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2017年12月25日 (月)

身から出た錆

 しばしば自分を浅学非才であると自嘲しているけれど、内心ではもう少しのところで人並みではないかと自負していた。しかしこのごろ本当に心の底から自分がとても人並みどころではないこと、不勉強であったことを実感してへこんでいる。

 へこんでいるのは、勉強できなかったのはしなかったからで、しなかったのはしても分からなかったからで、つまり自分が勉強する能力に欠けていること、人より劣っていることに気が付いてしまったからである。

 私は高校時代、現代国語と漢文の授業が好きだった。理解できていたかどうかは別にしておもしろいと思っていた。しかしながら古文は全く駄目で、英語よりちんぷんかんぷんであった。原因は古文の教師にあると確信していた。猫背で薄毛で暗い表情の先生で、ぼそぼそと話すので良く聞き取れない。ときどきにたりと笑う。その古文の文章の素晴らしさに感激しているらしいのだが、意味が分からないこちらは共感できないから気味が悪いばかりだ。

 古文はいつも赤点であった。理解できず興味もないから勉強もせず、だから当然である。あれほど嫌いな教科はなかった。それが敬慕する森本哲郎師を始め、幾多の私淑する人たちに古典の素晴らしさを教わったらなんとなく興味が持てるようになった。

 今回、梅原猛『古典の発見』という本を読んで、彼の独特の、というよりほとんど直感による暴走の奇説を数々読んでいるうちに、ああさすがにこれはおかしいのではないか、と感じるものがあったのだが、何しろ不勉強だからそれをきっちりと認識できない。こちらも直感でおかしいと思うだけである。

 おかしいから駄本かと言えば、専門家にとってはそうでも、私にとっては素晴らしい本でもあるのだ。古典はこんなに好奇心を刺激するおもしろいものだと言うことを感じさせてくれる本だからだ。おかしいと思えばしっかりと原典を理解すればそれを指摘できるはずなのである。

 しかししっかりと勉強し直す時間がすでにない。古典だけを勉強すれば少しは霧が晴れるだろうが、なにしろ気が多いので、古典に割ける時間は限られている。初めて古典に触れて以来、学ぶ機会は山ほどあったのにそれを怠ってきた。

 いま、古典が苦手だったのは教師のせいばかりでないことに気がついて忸怩たる思いでいるのである。もう一歩踏み込めばそこにすてきな世界への入り口があったのにそれを見逃していたのは自分のなまけ心のせいであり、いまそれを悔いることになっているのはまさに身から出た錆なのである。

 そもそも私は本当に学んだことなどあったのだろうか。

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