小さくしたり大きくしたり
テレビで映画の予告CMを見た。人間を小さく(13センチにするとかいっていた)することで食料問題や限られた資源問題が解決する、というお話らしい(数秒のCMなので何も分からないけれど)。確かに人類がすべて矮小化したら資源や食糧はその分少なくて済むのであって、理屈は合っている。
もちろんいきなり人間を小さくする装置など荒唐無稽の空想の産物だが、品種改良して小型化することは理論的には可能だろう。大きな人間は子孫を残すことを許さない、などという小柄な独裁者が現れるかも知れない。もしかして肥満を悪として痩せることを正しいとする世の風潮は、健康を理由にしているけれど、本当はそのようなひそかな謀略が働いているのか。
高校生時代に私が書いたショートショートに、逆にものを拡大する装置を科学者が発明した話がある。食べ物をその装置に入れると米粒が卵のような大きさになる。これなら食料問題は解決する大発明だ。発明した博士は自ら人体実験でその巨大化した食料を食べる。味は大味で余り美味しくないが腹は膨れる。しかし連日食べ続けるのに博士は次第に痩せていき、栄養失調になっていく。
当然のことに拡大された食糧の細胞は拡大されているのである。それは人体の栄養摂取のシステムになじまない。消化できるわけがないのである、というお話だが、映画の場合はどうか。装置で縮小した人体の細胞が数を減らして大きさが変わらなければよいが、細胞も縮小したなら、彼にとって見かけ上大きくなった食べ物は身体になじまないものと思われる。そもそも拡大や縮小は原子レベルで起こすことになるわけで、物理法則になじまないけれど、それを言ってはおしまいである。
やはり品種改良しかないようである。そうなると大男の私などは粛清の対象になるのかも知れない。すでに太っていることで白い目で見られているのである。トランプや習近平やメルケルから見たら、はるかに痩せているのに・・・。
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