もののけ
物を処分する作業を続けているが、昨日はその手を休めた。正直いささか疲れたのである。昨晩など9時前にちょっと横になったら今朝目が醒めたら7時過ぎであった。こんなに長時間眠ることはめったにないことである。どうも身体と同時に心も少し疲れたようである。
「処分する」というのは「捨てる」ことである。物には作ったひとの思いが込められている。物は使うひとのことを思って大事に作られているもので、そうでない物は誰も所有したいと思わないものだ。たまたま手に入っても、そんなものはいつの間にか捨てたり失ったりして手元に残ったりしない。
物を使っているうちに愛着がわき、用がなくなっても捨てがたい思いがして残されていく。そういう物が溜まりに溜まっていくのが歳をとるということかもしれない。しかしひとはいつまでも生きられない。誰も捨てたりしなくてもこの世から去って行かざるを得ない。いつまでもこの世にいたいと思うのは執着である。
作ったひとの思いが込められ、使うひとの愛着が込められた物は、使われないままに年を経るとその思いが凝って「もののけ」になる。物の怪である。もののけは物自身に魂が宿るとひとが考えるから生ずる。使われないことを恨んでいるだろうと思うから生ずる。それは物に思いを込めた作る人の気持ちと、使う人の物を愛する気持を感じる人のやさしさから生ずるのだろう。やさしさを持たない合理主義者には、もののけは見えない。
さいわい私が処分した物たちは、まだもののけというほどの物にはなっていない。それでもその思いが私を心身共に疲労させたのであろうか。それは私自身の思いを鏡のように私にうつして見せたものによるのかもしれない。
Yさんは「0さんは繊細だから」とやさしく言ってくれた。繊細とはデリケートということであるが、デリケートというより気が小さいのであり弱いことであることは自分がよく承知している。しかしそのことを承知しながら気持を奮い立たせていろいろな困難にも何とか耐え抜いて生きてきたつもりである。
だから物を捨てる。既に私は人生の後半に、捨てられずにいたもっとずっと大きなものをようやく捨てている。
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コメント
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我が家も8月より、片付けと処分を継続中ですが、作業のわりに結果は少なく疲労感は大です。
もののけのせいかもしれません。(笑) リサイクルなんだと思うようにしてます。。
投稿: けんこう館 | 2017年11月28日 (火) 11時40分
けんこう館様
おっしゃるように、片付けても片付けてもほとんど部屋がすっきりしてくることがありません。
むかしは転勤のたびにずいぶん思いきってものを捨てていましたが、それもいまはありませんから自発的に捨てまくるしかなさそうです。
いまのところもののけは夢にでてきません。
投稿: OKCHAN | 2017年11月28日 (火) 12時13分
来春で私も定年なので、そろそろ居室を空にしないといけません。書類類は全て廃棄で構いませんが、実験室のサンプルとか悩ましいところです。それに実験ノートは昨今、5年くらいは保存が必要ですが、誰が責任をもってくれるのか? そういう点は実は何も決まってないのが、この業界です。
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投稿: | 2017年11月28日 (火) 12時24分
Hiroshi様
自分が作成したものは自らの分身のようなところがありますから、その行方は気になるでしようね。
他人に任せたからといってもこころは残るでしょう。
投稿: OKCHAN | 2017年11月28日 (火) 12時58分