謝罪を報道しない自由
西村幸佑『報道しない自由』という本を読んで、気が付いたことがある。
かねがね不思議に思っていたのだが、日本政府は韓国に繰り返し謝罪し続けてきたと私には見える。日本人の多くもそう感じているだろう。
ところが韓国は常に日本の謝罪がないという。だから謝罪せよという。だから日本人はもういい加減にしてくれ、という気持の方が強くなっている。
どうしてこんなことになるのだろうか。
韓国のマスコミは、日本が謝罪しても、そもそもそれを報じなかったか、または謝罪を謝罪として報じなかったのではないだろうか、というのが私の想像である。それならその報道だけに接している韓国の人々の多くは日本はまだ謝罪していないと思っているだろう。
韓国政府は日本が謝罪し続けていることをもちろん承知している。しかし国民がそう受け取っていないから再び三度謝罪を日本に求めるのは当然だと考えてきたようだ。何しろそれで自分の点数が上がるかもしれないからだが、あに図らんや、それが報じられないから日本が謝罪しても功績にならない。そうなると要求をエスカレートせざるを得ない。
こうして韓国は、日本にたいしボタンを押すと「ごめんなさい」という人形のボタンを押し続けるサルのように行動してきたが、さすがに日本の堪忍袋も切れてきてしまった。日本は人形ではない。
韓国のマスコミは日本が韓国を無視し始めることをもっとも恐れている。そのことが韓国の国益を損なうことを誰より知っているからだ。しかしそれを修正するには遅すぎる。韓国国民に彼らが「報道しない自由」によって刷り込み続けた日本観はおいそれと変えることはできないだろう。とはいえ国益に気がついて猫をかぶって宥和を呼びかけてきても、状況が変われば合意の破棄のようにまた謝罪を要求する可能性が高いだろう。今のままでもういいではないかとまで思う。
ところで平昌オリンピックの後、韓国はどうなっていくのだろう。祭りの後の寂しさを噛みしめることになりはしないか(小人はそれを期待したりする)。
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昭和40年の日韓合意で個人賠償は韓国が行うということでまとめて日本が払ってることを一般国民は知らないのでしょうか。
打ち出の小槌もそろそろ相手の『謝罪と誠意』という言葉は響かなくなってしまったようです。
冷めた関係がもっとも良い関係のようです。
投稿: けんこう館 | 2017年12月30日 (土) 16時42分
たぶん知らされていないのでしょう。
漢江の奇跡は日本の賠償金で達成されたものですが、そのことを知らないし、知りたくないのでしょう。
そもそも日本は韓国と戦争をしたことがありませんが、韓国人は第二次世界大戦の戦勝国だと思い込みたいようです。
しかし事実は違いますから、それが口惜しくて仕方がないので、日本と戦って日本に対する戦勝国になるのが夢かもしれません。
今のままでは叶わない夢ですが・・・。
投稿: OKCHAN | 2017年12月30日 (土) 17時11分