一歩踏み込む
家の中の片付けを進めている。いままでの廃棄処分の判断のレベルをもう一段高めたところ、処分する物の山が二山ほど出現した。その山はみなさんが想像されるよりもずっと大きい。しかもこれでほんの一部である。
このレベルでの片付けには一週間ほどかかるだろうか。燃えるゴミの袋をさらに買い足しに行かなければならない(私の暮らす地区では衣料品は燃えるゴミでも資源ゴミで出すことも可である)。タンスの中と押し入れの中のタオルなど、そして背広などの衣料品が想像以上に多い。背広はずいぶん捨てたつもりなのにどうしてこんなに残っているのか。そもそも背広を着る機会はもうない。礼服だけで必要十分である。さらに若いときに着た衣類がタンスの奥からでてきた。それも捨てる。
タオルは残す。いま古いタオルは台所回りの掃除や床拭きに使用してどんどん使い捨てるようにしているが、そんな必要がなくなるときまでの分くらいは十分ある。私自身の介護などで使う分も残るに違いない。タオルならいざというときに使い捨て用として人にあげることも出来る。
布団を入れる押し入れ以外の場所の押し入れにスペースが大分出来そうだ。そうなれば部屋のあちこちで床を狭めている物を収納することが出来る。初めて空間が拡がった実感を持てるかもしれないが、それにはまだまだ時間がかかりそうだ。
息子や娘の中学や高校時代の制服なんかがタンスに残っていた。聞いたら捨ててくれといわれることは確かなので、告げずに捨てる。本人がいるのだから、思い出は彼らの顔を見れば好い。いまの顔の向こうに、私には彼らの幼い頃も、中学生や高校生だったとき頃の顔もはっきりと見えるのだ。
期せずして大掃除の様相を呈してきた。12月にはいろいろと予定はあるが、その合間はずっと片付けを続けることになりそうだ。どんなに大変でも無限に物があるわけではない。一つずつ片付けていればいつかは片付けも片付くだろう。
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OKCHANさん




断捨離大変ですね
礼服は、まだ着られるのね、良かった
私は、今年サイズは大きく、前開き仕様に換えました
たまには着てみて確認
(^∧^)、オ、ネ、ガ、イ。します
娘さん、息子さん制服、
圧縮袋で、しばらく冬眠してもらってはいかがです
投稿: ちかよ | 2017年11月26日 (日) 15時57分
ちかよ様
リタイア後に減量したので、きつくて着られなかった服が着られるようになっています。
でも必要なものだけに絞って、着られても捨てることにしたものが多いです。
私は特別サイズ(183センチ、90キロ前後)ですから、身内や友人に再利用できる人がいないのです。
タンスの肥やしをゴミ袋に詰めたら7袋もありました。
子どもたちの制服も一緒に入っています。
明日からはあちこちの引き出しの中身の整理に取りかかります。
その後アルバムや写真を最小限にしようと思っています。
飽きるまでしばらく遊べそうです。
投稿: OKCHAN | 2017年11月26日 (日) 16時08分
おはようございます
私も最近大掃除の一環としていらないものを捨てたり、売ったりしました。
多分そんなにないだろうと思っていましたが、意外に無用な物やガラクタが多いことに気づき、
私の意外な性質がわかりました。
実を言いますと、私の父方の祖母は、ゴミ屋敷的に物を集める性格だったので、私もその血を受け継いでいるのでは?と心配になります(しかも祖母は晩年重度のアルツハイマーになりました。私の場合、ガンなども怖いですがアルツハイマーも相当な脅威だと思っています・・・)
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2017年11月27日 (月) 06時29分
shinzei様
私は死ぬことはそれほどこわくありませんが、認知症になることはとても恐ろしいことだと思っています。
認知症を病気だとなかなか思えないからかもしれません。
病気で他人の世話になることは仕方がないと思えますが、自分が自分でなくなった状態でひとの世話になることは、全面的に誰かに支配されることになるという恐怖を感じるからかもしれません。
認知症ではそのことすら感じないのでしょうが。
投稿: OKCHAN | 2017年11月27日 (月) 07時34分