『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版Ⅱ』(朝日新聞社)
月刊誌の体裁の本であり、本文は主に三段に組まれている。300頁あまりだが、内容も濃いので読みでがある。過去に読んだ司馬遼太郎の歴史随筆や対談が念頭にあるから、読んだことのある話も多いけれど、彼の世界観の一端をあらためて知ることで、考えることも多かった。
「昭和になってからの官僚、軍人で国家に責任を持った者はほとんどいません。愛国、愛国といいながら、結局は自分の出世だけでした」
こんな言葉を読み、いまの官僚達の体たらくを見れば、深く頷かざるを得ない。
これは以下の言葉に続いて語られたものである。
「十九世紀になってイギリスやフランスは中国を知るようになり、その官僚制度にほれぼれしてしまいます。秀才を登用する制度だと評価を受けた。すばらしい文明だということで、イギリスもフランスもそれなりにまねしている。そして日本もまねてしまいます。しかもなぜかストレートにまねてしまいました。
あれほど科挙の弊害から免れてきていた(*)のですが、明治になって高等文官試験ができ、戦後は国家公務員上級職試験ですか、これは科挙ですね。
海軍、陸軍大学校も科挙の試験ですね。受かった人が順調に偉くなって、大将になる。成績が悪くても少将くらいにはなれる。そうして東条英機になれる。
薩長藩閥がそろそろ寿命がきたころに、試験制度の官僚制をつくった。そして自分たちの後継者をつくった。中国的なマンダリン(大官)ができあがり、彼らが国家をメチャクチャにしてしまいました。」
このあとに冒頭の言葉が続く。
彼が科挙になぞらえる制度は、戦前も戦後もそしていまもあまり変わっていないと言うのだ。では何をどうしたらいいというのか、それを考えるために歴史を繙くことが必要なのだということだろう。まずどうしてこうなったのかを知るために。
*中国から受け入れなかったもの、宦官、纏足、科挙。
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コメント
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>中国から受け入れなかったもの、宦官、纏足、科挙。
「宦官」が北方騎馬民族の風習と深く関係しているという指摘をある人が述べていましたが、纏足も家畜を自由に支配するのに便利な遊牧民族の知恵に由来するのかもしれません。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2979/trackback
「科挙」も優秀なリーダーを選び出さないと遊牧民族は生き延びられないことを以前、「いーちんたん」さんが、何処かで述べられていました。
https://blog.goo.ne.jp/yichintang
日本が深く影響を受けたのは長江・農耕文明で、それがこれらを受け入れなかった理由とも考えられますが、どうでしょう?
投稿: Hiroshi | 2018年4月30日 (月) 11時38分
Hiroshi様
日本人が牧畜ではなく、農耕を主体にして暮らしてきた文化だから、それらを受け入れなかったというのはよく言われることですね。
特に、去勢はイスラム世界でも一般に行われていましたし、ヨーロッパでも普通に行われていたらしいですから、確かにそうなのでしょう。
日本は馬を去勢することがなかったので、けっこう小型の馬でも荒っぽかったそうです。
日本も去勢についての知識が無かったとは思えませんから、意識して受け入れなかったと思われます。
科挙については、日本でも下層階級から重職に登用することはしばしば行われたことですから、科挙的な思想かと思っていたのです。
それが全く違うというのが司馬遼太郎の指摘で、意外な気がして特にブログで取りあげました。
私はなるほど、と思いました。
投稿: OKCHAN | 2018年4月30日 (月) 12時19分