囚われる
誰でもあることに囚われるとそのことしか考えられなくなってしまうことがある。囚われた外側のことが見えなくなるのである。そしてそこから自力では出られなくなっているのが精神疾患の人なのではないかなどと考えている。
では何に囚われているのか。結局は自分自身なのではないか。囚われている人は囚われることでとても苦しい思いをしている。他人のこと、自分の世界以外のこと、は見る余裕がなくなっている。それは多分に性格に関わる気がする。
人は自分が最も大事であって、その大事な自分が攻撃を受けていると思ったり、自分の価値が不当に貶めたりするとそのことに傷つく。その思いは自分に囚われやすい性格の人ほど強いのではないか。もちろん受けた傷がある限度を超えればもともとの囚われやすさとは関わらずに、その深い傷の記憶そのものが囚われやすさを生み出すことになるだろう。いわゆるトラウマである。
理由が明らかで囚われている人は、その理由を乗り越えることで傷を癒やすという積極的な治療と、安静、つまり刺激を極力与えないことで自己治癒力による治療を目指す消極的なものがあるようだ。積極的な治療は劇的な効果があるときもあるけれど、悪化の可能性も高く、リスクが大きいという。ときに傷をえぐってしまうからだろう。
しかし多くの精神疾患者はそういう原因が明らかではない。それは他人にとっては取るに足らない程度のことなのに、しかし本人にとっては大きな精神的ダメージがあったのではないか、として精神科の医師や心理療法士は見えない犯人捜しをしたりすることもある。
どちらにしても、話が戻るようだが、囚われやすい人が囚われる。そして囚われやすさとは多分に性格なのではないか。自分のことばかり考える性格の人がその自分自身に囚われるのではないか。では精神疾患とは何か、などと考えている。
たまたま知人に病の人がいて、そこから感じたことを書いた。性格がひとつの要因なら治療とは何か、などと思ったりしている。
現代はすべて病には器質的な理由があって、それを治療すれば治るまたは改善するとされており、実際にその対症療法である薬に高い効果があることは承知している。実際、重症の患者は向精神薬によって世界中で激減しているのである。それでも発症の根本原因が明らかになっているようではない。
性格も器質的なものから来るのだろうか。そしてこれから解析されていくのだろうか。精神の働きについてこれからなにが明らかにされていくのだろうか。見えないものを明らかにするのは困難で、山のように仮説が呈示されているが、それが次第に確固たるものになっているように見えない。素人で何も知らない私にはときに精神医学は砂上の楼閣に見えてしまうことがある。
無知による妄言を書いたかも知れない。苦しんでいる人、治療に努力されている人などに他意はないので、もし不快であれば申し訳ない。
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おはようございます
先日は私の下らない漫画論を見ていただきありがとうございます。
私自身抑うつ神経症で心療内科のドアを一ヶ月に一度叩いています。病院は嫌ですが仕方がありません。ところでうつ病はどうやらモノアミン仮説という原因があるようですが統合失調症に関してははっきりした原因は未だにわからないようです。ですから確かに向精神薬が効くそうですが、何が効くかはその人によって違うそうで、はっきり言ってしまえば”下手な鉄砲数撃ちゃ当たる”という状況だそうです。
私の周囲にもこうした精神疾患の人はいますが、それぞれ皆さん病が故の苦労をなさっているようです。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2018年4月24日 (火) 06時43分
shinzei様
よく知らないことなのに、自分が目にした少ない事例から勝手なことを書いていることは申し訳ないことだと思っていますが、自分が感じたのは「囚われる」ということでした。
そしてなにかに囚われるのは誰にもあることで、囚われると他のことが考えられなくなってしまうことは自分でも体験しています。
それが病的に苦痛で、しかも脱出できない状態になって社会生活が普通に営むことができないのが精神疾患の人だということのようです。
本人が一番苦しいのでしょうが、傍で他人事で見る人には理解できないことが多く、そのことが二重に苦痛なのでしょうね。
投稿: OKCHAN | 2018年4月24日 (火) 09時23分