こだわる
むかしは文字通り乱読だった。面白ければそれで好いと思って、手当たり次第に面白そうな本を読んだ。当然エンターテインメントの本ばかりだから「ああ面白かった」で終わりである。めったに心に残る本に出会わなかった。だから特定の作家をまとめて読むなどということはほとんどなかった。
せいぜい集中して読んだのは芥川龍之介くらいか。そのおかげで、あとで今昔物語に導かれたのは幸いであったが。そのあと高校時代に友人が父親の井上靖全集を持ちだしてきて勧めてくれた。全部で10冊を超えた全集を次から次に楽しみながら読んだ。初めての全集読破であった。さらに今度は日本文学全集や世界文学全集を読みまくったが、たいてい読み飛ばしでほとんど覚えていない。しっかり読んだのはヘルマン・ヘッセとホフマンくらいかもしれない。
今は小説でもエッセーでも一人の人を集中して読むことが多くなった。ある程度食傷するまではそれが続く。だから気にいるとその人の本をまとめ買いしたり買い集めたりしてしまう。そうしてすべて読み切る前に他の人の本に移ってしまうから、読み残しの本が当然どんどん増えてしまうのである。
いま新刊を読むのに並行して、それらの読み残しの本やむかし傾注した人の本をまた読み直している。最近は梅原猛を読み直しているところだ。すでに五六冊読んだけれど、まだしばらく続きそうだ。若いときに読んだ感想と、今の感想は同じでもあり、またずいぶん違うところもある。
その違いは読み方が多少は深くなったということだろうか。それはそのまま自分自身が若いときの自分ではないことの証でもある。なんとなくそのことを感じることが面白い。
何かを考えるとき、あちこちきょろきょろしてばかりいては考えがまとまらない。だから本もある程度こだわって定点観測のように同じ本を読み直すことも良いものだと、このごろ感じられるようになった。乱読に明け暮れた若いときの私が聞いたら驚くだろう。
読み返したい人たちの本が棚に並んでいる。それらを列記していけば、私という人間がどういう人間か分かる人には分かるかも知れない。機会があれば主なものをここに書き出すこともあるだろう。別に隠すことではないし。
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おはようございます
私も今も結構乱読派です。
そろそろ年齢を考えれば精読派に移行すべきなのでしょうが・・・。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2018年1月18日 (木) 06時15分
shinzei様
shinzei様のように本を読んでその本を咀嚼し、自分なりにその本について考え、過去読んだ本と対比し、位置づけするという作業をしている場合は、乱読とはいわないと思います。
私も精読は苦手で、精読すべき本もつい読み飛ばしてしまいます。
全体のイメージをつかんだら、あらためて細部を読み直す必要があると感じる本もあるのですが・・・。
投稿: OKCHAN | 2018年1月18日 (木) 09時29分