柿
大きな富有柿が売られていたので購入した。龍井(ロンジン)茶を淹れて飲みながらその柿を食べる。柿は大好きである。その柿もそろそろ終わりか。そして今年の秋はいつもより早く終わりのようである。
人生で大変世話になった人が奈良にいて、毎年秋には立派な柿を送ってくれる。いつも気にかけてくれるのに不義理が多いまま、昨年亡くなってしまった。
いつも送ってくれる柿は驚くほど大きなもので、一つ食べると満腹になる。その柿を思い、そしてその人を偲んだ。もう少し何度も訪ねれば良かった、子どもたちを連れて行けば良かったと思っても、詮ないことである。どうしようもないことで後悔するのはあまり好きではないけれど、訪ねれば心から喜んでくれていたことを思うと、ついそんな思いがよぎってしまう。
人に会うこと、人を訪ねることは楽しいことであるが、気を遣うことが煩わしくもある。その億劫さを乗り越えるのが人生に膨らみをもたせることだといろいろな先輩達に教えられたのに、どうもその楽しさと煩わしさのバランスの上で宙ぶらりんに生きてきた。
一昨年も昨年も喪中欠礼の葉書が多かった。その中に家族ではなく、本人のものが混じりだした。今年はまだ少ないが、これからまだ来るだろう。今度から自発的に賀状を欠礼する、との案内をいただくこともある。これも一種の人生の撤収のひとつなのだろう。
まだ年賀状を購入していない。今年は何枚買おうか。
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柿の木を、田んぼの片隅に植えようか悩んでるところです。
桃栗3年柿8年、8年後に食べられるようになってもしばらくは楽しめそうですが・・・・。
人との距離というのは難しいですね。
投稿: けんこう館 | 2017年11月23日 (木) 12時24分
けんこう館様
むかし生まれ育った家に柿の木が二本あって、両方とも甘柿でした。
毎年よく成って、食べきれないほどでした。
いまはそこも更地です。
変わるはずがないと思っていたものもみんな大きく変わってしまいました。
投稿: OKCHAN | 2017年11月23日 (木) 13時35分