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2017年12月19日 (火)

梅原猛『自然と人生』(文藝春秋)

 この本は、1993年7月から1994年12月まで中日新聞に連載されていたコラムをまとめたものである。思うままにと題するコラムをまとめたものの第二巻となる。
 梅原猛という思想家がその間に考えたことをまとめたもので、時代を超えた哲学的な思想もあるし、世相の動きに対しての彼の考えをまとめたものもあっておもしろい。まさに同じ時代に私もさまざまなことを思ったことを思い出すのである。
 あえてその中から、梅原猛が貴乃花について論じている文章が面白いので、ここに抜粋して紹介する。
(前略)
 貴乃花はその言動においていろいろ批判を浴びている。マスコミに対する態度がつっけんどんであり、負けたときは全く答えない。また先場所のように水を口に含んで土俵上で吹きかけたり、足で土俵を蹴るなど、これから横綱をねらう力士にあるまじき行為が多いと批判される。
 二十をいくつも越えていない若者に、完成した人格を要望するのは無理なことであるが、名横綱とされる横綱、たとえば双葉山や栃錦や北の湖などは若くしてそれなりに完成された人格を持っていたと思う。それはなぜか。それは私は、逆説的に聞こえるかもしれないが、相撲界のいじめゆえであると思う。相撲界は旧日本軍隊と同じようないじめの社会であるというのは、人の言う通りであろう。
 いじめというものは、身分社会の積もり積もった怨恨が、自分より身分の低いものに及ぶことである。相撲界ではいじめはもっとも下の番付の新弟子に及び、新弟子は徹底的にいじめられる。特に新弟子がたまたま大学を出ていたり、あるいは金持ちの坊ちゃんだったりすれば、よけいいじめは烈しくなる。
 このいじめを出来るだけ早く免れるには、強くなり、番付がいじめる人間より上になることである。こういう気持で稽古する力士が強くなるが、この烈しいいじめに耐えることは、この世を生きるのに必要な忍耐の徳を養うことになり、またこのいじめをいかに逃れるかといろいろ工夫をめぐらすことは、人間の処世の知恵を磨いてくれる。私は、この相撲界の烈しいいじめが、二十代にしてほぼ完成した人格を持つ横綱というものを作り出す原因ではないかと思っている。
 若田か兄弟は父親が親方である双子山部屋に入門した。部屋そのものは自宅であり、若貴の生活環境には何の変化もない。父親である親方は、兄弟を新弟子として他の新弟子と同じ扱いをしたと言うかもしれないが、他の弟子たちは若田か兄弟を新弟子の一人と見るよりは、親方の息子として見るのである。したがって普通の新弟子になされるいじめが、そこでは行われていないであろう。
 恐らくいじめを受けることなく、両親に庇護されて、相撲だけに専念して若貴兄弟は大関にまで昇進した。これは兄弟のもって生まれた才能と努力の結果であり、甚だ祝福すべきことであるが、しかし彼等はいじめによって人格を形成する機会を失ったのである。つまり彼らは住もう意外のことを考えることなく相撲に専念し、大関にまでなったが、肝心の人生の知恵については甚だ幼いのである。
 貴乃花が宮沢りえに恋したのも、ミーちゃんハーちゃん的な趣味に過ぎず、もう愛の感情がもてなくなったと言って、いっこう悲しそうな顔もせずに別れたのは、たとえ親たちが、貴乃花がそう言うことで、もっとも後くされなく別れることができると考えてそう言わせたとしても、見ている人はそこにあまりに人間の気持ちが分からない幼い若者を感じざるを得ない。
 若貴兄弟は二世力士の特権を利用して、以上に早く大関の地位にたどり着いた。しかしかわいそうに、彼らはいじめられることによって一人前の大人になる機会をもたなかった。その代わり、今マスコミが力士に代わって、徳に欠点が目立つ貴乃花をしきりにいじめているようにみえるが、このいじめをむしろ大人になるために必要なものと考え、もはやいじめが通用しない精神的に強い力士になってほしいと思う。そうすれば自然に横綱という地位は身についてくるのである。
 二十数年前に書かれたこの文章に思うところはいろいろある。それを語り出すときりがないが、各位はどう思われるだろうか。

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コメント

イジメが忍耐の徳を養い人間の処世の知恵を磨く面があるとは思いますが、人格を破壊し狡賢い人にする面もありそうな気がします。
体育会とは無縁だった私としては、イジメではない厳しさで徳や知恵を磨く方法を期待します。
『○○ハラ』 という言葉を耳にしますが、すぐにイジメと結びつける考えもおかしいと感じます。

けんこう館様
私は体育系(それも格闘技)の部活を経験していますので、鍛えるということといじめることとの境目があいまいなことはよく承知しています。
いじめをうまく回避することは人生の試練であり、智恵でもあります。
しかしあまりにひどい理不尽な先輩もいて、闇討ちしてやろうかと思ったことも正直あります。
限度を超えたものを告発するのは当然ですが、たいしたことでもないことを大げさに言うのもどうかと思います。
人生はけっこう嵐の連続ですからね。
泣き言を言っていても誰も助けてくれないことの方が多いので、結果的に強くならざるを得ないものです。

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