本を買う
私は電子書籍を読まないことにしている。私は特に必要な時以外は図書館を利用しない。それは私のこだわりであり、他人が電子書籍を楽しむことも図書館を積極的に利用することについてとやかく言うつもりはない。
そんな私が本を購入することによる金銭的な負担をぼやいたり、本があふれて部屋を占領することを嘆いたりするのは、一種ののろけ話である。だから電子書籍を読んだり図書館の利用を勧められると、その親切をまことにありがたいことだと思いながら、それに従うことはないのである。
私は本が好きである。本を愛している。そして書店で本を眺めているだけで快感を感じる。書評本で知らなかった本のことを知ると嬉しい。はるかに私より本を偏愛している人たちにはとても及ばないが、そこに本があるだけで幸福なのである。相手をかけがえのないものと感じるということは、つまり愛しているということであって、そのための多少の負担は却ってよろこびでもあるのだ。
最近本を読まない人が増えているという。テレビのニュースでそれが取りあげられて、インタビューをされた人が次々に「ここ数年本を読んでいない」とか「そういえばこの一年、一冊も本を読んでいない」などと答えていた。あたかも本を読まないことを自慢するようでもある。そう答えたくなるような質問でもしたのだろうか、世の中はまったく本を読んでいないのが普通であるかのような報道であった。
まさかと思う。書店に行けばあふれるほど本が並んでいる。本を買う人がいるから出版社も書店も成り立つのだから、本を読まない人が普通になったなどということがあるわけはないと思いたい。
私の兄貴分の人は私よりずっとたくさん本を読む。私の倍くらい読んでいるだろう。その本はほとんどが図書館の本である。日本史に詳しくて、記憶力の優れた人だから、ともに旅すると、その口から該博な知識があふれ出てきてとてもためになる。
図書館はそういう意味で多くの人に有用なのだろう。しかし私は内心で、ベストセラーやエンターテインメント本を図書館が数多く置いて一般に供用しているのにいささか疑念を持つ。図書館は存続のため、利用率を上げるためにこの傾向を強めているというが、図書館の存在意味の偏りがあるのではないか。
繰り返すが私は本を愛している。もともと本を読まない人は別だが、本を読む人がこうして図書館を利用することが普通になれば本は売れなくなる。それは出版業界を衰退に導く。そうなれば本屋ももちろん減り(現にどんどん減りつつある)、世の中から本が減っていく。図書館がそれに加担してどうするというのか。
愛しているものが失われていくのである。蟷螂の斧であるが、本を買うことにこだわる者がここにいても好いのではないかと思って、私は本を買うことを楽しんでいる次第である。
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