ITの普及と監視社会
録画していたNHKBSのドイツのドキュメント番組を観た。2017年に作成されたビッグデータと監視社会に関するもので、もちろん監視カメラの急増についても論じられている。
先日中国江南地区への小旅行で強く記憶に残ったのが監視カメラの多さであった。これは中国ばかりではなく、世界中で、そしてもちろん日本でも同じように急増しているし、その性能も格段に向上している。
このドキュメントで主に取りあげられていたのが、アメリカ・シカゴの予防的監視である。あらゆるビッグデータを関連させ、個人の交友関係や事件との関係などが網羅され、そこから抽出した評価に基づき、犯罪を起こしやすいと見做した人を特定し、本人に通告した上で監視を強化しているのだ。
問題はそのデータの抽出がITによって自動的に行われていることである。そもそもが白か黒かで判断するITと、ファジイな現実の人間とは一致しないことが起こりえる。一日あたり三人弱が殺されるというシカゴで、指定危険人物の400人の一人に認定された若者が、当局の通告に驚愕し、ぼやいている姿が描かれていた。
問題はそこに間違いがあっても訂正できないということだという。データは、つまり情報は変更できない(そもそもそういうものである)。全てが関連しているので、変更したらきりがないことになって収拾がつかないため、変更ができないことになっているようである。一度ブラックリストに載せられたら社会的に大きな制約を受けてしまう。
中国のIT化はめざましい。それは国家の要請でもある。ITによる統制や監視は共産党政府にとっては望ましいものだろうとは誰にも想像できることである。しかしそのIT化の利便性は中国の国民にひろく受け入れられている。それは昨年の雲南省のような地方でも感じられたことである。ほとんどの人がスマホを使いこなし、ほとんど現金を持たずに買い物をし、身分保障も、ときには罰金の支払いも、シェアサイクルもスマホ一つで出来るのである。
いまさらスマホのない世界に戻ることなど中国の人々には考えられないことであろう。こうしてあらゆる情報がスマホを通してビッグデータとして集積されていく。友人と「目をつけられたら過去に遡ってどこで何をしていたかほとんど時系列で明らかにされるだろうなあ」と話し合ったものである。もちろん監視カメラの映像も連動してのことである。いまは顔認証というシステムがあるから、特定されてたちまち映像が拾えるのだ。
ドキュメントではアメリカの例ではあるが、映像的に描かれていた。まるでドラマのようである。
そういえば中国ではファーウエイなどの中国製のスマホが圧倒的なシェアを誇り、サムスンなどはほぼ消滅しつつある。当然だろう。ビッグデータの取り入れ口に他国製の装置など使うことは望ましいことではない。サムスンの中国でのスマホの凋落はそのへんにも理由があるのではないか。アリペイもいまは国家の支配下にある。
ITを使いこなさないと社会的に生きにくい社会が到来している。日本ではまだまだその点が遅れているが、それは社会の生産性からいえばマイナスに違いない。違いないけれど、なんだかついて行けない気がしている。ついていかないままなんとか暮らしていければありがたいが、さてどうなのであろうか。


ITの普及による情報の多様化は、既存メディアのいいかげんさをあぶりだすことになりました。
今までタブーとされてたことの理不尽さも表に出るようになりました。
良い面・悪い面を観る目がますます重要になってきそうですね。
投稿: けんこう館 | 2018年4月12日 (木) 10時13分
けんこう館様
たぶん情報を上手く利用する者と情報に利用されてしまう者とに二極分化していくような気がします。
そこで起こるさまざまな問題点は、少しずつ改善されていくことと思いますが、対策が後手に回っているうちにどんなことが起きるのか、その弊害がある範囲に収まればよいのですが・・・。
犠牲になる人が少なからず生ずるのは、こういう新しいシステムの場合、回避不可能なのがこの世の常ですから。
投稿: OKCHAN | 2018年4月12日 (木) 13時14分
今日の日経web版にプラットフォーム全盛時代の危機が話題になっていました。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29294090S8A410C1EA2000/?nf=1
プラットフォームといえばBig dataの入り口、GAFAM+2の独壇場でしょう。GAFAMが自由を掲げるお国柄の国生まれで、皆少し安心しきっていたようですが、そんなことは少しもない。現実は+2と差別された(笑)某大国のプラットフォームと代わり映えしないことにいま気がついたのでは?
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5256/trackback
では、これからどのような「選択」を我々はしていくべきなのか? 権力による統制が必ずしも政治体制故だけに起こることだけのことでない以上、やはり効率と自由の妥協しか、道はないと思うのです。 そしてそのためには主義主張や感情で「直に反応」するのではなく、対応するための知識を積み重ね、それをもとに知恵を出すべきなのだろうと思います。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5045/trackback
投稿: Hiroshi | 2018年4月12日 (木) 14時37分
Hiroshi様
私の考えはけんこう館さんのコメントに答えたコメントに書きました。
まだあまり深く考えていませんし、ITのことにそれほど詳しくもありませんので、観念的なものです。
おっしゃるようにこれは体制によるものばかりではないと思います。
しかしITに無関係に生きることは不可能ではないでしょうが、困難でしょうね。
そもそもITに倫理を持ち込むことが可能なのかどうか、重要なポイントだと思います。
それが出来ないとなれば、もしかして未来はあまり幸福なものではないのかもしれません。
投稿: OKCHAN | 2018年4月12日 (木) 15時57分