少数意見らしいが
力士としての貴乃花は素晴らしかった。力士は強くなければならない。勝たなければならない。彼が精進してあそこまでの成績を残したことを心から高く評価している。
マスコミの報じるところやインタビューを見ると貴乃花は親方としても高く評価されているようである。褒め言葉が多いのはそれなりの理由があるのだろう。
しかし今、私は貴乃花は嫌いである。いや、思えば昔から嫌いだったのかもしれない。きっかけはあの宮沢りえとの婚約破棄騒動である。正式に婚約していたのかどうかは分からない。しかし二人が結婚を約束していたらしいことまでは誰も否定する者がいないことから、確かなことに思われる。
宮沢りえの打ちひしがれたような様子と相反して、あの騒動のときの貴乃花の何ごともなかったような表情に、男らしくないとの思いを強く感じた。当事者二人とそれを取り巻く世界の人たちのさまざまな思惑が入り乱れての破局だったのであろうことは想像できるが、あのときの無表情と今の相撲界の騒動の中での彼の無表情がオーバーラップするのである。
力士はその役割からして無口でも無表情でもかまわない。しかし社会的な役割、つまり多くの人との関わりを持つ立場の親方として、必要なときに必要な言葉を発しなければ、役割を果たしているとはいえない。多くのマスコミは安価で長持ちするニュースネタとして報道を繰り返したが、貴乃花が語らなければ事態がさっぱり分からない。そのために多くの相撲通やら相撲界OBやらついには全く相撲になど興味のない人までが得々と貴乃花の代弁をしていた。
彼らもテレビの前では正論を語るしかないから、正義を基準に語ることになる。相撲界は固陋で因習にとらわれていて体質が古いから変えなければならない。暴力は断じてあってはならない。そのことを否定するものではないけれど、だから貴乃花の行動は正しい、と結論づけるのはどうも釈然としない。日本が悪いのだから自分は正しい、と言い張る韓国や中国とどう違うのか。
相撲の解説者としての彼の解説はあまりうまくない。聞いているひとに分かりやすく説明しようとしているようではない。アナウンサーが誘導してかろうじて解説になっているように聞こえる。もともと語るに巧みではないようだ。思いがあることは分かる。しかし彼は他人が自分の気持ちを忖度してくれることにずっと慣れて慣れすぎて、人を説得し自分の気持ちを訥弁でいいから伝えようという努力が見られない。相撲界がこれではいけないというなら、どういう姿を彼が思い描いているのか、だれか彼から直接聞いた人はあるのだろうか。
彼にはこれではいけないという思いがあっても、こうであるべきだ、という目指すものがそもそもないのではないかと私は思っている。中身がないから語れないのだ、と言うのはいいすぎか。
力士としての貴乃花から一歩も大人になっていないのに、周りがもてはやしているようにしか私には思えない。こんなことを貴乃花のファンが読めば怒るだろうなあ。でも私と同じように思っている人も本当はけっこういるように思う。
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コメント
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9人の弟子のうち関取が4名になったようなことをワイドショーで言ってました。
コーチとしての才能はあるようです。
公益法人の運営を素人集団ですることは無理なのでは?
投稿: けんこう館 | 2018年2月 6日 (火) 17時13分
けんこう館様
貴乃花親方が無能であるとは全く思っていません。
それなりに弟子たちに慕われ、同時に恐れられているのは、有能である証拠でしょう。
ただし、社会的な役割についてはあまり認識がたらないように思います。
法人としての相撲協会のプロとはどういうものか、私にはよく分かりません。
いろいろたたかれながら親方たちも少しは成長してくれるだろうと期待しています。
投稿: OKCHAN | 2018年2月 6日 (火) 19時29分