« 養老孟司『半分生きて、半分死んでいる』(PHP新書) | トップページ | 二度手間 »

2018年4月 9日 (月)

畑尾一知『新聞社崩壊』(新潮新書)

Dsc_5824

 著者はもと朝日新聞販売局部長。新聞の衰退と劣化が論じられて久しいが、劣化についての評価はともかく、購読者の減少による衰退は統計的に間違いの無い事実であるようだ。この本はいままでの新聞に対する批判を目的としたものとは少々毛色が変わっていて、新聞社の経営に関わる統計数字と、そこから推定されるいままでの経緯、そして将来の予測を分析したものである。

 新聞の購読者数は継続的に、そして新聞社の経営にとって深刻な状態にまで減少している(近年はとくに朝日新聞の減少が顕著である)。新聞を読まずにネットニュースを見ることで情報を得る人が増えていることが理由として挙げられる。とくに若者は新聞を読まなくなっている。ところがいま新聞を購読しなくなっているのは若者ばかりではない。高齢者を除いて新聞離れは世代を問わず増えているのだ。

 著者はその理由として新聞代が高いことを挙げている。新聞代は大手三社(読売、朝日、毎日)が同時に値上げし、中小はそれに追随する。そこには独占禁止法は適用されないという日本独特のシステムがある。競争原理が働きにくいことにより、経営への厳しさがたらないのかも知れない。

 現代人は情報に多額の金を使っている。むかしよりはるかに多様になった情報入手先として新聞の位置づけをどう考えるのか。過去の体験からの視点だけで現実を見誤るとこの衰勢は止めようがないであろう。そんなことはとうに気がついているはずなのに、抜本的な対策が採られていないことは新聞の販売業者の現状に表れているのかも知れない。

 日本では新聞のほとんどが各戸配達による販売であり、店頭販売はごくわずかである。その販売店が危機に瀕しはじめている。しばしば暴露される押し紙、チラシ広告の減少、配達員の人手不足などが販売店の負担となっている。

 押し紙というのは、実際の購読者数と販売店に新聞社から送られる新聞の数の差のことである。千部を販売している販売店に千二百部が送られてくるなどと言うことが普通に行われている。この押し紙について裁判が行われた事例がこの本で取りあげられている。ところが販売店側が敗訴しているのである。押し紙は新聞社が自己の優位性にたっての強要であるとは認定されない事情が明らかにされている。

 著者による現在の大手新聞の分析では、読売、(意外なことに)朝日はまだ経営的には苦しくない。毎日、産経は利益率が極めて低い。しかしそう遠くない将来を現在の延長線上に推定していいのか、と著者は問う。情況は加速し激変するのだ。

 ではデジタル新聞に活路を見出せば良いのか。それについてはニューヨークタイムスなどの例が挙げられ、活路にはならないことを明らかにしている。

 最後に情報ソースとしての新聞の役割を著者なりにどう考えているのか語っている。情報の展示の仕方についての新聞の意味が、そして重要性があらためて感じられ、得心した。止めている新聞を再び取ろうかなと思ったくらいである。

 ラジオやテレビの出現により、新聞は一番先に情報を伝える方法ではなくなっている。すでに新聞の新は色あせている。新聞は消え去ることはないだろうが、衰退は劣化を招く。われわれが得る情報が劣化することにつながるかも知れない。何しろテレビやネットのニュースの情報元はしばしば新聞なのであるから。

« 養老孟司『半分生きて、半分死んでいる』(PHP新書) | トップページ | 二度手間 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

おはようございます
先日は私の拙いブログを見ていただきありがとうございます。
確かに新聞は”四面楚歌”状態で、存続はするでしょうがその価値はなくなっていくでしょう。
しかし、私が惜しいのは新聞というのは知的トレーニングには最適な媒体だという事実です。
何しろ隅から隅まで読めば新書2冊分(池上彰氏のご指摘です)の情報量ですから・・・。
かくいう私も新聞は見出しと、日曜の書評欄くらいしか真面目に読みませんが、新聞の価値とは?
と考えてしまいます。
では、
shinzei拝

shinzei様
新聞のニュースは新聞社の価値観による重要度の順に並べられています。
それが全て一度に一覧できる仕組みになっています。
しかも二度三度と読み直すことが出来ます。
その点こそがテレビやネット情報との違いであり、長所でもあります。
新聞の場合はニュースを垂れ流してあとは知らない、ということが出来ないメディアであるという点が読者にとっての利点でしょう。
それでもその長所を殺している新聞社もありますが。

新聞に限らず、一番酷い状況になっているのはTV業界など、マスコミ全体が今や斜陽だと考えています。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5292/trackback

それでもなお生き残るためには? と考えると残る道はそれほど多くないと思っています。
よいアイデアが浮かびませんが、1つの道は環球時報や産経がたどっている道であることは間違いないようで、、
ま、これは最悪のパターンだとは思いますが。

Hiroshi様
トランプ大統領にフェイクだ、と罵倒されるまでもなく、ものごとの価値観が歪んだ報道がなされているように見えます。
TV業界などは特にどのような人を対象に意見を表明しているのか、そもそもそんな対象など考えたこともないのか、彼らか想定しているのは愚かな大衆なのでしょう。
確かに愚かな大衆も居ますが、ものをきちんと考えている人もいるのだと彼らは認識しているのか疑わしい気がします。
そういいながらついTVをつけっぱなしで腹を立てているのですから、私も愚かな大衆の一人なのでしょう。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 養老孟司『半分生きて、半分死んでいる』(PHP新書) | トップページ | 二度手間 »

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 住まい・インテリア
  • 心と体
  • 携帯・デジカメ
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
無料ブログはココログ
フォト

ウェブページ