本好きと読書家・書店と図書館
読書家には人間業とは思えないような読書量の人がいる。井上ひさしのように一日数冊から十冊も読むなどというのはざらである。せめて一日一冊くらい読みたいものだと思いながら、月に二十冊すら読むことができない私などは足元にも及ばない。しかし読書家は数を競っているわけではなく、読むことが楽しいからそれだけ読むのであって、本が好きなのである。
本好きといえば私もエントリーできると思う。なけなしの金でつい余分に本を買い、棚に並べて悦に入っているのも本好きといえば本好きだろう。どうも私は本を読むこと以上に本を買うことに快感を感じてしまうところがあることに、このごろようやく気がついた。蒐書家とか書狂と呼ばれる人はこの類で、やはり上には上がいすぎて私は足元にも及ばない。
本好きの人も読書家も手放しで共感を感じる。
いつもブログを拝見する方の中に本好きの人が何人かいる。私の読まない分野か読めない分野の本(私が読む能力と忍耐力に欠けるために読めない本)を代わりに読んでその内容を教えてくれるのでありがたい。
本好きにも本屋で購入することにこだわる人(私もそうである)と、本屋ももちろん図書館を積極的に利用する人とがいる。どちらも本という現物との出会いを楽しむという点で同じである。
そのことをブログを拝見しているshinzeiさんとHiroshiさんにあらためて気付かせてもらった。
そのHiroshiさんが今度図書館有料論を書くつもりだというから楽しみだ。たちまちに図書館は貸本屋ではないという反論が出そうだが、私はいまの図書館を存続させるために有料論は傾聴に値する気がしている(まだ読んでいないから分からないので)。
本が多すぎる。だから書店に並ぶ本は入れ替わりが激しく、店頭にずっと並べておくべき本も駄本も、流れ去るように入れ替わって眼前から消えてしまう。本屋でのときめきの出会いが減っているのもそのためだ。本屋が価値のある本のフィルターの役割の体を全くなしていないとき、図書館こそがその役割を担わなければならないし、現に担っているのだと思う。その図書館に新刊本のベストセラーをただで読む役割ばかりを要求していては、維持は困難だし出版業界にもマイナスだろう。
図書館こそ出会いの楽しみの場所というHiroshiさんの意見に賛同する。ただし、わたしはあくまで本屋派で、棚に本を並べるのが趣味の俗物である。
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ちょっとプレッシャーがかかります。 いずれ、その内にということで、、(汗)
でも、図書館有料論が生まれてきたのは先日の「不平等」という本の中で、
『教育を「投資」とみなすのは間違いで「消費財」だ』
ということで読書も「投資」ではなく「消費」だと考えたほうが実態に合うと気がついたからです。 これも本との出会いからの贈り物?(笑)
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投稿: Hiroshi | 2018年2月24日 (土) 13時52分
Hiroshi様
勝手なことを書いてしまい、申し訳ありませんでした。
確かに私も実感として読書は投資というよりも消費だと思います。
リターンを期待して読書をしているわけではありませんから。
投稿: OKCHAN | 2018年2月24日 (土) 15時57分