葉室麟『雨と詩人と落花と』(徳間書店)
九州・日田(天領)の漢学者・広瀬淡窓といえば当時(江戸後期)の知識人では知らぬ人がいないほどの著名人だった。体があまり丈夫ではなかったので遠出の旅ができず、ほとんど九州を出ていないけれど、全国から彼を慕って訪ねてくるので、交友の人脈はとても広かった。朱子学を修めながら、国学者のように硬直した思想を持たず、身分の違いなども意に介さず、誰にも温和に接したという。人格者だったのである。
この本はその広瀬淡窓の弟の、やはり儒者で漢詩人の広瀬旭荘とその妻・松子の物語である。淡窓と旭荘は兄弟ながら歳が25歳も離れており、旭荘は後に淡窓の開いた私塾、咸宜園(かんぎえん)を継ぐと共に養子になっている。広瀬旭荘は兄と違い、激情家で理非曲直や面子にこだわる。ときに妻に手を上げ、ために最初の妻は実家へ逃げ帰ってしまう。松子は二度目の妻である。
感情のコントロールが苦手な旭荘だったが、自らを偽ることのない男で、間違いは素直に認める。感情の量が人並み外れているためにあふれ出てしまうけれど、心根はやさしい男であることを松子はよく理解し、彼を支え続ける。
時代は変わりだしていた。幕末に向けての胎動が彼の運命を翻弄する。大塩平八郎、高野長英、緒方洪庵など、さまざまな人々が彼の眼前を去来する。緒方洪庵とは終生の友であった。
旭荘は漢詩人であるから、この本には漢詩がたくさん出てくる。中国の著名な詩もあるし、淡窓の詩や、旭荘自らの詩が紹介されている。私は詩に疎いけれど、漢詩のリズムは好きである。もう少しその詩想に感応できればどれほど心を打つことだろうと思うけれど、不勉強と無能力は悔いてもどうしようもない。それでも幾分かは感じるものもある。
題名の『雨と詩人と落花と』は、旭荘の詩の中の一節である。そしてその詩こそ松子の胸の中の旭荘の心根を思わせるものでもあった。詩を通して心を伝え合う、それはそれなりの素養が必要なことであり、明治の初めまでは知識人にとって当たり前のことであった。それ以前とそれ以後では日本人が全く違う日本人になってしまった、というのはたしか山本夏彦がどこかに書いていたと思うが、こころからその通りだと思う。
漢詩と夫婦愛と、その二つがテーマのこの本は葉室麟の一つの到達点だと帯にあるけれど、そうかも知れない。闘争的フェミニストならこんな男は極悪人としか見ないかも知れないが、これは夫婦愛の一つのかたちであり、松子が自分の生涯をしあわせだと感じることができたことを素直に認めたいと思う。ものごとを現代の価値観で見るのは主義者の悪い癖である。
明治維新と戦後の占領で日本人は相当変わったかもしれません。
国会の中と外の騒ぎ方を見てると日本人のイメージが崩れます。
投稿: けんこう館 | 2018年4月18日 (水) 10時51分
けんこう館様
日本人が変わったのか、ある時期だけ変調を来したのか、いろいろな見方があるようです。
司馬遼太郎は日露戦争に勝ってから終戦までのあいだが日本が本来の日本ではない異常な時代だったと捉えています。
私は明治維新以後に日本人の矜持というものが見失われてしまい、いまもそのままだと感じています。
それは組織のリーダー達がさまざまのことの責任をとらないで済まそうとする姿勢に現れていると思っています。
エリートたちにいさぎよさというものがなくなってしまい、見苦しい姿をさらしているように見えます。
責任を引き受けるのがリーダーの役割だという当たり前のことが忘れられているようです。
投稿: OKCHAN | 2018年4月18日 (水) 14時56分
変わったにしろ、変わらないにしろ今の日本人が本来の姿。「かつての日本人」など幻想というのが私の立場。
もし、問題があれば今の現状から変わるしかない。無いものねだりはすべきでないでしょう。
投稿: | 2018年4月18日 (水) 15時16分
Hiroshi様
過去は幻想ではありません。
ある時代や現代に問題があると感じ、変わるべきモデルとして「かつての日本人」を考えることは少しもおかしなことではないと思います。
いまの日本人はかつての日本人に戻れ、などという暴論を言っているわけではないつもりです。
そもそもそんなことは不可能です。
それとも「日本人」という日本人はいない、それは幻想だ、という意味でおっしゃっているのでしょうか。
そういう見方であれば、こういう話を全てを混ぜ返すことはできますが、それならこういう論は成り立ちません。
Hiroshiさんがこういうことを考えるのは無意味だと考えておられるらしいことは了解しました。
投稿: OKCHAN | 2018年4月18日 (水) 15時42分
『「日本人」という日本人はいない』などいうつもりはありません。それならおっしゃる通り、議論は成り立たないでしょう。また『無意味だ』という意味でもありません。それどころか。
<戦後日本を否定することは軍人210万人、民間人80万人とも言われる同胞300万人の犠牲の上に成り立った戦後日本を否定すること> だからです。
その中には未だに故国に帰ることなく中国大陸やフィリッピン、ビルマの草場の陰に埋まっている方々が沢山います。
さらに「日本を取り戻す」とか「Make America Great Again」とか、あるいは「中国梦= 中華民族の偉大なる復興」というプロパガンダの裏に潜む危険性を感じるからです。
投稿: Hiroshi | 2018年4月18日 (水) 21時13分
Hiroshi様
戦後日本を否定することは・・・と反論されてまことに心外な思いをしました。
私が戦後日本を否定したとどうして受け取られたのか理解できません。
全面的な肯定でなければ否定である、と判断するというのはHiroshiさんらしくないですね。
私が太平洋戦争時代を賛美しているから戦後日本を否定するのだ、とでも思われたのでしょうか。
誤解にしてもはなはだしいですね。
私は、日本人はある時代からおおきく変わったのではないかと申し上げただけです。
そしてそのことの中にあの太平洋戦争に至る妄想患者の暴走のような時代の原因がありはしないか、と考える者です。
そしてその原因は敗戦後も取り除かれていないのではないかと考える者です。
わたしは「日本を取り戻す」以下、の類が最も嫌いな人間であるつもりが、それと同類と見做されたらしいことにまことに哀しい思いをしています。
投稿: OKCHAN | 2018年4月19日 (木) 04時04分