ザシキワラシ
いま長い話を読む集中力を失っている。そこで宮沢賢治の童話や、柳田國男の『遠野物語』などを拾い読みしている。
『遠野物語』から座敷童の話を一つ(原文のまま)
ザシキワラシ又女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門と云ふ家には、童女の神二人いませりと云ふことを久しく言伝へたりしが、或年同じ村の何某と云ふ男、町より帰るとて留場(とめば)の橋のほとりにて見馴れざる二人のよき娘に逢へり。物思はしき様子にて此方へ来る。お前たちはどこから来たと問へば、おら山口の孫左衛門が処から来たと答ふ。此から何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答ふ。その何某は稍(やや)離れたる村にて、今も立派に暮らせる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思ひしが、それより久しからずして、此家の主従二十幾人、茸の毒に中(あた)りて一日のうちに死に絶え、七歳の女の子一人を残せしが、某女も亦年老いて子無く、近き頃病みて失せたり。
このすぐあとに、ザシキワラシに言及しないかたちでこの茸中毒の話が語られる。
孫左右衛門が家にては、或日梨の木のめぐりに見馴れぬ茸のあまた生えたるを、食はんか食ふまじきかと男共の評議してあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食はぬがよしと制したれども、下男の一人が云ふには、如何なる茸にても水桶の中に入れて苧殻(おがら)を以てよくかき廻して後食へば中ることなしとて、一同此言に従ひ家内悉く之を食ひたり。七歳の女の児は其の日外に出でて遊びに気を取られ、昼飯を食ひに帰ることを忘れし為に助かりたり。不意の主人の死去にて人々の動転してある間に、遠き近き親類の人々、或いは生前に貸しありと云ひ、或いは約束ありと称して、家の貨財は味噌の類までも取去りしかば、この村草分の長者なりしかど、一朝にして跡形も無くなりたり。
この女の児はどうして助かったのか。ザシキワラシが助けたのだろうか。そもそも災いはザシキワラシがもたらしたものか、それとも災いを感知してザシキワラシはこの家を離れたのか。
それにしても人間の浅ましさはどうか。主人の死んだばかりの家に上がり込んで物を奪っていく姿を想像するとおぞましい。
さらにこのあとに、孫左衛門が村には珍しい在野の学者であったこと、それが変人として噂され、狐と親しんで庭の中に稲荷社の祠を建てていたことなどが語られている。このことがザシキワラシに嫌われた理由とでも云うのだろうか。そのような因果関係についての推察は語っていない。
ただ、長者一家が、毒茸にあたって死んだという事実があったと云うこと、そういえばそのときにこんなことがあった、と噂されたことからこのような言い伝えが残されたのであろう。
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