そう考えているからそう見えるのか
今回の江南の旅で、中国の監視カメラの多さを実感した。いままでそんなことを感じたことがないので、急増しているのだろうと思うが、もともと多かったことにお前が気がつかなかっただけだといわれれば、今回感じたことを言っているだけなので反論の仕様がない。
ヨーロッパ、とくにイギリスは中国よりも人口あたりにするとはるかに多いというご指摘をいただいた。統計数字上の事実なのであろう。知らなかった。想像だが、移民が増えれば犯罪も増えるという懸念からであろうか。本当のことは知らない。何らかの必要があるのだろう。
しかし監視カメラは監視するためのものであるから、台数が増えることは監視社会に向かっているということが確かなことのように思われる。そして中国がイギリスよりも台数が少ないから中国は必ずしも監視社会ではないなどと言うことも一概に言えるものでもない。そもそも中国の統計値そのものに疑念を示す専門家も多々あるのであるから、私としては実感としてとても監視カメラが多いなあ、と感じたということを報告しただけである。
そこから中国がさらにさらに監視社会になり、『1984年』のような世界に向かっているような気がしたのは私の思い込みかも知れないが、そういう思い込みがあるから監視カメラの増加をことさらに取りあげたわけではない。
人が自分の思い込みに都合の良い情報だけを取りあげてその思い込みを補強しようとするのはしばしばあることで、なかなかその輪から抜け出せないのは哀しいことである。
科学的にものごとを考えることでそのトートロジーから抜け出せるというけれど、科学的というのは再現性ということで、つまりは数学的ということだろう。数字を信頼する、統計を信頼するということを科学的というならば、まことに世の中はシンプルで分かりやすい。
しかし社会的なこと、人間の行動はしばしばそういう数学的なものとなじまないことは、人文科学を科学とは云わないのではないかという論に象徴されている。人文科学にはしばしば再現性がないのである。私は私の感覚をとりあえずまず優先的に位置づけし、しかしそうではないのだという話にも耳を傾ける用意がある。ただ、自分の実感よりもまず統計を信じるということはあまりない。
つまり私は科学的な人間ではないのであり、しばしば間違いも犯してきた。たぶんこれからも変わらないだろう。自分の感覚を大事にすることに変わりは無いのである。これは反知性主義なのだろうか?自分がそうだとはいままで気がつかなかった。
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直近の数字を記載しました。確かに中国の伸びはすごいです。
http://blue.ap.teacup.com/salsa2001/5307.html#comment
投稿: Hiroshi | 2018年3月28日 (水) 09時19分
Hiroshi様
今回のガイドも冗談めかしながら、迂闊なことが云いにくくなった、と笑っていましたから監視されている実感があるのではないかと思いました。
投稿: OKCHAN | 2018年3月28日 (水) 14時57分