養老孟司『遺言』(新潮新書)
ふだんは語りおろしが多いが、久しぶりに「なんだか本が書きたくなって」この本は著者にとって久方ぶりの書き下ろしだそうである。
養老孟司の本はまだ一冊も処分せずにいる。一見読みやすいのでスイスイ読んでしまうが、じつはとても深い思索の元に書かれている。じっくり考えるとその意味がよく分からないものが散りばめられていて、もう一度または繰り返し読まないといけない気がしているのだ。彼の思索は年齢とともに深まっているようだ。だから新しいものほど分かりやすい。
それを手がかりに過去の彼の本を読み直すと多分見逃していたもの、見過ごしていたものに出会える気がする。何十冊かたまっている彼の本を書かれた順番に並べ直し、じっくり読み直す日が来るのを夢見ているが、さてその機会はあるだろうか。
この本では認識を記号的にとらえる捉え方と、感覚的にとらえる捉え方の違いについて語っている。このことは繰り返し彼がテーマにしていることなのでまことに分かりやすい。そしてそれはすべて脳がしている作業でもあって、そのことの意味を突き詰めると、認識とは何かをとことん追求することになる。
その過程で得られるいくつかの成果はしばしば驚くべきものである。とことん考えぬくことということがどれほどの豊穣をもたらすのかといまさらながら感心する。分かりにくい言い方で申し訳ない。
ある人にとってはこんな考えを考えることは無意味であろう。世の中は常に意味を求める。意味のないものは価値がないと信じ込んでいる。意味とは何かということを真剣に考えていると、意味ばかりを問う現代の問題点が顕在化してくる。
意味を問うことがそのまま損得を問うことと等価であるような現代は、人にとってじつはとても生きにくい時代なのかもしれない。私が無為にあこがれ、損をしないことにこだわらないようにしたいと心がけていることは、その現代に対する反発からなのだ、といえば少し粋がりすぎが。こういう本を読んで、それでいいんだ、と自分に自信をつけている。
« まだ不調 | トップページ | 佐藤愛子『それでもこの世は悪くなかった』(文藝新書) »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『あめりか物語』(2025.03.18)
- 読み飛ばせない(2025.03.17)
- 『鷗外 闘う家長』(2025.03.15)
- 読書備忘録(2025.03.10)
- 『私の「死の準備」』(2025.03.06)
こんばんは。
不調と言われながらも、この評論・・・ まあ、ほどほどになさいませ。体あっての人生。たまには、ゆっくり休まれた方がよろしいのではないでしょうか。ブログなんて、ただの一コマの遊びですよ。体が一番!
投稿: しらこばと | 2017年12月 8日 (金) 18時20分
しらこばと様
ご心配いただいて恐縮しております。
おかげさまで少しずつ復調しております。
先ほど風呂にも入り、さっぱりしたので今晩は暖かくしてそうそうに寝るつもりです。
投稿: OKCHAN | 2017年12月 8日 (金) 19時26分