繰り返し読めば分かるようになるか?
読書百遍、意自ずから通ず、という。解らない文章でも百回読めば解るようになるのだろうか。解らない文章を百回読んだことがないから、本当に解るようになるかどうか私には分からない。
そのことに関連しているかどうか分からないが、最近読んだことのある本の読み直しを楽しんでいる。どうして楽しいかといえば、以前読んだときに分からなかったことが読み直すと分かったりするからである。それは繰り返し読んだから分かるようになったというよりも、読み直しまでの長い年月の間にさまざまな本を読んだことで、理解するための手がかりが増えているからだと思う。
本をたくさん読むことの意味はそこにあるのかも知れない。ザル頭が読んだとはいえ多少はなにかが残っているもので、それぞれが頭の中で次第に関連して、やがて見えなかったもの、分からなかったものがすこしだけ見えたり分かったりする。
それを積み重ねていけば、お粗末な私の理解力も多少は向上していくのだと思いたい。
しかしそうやって棚にある本をとっかえひっかえ再読していると、目の前に積み上げられたまだ未読の本が少しも消化されないことになってしまう。そのへんの加減がまことに難しい。無限に時間があるわけではない。逆に残り時間は歴然と少なくなっているのである。しかも脳力の方は次第に劣化している。
いまはただ若いときに浪費した自分の時間をもったいないことだったなあ、などと思い返しているが、取り返しはつかないのだ。これからを大事にするしかないのである。
そういえば少し前にHiroshiさんのブログに『中国農民調査』という本の名前が出てきた。懐かしい。中国で出版され、話題になり、ベストセラーになってマスコミにも取りあげられたのに突然発禁処分となった本である。
翻訳されて間もない頃、私も手に入れてわけも分からずに流し読みしたまま棚に飾ってある。久しぶりに手にして読み始めたら面白い。どうして丁寧に読まなかったのだろう。現代の中国の農村問題の理解にはとても有用な本で、それはひいてはいまの中国そのものを知るための一つの手がかりでもある。ネットニュースを山ほど読むよりずっとものを考える材料にあふれている。ああ、時間と集中力が欲しい。両方足らないのが哀しい。
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