誰に対する批判か
人はしばしば同じことを全く違う受け取り方をする。それはどちらが正しい、となかなか簡単にいえるものではない。ときには全く違う意見に耳を傾けることで自分の考えが鍛え直されることもある。それぞれにどうしてそう考えるに至ったか、その人なりの生き方の中に理由があり、正しいか正しくないかとは別に、その違いに面白さが感じられることもある。
だから何が嫌いだといって判断を「白か黒か」に単純化する手合いだ。いわゆるレッテル貼りをする人々である。しばしば人はその方が楽だからそうなるし、自分もそうなりかけることもあるけれど、自制するように心がけているつもりだ。
ブログにいただくコメントも短い言葉で書き込むからどうしてもその傾向が出やすい。そのとき批判に対する単なる反論にならないように注意して返事を書いている。しかしあまりに自分が書いていることと違う意味のコメントをいただくとそれに対する返事は感情的な文章になってしまう。読み返してみて、まずいと思って書き直すことが多い。ときには二度も三度も書き直している。
以前も書いたけれど、私のブログは延々と続く私自身の自己紹介である。匿名で自己紹介というのはおかしな話だけれど、何しろ迷惑メールや迷惑コメントの類が少なくないので防衛のためである。友人知人はもちろん私のブログであることは承知している。友人の中には、いつも会っていたときよりも私の近況が良く分かるし、考えも分かるね、と言ってくれる人もいる。
とはいえ、その自己紹介を読んでいるのに、あり得ない受け取り方をされればそれなりに反論するのは当然である。
「…弁解をすれば、そのサイトにはいろいろな人の書き込みがあり、それに対する反論がblog主への反論(反論というより批判だろうか?by OKCHAN)ととられる場合がこれまでもあったのだが、」
私の反論に対しての説明だろうか、そのコメントを書いた方が自分のブログに書き込んでいた文章だ。
私のブログに書き込まれたコメントを私のブログに対するものと見做すのは当然であって、他の方のコメントについての批判であればその旨明記していただきたいものだ。誤解されたと感じることは、精神的に苦痛である。自分はその程度にしか受け取られない文章を書いているのか、と自己嫌悪におちいるのだ。ブログをやめたくなるほどである。
「弁解をすれば」という言葉にいささかの救いはあるけれど。
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ブログを書く人は孤独な人が多いといわれています。
コメントを書いて頂くのを常にとは言わずとも、それを期待している部分もあるでしょう。
本当に自己紹介だけなら、コメント欄を削除すれば良いのではないだろうか?
コメントは入れて欲しい、けれど自分の考えを誤解されたと感じる批判や反論が苦痛
だとは如何なものか?
投稿: サトウ | 2018年4月21日 (土) 11時59分
サトウ様
なるほど、おっしゃるとおりですね。
コメントをいただくことはありがたいことですし期待もしていますから、よほどのことでなければコメントを削除しようとは思いません。
コメントとのやりとりもある意味で自己紹介かも知れないと思っていますから。
その枠を越えたものは削除するかも知れませんね。
「誤解されたと感じる批判や反論が苦痛だとは如何なものか?」ということですが、苦痛に感じたからそう申し上げただけで、誤解されたら苦痛はともかく面白くないのが普通だと思いますけれど。
投稿: OKCHAN | 2018年4月21日 (土) 12時44分
OKCHAN様の誤解される原因は、言葉をすり替え、悪く言えば揚げ足をとることです。
コメントのやりとりも自己紹介だとは恐れいりました。
自己主張なのでは。
ブログは時として本人の意図とかけ離れ、炎上する事もあります。
何故誤解を生じたのか、そこを考えない限り、解決はされないでしょう。
時として、ちょっと背伸びしてる感あり。
投稿: サトウ | 2018年4月23日 (月) 11時43分
サトウ様
どう受け取るかは人それぞれでしょうから、これまでとします。
言葉尻を捉えて論じていてはいけないことを教えていただき、ありがとうございました。
こころすることにしましょう。
投稿: OKCHAN | 2018年4月23日 (月) 12時07分