明の滅亡前後について(4)
飢饉の訴え(2)
ことに不憫なのは、安塞県(上訴した役人の郷里)城西に冀城という処がありますが、そこでは毎日一人か二人の嬰児が捨てられているのです。泣き叫んでいるものもあります。その父母を呼んでいるものもあります。そこらの泥土を食っているのもあります。あくる朝になってみると、それらの捨て子はもう一人も生きているものはなく、その上にまた新しい子が捨てられているのであります。さらに不思議なのは、子どもたちや独り歩きの人々が、城外に出たが最後、そのまま行方不明になってしまうことです。その後、城門外の人々が人骨を薪の代わりにして焚き、人肉を煮て食っているのを見て、前に行方不明になった人々はみな彼らに食われたのだということが、初めて判明したのであります。
処で人を食った人々も、数日たつと目や顔が赤く腫れ、体内から高熱を発して死ぬのです。かくて死者はうち重なって臭気は天に満ち満ちています。県城の外に、それぞれ数百人を容れられるほどの穴をいくつか掘り、それに遺骸を埋めておりますが、臣が参りましたときには、すでに三つの穴を満たしてなお余りありました。さらに数里外の、まだ埋められていないのは、それこそどれだけあるか知れないのであります。
これがある地方のほんの一地区の話であり、これが陝西一帯、さらに全土にわたって同様の様相を呈していたのだ。米価が高騰するのは当然である。
(続く)
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