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鳴子温泉に滞在中に読んだ本に、池内紀『M博士-往来の思想』がある。それについてはすでにブログに書いているが、その中にゲーテの『ファウスト』をきっかけに、ドイツの19世紀頃の小説の話題が取りあげられている。そのような小説が明治時代に紹介されているのは、森鴎外が次々に翻訳していたからだろう。
紹介された小説が、池内紀の文章でとても魅力的なもののように思えてくる。一度試しに短篇のいくつかを読みたいと思ったりする。何しろ池内紀はそもそもドイツ文学者で、ウィーンに留学もしていたからドイツ語はそのまま読める。いくつもの小説の背景や解釈が詳しく、それらの小説が魅力的に感じられるのは当然なのである。
しからば森鴎外の翻訳したものを探して手に入れてじっくり読んでみようか、と思わないことはないが、さて手に入れても少々囓っただけで積んでおくことになりそうな気もしている。
そこで森鴎外である。
森鴎外は山口県の津和野出身だが、少壮の頃上京して二度と津和野には戻らなかった。津和野には森鴎外の記念館がある。西周の出身地でもあり、画家の安野光雅も津和野出身であり大きな美術館もある。私は津和野の町が好きで、数回泊まって散策している。
私は夏目漱石より森鴎外の方が読みやすい。実家にある日本文学全集の森鴎外編は二冊になっているが、すべて読んだ。『渋江抽斎』が入っていなかったのは幸いであった(あれを読み通す根気はない)。
ザ・漱石、ザ・鴎外、ザ・啄木、ザ・龍之介、ザ・賢治、ザ・清輝と言う六冊の本が棚にある。ザ・鴎外というのは変だけれど(ジ・鴎外でないといけない)、それはよしとしておく。これは大判のわら半紙みたいな用紙に虫眼鏡で読まないと読めないような小さな字で四段組でびっしりと印刷された本である。それぞれそれ一冊で個人全集になっている。普通に全集にしたら十冊以上のものがその一冊に押し込まれているのである。ここには石川啄木の歌や評論などすべてが、宮沢賢治の書いた文章のすべてが収められていて、どこかで引用されたときにこれを引っ張り出すと、その文章全部を知ることができて便利なのである。
残念ながらザ・鴎外には彼の小説79編だけで、翻訳は収録されていない。ここには渋江抽斎も当然ある。引っ張り出して眺めているとまた読みたくなる。元々近眼だから、まだ裸眼でこの小さな活字が読めるのである。試しに冒頭の『舞姫』を読めば、たちまちその世界に没入することができる。
いやいや、暮れにそんなことを始めたら何も手につかなくなる、あわてて本から現実に戻っている。さて、来年は鴎外をテーマに少しじっくり読んでみようかなどと考えている。
それと『今昔物語集』がずっと読みかけで放ってある、それに『謡曲集』も一度は通し読みしてみたい。ああ、時間がいくらあっても足らない。ボンヤリしながら何もせずに、それなのにせわしない気持になっている。何しろ師走の暮れなのである。人並みに気ぜわしいのである。
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コメント
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おはようございます。
先日は私の失敗談を見ていただきありがとうございます。
翻訳といえば当時の日本は今のアジア某国と同じくらい、いや、それ以上の海賊版大国だったそうです。まだ著作権の概念が普及していなかった時代でしたから、日本では平気で欧米の書物の海賊版を売っていたそうです。
笑えない話で、『風と共に去りぬ』も最初は海賊版で出たそうで、それが余りにも売れたためやめればいいのに作者にお礼状を送って勝手に翻訳したことがバレたそうです。
まあ、今のアジア某国と比べれば純粋な知的欲求からの行為ですからまだマシだとは言いますが・・・。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2017年12月29日 (金) 07時05分
shinzei様
著者に礼状を出すと言うことは、そもそも著作権という概念がなかったこと、海賊版という認識がなかったことの証拠ではないでしょうか。
日本では、著者は出版元にお金をもらったらそれで終わり、という方式だったのではないかと思います。
継続的にロイヤリティーが発生するという方式があるからこその著作権の権利だと考えれば、そのルールを日本では知らなかったし採用もしていなかったのでしょう。
中国の場合はルールを知った上で行っていることで、犯意のある行為ですから同列に論じるものではないと思います。
投稿: OKCHAN | 2017年12月29日 (金) 09時36分