太川陽介頑張れ
昔から太川陽介には好感をもっていた。路線バスの旅があれほど人気があったのは、彼の常識人としてのきまじめさが好意を持たれたからであろうと思う。本当の彼がどういう人間か知らない。私が見た目で勝手に思い込んでいる太川陽介を元に以下の文は書いている。
どうでもいい人が苛められていても不愉快で痛々しく感じるものである。それが好感をもっている人物が苛められたらいっそうである。彼の妻の藤吉久美子が不倫騒動でマスコミに曝されている。太川陽介の妻であるから太川陽介もさらし者になって、彼が苛められていると私には見えるのである。
彼は妻を信じると明言している。事実があるなしに関係なく、信じたらその前提で夫婦関係を修復したいと彼なら思うだろう。彼に好感を持つ多くの人々は彼の決意を受け入れ、うまく収まることを望んでいるだろう。何しろ私がそうだから。
しかしマスコミ(まことにマスゴミである)は引かないだろう。妻を信じていると明言した太川陽介に事実を暴き立てて、何月何日のどこそこでこういう現場が確認されている、そして何月何日には・・・と繰り返し報じるだろう。何しろマスコミは妻を信じる、という太川陽介の言葉は事実を否定された、とマスコミへの挑戦として受け取ることが明白だからだ。事実であるかないかどうでもいいこともあることがマスコミには理解できない。何しろ心がないから。あの強引にマイクを向ける醜い顔を見れば分かるではないか。
太川陽介は悩むだろう。妻を愛しているが故に怒るのではなく悩むに違いない。どうでもいい妻なら彼女の不倫は自分のプライドだけの問題だが、本当に愛しているなら追い込まれていくだろう。そうして二人が破綻するまでマスコミは騒ぎ立て、ついに離婚すれば正義の快哉を揚げるに違いない。
男なら太川陽介には悩みを乗り越えて藤吉久美子を守り抜き添い遂げて欲しい。ちょっと無理を望みすぎか。こういう話はたいてい無視するのだが、見ていられないのでエールを送る意味で取りあげた。
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