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2018年2月20日 (火)

「あめゆじゅとてちてけんじゃ」

 いま今回の直木賞受賞作品、門井慶喜『銀河鉄道の父』を読んでいる。少し前なら一気に読み切れたのだが、このごろは気力が続かず、ようやく三分の二ほど読み進んだ。一両日中に読み終えて全体の感想を書くつもりだが、どうしても先に書き留めておきたいことがあったので記す。

 若竹千佐子の『おらおらでひとりいぐも』という芥川賞受賞作品の題名が、宮沢賢治の『永訣の朝』という詩から採られていることをあとで知ったことは先日(1/30)ブログで書いた。この詩は賢治が最愛の妹のトシの臨終のときに書いたものだが、言葉が花巻の言葉なので分かりにくい。

 「おらおらでひとりいぐも」が、私は私で独り逝くというトシの言葉として語られている詩なのだが、小説の『おらおらでひとりいぐも』のほうは、私は私で独り生きていくという決意表明となっていることは読めば分かる。

 この『永訣の朝』で「あめゆじゅとてちてけんじゃ」という言葉を今回『銀河鉄道の父』を読むことで、本当に理解して強烈な衝撃を受けた。「あめゆじゅ」とは雨雪、つまりみぞれのことである。そして「とてちてけんじゃ」は「取ってきてくれない?」「取ってきて頂戴」というような意味であることは詩の解説で知ってはいた。

 しかし今回その臨終の朝の様子が実景としてイメージされ、外のみぞれ、息が細くなっていくトシの様子、身内がのぞきこむ姿、賢治の惑乱する様が目の前に現れた。

 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」とトシによせた耳元に私自身がささやかれた思いがした。賢治のトシに向ける愛情の深さ、それは過剰でほとんど恋人に対するものである。そのことを自分の感情として受け止めてこの詩を読み直すと、その慟哭と喪失感の深さは計り知れない。そしてこれが宮沢賢治の本格的な作家への大きな一歩につながってもいる。

 そのことを賢治の父・政次郎がどう受け止めていたのか。彼も賢治を、そしてトシを身もだえするほど愛していたのだ。その詩に政次郎がどう感じたのか、その複雑な思いが私も父という立場から共感できた。

 どうも宮沢賢治がいま私にまとわりついているようだ。

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