根拠は無いが
私はこの事件発覚そのものは不快なものととらえたけれど、相撲の取り組みは観続けていた。相撲が子どものときから好きだからである。野球よりずっと好きである。
それがあの白鵬の敗戦後の判定不服をアピールする見苦しい立ち往生で、気持ちが相撲から離れてしまった。それから相撲の取り組みは見ていない。ニュースのスポーツコーナーで主な勝敗が報じられるから概要は承知しているが、気持を立て直すのにしばらくかかった。それほどがっかりしたのである。
白鵬の心の乱れはあの日馬富士の暴行事件が原因となっていることは明らかだ。それを思うと白鵬を許してやりたい気持ちがわかないことはない。過去、白鵬は首をかしげざるを得ない言動を何回かしている。それがモンゴル力士に対する差別を根に持ってのことだという気配も感じている。実際にモンゴル力士は差別されてきたのだろう。そしてそれによって、実は差別というほどでもないことも彼らにとっては差別だと感じることもあったに違いない。
モンゴル力士達はそれを同郷力士として互いに語り合うことで癒やしてきたであろうことが想像できる。
貴乃花は力士の親睦を認めないという。正々堂々と闘うために親睦などしてはならないと考えているそうだ。ずいぶん心の狭いことだと私などは思うが、貴乃花がどう思おうが勝手である。貴ノ岩はどうだったのだろうか。世話になったひととの宴席だからと特別に親方から許されて飲み会に参加したのだろう。その足でモンゴル力士の集まりに合流しているようだ。無理矢理連れて行かれたのか、それとも酒の勢いで自発的についていったのか。どちらにしても大の(名実ともに大きい)大人である。断れば断れたのだから、同じことである。
そこでなにがあったのか、貴ノ岩の何が本当に咎められたのか、それはこれから分かるかも知れないし、分からないかも知れない。日馬富士はふだん酒で失態するするようなことがなかったといい、面倒見がいいと誰もが口を揃えて言う。その日馬富士がどうしてそこまで激怒したのか、理由はさまざまに想像がつくが、想像であるから書かない。
今回の事件について貴乃花の行動を批判するひと、反対に相撲界の本質的な問題だと騒ぐひと、などなどが百家争鳴である。相撲界に対して厳しい意見を言う人ほど、相撲の取り組みなどほとんど観たことのない人が多いと私は見ている。「相撲もスポーツなのだから清く正しく」などという街の意見などを見聞きすると、ちょっと反論したくなる。
相撲も確かにスポーツだが、スポーツという枠を越えているものだと言いたくなる。神事であり、格闘技である。健全なものとばかりはいえないものだった。それをスポーツの一種として矮小化することが相撲そのものを衰退させることにならないかと危惧する。
本当に相撲の好きな人は、いま正しいことを正しく語るテレビのコメンテーターの言葉に耳をふさぎたい思いをしていないか。相撲をちっとも好きではないから言える言葉が氾濫している。根拠は無いが私の現時点での感想である。
蛇足だが、今回の事件の件で最初に貴乃花が映像に登場したとき、サングラスをかけ、それらしい服を着て車に乗り込む姿は、どう見ても暴力団の若頭にしか見えないものだった。そう感じた人が多いと思う。貴乃花のバックには、相撲賭博騒動のときに暗躍したある人物がいるなどという、例によってためにするものと思われるニュースもネットで流れていた。いかにもそうかも知れないと思わせる恰好を貴乃花がしていたなあ、などとつい思ってしまうではないか。根拠は無いけれど。
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