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2017年12月14日 (木)

怨みまたは恨み

 あれもしなければ、これもしなければ、と焦慮を感じながらぼんやりしている。よく考えると、せっせと片付ければどうということのないことばかりなのに、二つ三つ四つと重なるともうどこから手をつけていいか分からなかったり、最初から面倒くさいなあという気持になってしまう。子育てしながら仕事をしていた時代に普通にこなせていたことがなんだかおおごとみたいなものに見えてしまう。

 そうしてたいして忙しくないことを忙しく感じながらぼんやりと暇にしていると(なんだかややこしい)、ついテレビをつけっぱなしで見ることになる。どれもつまらない番組だらけだけれど、映画を集中して観るほどの気力もない(あればやらなければならないことを片付ける)。そうなると見るのはニュースやニュースバラエティばかりになる。

 ボンヤリ頭は「なんだか世の中怨み(恨み)の話が多いなあ」と感じる。

 富岡八幡宮の異常な殺傷事件などその典型だろう。金銭的なことが関わっているというが、あそこまで怨むというのは理解の外である。何しろ死んでも怨み続けるという文書まで残しているのだから。理不尽な怨念であっても、いや理不尽であるほど怨念は強いもので、お祓いをしなければ本当に祟るから恐ろしい。そのとき富岡八幡宮でお祓いしたら霊験はありやなしや、などと暇人は考える。

 韓国は相変わらず日本に対して恨みを言い立てているようである。恨(はん)の国だから、などと民族性を理由にいうけれど、自らのアイデンティティを日本の国に対して恨みを言い立てることで保持しているように見えて、うんざりするとともに難しいお隣さんだなあとため息が出る。そのような人たちの高い支持の元に大統領になった文在寅大統領は元々そのような心性の人らしいから、これからますます嵩にかかる気配である。

 今中国を国賓として訪問中だが、中国でどんな話をするのだろう。仲良くするにはそこにいないものの悪口を言うのが何よりだから、日本の悪口を言い合うのだろうか。THAADの話を問い詰められないためにはそれぐらいしか言うことはないのかもしれない。中国は本音は別にして調子を合わせるだろう。そうでないと国賓に失礼だから。

 相撲の問題も、日馬富士の暴力問題から違うものに変貌してしまったようだ。いったい貴ノ岩はどこに消えたのだろう。なぜ貴乃花親方は何も言わないのだろう。言い分をいえばそれが大々的に取りあげられるのが明らかなのに黙っているのは言えないわけでもあるのではないかと勘ぐってしまう。まさか貴ノ岩が日馬富士の謝罪を受け入れようとしたから腹を立てて監禁したり、暴力をふるってさらに怪我をひどくさせたりしていたりして・・・。そんな憶測を呼ばせてしまうほど不可解な行動だ。それともひとが憶測を語るのをせせら笑うのが趣味なのだろうか。

 これも貴乃花の白鵬を代表するモンゴル相撲力士に対する怨みなのだという専門家の意見が次々に語られている。怨みが根底にあるならこれはかたくなになり、事態の収束は不可能だろう。何しろ怨みは妄想の中で増殖して呪鎮しなければおさまることが出来ないもののようである。古来日本に鎮魂のための神社があるのはそのためであるという。天神社だって受験生のためにあるばかりでなく、そもそもは菅原道真の怨霊を鎮めるために建てられたものだというではないか。

 怨みを怨むほうには理由があっても怨まれる方に身に覚えがないこともあるもので、怨みが飛び交う世界は恐ろしい。

 異常でほとんど理不尽なクレーマーがクレーム相手を怨んでいるように見えるのは、見えているだけではなくて本当に怨んでいるのではないかという話は、考えるとおもしろそうだけれどきりがないので今回はやめておく。あおり運転やテロも、こじつけるとそんな話につなげることが出来るかもしれない。

 怒りが怨みに繋がり、収まらなくなる境目はどこにあるのだろう。ひとにより違うのなら、その違いは何によるのだろう。あの凄まじい怨みのエネルギーは精神のどんなところに潜んでいるのか。

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コメント

アメリカに来てから日本や韓国を見ると妬みや怒りが本当に目立つ気がします。
アメリカにももちろんあるのでしょうが、やはり日本や韓国のほうがどろどろしている。。いつもイライラしている?
心の余裕というか、豊かさが乏しい??

どうしてなんでしょうね。。

藤子様
アメリカ人に怨み感情があまり感じられない、と教えていただいて分かったことがあります。
アメリカ人は自立している、つまり自己責任の自覚があるということではないかと思います。
日本でテレビを見ていると誰かのせいでこうなったという話が朝から晩まで延々と繰り返されています。
悪いことをする人は悪いに決まっていますが、悪いことに出会わないために出来ることがあります。
無防備はそれだけで悪を呼び込むという自覚が日本人には足らず、アメリカ人は身についているということでしょうか。
もちろん日本人にも自立している人も少なからずいるし、アメリカ人にも人のせいにすることに忙しい人はいるでしょうけれど。

まさに!
なるほど。

自己責任、大事ですね。
自分の頭で考えて決断、行動は大事だと思います。
無防備ということもなるほど、と思いました。
わたしも心しよう!

藤子様
しばしば弱者救済を言い立てるリベラリストに反感を感じるのは、そういうことかと思いますね。
自力で立てるのに人にすがるばかりの人ははたして弱者でしょうか。
本当に救わなければならない人が後回しになってはいけません。

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