ゆっくり行くことにする
加齢臭などといって高齢者特有のにおいが臭いとして忌避される傾向があるようだが、子どものときかいだ祖父母のにおいは私には懐かしい匂いとして記憶されてもいる。
自分にはそんなにおいがまだないようなつもりだが、気がつかないだけかもしれないと思っていたら、たまたま自分にもそういうにおいがすることがあるのに気がついた。加齢とともに定常的になり、しかも強くなるのかもしれないが仕方のないことだ。
アンチエイジングに努力している人がテレビに出ていて、実年齢よりも若い!とビックリされたりして自慢げである。確かに驚くほど若々しく見えるが、実際に若くなったわけではない。「若く見える」という褒め言葉にはかならず(お歳の割には)という言葉がいわれなくても実は添付されている。
なまじその年齢のあざむき方がはなはだしすぎると、却って老醜を感じてしまうことがある。
歳を取ったら眉毛の中に長く伸びるのが出てくるのが不思議だ。床屋で「切りそろえましようか?」と必ず聞かれるが、いつも断っている。(年寄り臭く見えますよ!)という語らない言葉が聞こえているのだが、私は眉毛が長いのは長命の印だと思うし、おじいさんの眉毛の長いのは格好が良いと思う。そのかわりむさ苦しく見えないように身だしなみには多少気をつけないといけない。
新しいことにだんだんついて行けなくなっている。ビットコインなどといっても何のことやらさっぱりその仕組みが解らない。電子マネーくらいまでは何とかようやく受け入れ始めて、案外重宝なことも知ったけれど、それも現金との互換性の実感があるから受け入れることが出来ている。
歳とともにさまざまなことを受け入れるのに時間がかかるようになる。それなのに世の中の変化はどんどん加速している。実は加速しているわけではなくてこちらが減速しているだけかもしれないが、どちらにしてもついていけない年寄りには同じことである。
自分ではつい数年前まではかなりついて行けていたつもりだった。しかしちょっと引きはなされたと思ったら、もう前が見えなくなっている。ここであがいても息が切れるだけである。
出来ること、やり慣れていることを手がかりにゆっくり行くしかないのかな、と開き直ることにした。
置いてきぼりされたことに怒りを覚えても仕方がないのである。
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コメント
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あたらしいことに興味がないというより必要としないこともあると思います。
ゆっくり行くことが新しい生き方かもしれません。
投稿: けんこう館 | 2018年1月29日 (月) 16時22分
けんこう館様
確かになくても生活に支障はありません。
しかしながら、メガバンクも支店を次々に閉店し続けており、次第に電子化が進んで、いまに通帳も不要になるともいわれています。
なんだか実際の自分の資産がどうなっているのか解りにくくなっていくような不安があります。
あるはずのものがなくなっていた、しかもそれがどうしてか、何時なくなったのか分からない、などということが起きそうな気がします。
投稿: OKCHAN | 2018年1月29日 (月) 21時14分