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2018年2月17日 (土)

豪雪と寒がり

 豪雪でしばしば名前の出る山形県の大蔵村は私の父の出身の村の隣村である。大蔵村の肘折温泉といえば地元では湯治場として有名で、私も何度か訪ねている。その肘折温泉から北上して峠を越えたところが父の生まれ育ったところ。もちろんそこも豪雪地帯で、むかしは陸の孤島だったという。

 そんな寒いところの生まれなのに、父は人一倍寒がりだった。寒冷地の人は部屋を暖かくして冬をやり過ごすから、却って寒がりになるのだろうか。冬、仕事で北海道を回ったとき、大きなストーブを中心に家族や近所の人が集まり、氷下魚(こまい)やするめをあぶったりお茶を飲んだりしていた。その部屋は25℃をかるく越えて暑いくらいで、中には半袖の人もいた。その部屋の隣の部屋ではミカンが凍っていた。冷蔵庫は凍らせないためにある、と地元の人は笑っていた。

 大蔵村の豪雪をテレビで見て父を思い、その雪の中で暮らしたのに寒がりだったことを思い出していた。その父のふるさとから古口という処が近い。古口は芭蕉が最上川くだりをしたところで、「五月雨を集めて早し最上川」の句はここで詠まれている。雪が溶けたらあの辺をまた訪ねてみたい。

 このブログはイッペイさんの「落写 落書」というブログの「つらら」から連想したことを書いた。

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コメント

私のつたないブログが出ていてびっくりしました
つららの話ですが 子どもの頃は学校帰りに屋根から下がっているつららでいろいろなことをして
遊んでいました チャンバラややり投げそしてあきたら つららをなめていました
昔のつららはきれいでした
OKCHANさんの中にもあるとおり昔はストーブのある部屋のほかは猛烈に寒かったです
ニシン漬なども凍て凍り付いたものを食べていました
でも 今はどの部屋も暖かく かえって野菜などを置く場所がなくて困っています
そんな甘ちゃんな生活にすっかり慣れてしまった自分がいます

イッペイ様
若いころ(もう四十年以上前ですが)岩見沢にもときどき行きました。
雪の多いところだということを実感しました。
寒冷地のつららは信じられないほど長くて大きなものでした。
九十九里育ちなので、米沢の大学に行くまでつららというのをほとんど見たことがありませんでしたので、びっくりしたものです。

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