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2018年2月18日 (日)

『眩(くらら)~北斎の娘~』

 昨秋放映されたこのNHKの単発ドラマを録画しておきながら観そびれていたので、ようやく観た。葛飾北斎(長塚京三)と娘のお栄(宮崎あおい)の絵師としての葛藤の物語である。

 お栄(後に葛飾栄泉)が最期まで北斎を看取り、しかも絵師として北斎の片腕だったことはよく知られている。受け継がれた才能があったのだが、しかし父であり師である北斎の高みは際立っていた。そういう尊敬と劣等感が同居する存在が、歴史に名を残すような巨人の横に必ずいたはずである。『アマデウス』でのモーツアルトとサリエリの場合はもっと残酷だったけれど。

 天才葛飾北斎の自由気ままさが描かれると共に、お栄の心の揺らめきが我がことのようにこちらに伝わってくる。父を越えることは不可能である。その中で自分が何を生きがいとして見出すのか、そこからどんな宝物を掘り出すのか。

 眩をくららとは普通は読まない。彼女が発見したのは光と影である。レンブラントがその光の意味を誰よりも強く理解して絵を描いたように、お栄も光があるから影があることを真の意味で気付いた。光に眩み、影を見つけ、さらに影に浮かび上がる光を見つけたのである。

 技術的には劣っていても、北斎はお栄の陰影を意識したその絵に一目置いたのである。

 誰もが知っている光と影の意味を一段高いレベルで感得したとき、お栄は北斎のくびきから脱することが出来たのではないか。晩年のお栄の満ち足りた表情にそれが現れていたように思う。

 宮崎あおいはやはり名女優である。役柄から、ほとんど化粧らしい化粧をせずにいたと思うが、それでもその魅力はいっそうキラキラしていた。

 滝沢馬琴を野田秀樹が演じていた。北斎とは喧嘩別れをしていたが、中気(脳卒中)で倒れた北斎を真っ先に見舞い、寝たきりになることに甘んじようとする北斎を罵倒するシーンは圧巻であった。

 北斎の妻であり、お栄の母である小兎(こと)役を余貴美子が演じていた。彼女は夫や娘の絵師としての思考が全く理解できず、もちろん理解しようともしない。倒れた北斎の面倒を見ることに喜びを感じている姿が鬼気迫る。いい役者が揃って名作ドラマとなっている。

 観てからすぐに消去してしまったのだが、話をしたらどん姫に観たかったといわれた。もう一度再放送しないだろうか。そういえばNHKのオンデマンドで観ることが出来るはずだ。調べてみよう。

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コメント

おはようございます
先日は私のつまらないブログを見ていただきありがとうございます。
葛飾お栄さんはまたの名を応為とも言ったそうで、それは父である北斎が「お〜い」と仕切りに言っていた為、そのままペンネーム的なものになったそうですね。
だとしたら葛飾家は良い意味では大らかで、悪い意味ではズボラだったのでしょう・・・。
では、
shinzei拝

shinzei様
北斎は片付けたり掃除することが嫌いだったようです。
面倒なわけではなく、身の廻りにすべてが雑然と並んでいることが、画想が浮かんだらすぐ画き始められて楽だったのでしょう。
ずぼらといえばずぼらですが、集中力を大事にしていたのですね。
お栄の兄弟は何人かいますが、北斎に似た性格は彼女だけだったようです。
ドラマでも晩年のお栄を引き取った弟は武士となっていました。
ずぼらでは宮仕えは務まりません。

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