まるく掃かない
いそうろう、角な座敷をまるく掃き
私はいそうろうではないけれど横着者でいい加減だから、ふだんは四角い部屋を丸く掃いている。しかし年末ともなればふだんは掃かない四隅も、ものを片付けて掃除しなければならない。自分だけだったらまあいいやとサボるかもしれないが、息子はそういうところに目ざとい。口には出さずにそういうところをせっせと掃除し始めたりするから、親としてはその前に掃除しておかないと恥ずかしいのである。
さて今日は28日、八の日は正月のお飾りなどを用意する日である。明日は九の日であるから、その前に餅の用意やお飾りをするべし、と母から教えられている。九は苦であり忌むべきで、八は末広がりで縁起かいいのである。鏡餅とお飾りを買いに行こう。
この前に書いたブログに関連して、古文について「Hiroshi」さんからコメントをいただいた。古文の授業も歴史的背景や思想的背景を絡めて学べば面白いはずだったというご意見に全く同感である。それに触発されて古文の授業が苦手だったのに、いまどうして古典が面白く感じられるようになったのか考えた。たぶんささやかながらむかしより歴史や思想的な背景の知識が持てるようになったからなのだと思う。
そのことで、思い出したのが中学時代に歴史の先生から、「その時代のことを識るにはその時代のひとの気持になって考えることも必要です」と言われたことだ。団塊の世代である私が学んだ時代は、「世の中は進歩していき、どんどん明るく豊かな時代になっていく」とみなが信じていた時代だった。実際に高度成長期にさしかかるときでもあり、それは実感だった。
そして戦争に対する反省もあったから、過去は暗く間違った時代であったと、ことさら言い立てる時代でもあった。特に先生達は教え子を戦場に送り出したことへの反省だろうか、現在の価値観で過去の歴史のさまざまを批判する傾向があった。
だからそれに影響された優等生が、聖徳太子が法隆寺を建てた(とその時は教えられていた)のは、権力で一般民衆を使役したのだと言ったりした。そのときに歴史の先生が、現在の正しいこととその時代の正しいこととは違うかもしれない、歴史を学ぶときはその時代のひとがどう考えていたのかを考えなければいけない、と言ったのだ。
もちろん人さまざまの価値観があり、権力者と大衆とは全く違う価値観だろうが、その価値観を持つための基礎となる知識はその時代に得られるものに限られるのである。彼らにとって、現代の生活や知識などは想像を絶するものであるはずだ。
歴史を考えるとき、そのことを見失うと正義で歴史を論ずることになる。見失うとどうなるか、そのことを日本人の多くは身に沁みているし今もその正義に基づいて非難されている。
さいわい私は日本で自由に知識を得ることができているので、いまそれをもとに、古典が少しはおもしろいものだと知ることができるようになった。その先生には大いに感謝している。他にもさまざまに大事なことを教えてくれた人たちのおかげで、私はものを知ることの喜びを楽しむことができているのだ。有難いことである。
« (続々)梅原猛『古典の発見』(講談社) | トップページ | ザ・・・ »
コメント