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2018年2月19日 (月)

聖徳太子、イエス・キリスト、景教、ミシカ

 梅原猛の本(『考える愉しさ 梅原猛対談集』)を読んでいたら、表題の言葉が続けて出て来てびっくりした。

 聖徳太子が厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれていたことは御承知であろう。片岡伝説というものがある。聖徳太子が片岡山で飢えた男を見て、それに衣服と食物を与えたが、その男は間もなく死んだので、そこに墓をつくって葬った。数日後、太子が人をやってみると、墓はもぬけのからで衣服だけが残っていた。それを太子が着用したので、後世の人々は、聖は聖を知る、と言ったという。このことは日本書紀や古事記に書かれていることである。

 ほとんど同じ意の文が『日本霊異記』にも掲載されていて、私はそちらで読んでいる。

 これがイエス復活の話に似ているというのである。イエス・キリストは厩で生まれていて、受胎告知がなされているが、聖徳太子の母にも同様の受胎告知の話が残されていることは『日本霊異記』にも記されている。

 時代が全く違うからイエス・キリストの生まれ変わりが聖徳太子だ、というのは無理があるが、どうしてこれほど似た話になるのか。実は景教という名でキリスト教が中国から日本に伝えられているのである。景教はネストリウス派のキリスト教で、後に異端とされている。有名な大秦景教流行中国碑(歴史で習ったはずである)という唐の時代の石碑が明の時代に発掘されている。

 そしてその景教の思想が空海によって日本に持ち込まれているという。空海の唐での師のひとりが大秦景教流行の碑の一部に関わっているという。

 その関連が面白そうなのでネットで調べてみると、ぞろぞろと怪説奇説が引き出されてきた。プリントアウト(数十頁になった)して読んでみているが、よくもここまでいろいろとこじつけたり関連づけたりできるものだと感心するものばかりだ。全くの荒唐無稽のものと、もしかしたら中には何か隠されたものの手がかりがあるのかもしれないと思うものもある。

 こうなると梅原猛の古代論とは離れすぎるのだが、梅原猛は怪説奇説を頭から否定せずに、なぜそのような伝説が生じたのか、その背景を考えるということで時代を読み解こうとする。だからときに暴走もするが、全く切り口の違う方向から時代に光を当てて仮説を提供し、固定観念を打破するから面白い。

本文から

 ところで景教の景の字は、大いなる日、日の大なるものという意味で、敦煌文書の中に景教の経典が二、三ありますが、それを読むと、われわれの考えるキリスト教とは相当に性格が違う。いわば自然崇拝的なキリスト教のように思う。光と闇の原理、光が闇を追い払うという光崇拝の原理が表面に出ていて、景教碑文を見ても、むしろ自然神的なエホバの神が強調されているんです。御承知のように景教は当時異端とされたんですが、その理由は、聖母マリアの崇拝を認めない、少なくともマリアを低くおいたかららしい。それは天なる神を重視するところから来るんですね。その天なる神を景教ではミシカというんですが、それがどこかで仏教のミロクともつながっていると思われる。ところが聖徳太子関係の寺には弥勒崇拝が大変多くて、むしろ弥勒崇拝は太子崇拝とともに出てきたような気がするんです。(後略)

 どうです。ミシカまで出てきました。ミシカといえば先日ファンタジー映画『ミシカ』シリーズを観たばかりではないか。

 これで表題の四大題目がすべて揃ったわけである。面白いなあ。

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コメント

レプリカではありませんが、その唐代の「大秦景教流行中国碑」の拓本を西南大学でみましたよ。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4504/trackback

Hiroshi様
石碑ですから拓本を取ることはできるでしょうね。
レプリカは高野山にあるそうです。
これは真言宗と景教の関連性を確認したアジア研究家の英国人、E・A・ゴードン夫人によって明治時代に建立されたものだといいます。
現存していて、そのとなりに夫人の墓もあるのだそうです。

面白いことに景教と新興のイスラーム勢力はお互い妥協しあうことで、それぞれの教えをユーラシア大陸を東に広げていく戦略をとったとか。その東の先に唐朝があるわけで、あの時代は本当に興味深いです。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4251/trackback

ところで、今月より日本でも日中合作映画「妖猫伝=空海」が封切られるとか、楽しみです。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5182/trackback
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5230/trackback

追伸:
アッバース朝で、ギリシャ、ペルシャのアラビア語訳が大々的に行われた時、その中心的や役割を演じたのが、この景教派だったそうですから、何となくありそうな話にも聞こえてきます。

Hiroshi様
7世紀末には長安に景教寺院がたくさんできていましたから、それが仏教と融合して日本に伝播し、聖徳太子伝説などに混入したということは十分あり得るというのが梅原猛の説で、面白いと思います。
またアマテラスという太陽崇拝と景教の光崇拝も関連があるかもしれないといいます。
実は出雲神話の神々よりもアマテラスはだいぶ後に作られた神だという説は、伊勢神宮が国家神道となった経緯から説明されていました。
そうなると古事記や日本書記の見方もずいぶん変わるかも知れません。
その作成の背後に藤原氏の力が働いていたというのが従来からの梅原猛の説です。

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