映画『伊豆の踊子(1974)』
監督・西河克己、出演・山口百恵、三浦友和、佐藤友美、中山仁、一宮あつ子、石川さゆり他。
もうすぐ還暦を迎える妹が私にとってはまだ少女時代のままであるように、山口百恵は百恵ちゃんのままである。妹は学年が山口百恵と同じで、少女時代、多少似ていないことはないと思っていた。残念ながらそう思っていたのは私だけだけれど。
以前にも書いたけれど、この百恵ちゃんの『伊豆の踊子』が観たくて、しかし映画館の前には女の子ばかりが列んでいるので妹に一緒に行ってもらった。期待以上に好い映画であった。
先日、WOWOWで放映されたので本当に久しぶりに観たけれど、素直に好い映画だと再確認した。山口百恵の、媚びない少女の魅力はやはり彼女だけのものだと思う。そして三浦友和の整った顔立ちとさわやかさは別格で、これは誰もかなわない。二人の初々しさが物語とぴたりと重なって出来の好い映画になっている。
もう一つどうしても気になっていることがあった。この映画に石川さゆりがでているのである。そのことは最初に見たときから知っていた。病に伏せっていて、ついに死んでしまうのであるが、踊り子との関係が、友達であることのみ記憶していて今ひとつよく分からなくなっていた。
今回その設定が良く呑みこめた。たぶん知らずに映画を観ていたら、多くの人が石川さゆりだと気がつかないだろう。女郎屋の暗い物置のようなところに伏せって苦しげに眉をしかめているばかりであるから。そして彼女をようやく探し出して見舞うことが出来た踊り子は、そのあとに友達(石川さゆり)がはかなく死んでしまったことを知らない。
まだ世間というもののほんの入り口を知っただけの少女が、旅先で出会い、同行することになったさわやかな一高生にほのかな思慕を抱き、やがて別れるという物語は、まだ世間知らずの少女の素直な心のように思いの外明るいのである。しかしそのすぐ先にはどんな将来が控えているのかがさまざまな描写の中に暗示されている。そういう経験がやがて一つの灯火として踊り子を支えていくであろうことも暗示されている。
踊り子の兄役である中山仁、その妻の佐藤友美、その妻の母である一宮あつ子その他が踊り子たちの巡業の面々であるが、みな素晴らしい。とくに中山仁は、いろいろなものを呑み込んで鬱屈しているはずなのに、情に厚く筋の通った好漢を演じ、そこに悲しみをにじませて見せるなど、名演であった。
原作同様それほど深味のある物語ではないけれど、世の中は一皮めくればどういう仕組みになっているかを覗かせる、案外鋭い映画でもあったのだ。変に社会正義ぶった訴えが強調されていないことも好感が持てる。この映画を列んで観ていた少女たちにそれがどれほど理解され、記憶として残されているだろうか。無意識にでも残っていれば幸いである。
« タイヤ交換に行く | トップページ | 不器用な人 »
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- 『ソラリス』(2024.10.10)
- 『雷桜』(2024.10.09)
- 『Dr.パルナサスの鏡』(2024.10.08)
- 前回に続いて(2024.10.04)
- 『フック』(2024.10.04)
« タイヤ交換に行く | トップページ | 不器用な人 »
コメント