングリラ側は右に見る側である。麗江側は谷の底の方を往復5キロほど歩くが、景色が好いし、虎跳峡そのものでの階段の登り降りはほとんどない。シャングリラ側は虎跳峡だけを見るから歩くところは少ないが、高低差がとても大きくて階段の上り下りが五百段以上あるという。

以前は麗江側から生き、その景色の素晴らしさが記憶にある。それに階段の上り下りはつらい。だから麗江側で行くものとばかり思っていた。

ところが・・・。麗江側は工事中で行けないのだというではないか。五百段の階段は勘弁して欲しいところなのだが。

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シャングリラ側の虎跳峡入り口ゲート前にて。玉龍雪山がますます間近に見える。

ここでもパスポート呈示の入場審査がある。うるさいのだ。

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虎跳峡のシンボルの虎の像と玉龍雪山。

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絶景に息を呑む。まったく雲もなくくっきりと見える。

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こんな山はここまで来ないと見られない。そういえばここはもうヒマラヤ山系の端っこともいえるのだ。

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オーバーハングして尖っている。凄い!

2017年11月23日 (木)

雲南旅行(29)玉龍雪山を見る

長江第一湾から金沙江沿いに北上して虎跳峡に向かう。ガイドの和さんが「途中で写真が撮りたくなるような景色がありますから声をかけてください」と言う。しかしたいてい声をかけたときには通り過ぎてしまうことが多いものだ。「和さんがお薦めの場所で停めてください」とお願いする。


だいぶ北上したあたりで「ここからの景色が好いと思います」と和さんが言った。

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おお、雲はかかっているが玉龍雪山の全体が見えるではないか。車を降りる。

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初めて全景を見る。

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望遠一杯にしてみると絶景である。

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偉容に息を呑む。同行の二人も山を見つめている。雲が次第に晴れていく。

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六年越しの願いが叶った瞬間であった。しばし息を呑んで山を見続けた。和さんも自分の手柄のように嬉しそうにしている。

昼が近いので、途中の街で食事をする。

 大きな富有柿が売られていたので購入した。龍井(ロンジン)茶を淹れて飲みながらその柿を食べる。柿は大好きである。その柿もそろそろ終わりか。そして今年の秋はいつもより早く終わりのようである。

 人生で大変世話になった人が奈良にいて、毎年秋には立派な柿を送ってくれる。いつも気にかけてくれるのに不義理が多いまま、昨年亡くなってしまった。

 いつも送ってくれる柿は驚くほど大きなもので、一つ食べると満腹になる。その柿を思い、そしてその人を偲んだ。もう少し何度も訪ねれば良かった、子どもたちを連れて行けば良かったと思っても、詮ないことである。どうしようもないことで後悔するのはあまり好きではないけれど、訪ねれば心から喜んでくれていたことを思うと、ついそんな思いがよぎってしまう。

 人に会うこと、人を訪ねることは楽しいことであるが、気を遣うことが煩わしくもある。その億劫さを乗り越えるのが人生に膨らみをもたせることだといろいろな先輩達に教えられたのに、どうもその楽しさと煩わしさのバランスの上で宙ぶらりんに生きてきた。

 一昨年も昨年も喪中欠礼の葉書が多かった。その中に家族ではなく、本人のものが混じりだした。今年はまだ少ないが、これからまだ来るだろう。今度から自発的に賀状を欠礼する、との案内をいただくこともある。これも一種の人生の撤収のひとつなのだろう。

 まだ年賀状を購入していない。今年は何枚買おうか。

雲南旅行(28)石鼓鎮2そして長江第一湾

ガイドなしの自由散策。はっきり言ってガイドの和さんは手抜きなのである。私が知ったかぶりをしすぎたのでちょっと気を悪くしたのだろう。すまぬことである。


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民家の入り口。左右に聯(れん)という札がかかっている。

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扉が開いているところもある。言葉がしゃべれれば覗いてみても好いが、不審者と思われるおそれもある。

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屋台のようなところにぶつ切りの肉が放置してあって誰もいない。何の肉だろう。

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この界隈はスマホの店が並んでいた。その看板の下に野菜が並んでいるのがおもしろい。

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村の裏手の畑。日本と同じ風景。春なら一面の菜の花が見られるのだが・・・。

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駐車場のほうへ戻るとこんなものが干されている。寒天のようなこんにゃくのような。豆から作られたものだと言う。そういえば以前これを炒めていたのを見た。こんにゃくを炒めていると思ったら、豆から作ったものだと言っていたからこれだろう。

ここからすぐ近くの長江第一湾へ行く。金沙江が大屈曲するところである。

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長江第一湾の石碑。広すぎて全体を一度に画面に収めることが出来ないので三枚に分ける。

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左手から南下して来て、

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目の前で屈曲し、

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再び右手上方へ北上していく。これだけではなんということもない。この北上の先にこれから訪ねる虎跳峡がある。

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おじさんが腰をおろして何か売っているらしいが何を売っているのか分からない。和さんが声をかけると欠けた歯を見せてにったりと笑った。

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場所を少し移してよくよく山の端を見ると、おお玉龍雪山が見えるではないか。次回は玉龍雪山の絶景をお目にかける。

2017年11月22日 (水)

情けない事態になった

 本日の結びの一番で信じられないようなものを見せられた。多分実際に見た人は同様の思いを抱いたことだろう。それは情けないというしかない白鵬の姿だった。

 嘉風との対戦でもろ差しになられて絶体絶命になった瞬間、手を挙げて力を抜いたのである。当然嘉風が勝った。もちろん両者ちゃんと手をついての正式の立ち会いが成立しており、異議はあり得ないから行事も審判員も白鵬の言い分は取りあげない。それが不満だとして土俵上に仁王立ちを続けているが、誰も相手にするものはない。

 自分が負けたのが不満だから抗議の姿勢を示す、というのはおよそあるべき姿とはほど遠い、はっきり言ってみっともない姿である。負けたときは負けを認めないと勝負事は成立しなくなる。そんなこと百も承知のはずの白鵬が、そのことが分からなくなってしまったのである。

 いままで日馬富士と貴ノ岩のトラブルの話には言及する気がしなかった。事実が明らかでないし、当初から報道される内容が次第に変化していて、途中で考えを述べても正しい判断かどうか確信がなかったからだ。しかし次第に貴乃花の態度に不審なものを感じるようになったのは、マスコミがそういう論調だったからというよりも、報道される経過からそうとしか思えなくなったからだ。

 そのようなトラブルの鬱積が白鵬にないはずがない。今回の白鵬のみっともない姿の原因が貴乃花にある、という言い立てはこじつけめいて見えるかもしれないが、多分相撲好きの人からすれば同意する人が多いに違いない。

 不愉快なのである。

 多分相撲の人気は凋落するだろう。あの白鵬の姿に相撲
に対する熱い思いを損なわれた人は多いと思う。私はしばらく相撲を見たいと思わない。白鵬は相撲協会からどのような処分を受けることになるだろうか。そのことをマスコミは面白おかしく伝えるだろう。

 そもそも貴乃花は相撲協会の理事長を目指しているのだというが、理事長はリーダーである。リーダーは相撲の関係者を束ねる役割であり、独裁者で無い限りみなの協力を仰がなければ職責を全うできない役割である。それが誰とも和せずに自己流の相撲道という正義を貫こうとしているらしい。相撲を愛するつもりの者が、相撲を愛するファンをそっちのけで正義を貫いても、そこには不毛の荒野しかない。

 そんな人間がリーダーを担えることなど出来ないことは世の理(ことわり)である。その貴乃花が相撲という世界を奈落に突き落としつつあり、白鵬がその最後のスイッチに触れてしまった気がする。まことに情けないことである。悪くすれば、モンゴル出身力士の造反が始まるのではないか。

 しばらく相撲から愛想を尽かせてもらおう。

雲南旅行(27)石鼓鎮1

雲南旅行から帰ってまだ二週間であることに驚く。あっという間に思い出という彼方に遠ざかりつつあるからだ。その旅行のもっとも充実した一日がこの日であった。天気も良く、いままでとくらべてすべてがクリアであった。


車は麗江から西へ走る。長江第一湾に近い石鼓鎮に向かう。ここは高倉健の『単騎 千里を走る』の舞台の一つだ。麗江からの道路はところどころ未舗装で細いところもあるものの、ずいぶん良くなっている。それらの場所も工事中で、さらに良くなるだろう。

道路は高所を走っている。このまま行けば香格里拉(シャングリラ)からチベットまで通じているのだ。石鼓鎮に向かって脇道を下る。

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車窓に河が見えた!金沙江(長江)だ。

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石鼓珍の駐車場に車を置き、村内に向かう。周辺に山が迫る。

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村の入り口。むかしはこんな入り口はなかった。

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入り口を入ってすぐのところに美しい蘭の花が咲いていた。

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これが石鼓珍の名前の由来である石鼓。ここに過去の戦いの勝敗などが記録されているのだという。

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菜種を絞る工場。農家が菜種を持ち込み、ここで絞る。菜種油の香りがほのかに漂う。前回来た時は春だったので、あたりは一面の菜の花で黄色い絨毯が敷かれたようだった。

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金沙江の支流に架かる吊り橋。むかしは対岸へ渡るのはこの橋しかなかったが、いまは車も通れる立派な石の橋が出来ている。

雨期に川が増水するとこの吊り橋は水没する。この橋はばらばらにすることが出来て、水没しそうなときは流されないようにばらしてしまう。しばしば大洪水もあり、橋の建屋も破損被害を受ける。

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吊り橋の途中までわたって川の上流を見る。水は澄んでいて水底が見える。

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橋のたもとの小屋の中で盲目の老人が楽器を弾いていた。哀愁を感じさせる。彼にどんな人生があったのだろうか。

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村内は坂だらけ。映画でもこのような坂が登場する。

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こういうところで暮らすと足腰が鍛えられて長生きするだろう。

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高台に高楼がある。

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高台から瓦屋根の連なりを撮る。このような景色が大好きである。

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ちょっと方向を変えて。天気がよくて良かった。

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全体を撮る。向こうの方にかすかに金沙江が見える。このあと行く第一湾の方向だ。

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高楼のさらに上に八路軍の調整の像があり、そこから高楼を見下ろす。向こうに金沙江が見える。

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これが銅像。八路軍の長征で金沙江をわたるのを助けた漁民から激励を受ける兵士。

さらに村内を散策する。

雲南旅行(26)麗江の朝

前の晩、夜中に係員のおばさんが部屋にやって来た理由にようやく思い当たった。クーラーの苦情ではなく、部屋のカーテンを引け、ということだったようだ。開け放していたので暖房効果は落ちるし、外に光がもれるのである。


寒かった、と苦情を言ったおかげで電気毛布が敷かれていた。おかげでぬくぬくと快適な夜を過ごすことが出来た。

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翌朝は期待通りの快晴の青空である。向かいの窓には下着が干したままになっている。向こうも宿泊施設のようだから、多分風呂で洗濯して干したのだろう。下着を洗濯できれば持参する数を減らせるから合理的である。

屋根の上をよく見ると、

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なにかの魔除けであろうか、不思議なかたちのものが載っている。

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前の建物との間には細い露地と水路がある。

道路に面しているからこのような赤い提灯がぶら下がっている。中国にいるのだ、という思いがする。

朝食を済ませてゆったりしていると、ガイドの和さんが迎えに来た。今日は待ちに待った絶景が見られるに違いない。

麗江古城内は車の乗り入れが出来ない。車の待つ南口まで歩く。天気が良い分だけ気温も低い。しかし気持ちが好いから快適でもある。

もしや、と後ろを振り返ると、

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おお、ついに玉龍雪山がその勇姿を見せているではないか。感激である。これが見たかったのである。

2017年11月21日 (火)

雲南旅行(25)麗江古城夕景

麗江古城・四方街からやや高台のホテルのレストランに行く。


歩き疲れた足に、高台への階段は少々つらい。日ごろの運動不足を痛感する。

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ようやく到着。ホテルのレストランといっても、ちょっと大きな家みたいなところだ。

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突き当たりのホテルの待合室の一角に宴席がしつらえられている。そこで鍋料理を食べる。羊に牛、鶏などとふんだんの野菜、そして豆腐。豆腐は日本の豆腐とほとんど同じ。

給仕してくれる女性たちはまったく言葉が通じない。英語も通じない。和さんが向こうから、パクチー要りますか?と訊くので三人口を揃えて、要ります、と答える。

ちょっと刻んで塩漬けにしたパクチーが出てきた。これを薬味に混ぜると絶品。気がついたら満腹になり、疲れもほとんどとれていた。

海外で食事をするとどうしてこんなに美味しいのだろう。実際に美味しいし、空気が変わることが味付けになるし、ふだんは独りで食べているのに相手がいるから美味しいのだろう。

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ホテルの横に出る。駐車場からの入り口側らしい。

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前は広場だが車も人もいない。奥の方はどんどん高台へ登っている。我々は四方街へ下る。

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四方街は相変わらずの人出。朝の悪天候が嘘のように空は晴れてきて、遠くの山がはっきりと見えるようになった。

明日は好天らしい。

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てくてく歩いていたらビル・ゲーツに会ったので挨拶した。

左奥のスーパーで晩のビールを購入する。

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プーチンもいるのだ。

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太鼓屋さん。

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漢方薬店。雲南は薬草の宝庫である。

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ようやく店に灯りが入り出す。前を行くF君の右手にはビールの入った袋が下がっている。

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これから夜の食事の仕度が始まる。ここでは寒いのに外で食べるのが好きらしい。寒ささえ我慢すれば気持ちは好いかもしれない。

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こういう風景が大好き。灯りの色が楽しいような、そして哀しいような気持にさせる。異国にいることを実感する。

私はよそ者なのである。

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虎の毛皮らしきものが置かれている。虎もさびしいのだ。

このあと一息入れて再び酒盛りが開始された。明日は今回の旅のハイライト、虎跳峡だ。

この虎跳峡でも思わぬことに。

能登にいる

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 ブログでは雲南を旅行中だが、いまの私は能登にいる。以前にも書いたが、十五年以上前から冬用のスタッドレスタイヤを金沢のリース会社でお願いしているので、今日タイヤ交換の予約をしてある。北陸まで来るのに日帰りするのももったいないので、昨晩、能登の見附島(通称軍艦島)の前の、のとじ荘というホテルに泊まった。金沢に泊まって若い友人と飲むこともあるが、今回は失礼した。

 折からの寒波で、昨日は雪に見舞われるのを心配したが、雨であった。数年前、タイヤ交換にやってくる日に大雪に見舞われてこわい思いをしたことがある。雨でさいわいだった。だから景色を楽しむことは出来なかったが、そのかわり冬の日本海の荒涼たる姿を見ることが出来た。能登半島の北の方では道路脇に雪が残っているのを見た。前日は雪が降ったらしい。

 宿は快適。最近は、私は宿の名前をはっきり書くのは余程気にいったときだけにしている。この宿は以前来たことがある。気にいったからまた来た。今回はさらに気にいった。唯一の難点は風呂上がりのビールが自動販売機にないことだ。

 昨晩は能登の地酒、宗玄の生原酒で美味しい料理をいただき、極楽気分となった。宗玄はここから近い恋路海岸のあたりにある造り酒屋だ。以前クラで試飲させてもらったことがあり、それ以来能登に来ればこの酒を飲む。一息入れて風呂(温泉)にゆったり入って、爆睡した。こんなに深く眠ったのは久しぶりだ。

 思いきって来てよかった。これから金沢に走り、タイヤ交換して名古屋に帰る。今年は雪が多いらしい。これで万全である。思い立ったら東北でも北陸でも山陰でも走り回ることが出来る。

雲南旅行(24)再び麗江古城2

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この四方街の看板を集合の目印に散る。

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この星印が何を意味するのか分からない。

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銀細工の店。Yさんはここで何か買ったらしい。

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広場に民族衣装の若い男女が並んでいて、それを大勢の人が囲んでいる。

その和子に公安の車が会って制服のこわいおじさんが何人かあたりに目を光らせている。下手にカメラを向けて怒られてもいけないので視線を外す。

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納西族の乙女の盛装。頭の丸いサラのようなものは全部で七つ。頭にこのように飾ることもあるし、背中につけることもある。意味は聞きそびれた。

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大きなみやげ物屋。奥行きが広い。値切るのが当たり前らしいが、何しろ言葉が分からない。ガイドはそういうとき助けてくれない。店とは顔なじみだし、長いつき合いだから当然だろう。

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横道に入るとこういう水路が縦横に走っている。

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日が傾いてきた。

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どこかで貸衣装を借りたらしい若い女性たち。

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泣きわめく幼児に、途方に暮れる祖父母らしい二人。

風景と人が雑多に入り交じり、見ているだけで楽しい。

見飽きたので集合場所に戻る。四方街の山の手に夕食の場所があるというのでそこへ向かう。

2017年11月20日 (月)

雲南旅行(23)再び麗江古城1

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麗江古城に到着。この先が大水車である。

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羊肉の串焼きのいい匂いがする。この横に皮をむかれた羊が丸ごとぶら下がっていることもある。

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水車の横の広場にこんなものが。

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絵馬である。願い事が書かれているそうだ。誰が願いを叶えるのだろうか。

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四方街まで石畳の道を歩く。古い石畳である。

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記憶違いでなければ、これを五彩石というはずだ。

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等身大の銅の像。たばこ屋の店先に置いてある。雲南はお茶とともに煙草が特産なのである。

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四方街の四囲にはこのような店が並んでいる。二回はレストランや飲み屋になっていて、下の観光客を見下ろすことが出来る。

ライブハウスになっているようなところもあって、大きな音で音楽や歌声が流れてくる。

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こんな感じ。和さんがしばらくこの辺りで散策してくださいというので、てんでにひとりで歩き回ることにする。

小川糸『キラキラ共和国』(幻冬舎)

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 あのドラマにもなった『ツバキ文具店』の続編である。この本だけでも楽しめるかもしれないけれど、前作を読んでいないと感動はし難いかもしれない。私はもちろん読んでいるからこの本を買ったのであり、読んでいなかったらどう感じるかをいうことはできない。

 ポッポちゃんこと雨宮鳩子は守景鳩子になる。QPちゃんのお母さんになるのだ。ドラマでは鳩子の役を私の大好きな多部未華子が演じていたので、私にとって鳩子は多部未華子の顔で考え、悩み、感動し、成長していく。

 彼女が先代(祖母)から引き継いだ代書屋という仕事は、彼女を人間として鍛え、成長させていく。彼女が先代に仕込まれた素養と矜持はますます彼女の魅力を増すことに繋がり、彼女の周りの人々との関係を楽しいものにしていく。

 これは絵空事のお伽噺ではない。彼女のような女性だったら必ずそこに生ずる優しい小世界なのだ。この話はさらに続くだろう。なぜなら中途半端に登場して彼女を悩ませた、レディ・ババとの関係はまだ宙ぶらりんのままなのであるから。

 それにしても彼女の引き受けた代書の仕事の結果の手紙文の見事さにはうならされる。私ならその宿題にどういう手紙を書くのか、それを試してみたい気もするが、いまのところ思うだけである。やはり作家というのはすごいなあ。

雲南旅行(22)玉泉公園から麗江古城へ

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東巴(トンパ)博物館は玉泉公園に接している。公園にはこのように小さな鯉がたくさんいる。この鯉は池の傍の店で売られている。この鯉を買って池に放すのである。放生の功徳である。こっそりと夜中にこの鯉をまた捕まえて売っているのではないか、などとF君と陰口を利く。

それにしても水が濁っているのが気になる。

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前回、6年前はこの池の水は澄んでいたのである。池のあちこちで清んだ泉がこんこんと湧いていたのである。

そのことを言うとガイドの和さんが、二、三年前から泉が涸れてしまったのです。と哀しそうに言う。確か昨年か一昨年かにこの玉泉公園の水が一度干上がったはずである。ネットの中国ニュースで見たことがある。

それのせいか、と訊くと、それもあるけれど、麗江中の人が地下水を汲み上げるので湧き水が出なくなったのだという。人口が急増しており、みなが水道代を払いたくないのでこっそりと井戸を掘ってしまい、もう元に戻らないだろうというのだ。

麗江の水の美しさを自慢していたのに、同行の二人もがっかりであった。

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雨はやんでいるが、この景色の向こうに見えるはずの玉龍雪山は姿を見せない。前回来た時も空振りだった。もう一度来いというのか。

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ややアップで。これで青空と澄んだ水、そしてそれに橋や建物が映れば最高なのに・・・。

和さんがこのまま麗江古城まで歩きましょう、という。そんなに遠くないそうだ。この玉泉公園の水が、麗江古城へ流れ下るのをたどっていけば良いのだという。

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豊富な水が流れているのに。

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水が汚れていくと、こういう水草(バイカモか)もなくなってしまうかもしれない。

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こちらはやや歩き疲れたけれど、和さんはさっさと先に歩いて行く。木の幹が白く塗られている。虫除けのためだという。

むかし西安で街路樹が同じように白く塗られていたのを見たけれど、そのときは夜間白く光って車が当たらないようにするためと聞いたことがある。いまは違うのだろう。

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水辺を歩くのは気持ちが好い。もうすぐ麗江古城だ。

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麗江古城の北端は大水車だったが、さらにその北側にも店や建物がどんどん拡がっている。新・麗江古城などという、と前回聞いたことがある。そこで一人で店に入って休憩し、つまみでビールを飲んだのを思いだした。

2017年11月19日 (日)

本を買う

 私は電子書籍を読まないことにしている。私は特に必要な時以外は図書館を利用しない。それは私のこだわりであり、他人が電子書籍を楽しむことも図書館を積極的に利用することについてとやかく言うつもりはない。

 そんな私が本を購入することによる金銭的な負担をぼやいたり、本があふれて部屋を占領することを嘆いたりするのは、一種ののろけ話である。だから電子書籍を読んだり図書館の利用を勧められると、その親切をまことにありがたいことだと思いながら、それに従うことはないのである。

 私は本が好きである。本を愛している。そして書店で本を眺めているだけで快感を感じる。書評本で知らなかった本のことを知ると嬉しい。はるかに私より本を偏愛している人たちにはとても及ばないが、そこに本があるだけで幸福なのである。相手をかけがえのないものと感じるということは、つまり愛しているということであって、そのための多少の負担は却ってよろこびでもあるのだ。

 最近本を読まない人が増えているという。テレビのニュースでそれが取りあげられて、インタビューをされた人が次々に「ここ数年本を読んでいない」とか「そういえばこの一年、一冊も本を読んでいない」などと答えていた。あたかも本を読まないことを自慢するようでもある。そう答えたくなるような質問でもしたのだろうか、世の中はまったく本を読んでいないのが普通であるかのような報道であった。

 まさかと思う。書店に行けばあふれるほど本が並んでいる。本を買う人がいるから出版社も書店も成り立つのだから、本を読まない人が普通になったなどということがあるわけはないと思いたい。

 私の兄貴分の人は私よりずっとたくさん本を読む。私の倍くらい読んでいるだろう。その本はほとんどが図書館の本である。日本史に詳しくて、記憶力の優れた人だから、ともに旅すると、その口から該博な知識があふれ出てきてとてもためになる。

 図書館はそういう意味で多くの人に有用なのだろう。しかし私は内心で、ベストセラーやエンターテインメント本を図書館が数多く置いて一般に供用しているのにいささか疑念を持つ。図書館は存続のため、利用率を上げるためにこの傾向を強めているというが、図書館の存在意味の偏りがあるのではないか。

 繰り返すが私は本を愛している。もともと本を読まない人は別だが、本を読む人がこうして図書館を利用することが普通になれば本は売れなくなる。それは出版業界を衰退に導く。そうなれば本屋ももちろん減り(現にどんどん減りつつある)、世の中から本が減っていく。図書館がそれに加担してどうするというのか。

 愛しているものが失われていくのである。蟷螂の斧であるが、本を買うことにこだわる者がここにいても好いのではないかと思って、私は本を買うことを楽しんでいる次第である。

雲南旅行(21)東巴(トンパ)博物館

麗江に戻る。麗江には玉泉公園という美しい公園がある。玉龍雪山の雪どけ水が伏流水となってこんこんと泉として湧きだしている湖から、天気が良ければ玉龍雪山が見えるのである。

その玉泉公園のとなりに東巴博物館があってそこに立ち寄る。


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玉泉公園の水が博物館の横にまで引き込まれている。あれっ、どうして水が濁っているのだろうか。雨が降ったからか?

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こんな風に玉龍雪山が見えるらしい。前回も今回もまだまったくこの姿を拝んでいないので恨めしい。

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これが東巴文字。典型的な象形文字で、いまは読み書きできる人は一握りしかいない。納西族の文字である。写真のガイドの和さんも納西(ナシ)族だが読めないという。

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博物館の中に入る。向こうの方で係員と思われる女性が音楽に合わせて踊っている。写真をこっそり撮ったら気がついたらしくちょっと睨んで見せたが、やがて笑い出した。照れくさかったのだろう。

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木氏は麗江を支配していた豪族。麗江古城内にも木氏の支配していた遺跡があったが、ほとんど20世紀末の大火で焼失したと記憶している。

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ここに歴史が記録されているらしいが、日本語の説明がないので眺めるだけ。

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中央やや右手が麗江。金沙江(長江)は左上から南下し、石鼓で大湾曲(長江第一湾)し、北上する。さらにまた右手の方に南下する。

その石鼓鎮や長江第一湾、さらにそこから北上したところにある虎跳峡に明日行くのである。ガイドの和さんは玉龍雪山に近い宝山という山の麓で生まれ育ったそうだ。この図の中に宝山があるが写真では分かりにくいだろう。

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方位図。中央はカエル。その周りを干支の動物が取り囲む。

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降魔杵とあるが、密教で使われる独鈷杵のようなものか。

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納西族の古代祭祀の様子らしい。背景に玉龍雪山が見える。あれを直に見たい。

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稚拙だが味わいがある。こういうのを眺めるのは愉しい。

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顔がつけられるとものに生命が宿るような気がする。

東巴博物館は麗江郊外の束河古鎮というところだったか白沙村というところで見た気がする。そこにあったものの一部がこの博物館でも見られたから移築したのかもしれない。

束河古鎮にも行く予定を立てておけば良かった。好いところだし、映画『単騎、千里を走る』の舞台のひとつにもなっているのに。麗江古城も、明日行く石鼓鎮もこの映画の舞台になっている。

訃報に驚く

 ネットの訃報ニュースを何気なく見ていたら、関西大学名誉教授の浦西和彦氏が16日の木曜日に亡くなったことを知って驚いた。膵臓ガンによる病死、享年76歳。

 なぜ驚いたのかといえば、近代文学専攻の浦西氏は私の敬愛する谷沢永一の愛弟子で、たまたま浦西氏による谷沢永一の選集を繙いていたところだったからだ。

 全二巻のこの選集は第一巻を浦西和彦が、そして第二巻を鷲田小彌太氏が編集している。言視舎という出版社によるこの本は谷沢永一のたくさんの著作から選び抜かれた文章を編集したもので、版が大きくて二段組み、内容ぎっしりで谷沢ファンなら垂涎能わざるところであるが、何しろ高い。買うのに迷ってたまたま気が大きくなったときに思いきって購入したものだ。

 棚に飾ってときどき拾い読みして一人で悦に入っていたのだが、それを久しぶりに開いていたまさにそのときに浦西和彦氏の訃報に接したというわけである。偶然ではあるが、ユングではないけれど偶然とは思えないような気もするのである。そもそも訃報などふだんは取り立てて見ないのである。最初浦西和彦という名前にすぐピンとこなくて、どこかで聞いたことがあるなあ、と目を落としたら、目の前の本にその名があったのである。

 追悼の意味でも今日はその本をもう少し読もうかと思う。

2017年11月18日 (土)

雲南旅行(20)印象麗江

印象麗江というのはショーである。地元の人たち数百人が乱舞するという。ガイドの和さんの知り合いが何人も出ているらしい。


正直言うと私も同行の二人もあまりそういうものを見たいと思わないほうであるが、予定にあるので仕方なくつき合う。

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この向こうの野外ステージでショーは行われる。雨は降っているし寒いして最悪の状況なのにショーは1時間半もあるのだそうだ。和さんには最初の30分だけみたらでてくる、と告げるといささか不機嫌な顔をした。

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開演前。このようなポンチョが無料で借りられる。そうでなければ座席はびしょびしょで坐るわけにも行かない。

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ショーの開始時間になっても次々にひとが入場してくる。早く出られるように出口に近いところに坐っているから、いろいろな人の顔を見ることになる。トイレも近い。

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ようやくショーが始まる。大音響の音楽とともにナレーションが語られるがもちろん言葉が分からない。画面のように中国語と英語が映し出される。Yさんは英語で何とか意味を読み取り、私は中国語でわずかに内容を想像する。

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少数民族は麗江の場合、主に納西(ナシ)族。納西族の女性は働き者。その様子を描いているようだ。

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こちらは若い男達。このように大人数の迫力あるショーなのである。

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大観衆の上を馬に乗った若者達が行く。けっこう高いところで、馬の数もとても多い。

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リーダーらしき男が馬上で立ち上がり、大声で何か叫んでいる。このあと曲乗りなどもあって、楽しめないことはない。

約束の30分が過ぎそうになったので三人でショーを後にする。尻が冷たい。ポンチョが十分尻を覆っていなかったらしく、ズボンの尻が濡れてしまったのだ。

出ようとしたら出口の扉を鍵で閉めているではないか。あわてて開けてもらって脱出する。和さんは我々が本当に30分で出てくるとは思っていなかったようで、情けなさそうな顔をした。

車の中は暖房で暖かい。ようやく人心地がついた中で、うつらうつらしながら麗江の街に戻る。

いろいろと

 21日に金沢で冬用のタイヤに交換する。金沢に単身赴任して以来ずっと金沢でリースタイヤのお世話になっていて、退職後も、冬も走り回りたいのでそのままお願いしているのだ。
 少し早めに予約したはずなのに、今年は寒気が訪れるのが早かったのである。実はそのついでに能登の魚が食べたくて、20に能登の珠洲に宿を予約してある。ところが19日は北陸は雪で、しかも積もるというではないか。20日に能登へ行けるのだろうか、心配である。

 そういうことで、いま天気予報を注視している。

 今日は久しぶりに朝寝をした。今朝、普通に6時前に目覚めたけれどそれからさらに二度寝をしたのである。私は本質的に保守的で、ふだんしない二度寝などをすると生活のリズムが狂うのがイヤなのだが、ときには体や心を甘えさせてやってもいいか、ということにした。

 旅行中に自宅が恋しいと思うことはほとんどない。そう思うときは余程疲れたときである。その気配があれば切り上げる。今回の中国旅行中も疲れと反対に、気持は後半ほど調子が出て来た。旅行は予定が決まっているから帰らなければならないけれど、また来春にでもひとりで来ようと内心で決めていた。ただ、唯一映画が見たいという気持ちが募るのがいつもと違うところだった。

 では帰ってから映画を見たのかというと、まだ一本しか見ていない。風邪気味で気力が足らなかったということもあるが、その鼻風邪もとっくに治っている。ただ、旅行中に録画しておいたドラマやドキュメントや旅行番組がたまっている。それらは多少鮮度が大事なところがあるので、そちらを優先して見ていたのだ。

 どうして映画がそれほど見たくなったのか。今回の飛行機では国際便も国内便も個別に座席に画面がない機種なので、ほとんど映像を楽しむ機会がなかった。予告編的な映画やドラマの放送はあったが、ほとんど中国語だからそもそもまったく分からない。それに焦れたのかもしれない。

 旅行中は本もほとんど読んでいない。たいてい何冊も抱えていくけれどそのまま持ち帰ることが多いので、今回持参した本はガイドブックと『奥の細道』の注釈本のみだった。一冊しかないと思うと、機内ではけっこう集中して読むことが出来た。中国の空を飛びながら、私はみちのくを旅していた。

 本もいま並行してして五六冊を読んでいる。興味の赴くまま、とっかえひっかえ本を読む楽しみを楽しんでいる。
 
 こうして日常が少しずつ戻りつつある。

2017年11月17日 (金)

雲南旅行(19)雪の雲杉坪

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ロープウエイを降りてこのような原野の間の木道を歩いて行く。

目的地の雲杉坪まで歩いて15分。しかし木道にうっすらと雪が積もっているので、滑る。

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右側のカーブが木道。向こうに途中の休憩所がある。滑らないように歩いていると少し息切れがする。そこで生まれて初めて酸素ボンベを使ってみる。劇的に息が楽になる。

六年前に来たときにはここを小走りで行ったので、ガイドでゆっくり歩けと注意されたのに、今回は何たることか酸素ボンベである。何しろ寒いのがこたえる。

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前回は春だったので、原生林には葉が茂り、もっと鬱蒼としていた。

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葉はないし、雪で明るいから景色が違って見える。

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間もなく雲杉坪に到着。柵の向こうの開けた場所がそうである。人影はまばら。

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それでもこれだけの人がいる。

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本当は目の前に玉龍雪山の勇姿が聳えているはずなのである。実は前回も雲がかかってあまり良く見えなかった。どうも玉龍雪山とは縁がないのか。

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ほんの少し雲が薄らいで下の方が見えたが、またすぐ隠れてしまった。山が見えないと、どうしてこんな思いをしてここまで来たのか分からないことになるが、天気のことであって仕方がない。

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帰り道の木道から外れて原野に入って写真を撮る観光客。彼らは山が見えなかったけれど、珍しい雪を見たという思い出が出来たようである。

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こちらにも原生林の間に入り込んで喚声を上げている。

木道の横には木道を外れて原野に入るな!と看板があるが、そんなこと頓着しないのが中国人なのだ。

このあとロープウエイを下り、バス乗り場の近くで昼食。そのあと「印象麗江」というショーを見る。

雲南旅行(18)雪

震えなどが高山病の一症状である場合もある。そういえば麗江古城を散策したときに心臓に違和感を感じて息切れしたような気がする。


翌朝、3300メートルの雲杉坪(うんさんぺい)に向けて出発するとき、ガイドの和さんにその心配を伝えたら、「分かりました、酸素ボンベを買っていきましょう」と言われる。

酸素ボンベは一本60元、思ったより大きいのでどこにも入らず、持っているのが邪魔であるが仕方がない。最近まで120元していたそうだが、政府の指導で値下げさせられたそうだ。
いま元のレートは一元19円近いから有難いことである。もともと暴利だったのだが。

雲杉坪は直接車で入れない。上高地や木曽駒ヶ岳のように、エコバスに乗り換えてロープウエイに行く。乗り換え場所に向けてどんどん高度が上がっていく。

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何と、ある高度から雪である。

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車窓から見ると、中国人観光客が雪の中ではしゃいでいるのが見えた。

和さんによれば、この辺はめったに雪が降らない場所で、降っても年に二度ほど、早くても12月にしか降らないので、11月の始めに雪が積もるなど極めて珍しいことだという。

大雪です!と胸を張っているのがおもしろい。それほど珍しいのであろう。

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バス乗り場に到着。待合所でトイレを済ませ、チケットを用意している和さんを待つ。向こうに見える小屋がチケット売り場。ここでもパスポートが必要。

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待合室の中央にこんな展示物がある。どういうことを表しているのかよく分からない。古代民族のモニュメントなのだろうか。
ガイドの和さんがなかなか来ない。どうもまだ例の手違いが尾を引いているようだ。ちょっとぶつぶつ言いながらやって来た和さんは、大丈夫、大丈夫、心配いりません、と笑っていた。

この和さん、やたらに周りの人に声をかける。知り合いらしい人もいるけれど、若い女性などには特に積極的に声をかけている。無視されても気にしない。どうも調子のいい男である。これが楊さんや杜さんが言っていた、いい男の意味か。

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バスの終点でロープウエイに乗り換える。以前は大型リフトだったがいまは八人乗りのロープウエイになった。次々にゴンドラがやってくるのであまり待たずに乗ることが出来る。

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ロープウエイ乗り場から玉龍雪山方向を見る。裾野の部分しか見えない。このはるか上に屹立しているはずなのだが。

寒い。さいわい高山病の兆候はまだ現れない。しかし寒い。

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暗くどんよりとした雪景色。ロープウエイ乗り場は海抜2900メートル。ここから一気に400メートル登る。

雲杉坪では少しは玉龍雪山を見ることが出来るのだろうか。

落花生

 千葉生まれで、生まれた育った街の周辺が落花生の産地であり、子どものときから落花生が大好きである。むかしは泥付きの採れたての殻から実を取りだして、上下が金の網の籠に入れて七輪であぶって食べた。落花生は古くなると油がわずかに酸化していくので、新しいほど旨い。

 店頭では千葉産の落花生は高い。それに比べて中国産は三分の一の値段だが、残念ながらたいてい酸化臭がかすかにして旨くない。

 雲南ではビールのつまみに落花生、別名南京豆、つまりピーナッツがしばしば出た。食べると旨いのである。ふだん食べている中国産の落花生は何なのだ。多分中国人もあんな落花生は嫌いに違いない。

 今回の旅ではビールと一緒につまみとして中国のコンビニやスーパーで落花生を買った。ガイドのお薦めで、真空パックのものを買ったらこれがいちばん旨い。かすかに味付けがされているのだが、日本のバタピーとは違う。くせになる旨さだ。ただ、落花生は腹の中でビールを吸って、後で腹が膨れて苦しくなるので気をつけないといけない。

 昨晩は中国産ではなく、千葉産の殻付きの落花生をつまみにビールを楽しんだ。千葉産の落花生を食べながら雲南を思い、やはり日本なら千葉産が旨いと思った。

2017年11月16日 (木)

雲南旅行(17)震える

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麗江古城の一番北、大水車まで来た。

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世界文化遺産・麗江古城の文字は、私の嫌いな江沢民のもの。ここは写真を撮る人が多いので、ぼやぼやしていると、邪魔だからのけ、といわれる。中国の人は人が退くのを待つことはしない。

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広場には花が飾られている。

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花のアーケードもある。ハートマーク。

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トウモロコシがあしらわれているのがユニークである。

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高台のほうには高級料亭などがありそうだ。実はこの翌日にそういうところへ行く。ちっとも高級ではなかったけれど。

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歩き疲れた帰り道にて。ここは湧き水があるのだろう。

晩はホテルのレストランで夕食。期待以上に美味しい食事であった。

翌日は3300メートルの場所に行くので、飲みすぎないように、そして十分睡眠を取るようにいわれているので、酒は控え目にした。

風呂で暖まり、早めに寝についたのだが、とにかく寒い。エアコンを入れて暖房してもほとんど部屋が暖まらない。布団にくるまってようやく寝込んだのだが・・・。

夜中にどんどんとドアを叩く音で目が醒めた。F君はぐっすり寝ている。寒いから起きたくないが仕方がない。なにごとかとドアを開けると制服を着たおばさんがこわい顔をして何やらまくし立てている。何が言いたいのかさっぱり分からない。

もしかしてエアコンの音がうるさいと苦情でもあったのだろうか。確かにうるさいのである。そしてちっとも暖まらないのである。「分かった、エアコンは切ることにする」と答えたらおばさんはこわい顔のまま引き揚げた。

そのままトイレで用を足したら震えが来た。歯の根が合わない震えである。ちょっと普通でない震えで不安になる。

ベッドに走り込み、布団をしっかりと巻き付けてじっとしていたらしばらくして多少人心地がついた。どうもおかしい。麗江は高度2400メートルで、人によっては高山病になることもある。明日の朝もこんな調子なら雲杉坪に行くのはやめた方が好いだろうか、などと考えているうちに寝た。

翌日は体調が多少戻ったが、不安は増している。しかしひとりだけホテルに残るほどでもないので行けるところまで行くことにする。

その翌日というのがえらい日で・・・。
  続く




こたつを出す

 いつもより早くこたつを出した。私は真冬でも靴下をはかない。足が冷たいなどと思ったことがない。身体で発生した熱を足から排熱して生きてきたのである。頭寒足熱などというが、私には頭寒だけが必要で、足熱は不要であった。その私が二、三年前から足が冷えるようになった。足が冷えるということがどういうことか初めて知った。けっこうつらいものである。

 こたつを出して足が温まると、とてもしあわせな気分になる。こうして来春まで「こたつの守」となる。せっかく娘のどん姫がくれた肘付きの大型の座椅子を私の身体で破壊してしまい、不用品回収業者に渡してしまったのだが、あれがあればもっと快適にぬくぬく出来るのに残念である。

 部屋の隅に絶妙の空間を見つけた。工夫すればそこに本箱を収めることが出来そうだ。これで積み上げている本を収納できる。納戸にしている部屋の棚にも工夫すれば利用できる空間がある。ここにカラーボックスを横に置けば古いアルバムやブログアーカイブのファイルを収めることが出来そうだ。

 こうしてまた本箱やカラーボックスを買い込むことを夢想している。ついでに肘付きの座椅子を買おうか。断捨離などといいながらこれでは駄目だなあ。

2017年11月15日 (水)

雲南旅行(16)麗江古城1

麗江古城は以前来た時とあまり変わっていない。


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ホテルを背にして右手方向(南にあたる)を撮る。むかしは前の水は澄んでいた。濁っている理由を後で聞いた。

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ほぼ正面。右手の少し高い建物の一階はスーパーである。ここでビールを買い出すことになる。冷やしていないが、気温が低いので、冷蔵庫に入れておけば適温になる。

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この方向に歩いて行けば四方街や水車小屋の方向に行くことが出来る。

とりあえず部屋に荷物を置く。

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部屋は二階。窓はこれ一枚なので外気がそのまま室温である。室温の話はまた後で話したいことがある。

荷物を置いて散歩に出る。

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この道を左に行けば四方街へ行くことが出来る。ホテルは麗江古城の南端にあり、有名な世界遺産のシンボルである大水車は北の端にある。ゆっくり歩くと30分かかるし、道は曲がりくねり、しかも脇道だらけなので、全体のイメージをつかむまでは迷いやすい。

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何しろ人が多い。

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麗江は納西(なし)族の街。トンパ(東巴)文字は納西族の象形文字である。これは世界文化遺産である。

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前回来た時はこのような食べ物広場はなかった。

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これは虫の空揚げ各種。私は食べてみても好いと思ったが、同行の二人は同意しない。さすがに一人でむさぼり食いたいとは思わない。ほんの一口二口食べてみたいと思っただけである。

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こうなると何の料理なのか皆目わからない。

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これは小鳥だろうかカエルだろうか、頭がついていないから分からない。よく見たら写真を撮るな!という札が置かれていた。

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もうすぐ中心の四方街である。この人混みである、スリも仕事がしやすいであろう。ほとんど中国人観光客だと思う。

麗江古城の散策は何度もしたので似たような写真が繰り返し出てくるのでご容赦戴きたい。何しろ何度散策してもおもしろいのである。

いまは期待したい

 希望の党の玉木新党首、そして長島氏の話をテレビで見聞きする機会があった。真摯に希望の党の立ち位置や今後の行動指針について語っていて、好感が持てた。何が何でも悪の政権である安倍内閣打倒を目指す、などとというたわごとを言わないのが好い。現実を見据えた上での本当の是々非々を論議しようというその姿勢に私は希望を感じた。本当にその通りに実践すれば、支持が増えて党勢は拡大するに違いない。

 マスコミの論調は、小池氏が党首を引退することで希望の党が求心力を失い分裂するというのが大勢だ。玉木氏は若く手腕は未知数だからそのように見るのであろう。しかも立憲民主党的心性の議員も少なからずいる。尻が安定していないことがマスコミに見透かされているのだろう。もしそれらの議員が離党するならそれも却って良いことかもしれない。彼らはその節操のなさを嫌われて離党してもいつか消えていくだろう。

 若い人が真摯に国のあるべき姿を絵に描いて政治に臨むという姿勢は必ず良い結果につながると信じたい。ただ、そのためには時間がずいぶん必要だろう。その時間に耐えるために必要なのは繰り返すが希望である。多分前原氏が描いた夢もそれに近いだろうから、彼は希望の党に合流して玉木党首を支えると思う。

 ミニ民主党、ミニ民進党の方向に堕落すれば、ついには社民党の末路が待っている。踏みとどまって大化けして欲しい。さいわい落選した議員を含めれば、それなりの志のある人材が豊富な党なのである。それらの人は切磋琢磨の中で選別されていき、次回、または次々回の衆議院選挙に花開く望みがある。

 党名の名付け親である小池氏が離れたことで希望が生まれたというのは皮肉であるが、雨降って地固まるである。いまは前向きに見ておこう。

雲南旅行(15)民族舞踊を見る・そして麗江へ

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こんなささやかな舞台で待つことしばし。

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舞台の袖に可愛い娘が現れて中国式の高い声で歌い出した。パンフレットも字幕もないから何を歌っているのか分からない。

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この四人がメインで次々にいろいろな踊りを踊る。

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このおばさんは声量が豊かで、声が場内にびんびん響く。マイクはまったく必要ないと思う。

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美人というわけではないが、恥じらいに愛嬌があって、どうしてもこの娘に目が行ってしまう。

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やがてフィナーレ。サングラスの西洋人風の女性はどんな役回りなのかよく分からない。西洋人であることに意味があるのかもしれない。熱心ではないがそれなりの拍手が観客からあった。最後にお茶とお菓子の接待がある。舞台の演者達が配ってくれる。三種類のお茶がそれぞれに美味しかった。

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喜洲古鎮からそのまま麗江に走る。峠越えなので数年前までは四時間以上かかったが、いまは高速道路があるので二時間前後で行ける。

そういえば6年前に来たとき、この高速道路を作っていた。大理と麗江の途中に麗江の空港がある。空港から麗江の街までの道は工事中で未舗装の凄まじいデコボコ道。車の天井に頭をぶつけそうになるし、うっかりしゃべると舌を噛んだ。そんな道を運転手はぶっ飛ばしていたのを思い出した。

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発電所からの送電線は独特の形をしていておもしろい。雲は低く垂れ込めている。

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雲が少し薄れてかすかに青空も覗きだした。それにしても山が少し白いような・・・。

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アップにすると、やはり雪のようである。明日は大丈夫だろうか。

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大渋滞の麗江で時間を食ったが、ようやくホテルの麗江王府飯店に到着。ここは麗江古城の南側。麗江古城内は高層建築を建てることが許されないので二階建て。ここに三泊する。

この晩ちょっと体調を崩すがそれは後の話。

ガイドを杜さんから麗江の和さんにバトンタッチして、杜さんは大理へ帰っていった。和さんは男性。昆明の楊さんも大理の杜さんも、和さんはハンサムでいい人だと言っていた。みな顔なじみなのである。

明日の雲杉坪(うんさんぺい)へのロープウエイのチケットが一連の手違いで訂正が必要なのだと言って、和さんはチェックインをすますと、いくつかの伝達事項を伝えただけであたふたと会社へ戻ってしまった。

さいわい麗江古城は前回来ているのでだいたい分かる。荷物を部屋に置いてから、念のため地図をもらって散策を始めた。古城内の様子は次回。

2017年11月14日 (火)

雲南旅行(14)喜洲古鎮

喜洲古鎮は洱海に近い、古い村である。ここは南詔国の軍事や貿易の拠点だったこともあってしかも銀の産地からも近い。いわゆる茶馬古道のポイントの一つでもある。古い四合院の建物や三方一照璧の建物などが残されている。


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喜洲古鎮入り口。左に入場チケット売り場、右が大きな白壁になっている。

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ここはシンボルマークがあしらってある。ここに絵や彫り物があることも多い。

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この村の位置づけを地図で説明する杜さん。北西はチベット、東は四川、西はミャンマー、南はベトナムである。彼女の傘の陰になっているのは・・・。

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茶馬古道を行く隊商のレリーフである。良く出来ている。こうしてお茶や塩、煙草などを運んだ。

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そこにこんな彫り物が。『フライイング・キラー・フィッシュ』という映画を思い出した。

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古鎮の中を行く。緑の傘は杜さん、左はF君。

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藍染めようの桶が雨ざらしになっている。小さな桶はインクのような藍色である。下の植物が藍。漢方薬にもなるそうだ。

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金持ちの家、中が見学できる。

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これが四合院。中庭の四囲を建物が取り囲む。日当たりの良い場所が主人の部屋。北京に残されている胡同(フートン)も小さな四合院の家が並んでいるが、みな平屋である。ここは二回建てであるのが特徴だという。

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となりの三方一照璧の建物。三方が建物で一方のみこのような白い壁になっている。悪天候で暗い中、壁だけが光って見えた。

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新婚さんの部屋だという。人生の華の時間は短い。

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主人の部屋で応接室でもあると聞いた気がするが記憶が薄れて確かではない。

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中国のザクロはとても大きい。西安で食べたことがあるが、酸っぱくて甘くて美味しい。ただ、その種の多いのに閉口する。食べた後の方がその量が増えた気がするほどだ。

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この喜洲古鎮はペー族の村なのだ。

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こういうものを見ると、豊かとはどういうことか、考えさせてくれる。

このあと村の観光用のショーを見る。建物の中だというから安心した。

ネットリンチ

 私はしばしば正義の味方を揶揄する。ときに正義の味方が嫌いだと言ったり書いたりする。なかば山本夏彦の、そして谷沢永一の物まねである。物まねするのはその考えに賛同するからである。いま処分しそびれて残った中野好夫の『悪人礼賛』という古い本を読んでいるが、悪人礼賛という題名には同様の感覚が込められているように感じる。

 こんなことをわざわざ言い訳しなくても良いはずなのだが、世の中に正義がなくてもいいなどと思っているわけではない。正義が行われることによって人が安心して暮らせれば何よりだと、何より自分のためにも願っていることは普通の人と変わりない。しかし世の中は必ずしも正義を基準に動いていないことも良く承知している。

 昨晩NHKの『ネットリンチ』という番組を観た。たまたまあるきっかけで、または捏造されたデマで本人には何の理由もなしに、個人情報がネット上にさらされて激しい攻撃を受ける事例が紹介されていた。そして個人情報の特定を行ったことがある、と云う人やネットリンチに加担したことがあるという人も顔を隠し、音声も変えて登場していた。

 ネットリンチをすると気持ちが良いのだという。自分は正義を行っているのだという快感があるのだろう。私が揶揄する正義の味方の典型的な人でもある。世の中のほとんどの人はこんなことはしない。しかし千人にひとり、万人にひとりいても、日本中には何千人何万人になってしまう。ネットで拡がった世界は日ごろ暮らす世間とはくらべられなく広いのだ。そのような歪んだ人たちの数は恐ろしいほど多くなる。

 個人情報をオープンにしなくても彼らのターゲットにされればたちまち明かされる。専門家によれば、危ないと思ったら即座にアカウントを閉じるしか対策はないのだという。まだ法律が現実のネットリンチに対応し切れていないのだ。この番組がきっかけで法律による処罰の整備が進むことを願うばかりだ。

 社会がこういうことはしてはいけない、というコンセンサスを持たないと、正義の味方は社会に成り代わってネットリンチという正義を快感を持って行い続けるだろう。

 しかし振り返ればマスコミの不祥事報道に、まさにネットリンチの思考方法がモデルとして示されているではないか。報道は正義だと確信し胸を張るその姿が、実は正義を行っているという快感が伴っているように見える。そうでなければあんな醜業を続けていられるわけはないと思う。芸能レポーターと称する人たちの顔が年齢とともに下卑て醜くなっていくのは不思議なほどだ。

 そのマスコミの尻馬に乗って正義を叫ぶ政治家達も正義の味方である。正義を行っているように見えながら、実は自分の快感と大向こう受けだけが目的ではないかと、正義の味方が嫌いな私などには見えてしまうのである。それを正義の味方だと錯覚して祭り上げる人々もあって世のなかは正義の味方だらけである。

 なんとなくうんざりする。

 リンチとは私刑である。法律によらずに他人を自分の価値観で裁くことである。それを許しては法律は形骸化し、社会は不安定になる。その状態こそが正義が地に落ちた無法の世界なのである。よく考えれば恐怖の時代の幕開けを、我々は知らずに覗き込んでいるのかもしれない。

2017年11月13日 (月)

雲南旅行(13)崇聖寺三塔

 昆明は海抜1900メートル、街の横に滇池という大きな湖がある。そしていまいるこの大理は海抜1700メートル、街の横に洱海(じかい)という大きな湖がある。似ているのである。ただ、近年は昆明が省都として大都市(人口約650万)に発展しているのに対して大理は100万たらずのずっと小さな町である。だから空港もこじんまりとしている。

 大理のガイドは杜月池さんという小柄な女性。小顔できびきびしていて目鼻立ちもはっきり、顔立ちも整っているのだが、あまり笑わない。少々愛想に欠ける。運転手は王さんという男性。私たちはワゴン車で移動するのだが、私は左耳が昔からやや遠いので、左側に坐るように意識することが多い。中国の車は右側通行なので、運転手は左、ガイドの杜さんは右に坐り、左に身体をひねってうしろの我々に説明をするから、いつも私と向かい合わせの状態になり、私に話しかける状態となる。

 杜さんは多分せっかちなのだろう、少々早口で、こちらが意味不明な言葉に戸惑っても、杜さんはあまりそれを読み取らないから、説明がよく分からないこともある。そしてよく分かっていないことが彼女にはよく分からないらしい。まあいいや、と思って、私の父の弟の嫁さん(つまり叔母)によく似たタイプの人だなあ、とぼんやり考えながら彼女の顔を見つめていた。

 母と仲が悪かった、ちょっと小柄で美人なのに性格のきついその叔母も、いまは認知症である。これは旅行とは関係ない。

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大理古城のシンボルが五華楼なら、大理全体のシンボルはこの崇聖寺の三塔である。石碑は崇経寺みたいに読めるが崇聖寺である。

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入り口の門を入ると花壇があって花が咲き乱れている。冷たい雨に打たれているが、打ちひしがれているわけではない。

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これが崇聖寺の三塔。後ろは山が連なっているのだが雨雲に隠れている。

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塔は煉瓦製で、中央の塔は高さ69メートルあまりある。

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両横の小塔はそれぞれ42メートルあまり、中央に向いて傾いて見えるが、これは写真のせいではなく、実際に傾いているのである。

左が8度、右が6度傾いているそうだ。「大理の斜塔といいます」、とガイドの杜さんがニコリともせずに言ったのがおもしろかった。

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真横から小塔を撮る。なかなか面白みのある塔である。もちろん登れない。

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塔のさらに奥の方へ行くと観音殿がある。とても大きい。観音殿の向こうにも伽藍は次々に続いているそうだ。この崇聖寺はとてつもなく大きくて、本殿まで数キロあるという。歩くのはしんどいので電気カートで行くことが出来るのだが、この雨である。もう観音殿でけっこう、ということにした。

杜さんは何しに来たんだこの人達は、という顔をしている。
こちらはお年寄りなのですよ、杜さん。

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うっすらと重畳する山々が見える。

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観音殿側から、つまり先ほどとは反対側から三塔を撮る。

氷雨の三塔を後にしてペー族の村、喜洲に向かう。

不思議だ

 鼻風邪は喉にも来て、くしゃみがときどき出るけれど、かろうじて寝込むような状態にならずに踏みとどまっている。

 昨日は本の処分を済ませた。今日は午後、回収業者に普通のゴミとして処分できない不要品の山を引き取ってもらう。古い布団やまったく使っていなかったミシン、古いモニター(CRT、とても重い)、せっかく娘のどん姫にもらったのに毀してしまった肘置き付きの大型の座椅子、その他ビデオデッキやプリンターなどの電気製品もろもろ、ほとんど使用しなくなったので二本だけ残した釣り竿各種、他にもいろいろと引っ張り出して玄関口に並べてある。

 思った以上に多い。引き取り費用はそれなりにかかるが、それぞれを個別に処分する手間のことを考えると仕方がないだろう。それにしても玄関口から廊下に並んだそれらが、いままで部屋のあちこちの空間を占領していたのだと思うと不思議な気がする。そしてそれ以上に不思議なのが、それだけのものを除いた空間がちっとも増えることがなくて、いままでとほとんど変わらないことである。

雲南旅行(12)大理古城2

まだ大理古城を歩いている。


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上手く撮れなかったのだが、真ん中の臼で、男二人が音楽に合わせて杵で餅をついている。お餅やさんであり飴屋である。

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六年前の雲南旅行では土産にこの藍染めの布を買って、いまでもこたつカバーとして使っている。色落ちすると思っていたら、染めはまったく堅牢で洗濯しても色落ちはなかった。

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大理古城のシンボル、五華楼。もともとの建物はもっとずっと大きかったが、何度も破壊され、最後は文化大革命でも破壊された。これは1998年に再建されたもので、元のものの三分の一になってしまったという。むかしは賓客の宿泊所にも使用された。

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雨の石畳。側溝には水がたっぷりと流れている。洱海に注ぐのか。

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大理古城の通りは寒くて暗い。山が迫っているのだが、うっすらとしか見えない。その山の向こうにも山があり、さらにその向こうにも山があるのである。

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なんとなくこの写真、気にいっている。

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通りは延々と続いている。

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屋根に雑草が生えている。あえて抜かずに放置しているのだろうか。

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こういうところの彫り物が贅を尽くしていて古都を感じさせる。

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昼食のレストランから外の景色を撮る。黄色のライトは部屋の中の灯りが反射したもの。この白い壁はペイ族の家の特徴的なもの。ペー族は名前の通り、白が大好きな民族である。大理ビールを味わいながら昼食を摂る。


2017年11月12日 (日)

雲南旅行(11)大理古城1

いろいろあったが、無事大理に着陸。大理は千年以上前の王国南詔国の都であった。昆明や麗江と同様南のシルクロードとも言われる茶葉古道を通してビルマやチベット、ベトナムと交易する拠点の街として栄え続けてきた。


その古い町並みを残している大理古城を見に行く。空港と大理古城のある旧市街の間に新市街がある。この新市街と旧市街が別というのは、昆明も同様で、それがけっこう離れているのである。つまり中国政府の方針として旧市街を変革していくのではなく、まったく新しい街をつくって役所も会社もすべてほぼ強制的に新市街に移させたのだ。

しかし住民は住み慣れた旧市街から新市街に移住しようとしない。というわけで毎日朝晩新市街と旧市街の間を通勤の車やバイクが往復し、大渋滞が発生する、という。

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旧市街入り口の南門。文化大革命が終わってから再建された。大理古城は一度フビライに破壊されたが、明の時代に作り直されている。

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大理周辺では古来から銀の産出があり、古城内にも銀製品の店がいくつもある。店全体が銀色に輝いている気がする。

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他の店では店頭横で銀細工の様子を見せている。

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古城内はきれいに整備された石畳。雨は降り続け、止む気配はない。

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ここでも揚げチーズを売っている。中国の呼びかたは見てのとおり。塩気はほとんどないので、薬味とたれをつけて食べる。

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棒棒鶏とあるが日本のバンバンヂーとは違うようだ。鳥を串にして焼いたり鍋に入れたりする料理のようだが、食べていないのでたしかなことは分からない。

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これは太鼓屋さん。床に置いて手で叩く太鼓で、この太鼓屋があちこちにある。麗江でも何軒か見た。少数民族は特に音楽が好きなのであろう。この大理も昆明同様白族(ペー族)が多いところである。

大抵このような太鼓屋では店番の人が音楽に合わせて太鼓を叩いている。

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牛角とは字の通り牛の角。そして、梳とは櫛のことである。大小さまざまな櫛が売られている。

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こちらの肉の串は主に羊肉のようである。これも雲南省ではそこら中に売られている。しばしば羊肉の入った料理を食べたが、私は昔から好きである。

このあとも、もう少し大理古城を歩く。雨はさらに降りつづく。

風邪

 鼻風邪で鼻水が垂れてくるので、しきりにティッシュで拭く。鼻が赤くなってきた。鬱陶しいことこのうえない。さらにときどきくしゃみや咳まで出るようになった。さいわいいまのところ熱はない。もともと子どもの時から気管支系統が弱いので、普通は喉から不調になり、鼻へ上がってくるのが定型コースで、そうすると治るのだが今回は逆で、なんとかこれ以上悪化しないよう自重しているところである。

 断捨離の第一歩として本の処分を進めているが、第三回のブックオフへの引き取り依頼をした。段ボール箱で四箱分。出来ればとって置きたいという本が多い。再び読みたくなる可能性があるが、どうしても読みたくなったときは文庫本で新しい本を買い直せば良い。

 大型ゴミに該当するものがたまっている。あわせるとひと山になる。最近入ったチラシに比較的近場の処理業者があった。電話で問い合わせして、たいていのものを引き取ってもらえそうなので、処分を依頼した。

 これで家の中の空間がわずかではあるが広くなる。さらに少しずつ片付けていけば、多少はすっきりすることになるだろう。

 「もったいない」からこそものを捨てる。大事なものを大事に使うためにそれほど必要でないものを捨てるのである。そうすることで本当に必要なものが活きてくるのではないか、そんなふうに考えることにした。

雲南旅行(10)昆明空港にて

三日目(昆明二泊後)の早朝6時過ぎにホテルから昆明空港に向かう。飛ぶのは八時半なのだが、空港までの時間もあり、荷物検査に手間がかかるおそれがあるからとのことでだいぶ早めに出たのだが、これが結果的にさいわいした。


中国は国土が広いのにすべて北京時間で国内に時差はない。経度では昆明はずっと西にあるから夜明けは遅い。だが昆明はハブ空港として中国のあちこちに飛行機が飛んでいるので、早い便は七時頃から飛ぶ。暗い中を飛ぶ。空港には既に客がたくさんいる。

ガイドの楊さんに伴われてチケットカウンターに並ぶ。車の中で食べた朝食とヨーグルトが腹の中でぐるぐる言う。トイレに行きたいというと、もう少しだから我慢してくれと言われる。ようやく番がきてとにかく私から先に荷物を預けて大急ぎでトイレに走る。

ギリギリセーフで、生き返った思いで待ち合わせ場所に向かうと様子がおかしい。楊さんがちょっと厳しい顔で電話をしている。YさんとF君は困惑顔で立っている。彼らの荷物はまだそこにある。手違いがあり、チケットの発券が出来ないのだという。

青島でF君が止められ、チケット再発行を余儀なくされたのには理由があったのだ。F君とYさんのパスポートナンバーが入れ替わって登録されているらしい。元をたどって訂正しなければならないのだが、早朝なので連絡している旅行会社はまだ開いていないのである。

いろいろあったが、とにかく楊さんの奮闘で何とか入場することができた。ところが空港の荷物検査の入り口でまたちょっと引っかかる。訂正の連絡が保安係に届いていないのだ。もうそこには楊さんはいない。説明しようにも言葉が分からない。

しばしののち、まあいいやの雰囲気でパス。

いささか疲れる朝の旅立ちだったが、三人ともそういうことはさらりと念頭から払う。中国だもの、こういうこともあるさ、と笑う。目的地の大理には40分のフライト。初めての場所である。楽しみなのだがようやく明けてきた空は今日も雨、大理も残念ながら雨らしい。雨の中を歩くのは哀しい。しかも私はやや重い一眼レフなので両手が使えないと写真を撮るのが難しいのである。自分が濡れるのは仕方がないがカメラが濡れるのはイヤだ。

2017年11月11日 (土)

雲南旅行(9)円通寺

観音堂の奥の池の中に四阿(あずまや)があって、などと楊さんが言うので吹き抜けの小さなものを想像していたら下の写真のような立派なものだった。


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ぐるりが回廊になって建物が建っている。

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中国でサボテンを見たのは初めてかもしれない。

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円通寺の向こうは崖になっているようだ。

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一番奥に立派な仏殿がある。折しもお金持ちのお葬式が行われていて、覗いたら参列者やたくさんいる坊さんに睨まれたので退散した。

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その仏殿のさらに裏手。道教の小観がある。狛犬のように並んでいるのは麒麟だそうだ。彼の首の長いキリンではなく、キリンビールの麒麟である。

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こういう奥行きのある景色が好きである。仏殿の横手。

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こういう色彩を見ると、韓国の建物に似ていると思う。

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こういうものが好きである。焼き物なのか彫り物なのか。摩耗して見えるから彫り物なのかもしれない。

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これはやはり麒麟であろうか。

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龍がたくさん。玉と戯れている。ドラゴンボールか。中国では龍の彫り物をそこら中で見る。見事なものである。

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昆明にはバイクがたくさん走っている。たいてい電動バイクだそうだ。自転車より楽だし、自動車は渋滞するのでバイクの方が早いそうだ。ただしこの日のような雨だとこういう姿になる。かぶっているカッパがバサバサいっているけれど、大丈夫なのだろうか。

少し早めだが明日の朝早くに大理まで飛行機で飛ぶので昆明見物を切り上げる。大理まで四百キロ以上あるので、自動車だと時間がかかりすぎて、大理見物をして明日の晩に麗江まで入ることができない。

少し早めの昆明の食事を楽しむ。もちろんビールを飲む。

大理は初めて行くので楽しみだ。

幕間

 今回中国に行って、中国人から反日的な感情を感じたか?といえば、まったく感じなかった。飛行機の中やトイレ、観光地などで話しかけられることがあった。私は一度だけ中国人だと思われたが(同行のF君はしばしば中国人に間違われていた)、向こうはほとんどの人がこちらが日本人と承知している。

 わずかな経験ながら日本人に反感を持っているとは感じられなかったし、奇異な存在として特別視することもない。日本で明らかに中国人と分かる人に対して日本人が彼らに対して取る態度よりはるかに自然である。

 それなのに日本から中国へのツアー旅行は激減している。今回世話になったガイドの人たちは、日本語のガイドは激減していると嘆いていた。昆明の楊さんも月に二、三回の個人旅行のガイドの仕事しかないと言う。かわりに中国人の日本への旅行の添乗員ガイドとして日本へ行くことが増えているのだそうだ。

 だから楊さんの日本語は比較的に分かりやすいし、日本人のものの考え方が分かっていると感じた。彼女はそういう資格があるから良いが、そうでないガイドは転職してしまった例が多いのだという。残ったガイドも、日本人と接する機会が減れば言葉はだんだん拙くなっていく。

 日本人で中国に行くのは、中国に思い入れのある人に限られるようになってしまったのか。たしかに反日デモや暴動の報道は日本人の脳裏にまざまざと記憶されている。しかも日本人が何人もスパイの疑いで拘束された、などという報道もある。旅行に行くことに不安を覚えればあえて行く気にならないのは当然で、そうなれば旅行会社のツアーも企画されないわけである。

 私も不用意なところで写真を撮らないように注意した。例えば広場で何かセレモニーがあって人だかりがしていれば、必ず公安の車がいる。警察である。テロなどを警戒しているのであろう。当然といえば当然なのだが、彼らにカメラを向けたらまずいだろうな、というくらいの配慮はした。

 中国の観光地は二十数年前からたびたび訪れている。十年くらい前までは、観光地に来ているのは、中国人から見れば外国人である人々が主体であった。それが次第に中国人の比率が上がり、今回はほとんどが中国人で、外国人は埋没してしまった。しかし外国人は見かけよりも減っているわけではないのだと思う。中国人が急増しているのだ。

 結果として有名どころで土産店の多い観光地は中国人がひしめくことになる。いや、中国人がひしめくから土産物店が増えているのか。この中国人が増えていることも日本人が中国に行くのを躊躇する理由かもしれない。

 しかし中国はもともとそういう国である。中国に行けば中国人だらけであることは当たり前なのだ。国土は広いが案外居住空間は限られているから、どうしたって人気のあるところはごった返すことになる。そこで話をしようと思えば、回りがうるさいから声も大きくなる。観光地では喧噪が中国の特徴なのである。

 中国の古都などで静かに過去の中国の歴史を想う、というのは難しいかもしれない。しかしそれでも日本とはまったく異質でありながら、しかもどこか懐かしいという不思議な体験をすることが出来る場所として、やはり中国は魅力のあるところかと思う。

 今回感じたのはとにかく荷物検査などの厳格さである。観光地では入場するだけでもパスポートの呈示を求められるし、場所によっては事前に申告が必要である。それだけ政府が不安を抱えているということなのだろうか。

 本当にイヤな国になって、本当に行きにくい国になってしまうことがあるかもしれない。それなら行けるときにあえて行っておくのもよろしいのではないか。久しぶりに行って中国の魅力を再認識したので、来年一人で紹興にでも行こうかな、などといま考えている。少なくとも食べ物は旨い。

雲南旅行(8)石林から昆明市内・円通寺へ

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石林に近いレストランで昼食。雨が本格的に降り出した。

料理は野菜主体の田舎料理。あまり塩っぱくないし辛くないから、普通の日本人でも抵抗なく食べることが出来るだろう。頼めば辛い薬味やパクチーも添えてくれる。我々三人組は余程のことがなければ必ず昼食でもビールを飲む。

地元のビールは大理ビール。大理には明日行く。大理ビールはアルコール度数2.5%だが、それでも飲めば酔うし、好い気持ちになる。
もちろんつまみにあのチーズの揚げたものも出てきた。

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昆明市内に戻る。車窓外は雨。石林の近くは畑が多いが、市内に近づけば、延々とコンクリート造りのアパートが並ぶ。

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ベランダの外に寝具かカーペットかと思われるものが干してある。今日は雨が降らないと思って干したまま出かけているのだろう。帰ったら、あーあ、という姿が想われて、なんとなく気になる。

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昆明市内に有名な寺がいくつかあるが、その中でここ、円通寺は有名な場所だという。「円通」というのは、たくさんある(32と言ったかな?)観音菩薩の別名の中の一つだそうだ。

もともとこの地方には紀元前から王国があり、南詔国という国だったときに王様が国を挙げて観音菩薩を信仰していた。その時代に建てられたお寺なのだが、そのあと北方民族の元の時代にフビライに滅ぼされてしまったという。

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寺の参門の前、道路の向かい側の景色はこんな風である。右手は小児科の病院か。

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入り口で拝観チケットをチェックするおじさん達。チケット売り場は別である。

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門を入る。石柱が左右に並んでいる。

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石柱を支えている龍の頭部。この龍は亀の形をしたものである。たいてい下から支えているのはこの黒をシンボルカラーにした龍である。

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観音堂。正しくは大雄宝殿。

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祀られている観音菩薩。

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右奥にいる守護神。なかなか迫力がある。

外からなら写真を撮ってもかまわないだろうと思って撮っていたら、ガイドの楊さんから、この地方の人は信仰心が厚いので嫌がられます、と注意してくれた。台湾では中でも自由に写真が撮れたのでつい気遣いを忘れていた。すまぬことであった。


本日(11日の時点)やや鼻風邪気味。帰ってきてすぐに、留守番してくれていた娘のどん姫がやって来て飲んだ。そのあと続けて夜更かしして遊んでいたので、風邪をひいたらしい。おでんでもつくって暖かくしてじっとしておくことにする。

2017年11月10日 (金)

雲南旅行(7)石林3

石林については今回でおしまい。


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大石林から小石林へ移動する途中に小さな広場があって、そこで少数民族の人たちが音楽に合わせて踊っている。太鼓や笛やバンジョーのような弦楽器による音楽が流れている。やや単調な踊りを繰り返し繰り返し踊るのだが、よく見るとお年寄りが多い。本当は若い人が相手を求めて踊るものらしいのだが。

多分ここが地元の彝(い)族の人であろう。この彝という字は中国人も書けない、と楊さんは笑っていたが、私は何度も見るうちに覚えてしまった。あと一週間くらいは覚えているだろうと思う。

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踊りの周辺に屋台がいくつか出ている。一番手前は中国のチーズを揚げたもの、スナック風で味はあまりない。辛い薬味や辛子味噌などをつけて食べる。何度もビールのつまみとして食べた。その無効はトウモロコシ。さらに向こうは各種の果物。

昆明周辺は赤土で、果物はあまり甘い物が出来ないという。本当に美味しいものは南方から運ばれてくる。何しろ雲南省は、ベトナム、ラオス、ミャンマーと接しているのだ。

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この池を回り込むと小石林へいたる。いまにも雨が降りそうだが、何とか保っている。

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小石林は優しい石の林である。笑っているのはガイドの楊さん。

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人の写っていない写真もあったが、あえて入っているものを。

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小石林はこんな景色が続く。平らで緑もあって癒やされる景色である。

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これが小石林のシンボル。働き者の、籠を背負った美しい娘なのだそうだ。うーん、なかなか見立ては難しい。

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これが石林と駐車場の間を結ぶ電気カート。静かでスイスイ走る。いくらだったか忘れたけれど、けっこうな収入になっているはずだ。

雲南旅行(6)石林2

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剣峰池。この水は自然のもの。

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これを鰐と見立てる。

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これを象に見立てる。・・・うーむ。

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これを猫に見立てる。・・・・。

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高台の高楼に登り、石林の石林らしいところを見下ろす。

この高楼は人が溢れかえり、階段には立ち止まる人もいてすれ違えない。てんでに景色を背景にして仲間の写真を撮ろうとするから収拾がつかない。人と人のあいだからかろうじて何枚か写真を撮ることが出来たが、構図など考える余裕はない。本当に中国には人が多いのである。

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現物はもっとすごいが、拙い技術ではそれを表現しきれない。

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右上の石など、ちょっとした地震で転げ落ちそうに見えるのだが・・・。

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横に割れ目が入るのはどうしてなのか、不思議である。神様は石を積木に見立てて遊んでいるのか。

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不思議な割れ方、不思議な浸食。

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いつかは載っている石も落ちるのだろうなあ。

これらが石林のうちの大石林と言われるところの光景のほんの一部である。

人が多かったけれど、連休などの観光客の多いときはこんなものではなくもっともっと混んでいるそうだ。そういうときは『石林』ではなくて『人林』です、とガイドの楊さんは言った。

このあと中庭のようになっているところを通り、小石林地区に行く。大石林が男性的なら小石林は女性的な景観である。


2017年11月 9日 (木)

雲南旅行(5)石林1

石林はカルスト地形の奇観。海底に堆積して出来た石灰岩が隆起して、さらにそれが雨水などで浸食されたものだ。


隆起した、といってもここ昆明は海抜1900メートルもある。大地の動きというのは人間の想像を絶する。

石林の観光公園は石林全体のほんの一部で、まだ踏査されていない場所がほとんどだそうだ。「下手に踏み迷うと、チベットまで行ってしまうかもしれませんよ」と楊さんが笑って言った。

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石林公園の地図を指さして説明するガイドの楊さん。この中の中心部だけを歩く。それでも一時間以上。丁寧に廻れば数日楽しめるそうだ。

廻る前にトイレに行く。観光客が多くて、女性トイレは行列である。Yさんが、「きちんと並んでひとりずつ順番に空いた個室に入っていた」、と感心したように言った。つい最近まで扉の前に争うように並び、人を押しのけんばかりにしていたのが嘘のように、中国人のマナーが良くなってきていることを実感したのだ。

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写真は入り口を入ってすぐの池。これは人工池。ここを観光した周恩来が、水があると見栄えがするはずだ、と言ったのでこのような景観にしたそうだ。

石林の入り口は以前見たときとずいぶん違っていた。それもそのはず、手狭になったので、広い場所に入り口を移して電気カートで昔の入り口まで走るのである。カートに乗らずに歩くと30分かかるそうだ。

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ここは中国にたくさんある世界自然遺産の一つ。

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林の中に房のように下がっているのはトウモロコシ。どうしてこんなところにあるのか分からない。この辺は二毛作が多く、田んぼもありトウモロコシ畑もあり、普通の畑もある。

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ひしめく観光客。6年前の前回来た時は、半数が日本人をはじめとする海外の客だったが、いまはほとんど中国人。

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女性が見上げている『石林』の文字があるが、もともとは彼女のすぐ右手上に別の人の文字が彫られていた。国民党時代のものだったので、文化大革命時代に削り取られてしまったのだという。

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この辺は比較的に地震の少ないところだそうだが、それでも大きな地震の際にこんな風に崩れる石もある。この下を通る。

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こういう岩石の間の狭いところをくぐる場所が多い。

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こういう景色がずっと続く。なんとなく『痛い』感じがする。別にこすりつけられるわけではないのだけれど。

これからも延々と石林の写真が続く。

雲南旅行(4)昆明・石林へ

 昆明は雲南省の省都。人口650万人。一番多いのが白(ペイ)族で三分の一強、次いで漢族が三分の一、残りがその他少数民族である。中国では一人っ子政策を実施中に少数民族は優遇されていたが、白族は人数が多いので特例はなし、また受験など少数民族は加点があって優遇されているが白族は優遇なしだそうだ。

Dsc_4329 昆明の朝、小雨交じりのあいにくの天気

Dsc_4332 眼下のアパートを見下ろす

Dsc_4333 アパートの屋上には太陽光による温水器がずらりとならんでいる。昆明は年間の日照時間が長いのである。それなのに雨とは・・・。

 白族は女性が働き者で男に尽くすそうだが、いまはだんだんその美点もなくなっているらしい。これを美点と見る私が古いのであろうが、そのような文化がずっとある民族に受け継がれていたということは一つの歴史なのだ。

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右側が盛装して石林を案内するガイド。分かりにくいけれど頭のかぶり物に二つの角がある。これは未婚の印。結婚すると角の一つを男性に渡し、一つは折り伏せて頭に残す。衣装の刺繍は自分で刺してあしらう。

 飛行機から見下ろして、こんなところに海があると思った、とF君が前日言ったけれど、昆明には滇池(てんち)という大きな湖がある。残念ながら今回はゆっくり眺める時間はなかった。

 昆明の観光のハイライトは石林である。午前中は石林をメインに観光する。石林は言葉で言うより写真で見る方が分かりやすい。
Dsc_4336 まだ石林の観光公園に入る前のところでもこの景観。カルスト地形の奇観である。石灰岩であり、ここがむかし海だったということである。
Dsc_4337 この辺りは彝(い)族の村落があったのだが、観光公園にするために立ち退きをさせられた。

2017年11月 8日 (水)

雲南旅行(3)昆明へ

 第一日は関空から青島で乗り継ぎ。ここで入国審査を受けて荷物も一度受け取る。あらためてチケットをもらい国内便で青島から昆明まで飛ぶのである。

 中国は安全検査が大変厳しくなっていた。雰囲気的には国際線より緊張感がある。国内線の手荷物検査を済まして後に、私の後ろにいて続いて出てくるはずのF君が待てど暮らせど出てこないのである。何かあったのかと心配することしばし、汗をかきかき出てきた彼が言うことには、チケットに不備がある、として止められたのだという。そして係官とともにもう一度チケットカウンターに戻り、チケットの発行をし直しをしてもらっていたらしい。

 言葉がまったく通じない中でのやりとりは大変だったと思われる。不安だったろう。とにかく無事間に合って良かったのだが、これが後を引くことになる。
 
Dsc_4328 トランジットの青島空港で搭乗を待つ

 青島から昆明への飛行機に乗ってしばらくしたら、到着するはずの時間よりずっと早くに突然飛行機が着陸したので驚く。どう見ても昆明ではない。乗務員に聞くと、宜昌というところらしい。もともとここを経由する便なのであった。我々は昆明まで行くのだから、とそのまま坐っていたら、全員がぞろぞろと降りてしまって残るのは我々だけ、乗務員にお前らも降りろ、と叱られるように降ろされた。

 宜昌はは三峡クルーズの拠点らしい。それらしい看板がたくさん出ていたが、空港からではどこがどうなっているのか分からない。三十分ほど待って再び搭乗し、無事ほぼ定時に昆明に到着。

 ガイドの楊(ヤン)さん、そして運転手の趙さんが迎えてくれる。二人とも女性である。楊さんによると昆明では女性のプロのドライバーは極めて珍しいそうである。夕方、機内食を食べているというので晩の食事はない。

 そこで、いつものように三人でホテルの近所に繰り出してビールとつまみを買い出しする。これから毎晩続く酒盛りの始まりである。

雲南旅行(2)承前

 今回の雲南旅行は雲南省省都の昆明に二泊して昆明と大理を観光し、そのあと麗江に入って麗江古城に三泊して麗江周辺を堪能し、最後に上海に一泊して上海ガニの美味を味わうという6泊7日の日程。関西空港からなので、私は前日の31日に大阪入りした。

Dsc_4320 飲みに行く前のホテルの部屋からの夕景

 前日に入ったので、親友のU君が晩につき合ってくれた。これは今回に限らずだいたい前日入りの時は彼と飲む。彼も同行したかったらしいが、今回は事情があって参加せず。彼は昨年の台湾旅行には参加している。というより、彼は台湾に駐在していたので、台北周辺は詳しいのだ。私は彼が駐在していたときに遊びにいったこともある。

Dsc_4325 酩酊して帰って来たときの夜景

 私は定年退職の翌年の2011年に一人で雲南旅行をしている。雲南は遠いので在職中は行くのが難しい。ようやく念願叶っての旅だった。私がとても好かったと盛んにいうので、それならいつものメンバーで行こう、という事になったのだ。だから6年ぶりの訪問である。ずいぶん変わっているだろうと思ったが、変わってもいたし、まったく変わってもいないところもあった。

2017年11月 7日 (火)

雲南旅行(1)

 7日夕方、無事雲南旅行から帰ってきた。若干の手違いなどがあり、少々不安な思いもしたが、私を入れて同行三人はどちらかと云えば楽観的なタイプばかりで、その中で私がもっとも小心であろうか。しかし多少の手違いは乗り越えれば却って思い出に残るものでもあり、あのときはこういうことがあったね、という話題となる。とにかく地元のガイドには世話になった。

 心配していた天候は、標高5600メートルの玉龍雪山を見上げる絶景の場所、雲杉坪(うんさんぺい)、ここは標高3300メートルだが、ここで雪に見舞われた。通常よりも一月も早い積雪だそうで、たかが数センチの雪だが原始林の中を行く木道は滑りやすくて歩きにくい。中国人観光客はにわかの雪に大よろこびであるが、こちらはやや高山病気味になり、生まれて初めて酸素ボンベの世話になった。しかも防寒していったのに寒さに震えることになった。もちろん目当ての玉龍雪山はかすかに下の方が見えるばかりで残念なことになった。

 これが最悪で、次第に天候は回復、次の写真のような玉龍雪山の勇姿を見ることが出来た。あとになるほどよくなる旅で、結局終わりよければすべてよし、のまことに愉しい旅であった。

Dsc_4954 虎跳峡で撮影

 次回から手順を追ってこの旅行を詳しく紹介していくのでよろしくお願いしたい。

 いろいろな方から旅行の無事を願うコメントをいただいたことをこころから感謝申し上げます。おかげで無事帰れたのだと思います。個別にコメントを返しませんがご容赦ください。

ネタ切れ

 中国旅行中の埋め草のブログを出発直前まで書いていたけれど、ネタ切れになったので本日はなし。


旅行中なにもなければ本日中に自宅に帰っている予定。明日から旅先の写真をだらだら掲載する予定です。

2017年11月 6日 (月)

映画『宇宙戦争 バトル・オブ・ダークサイド・ムーン』2014年ドイツ・アメリカ

 監督ジェイク・ワイダマン、出演ビル・セイジ、ソネクア・マーティン=グリーン、リッチ・セラウロ他。

 宗教対立から地球を追われて月に暮らす勢力と地球の暗黒軍との果てしない戦いの中の一コマが描かれる。どうも地球はその後荒廃して人が住めなくなったのではないかと思われる情報もあるが、情報は管制されていて人々には知るすべがない。

 月で生きのびるには水の確保が必至で、わずかな水資源をめぐる争いが二つの勢力の戦いの主原因である。その水を奪いに出撃した追放軍の部隊の兵士達の情報の遮断された中でのサバイバルがこの映画のストーリーである。

 宗教が元で追放された勢力だから、宗教が支配している。狂信的な者、それほどでもない者、傭兵、などの寄せ集めの部隊が、あてどもなく月面上をさまよい歩く。その中で神学論争をしたり、これからどうするかで争ったりする。そもそも敵に攻撃はされているのだが、その敵そのものも正体が良く解らない。

 やがて彼らは未探査の月の裏側で思わぬものに遭遇する。

 もう少しストーリーを練り上げたらもっとおもしろくなったのに、とこういう映画を観るといつも思うけれど、そのゆとりも金も無いのがこういうカルト映画なのでしかだがないことである。あとは自分で補足して楽しむという手もある。

 本日は上海に移動、完全に自由行動、ガイドなし。どこで食事をするか、どこで上海の夜を楽しむか。明日はもう帰らなければならないのである。

2017年11月 5日 (日)

映画『超時空戦記 サバイバー』2013年アメリカ映画

 監督トラヴィス・ザルーニー、出演ローク・クリッチロウ、ショーン・パトリック・フラナリー、ルイーズ・リントン他。

 たしかSFに宇宙ゴミの廃品業者が主人公のスカベンジャーシリーズがあったような気がするが、読んだことがないのでたしかではない。この映画はそのようなシリーズのストーリーのひとつとして描かれている。

 この映画もカルト映画といっていいだろう。この映画でスカベンジャーの敵として出現するジェケルはむかしスカベンジャーのリーダーのウェイクの仲間だった。どうして敵になったのかは映画の中で語られるのだが、正直よく分からない。それにしてもジェケルがほとんど狂気のようにウェイクに対して呪詛の言葉を並べたてるのはいくら何でも過剰な怒りである。ジェケルの部下はそのためにころころ変わる指示に振り回されて大変であり、同情する。

 宇宙を支配することに繋がるかもしれないカオス・ジェネレーターというものをめぐってウェイク達スカベンジャーとジェケル達の戦いが描かれる。ワープ航法でおっかけっこをしたり、スペースオペラ好きには楽しめるけれど、宇宙を支配するような代物があまりに安直な容器に存在すること自体が陳腐である。まああまり大がかりなものでは金がかかりすぎから仕方がないのだろう。

 ラストは続編を思わせる終わり方だが、多分続編は無理だろう。どうせ二番煎じのものしか作れないだろうから。

 本日は今回の旅行のハイライト、虎跳峡に行く。そのあと高倉健の『単騎千里を走る』の撮影場所のひとつ石鼓鎮を訪ねる。中国独特の丸瓦の屋根の波を見ることが出来る。楽しみだ。

2017年11月 4日 (土)

映画『サバイバー』2012年トルコ映画

 監督アルパー・カグラー、出演カグラー・アートグルール、ウスフ・バイラクター他。

 トルコ映画はまだそれほど日本に紹介されていない。それだけ紹介される映画は精選されている可能性が高い。この映画もそれほど期待せずに観たのに思わぬ拾い物だった。

 トルコには徴兵制があるらしいが、大卒などはお金を積めば徴兵が免除されるようである。もし兵役についてもその期間は一般兵が一年とか二年なのに、大卒は半年足らずで階級も最初から優遇されている。

 主人公は大卒で、兵役免除の金を親が支払えるにもかかわらず、自ら志願して兵役に就いた若者で、その兵役に就くまでが回想としてしばらく語られていく。兵舎で執拗に彼に反感を示す兵隊がいたり、彼を温かく見守る将校もいる。

 そして安全と思われた高地の守備に新兵として派兵された主人公は実際の戦闘に遭遇する。反政府勢力の襲撃に遭い、前線の小さな基地で孤立した彼らはしきりに本部に連絡を取って救援を要請するが、そちらも攻撃に遭っていて救援はいつ来るか分からない。さらに敵の人数は増えていき、しかも無線が通じにくくなってしまう。

 銃弾を受けて負傷した上司から、この小基地を脱出するよう命令された兵士達の雪山の逃避行が始まる。ベテランの軍曹も倒れ、ついには彼の自分にいつも反感を示していた男と主人公の二人だけになってしまう。

 極限状況の中ですらいがみ合う二人だったが、それでは生きのびられない。絶体絶命の中で相手を助けざるを得なくなり、そして互いは初めて正面から見つめ合うことになる。

 リアルな戦闘シーンが緊張感を持続させ、戦争の残酷さと極限状況での人間の本音のようなもののぶつかり合いが、やがて相手を知ることで自分自身を見つめ直すことに繋がっていくというストーリーは秀逸である。ラストは観てのお楽しみ。

 本日は麗江から雲坪平(うんさんぺい)、玉泉公園などを観光。雲坪平は目の前に玉龍雪山(最高峰5596メートル)を仰ぎ見ることの出来る場所で標高は3240メートルある。天気が良ければ良いが。

2017年11月 3日 (金)

映画『トリプルX 再起動』2017年アメリカ

 監督D・J・カルーソ、出演ヴィン・ディーゼル、ドニー・イェン他。

  スパイアクション映画と称されているが、いくらスパイの実体は分からない(分かったらスパイではない)ものだとは言え、こんなスパイがいるわけはないので、純粋にアクションのためのアクション映画である。

 どこまでが実際のアクションで、どこまでが特撮が分からない。日本や中国ならこの映像を撮るのにほとんど特撮だろうけれど、ヴィン・ディーゼルだとかなりの割合で本当に無茶をしているかもしれない。そう思わせるようなところがあるのがこの俳優の愉しいところだ。

 こういう映画が気楽に見られるのは、誰が悪者であるかとても明確だからだ。ただし善人は出てこない。超悪者とただの悪者と、そして悪いけれどときどき善い人になる悪者がひしめき合う。だからそれらの登場人物が死んでもあまり可哀想ではない。

 そしてすごく強い女性も出て来るが、その女性以上に強い主人公が実力を発揮するから、その女性が最後に主人公になびくのもコミックヒーローと同様である。アメリカでは常に男は女より上である。そもそも女が腕力で勝負しようというのが多少無理筋だ。女の強さは腕力では決してないのに。

 ストーリーなどどうでも良くて、ただただあり得ないようなノンストップの活劇を楽しむ。多分映画の原点みたいな映画かもしれない。金がかかっている映画であるから、もちろんこれはカルト映画では無い。

 本日は昆明から大理に飛び、大理の観光をする。大理は初めてなので楽しみだ。そして晩には麗江に入る。

2017年11月 2日 (木)

映画『インベーダー』2013年アメリカ

 監督デイブ・フローレス、出演グレッグ・エヴィガン、デニース・クロスビー他。

 不在中の埋め草に最近見たカルト映画のことを書いて残しておく。コメディ映画ではないのだが、おバカ映画である。しかしみな大真面目に演じており、観客を笑わせようなどとは思っていない。笑わせようとされたら興味半減でぶちこわしだ。

 地球には以前から宇宙人が来訪していた。しかしアメリカ政府はそれをひた隠しにしていたものの、もし万一攻撃などされた場合を想定して特殊部隊を訓練していたが、とりたてて何も起こらず、いつしか特殊部隊の精鋭達も老齢化し、訓練もマンネリ化していた。ついに予算はカットされ、防衛隊の精鋭もリストラされてしまう。

 というところから始まるのだが、その訓練というのが陳腐そのもので(中にばあさんもひとりいる)こんなことで防衛できるとはとても思えないのである。結局リストラされた精鋭達はちりぢりばらばらになり、互いにほとんど交流もなくなっていく。

 そんなある日、突如宇宙と海底底深くから巨大な宇宙船が次々に出現して世界中の大都市の上空に散開する。それぞれの国は最新兵器で攻撃をするのだが、まったく歯が立たない。

 こうしてリストラされた元精鋭達が互いに声を掛け合って再集結し、自分たちが訓練で積み重ねた経験と能力で再び返り咲き、一部の貴い犠牲はあったものの、めでたく地球防衛の役目を果たすのである。

 高度の技術と知能を持つ宇宙人もこんなへんてこなじいさん達には太刀打ちできなかったようである。

 本日は昆明の石林を主体とした観光。石林は石灰岩の奇岩が林立するところ。一度観ているが、再度見る値打ちはある。他にも市内を観光するらしい。

2017年11月 1日 (水)

曽野綾子『生身の人間』(河出書房新書)

 昨年読んだ本である。本の整理中に開いたらやめられなくなって最後まで読んでしまった。記憶力はますますおとろえていて、内容に多少は覚えがあるもののほとんど初めて読む気分であった。こうなると一度読んだ本もある程度の間隔を空ければ新しい本である。その間隔が少し前まで数年だったのが、いまは一年くらい、いまに数ヶ月になるだろう。読んだ尻から忘れるようになったら・・・もうおしまいである。

 そうしていま持っている本が、私にとってはすべて初めて読む本になっていく。嬉しいようなちょっと哀しいような。

 この本は産経新聞に連載されていたものを編集したものである。だいたい一テーマを三頁にまとめてあるのでとても読みやすい。時に二回三回にまたがるときもある。それぞれにじっくり考えると重いものがあるのだが、彼女の本はずいぶん読んでいるのですぐシンクロして考えの流れを追うことが出来る。そこから自分なりの考えも浮かぶのだが、澱みに浮かぶうたかたの如く『かつ消えかつ結ばず』と、哀れ忘却の彼方に流れ去る。

 歳とともに撤収するということの意味と覚悟がじんわりとこちらに伝わったことで良しとする。

 本日から中国である。着替えとカメラしか持参しないので、ブログの更新はもちろん、いつも拝見している方々のブログを見ることも出来ない。コメントをいただいてもすぐには返せないが、帰ったらご返事を書くつもりである。

 本日は青島経由で昆明に入る。昆明には一度行ったことがある。前回はひとりだったので朝、駅周辺や市場などをうろついたけれど、今回は予定が立て込んでいるので、散策の時間はないかもしれない。

 前回見た昆明は地下鉄工事などで雑然としていた。工事も終わり、だいぶ綺麗になっていることだろう。昆明は東南アジアから中国への窓口として発展することが想定されているところだが、それは順調に進んでいるのかどうか。

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