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2018年5月

2018年5月31日 (木)

五木寛之『マサカの時代』(新潮新書)

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 五木寛之は1932年生まれ、いま85歳。『さらばモスクワ愚連隊』や『蒼ざめた馬を見よ』、『青年は荒野をめざす』が雑誌に掲載されたものをリアルタイムで読んで影響を受けた身としては、彼の年齢を知り、もうそれだけ時間が経過したのだと実感する。思えば彼も戦中派である。

 彼の小説は『青春の門』以来ほとんど読むことがなくなったけれど、エッセイなどはときどき読んでいるし、『仏教の旅』や『百寺巡礼』などのテレビ番組も観て、相変わらずダンディだなあと思っていた。

 最近のエッセイによればさすがに体力の衰えを自覚しているようだが、かといっていままでの彼独自の、一般の人から見れば不健康に見える生活態度をあらためるつもりはさらさら無いようだ。老いを静かに受け止めながら淡々と生きていて、まことにダンディなのである。

 相変わらずのことが書かれているので、中身はあまり濃いとはいえないが、この本で五木寛之がかなりのユーモリストであることを感じた。思わずほほえんだり、ほんの少し声を出して笑うことまであった。私にしては珍しい。達観した乾いたユーモアは楽しくて気持ちが良いものだ。

 マサカと思うことに遭遇する頻度が増えているという指摘は言われるまでもない実感だが、それを被害者意識ではなく、どう受け取るのか。そのことを考えるきっかけになるかも知れない。諦念とは違う、矜持を持ちながらの受け入れ方は、自分の生きる姿勢そのものだろう。世の中の歪みが多少我慢しにくくなっている気分のときに、こういう本を読むのもいいかも知れない。

追い詰める

 自分は怠け者だと自覚をしている。言い訳としていうのではない。怠け者とは、しなければならないと分かっているのにしないことかと思う。しなければならないことはたいてい面倒でわずらわしい。怠け者はやる前につい考える。考えると煩わしさが想像でさらに膨らんでしまう。やらなければならないことをルーティン化すると良いというのは考えないためだろう。

 実際に取りかかると、考えていたほどのこともなく苦もなくこなせることがほとんどだ。本当に逃げ出したいほどつらいことは人生にそれほど頻繁にあるわけではない。ところがそういうことはまとまってやってくる。逃げ出したいようなことが重なると泣きたくなるが、泣いたところで片付くわけではない。

 逃げ出さないで立ち向かうには自分を追い込むしかない。他人に公言して退路を断ったりする。ものが片付いたあとのことを想像してエネルギーにするのも多少は役に立つ。成功を夢見て励みにするわけである。そして乗り越えたときには多少はレベルも上がっているものだ。

 怠け者の私でも、上手に自分を追い込めたときはほとんどうまくいく。仕事の役割で上司になったとき、ほとんどというか、全く自分を追い込まない人間に出遭ったことがある。本当の怠け者である。自分が怠け者だという自覚があるのかないのか。私にはないとしか思えない。

 自分を追い込めない人間にきちんと仕事をしてもらうためには本人の代わりにこちらが彼を追い込まないとならない。怠け者の私にはそれもわずらわしいことだが、それが私の仕事でもある。それでうまくいくことも多いが、それでも動かない者もいた。ついには彼を追い詰めた。追い込むのと追い詰めるのとは似ているが違う。

 追い込むのは自覚を促すためだが、追い詰めるのは逃げ場を失わせることである。逃げ場を失わせることはしたくない。自分が逃げ場を失うようなことになったら私は反撃する。自分の矜持に関わることだからである。だれでもそうだろう。

 しかし追い詰めてもどうにもならない者も当然いて、それはそもそもその仕事が本人に向いていないと判断するしかない。面白いことに苦し紛れに見え見えのウソをついたりする。

 今回の日大アメフト部の問題を見て、追い込むことと追い詰めることの違いが監督やコーチには分かっていなかったのかなあ、と勝手に感じたりしていた。彼らは選手を鼓舞するために追い込んだと言い張ったが、追い込むべきときに、明らかに追い詰めたのである。そのことが自覚できない指導者というのもお粗末だなあと思う。いろいろ論評する人にもその区別がついていない人がいて、そういう人が上司だったら部下はつらいだろうなあと同情する。

「試合に出場させない」とか「やめてしまえ」というのは鼓舞するための追い込むことばではなく、追い詰めることばだと誰にでも分かりそうなものである。

 やらなければいけないなあ、と思っていることは山ほどある。怠け者の私を上手に追い込むための方策を考えなければならないなあなどと机の前でボンヤリ怠けている。

2018年5月30日 (水)

森博嗣『集中力はいらない』(SB新書)

 私はむかしから人生の要諦はコンセントレイションだと考えてきた。集中力こそ私がさまざまな困難を乗り越えるときに私を助けたものである。私はそれほど能力が無いのを自覚している。繰り返しそれを思い知らされ続けたからだ。しかしそれでも人生にはそのときの自分の能力を超えた課題をクリアしなければならないことはある。そのときに火事場の馬鹿力のように私を助けたのは集中力だ。

 そしてその集中力を常に意識しているからこそたぶん人よりも集中力があると自負もしている。ただし集中しているときはエネルギーもたくさん使うからあまり持続させることができない。疲れるのである。集中が持続する人はよい仕事をするし、その結果としてさらに高いレベルに自分を引き揚げることもできると私は考えている。だから歳とともにこのごろその集中力が落ちていることを感じると、とても哀しいのである。

 そんな私が書店の店頭でこの本を見つけたのである。「なにっ!」と思うわけである。そのときこの本を無視しないところが物好きといえばいえるか。森博嗣といえば推理作家として知っている。息子が一時期よく読んでいて、「読む?」と聞かれたけれど、どの本もみな分厚いので断った。息子が読むくらいだから面白いに違いないのだけれど、下手にはまったら他の本が読めなくなる。同様に手を出すのを控えているのは東野圭吾だ。

 略歴などを見ると、森博嗣は愛知県生まれの工学系の大学の先生が本業だったらしいが、途中で作家が本業になり、著作も驚くほど多い。一日一時間執筆し、二週間程度で本を一冊書き上げるのだそうだ。内田樹老師と同様、地頭(じあたま)が良いのだろう。うらやましいことである。それなのに「集中力はいらない」とはなんたることか。集中しないでそんなことが出来るはずはなかろう、と思うではないか。


「とらわれ」、「こだわり」は内田樹老師のいう武道の「居付き」である。頭や体の働きを著しく損なってしまう。そのことは現実世界を見ていればよく分かる。なにかにこだわっている人、なにかにとらわれている人の硬直した言動は自分ばかりではなく、社会すら損なうことが多い。ある野党の人の顔がいくつか浮かんだが、これは私の考え方によるものだから置くとして、「とらわれ」「こだわり」は私の嫌うところであり、知的な人ほどそのことをよく知っている。知的であるかどうかを測るときにこのことを基準にしていい。

 前置きが長すぎたが、つまりこの本の「集中力はいらない」ということばはそのような「とらわれ」「こだわり」は頭の働きを阻害するだけであると云うことが言いたいのだと私は受け取った。同時に著者は集中力が特段優れているからそもそも集中しようと思わずにひとりでにそれが出来ている人なのだと思った。だから執筆も10分くらいしか続かず、こま切れで一日合わせて一時間しかできないという。それはそれだけ集中すれば疲れるだろう。とはいえ10分で少なくとも原稿用紙数枚を書くというのだから集中していないわけがなかろうと私などは考えるのである。

 ものを考えるとき、さまざまのなことを並行して考える方が、ひとつのことだけ考えるより答えを導き出せることはしばしば経験することである。それを著者は分散思考とよぶ。私は本がたくさん読めるときは数冊同時並行して読んでいる。エンターテインメントなら一冊を一気に読むこともあるが、たいてい並行して何冊も読み、飽きたら別の本を読んでいると、結局ずいぶんたくさん読んでいる。そして全く関係ない分野の本同士が不思議に関連して共鳴したりするときの快感はめったにないことながら至福のときでもある。

 そういうこともあるから、あるひとつに集中しないこと、集中を最高に大事なことと言い立てる「集中力信仰」に反論したいという著者の言い分は了解する。しかし、帯にあるような「だらだらするからうまくいく!」という経験は私にはあまり覚えがない。やはり「集中力はいる」と私は言い続けるだろう。

言わないけれど言っている

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 ネットニュースを眺めていたら今回の日大アメフト部の関連の記事の中に、「オレはそんなことは言っていないおじさん」という言葉があった。監督コーチのことだけを言っているのではない。われわれの身の廻りにごく普通に、そういう「オレはそんなこと言っていないおじさん」がいるよ、という話である。思い当たる人が頭に浮かぶ人は多いと思う。

 このことは単に人の性格によるもののように軽く受け止めがちであるけれど、はたしてそうか?と疑念を抱き、日本人の社会的特質に起因するのではないか、と論じたのが私の敬愛する評論家・山本七平の『「空気」の研究』という本だ。

 社会的にはよろしくないことであるが、この事態であればそれを逸脱することもやむを得ないという「空気」のもとに、上司がそれをことばにせずに部下に強要するという図式は太平洋戦争時代の常套手段のようなものだったと山本七平師は言う。責任を問われると、「オレはそんなことは言っていない、そんな命令をしていない」という。ことばに出さず、正式書面もないのが普通らしいから、それこそ部下の勝手な解釈によるもので、上司の考えと乖離があったという言い訳がかたちの上では成立する。

 このことが日本の組織の、結果の責任をとらない責任者をのさばらせ続けることにつながり、しかもそれは連綿と日本社会に生き続けていることが、「オレはそんなことは言っていないおじさん」の横行蔓延につながっているのではないか。だから今回の日大の監督以下の言い訳こそ日本式の「空気」による指示の典型なのだとみな分かっているのである。ところが「オレはそんなこと言っていないおじさん」は相変わらずずっとそうやって正しい言い訳をしながら人生を全うするだろう。誰も自分の話だなどと思わないのである。

「お前がそうだ」と言われたおじさんは信じられないことを言われてびっくりするだろうが、日本ではよほどのことがなければそんなこと言われないのである。だから世の中はこれからもずっと変わらないだろう。

2018年5月29日 (火)

前回ブログに関連して

 前回『ある海辺の詩人 小さなヴェニスで』という映画の話を書いた。この映画のなかで「詩人」と呼ばれる老人ベーピが自分はもともとユーゴスラビアの生まれだと語る。その中で、「チトーが死んで国はばらばらになり、ユーゴスラビアなどという国はなくなっちまったがな」と言う。

  ここで思い出したのが『ネレトバの戦い』という映画である。ユーゴスラビアのパルチザンが、寡兵よくナチス軍と戦った史実を一代叙事詩にした映画である。クルト・ユルゲンス、ハーディ・クリューガー、フランコ・ネロ、ユル・ブリンナーなど数多くの名優が参加した。

 ある意味で陰鬱で重い映画なのだが、私の戦争映画ベスト1である。多民族国家をチトーというカリスマがまとめ上げて闘い、新生ユーゴスラビアという国を作り上げた。そしてチトーの死後、国は血で血を洗う戦いのあと四分五裂した。

 詩人ベーピのことばには、いまは亡き祖国に対するさまざまな思いが込められている。そのことを知った上で彼のことばを受け取れるのは『ネレトバの戦い』という傑作映画を観たからだということをあらためて感じた次第である。

『ネレトバの戦い』は学生時代になけなしの金で映画館に三度も通って観た思い出の映画なのだが、残念なことにビデオもDVDも入手できなかったし、WOWOWでの放映もないので、思い出の中にしかその映像はない。シルバ・コシナというクロアチア(思えばここも旧ユーゴスラビアである)生まれの女優が扮した女性兵士の最期の突撃の喊声が耳に残っていて忘れられない。

映画『ある海辺の詩人 小さなヴェニスで』2011年イタリア・フランス

 監督アンドレア・セグレ、出演チャオ・タオ、ラデ・シェルベッジオ他。

 イタリア北部の港町、小さなヴェニスといわれるキエッジャが舞台だが、主人公は中国の女性シュン・リー(チャオ・タオ)である。彼女は故郷に六歳の息子を残してイタリアに出稼ぎに来ている。息子は自分の父親に預けているのだが、もちろん彼女はいつもその息子のことを気にかけている。出稼ぎにやってくるときに借金があり、その借金を払いきらなければ息子を呼び寄せることもかなわない。

 縫製工場で働いていた彼女は、ボスの指示でキオッジャの小さな飲み屋で働くように指示される。そこは中高年の男達のたまり場で、やさしい男もいれば中国人に偏見を持つものもいる。かろうじてイタリア語で会話ができるだけの彼女は戸惑うことばかりだったが、アパートの同じ部屋に住む寡黙な女性とみんなから「詩人」と呼ばれる老人ベーピ(ラデ・シェルベッジア)だけが孤独な彼女をやさしく見守ってくれている。

 次第にキオッジャを自分の居場所として感じ始めた彼女は「詩人」と言葉を交わすようになる。彼も生まれはユーゴスラビア生まれのスラブ人で異国からこの町に来た男であるが、長く暮らしているので自分の居場所もあるし、遠浅の沖合に網小屋を持っている。身体が衰えての独り暮らしを心配して、離れた街に住む息子は一緒に暮らすように彼に声をかけ続けているが、彼は港を離れるつもりがない。

 孤独な魂がふれあう。淡々としたふたりの会話はふたりの孤独の慰めである。ところが田舎のことでもあり、そのふたりの仲が町中の噂になる。彼女はボスからベーピとつき合うならいままで返済された借金はなかったことにしてはじめに戻す、と脅される。これでは息子を呼び寄せることは永遠にかなわない。

 彼女はベーピが話しかけても無視せざるを得ない。さらにつまらない嫌がらせのことばが浴びせかけられる。我慢していたベーピが噂の火元である男に激昂する。その場はおさまったかに見えたが、店の外でその男に不意打ちを食い、ベーピは怪我をする。しかし彼女は彼を助けに行けない。

 間もなく彼女はその飲み屋をやめさせられて元の縫製工場で働くことになる。ある日彼女は驚く。彼女の借金は完済されたと告げられたのだ。しかも息子を呼び寄せることもできることになる。

 彼女はようやく取れた休みの日にキオッジャにやってくる。そこで彼女が知ったことはなんだったのか、そして彼女がとった行動はなにか。静かな映画で心に沁みる映画だ。これも記憶に長く残るだろう。たぶんこの映画を観る機会のある人は少ないと思うので少し詳しく書いた。

 主演のチャオ・タオは美人というタイプではないが微妙な表情に内面の感情を表すことの巧みな俳優だ。姿は似ていないが、なんとなく余貴美子に雰囲気が似ている。歯を見せずにほほえむ女性の品の良さ、やさしさと強さを感じた。歯を見せて美しく笑う女性が嫌いというわけではない。作り笑い、計算づくの笑いが嫌いなだけだ。

2018年5月28日 (月)

曽野綾子『夫の後始末』(講談社)

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 人はどうしていいか分からないことにしばしば直面する。こうすればこうなるだろうという自らの経験や、こういう場合にはこうするとこうなり、こうしないとこうなってしまうという見聞きした知見があることなら、それを思い出せば対処法もある選択肢から選べば良いという安心感がある。それすら知らないからうろたえるというのは大人ではない。

 ある程度の知見を持ち合わせ、想像力を働かせることが出来れば乗り切れることは多いものである。賢い人は想像力をめいっぱい働かせて、不測の事態は必ずあるものだと覚悟してそれに備える。それは人生に対して臆病ということではなく、よく生きるための当たり前の備えであろう。

 曽野綾子はそういう意味でさまざまの経験を活かし(なにしろ普通の人が経験できないような経験をあえて山のようにしていることは御承知の通りである)、想像力も人一倍働かせて生きている人だと思う。さいわいその生き方を文章にしてくれているからそれを参考にすることが出来る。彼女の経験は多少は私の記憶に残り、それは私の選択肢を選ぶときの参考にできるのである。

 老いと死は人間に必ずやってくるもので、彼女もそれを覚悟しそれに備えていた。それは夫の三浦朱門が倒れ、次第に衰え、介護が必要になり、ついに黄泉路に旅立つということで現実となる。そのときどうするのか夫婦ですでに語り合っているし、彼女は生活を夫の介護に全面的に集中していく。

 自宅介護を引き受けるということがどういうことか、実際にやったことのない人には決して分からない。たまたま母と同居していた弟夫婦が引き受けて、寝たきりになった母の自宅介護をした。私もその手伝いをしたので少しだけ分かっている。

 この本にも書かれているが、自宅介護で一番大変なことは、排泄の処理である。人は生きていれば必ず排泄する。点滴で生きていても排泄がある。それを日々処理することを経験しないものに介護の実際は決して分からない。人にはできることとできないことがあって、できない人はできる人の苦労を感じることができないのは不思議なほどである。

 曽野綾子は夫の三浦朱門の両親、そして実母を自宅介護して最期を看取っている。生半可の覚悟で出来ることではないのである。そして今度は自らの夫である。 

 この本では彼女たち夫婦が人生の最後の締めくくりをどうするか話し合ったこと、夫の不調、そして夫が倒れてから、その死を看取るまでの日々が淡々と語られている。それは誰にとっても人生の最期の迎え方の参考になるはずだ。

 夫の死後、家の中の物を処分したあと、空間が一気に増えたその家の中で、彼女が感じた喪失感はたぶん彼女が想像していたものよりはるかに大きかったのだろうと思う。仁王立ちのように自立していたと思っていた彼女が、つっかえ棒を失ったように心がよろけている様子が見える。そのことに胸が熱くなった。互いがかけがえのない存在であったことを噛みしめる彼女は、夫もしあわせだっただろうと心から思うのである。こういう大人の夫婦の関係を心からうらやましく思った。

 どうしていいか分からないことをどう受け止めて乗り越えるか。伴侶の死もその一つか。

内田樹『日本の覚醒のために 内田樹講演集』(晶文社)

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 久しぶりに(でもないか)老師の本を読んだ。たびたび書いているように、老師と私は1950年生まれ、同じ時代を同じ年齢の人間として生きてきた。彼がある時期からひとり娘を男手ひとつで育てたように、私も子供たちを男手ひとつで育て上げた。だからある部分では母親の視点から世の中を見たこともあるという点も共通している。

 それなのになぜあえて老師と呼ぶのか。老師のレトリックに富んだ言説が私を教え導き、思考の世界を拡げ、見えなかったものが見えるようにしてくれたから師であると思っているのだ。たぶん老師の言っていることの万分の一しか受け取れていない不肖の弟子であるし、私が受け取ったことは老師が言わなかったことも多い。勝手解釈、勝手読みの弟子である。でもそれで良いのだと老師も公言している。弟子がそう思えば師は師なのである。

 不肖の弟子は政治的なスタンスが老師と全く違う。その部分は読み飛ばしたいところだが、弟子はきちんと読み、そのレトリックに唸らされ、なるほどと思いながら賛同しない。SHIELDsに賛同する老師に不肖の弟子は首をひねるだけである。

 この本でも政治的なこと、憲法改正についても論じられている。しかしそこのところはそれとして、私が深く感ずるものがあったのは、伊丹十三についての講演である。江藤淳と並んで戦中派の尊敬する先達として絶賛している。それは私の最も共感するところである。江藤淳を引き合いに出すところがニクいし、嬉しくて涙が出そうである。私はそれに養老孟司師を加えたいと思う。思えばまさに彼も戦中派なのである。ここでいう戦中派とはなにか、説明すると長くなるのでまたの機会にするとして(たぶんわすれるけど)、どうしても識りたければこの本を読んで欲しい。よく分かるはずである。

 老師は伊丹十三を語るについて、彼の『ヨーロッパ退屈日記』をベースにしている。二十代で読み、感動し、今回それを読み直してそのときとはレベルの違う感慨を覚え、再読三読詳読したうえでの彼の伊丹十三論なのである。伊丹十三がこの講演を聞いたらどう言うのか想像すると、つい頬が緩んでしまう。伊丹十三は「そこまで深く読み取ってくれてありがとう。俺もそういう意味があるとは気がつかなかった」と笑うだろう。しかしそれは決して怒っているわけでなく、照れ笑いである。

  思えば私も二十代のときに文庫本で『女たちよ!』をはじめとする伊丹十三のエッセイを次々に読んだ。もちろん『ヨーロッパ退屈日記』も読んで感化されるところが多いにあった。一読私の嫌いなスノビズムの匂いに満ちているのに、それに感化されるのはどうしてなのだろうと思ったものだ。それをこの老師の伊丹十三論でようやく得心したのである。人としてなににこだわるのか、そのことの基本を教えられていることを感じたのではないか。生き方のダンディズムを身につけないことは大人として恥ずかしいことだということを教えられたのだと思う。

 しかし『ヨーロッパ退屈日記』には私の浅読みではとても読みとれない深い意味が込められていることを老師は読み解いてみせる。そこに戦中派の矜持とはにかみがあるらしい。それこそが戦前派、そして戦後派にはない、本来の日本人の心棒がありはしないかと見るのである。戦前派も戦後派もその心棒が折れているという指摘(そんな書き方はしていないが私にはそう受け取れた)はよく分かる。

 そしてその心棒にこだわったのが江藤淳であることを私も感じているからよく分かるのである。たぶん養老孟司師のこだわりもそこにあると私は感じている。そしてそれこそがその人達の本を読むことが好きな理由でもある。

 老師も私も戦後派だが、老師の説明でこの私でもいささかそれを感じ取れたことをうれしく思った。大正生まれの両親の思考を浴びて育ち、戦争について歴史ではなく現実にあった直前の過去として考えさせられてきた私には、かろうじてそのことに共感するセンサーがあるようである。

2018年5月27日 (日)

『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版Ⅴ』(朝日新聞社)

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 ロシアについて語り、防衛について、医学について、建築について、土佐について、芭蕉について、そして台湾について語る。

 それぞれに関連する事柄を次々に呈示して見せ、そこから司馬遼太郎がなにを感じ、なにを考えたのか、それが語られているのである。しかし発せられることばは、知っていることをただ伝え、それについての感想を述べているのではない。

 なにかが語られるとき、そのことに共感したり敬意を感じたりするのは、その伝えられた内容の濃度や量ではないのである。それらが語る人に取り込まれ、咀嚼され、その他の多くの事柄と関連づけられ、それを付け加えた上での世界観のもとに自分のことばとして発せられているから共感や敬意を感じるのである。

 若いころは司馬遼太郎が語ったことばをそのままなるほど、と思うことが多かった。彼の世界観を基準に歴史を読み、歴史の遺構を尋ねて感慨をもったりした。しかし彼の本だけを読んでいるわけではない。ようやく司馬遼太郎と自分は違う人間であることに薄々気がついた。だから彼の語ることばに共感もするけれど、時に違う思いもようやくこの歳になって抱けるようになった。

 違うことを知るには一度シンクロするという作業が必要なのかも知れない。そしてささやかで出来損ないではあるが、自分独自の世界観を再構築する。誰かに、そしてなにかに学ぶということはそういうことかと思う。

 司馬遼太郎が講演して語ることばは彼が世界をどう捉えどう感じどう考えているかの表明である。つまり語られることによって語っているのは司馬遼太郎自身である。私流に言えば司馬遼太郎の自己紹介である。

 以前私が、私のブログは私の自己紹介だと書いたら、自己主張ではないかと指摘されたことがある。私は自己紹介だと思い、その人は私の自己主張だと思っただけのことであるが、そのように受け取ったというのが私の受け取り方で、それについてここにそう書くのは、自分とはそう受け取る人間だということの表明にほかならない。

 この巻では特に台湾についての部分にさまざまな思いがあった。台湾は好きな国で、五回ほど(もっとか)行った。その好きな国が中国によって不要(中国にとっては不要どころではないらしいが、私には中国の度量のなさしか感じない)な苦労をしているが、それにめげずに頑張っている。中国による不要な苦労をすることが、台湾の人々を覚醒させ続け、鍛え上げているはずだと思いたい。

 日本と同様かそれ以上に天災の多い国でもある。互いに助け合うことで不遇を乗り切ってもらいたいものだと思う。そして司馬遼太郎が李登輝を敬することに強く共感する。それだけ偉大な人物だからこそ中国は彼を畏れているのだろう。そういう意味では中国も正直な国なのかも知れない。

 次のⅥが最終巻である。何年かあとにまたもう一度読み直してみたい気もするがその機会があるかどうか。

眼がおかしい

 昨日ブログを書くためにパソコンの画面を見ていたら眼がおかしい。飛蚊症や老化による乱視から画面の歪みがあるのは仕方がないとあきらめているけれど、そんなレベルではなくて三日月型にくっきりとした異常な歪みが見えるのだ。なんだか空間がそこの部分で裂けかけているような見え方だ。私の利き目は左で、では右はどうかと左目を手で蔽ってみたらなんと全く同じようなものが見える。

 目が異常ならこの見え方はおかしい。左右が同じ現象など起こりようがないはずである。ためつすがめつしていたら益々その裂け目が大きくなってくるような気がしてくらくらした。吐き気もする。実はこの現象は以前にも二度ほど経験している。しばらくしたらおさまったので、そのままにしていた。どう考えても目ではなく、脳のほうに異常があるのではないか。不安がきざしてくる。

 とにかく治まるかどうか試すためにクラシックのCDをかけながら目を瞑って横になっていた。目を瞑ってもなんだか三日月が見えている気がする。気のせいのようでもあり、実際に見えているようでもあるが、しばらくしたら薄れてきた。

 暇なので久しぶりに目を瞑ったままでもできそうなストレッチをやってみた。ふだん姿勢が悪いからかなりあちこちがギシギシと悲鳴を上げる。身体が熱くなるほどジタバタしていると気が散ったせいか不安は解消した。さらに一時間ほど転がったままでいたあとに目を開けるとあら不思議、視界の異常は雲散霧消している。

 今日は午後にはどん姫が心配してやって来てくれる。彼女はプロのマッサージ師であるから、首回りなどを少しメンテナンスしてもらおうか、などと考えている。年齢に応じて身体にガタが来るのは仕方がないが、脳にガタが来るのはもう少し後にして欲しいものだ。

2018年5月26日 (土)

映画『本能寺ホテル』2017年日本映画

 監督・鈴木雅之、出演・綾瀬はるか、堤真一、濱田岳、風間杜夫他。

『プリンセストヨトミ』という映画があって、鈴木雅之監督で綾瀬はるかと堤真一が出演している。面白そうだけれど未見である。たしか録画した気がするので探せばどこかにあるだろう。

 その映画もそうだけれど、この『本能寺ホテル』も大人のファンタジーである。ファンタジーだからリアリティがないと言い切ってしまえばそれまでだが、そのあり得ない世界をそういうことがあっても面白い、と受け入れれば楽しめる映画である。私はけっこうこういうのも好きである。

 この映画のテーマは「あなたが本当にやりたいことは何?」。

 それを問われても、本当になにもやりたいことがなくて成り行きで生きてきた女性が(綾瀬はるか)、成り行きで男に見初められ、男の実家のある京都にやってくる。成り行きだから男の段取りにすべて従う。男の決めたことには別に異論は無いのであるが、はたから見ているものには多少歯がゆい。

 そんな彼女が予約していたつもりのホテルが手違いで泊まれないことになり、やむなく止まることになったのが「本能寺ホテル」である。ひょんなことからこのホテルのエレベーターと本能寺の変の前日の本能寺が時空でつながってしまい、彼女は天正十年六月一日の森蘭丸(濱田岳)に出遭う。そしてやがて信長(堤真一)にも出遭うことになる。

 あちらとこちらを行き来することになるのだが、歴史を変えたらいけないと諭されながら、どうしても信長を助けたい思いから、彼女は信長に歴史の事実を告げて寺から逃げるようにいう。

 運命の六月二日がやってくる。信長はどうしたか。歴史は変わったのか。

 すべてが済んだあと、彼女はついに自分が何をしたいのか見つけたらしい。それは見ているこちらが思うハッピーエンドではないけれど、彼女の顔は輝いている。

 冒頭、京都の裏通りの街角で、右を見、左を見、前へ進みまた引き返す彼女の姿がとても印象的で象徴的だ。無理に意味をこじつけることもできるがやめておく。

会いに行く

 昨日はちょっと遠出の散歩をして汗をかき、帰って着替えしてさっぱりした。なにをしたいこともなく、ただボンヤリしている自分から抜け出しかけていて、次から次に前向きな気持になる。

 名古屋まで出掛けて雑用をすませて本屋に立ち寄る。目当ての本がなかったのに(出版情報が先行し、まだ店頭に届いていないらしい)いつも以上に両手に本を抱えていた。他に買いたいものもあったけれど、今月はこの本で予算をオーバーだ。こんなにたくさん誰が読むのだ!

 数日前に大阪の親友に電話をして、来週初めに会うつもりだったが天気がよくない。大阪へ行くならその前に少しだけでも京都か奈良をうろつきたいのである。親友は65歳までしっかり働き、リタイアしてからも仕事をしている。その仕事の都合との調整も必要である。彼と一緒に旅をして語り合いたいのに、彼が仕事をしているからそれが叶わない。私は乱暴なことに「やめろ」などといったこともある。

 私のわがままである。彼が正しい。彼は社会で自分の役割をとことん果たすのが当たり前だと考えている。私とは全く違う彼だからこそ私は彼に一目置いている。それでもつい自分の都合ばかり考えてしまう。昨晩電話して来週末に会うことになった。互いに自分の言いたいことを勝手にいう。いいながら相手の言っていることもちゃんと聞いている。同じことを同じ価値感で考えることもあるけれど、違うことも当然多い。私は他のひとが相手ならその違いが際だってくるとつい自分の考えの根拠を強調するところがあるが、訥々と話す彼の言い分を不思議に黙って聞いている自分がいる。

 彼に一目置くことでいまの自分がある。ひとりよがりの修正がさほど抵抗なく可能なのだ。そういう意味で彼はかけがえのない存在で、友なのである。会うのが楽しみだ。

2018年5月25日 (金)

落ちるほど高くない

 日大アメフト部の問題が世間を騒がせている。最初にあのタックルのシーンを見たときには信じられない思いがしたけれど、起きたことは起きたことであるからいまさら取り返しはつかないわけで、あとは関係者はそれをどう収めるか考えるのが肝心だろう。

 それが収めるよりも大火になってしまった。マスコミがこういう場合にどう反応するか、それを想定して鎮火に努めるべきところを油を注いでどうするのか。今話題になっている司会者は、なんとそのマスコミ出身(時事通信)だというからおそれいる。知りすぎているから感情的になったのだろうか。あれは計算づくで、大学に対するパフォーマンスなのだといううがった見方まであった。

 あの監督とコーチの記者会見の場で、「日大のブランドが落ちますよ!」と記者からいわれて「落ちません!」とその司会者が言い切ったことに、記者からいっせいに笑い声が上がったのをたしかに聞いた。

 ネットニュースにもさまざまな意見が採りあげられていたが、このままでは日大ブランドは地に落ち、学生の就職にも差し障りが生じ、入学志願者がへり、日大のみならず附属高校など関係学校も影響がでると心配する向きが多い。そもそも選手を、つまり学生を守れない大学とは何か、と批判が喧しい。それは外部だけではなく、日大教職員組合や日大アメフト部の父母会などの内部からも上がっている声のようだ。

 しかし飲み屋などで気心の知れた同士なら良いが、職場などでは日大こきおろしはやめた方が良いとのアドバイスもある。なにしろ超マンモス校で、日大出身者のみならず、大事な身内に出身者のいる人間はとてつもなく多い。アメフト部の批判のつもりが、今回の対応のまずさから日大そのものの批判になるのは避けがたいから、差し障りが生じますよ、というわけだ。なるほど。

 世の中がその話題で持ちきりとなると、ちょっと変わった意見を言う向きも出てくる。「日大のブランドは落ちないし、入学志願者が減ったりしない」という意見があった。どういうことかと読んでみれば、そもそも日大には落ちるほどのブランドなどないのだという。なるほど、これはきつい。二重に皮肉が効いている。

 入学志願者が減らない根拠としてあげていたのは、過去、さまざまな大学での不祥事が報じられたケースが直接志願者の減少につながったりしなかったといい、その例として大学生の起こした事件を十件ばかりあげていた。そうなのか、と思いながら、しかしあげられたものはそれぞれ単独の大学生の起こした事件であって、大学名が公表されたとはいえ今回の問題とは違うように思う。事件が起きて、それに大学の適切な対応が求められるようなものではなかった。

 しかし今回の件はルール違反の危険なタックルをした当人は明確にその事実を認め、なぜそれをするに至ったかを語っている。それに対して次の段階は大学がそれをどう受け止め、どう認識したかを明らかにし、それに対する処分と今後の対策を公表するという行動が求められている。ところがそれが全く不十分で、関係者の保身に走る姿ばかりが目についている。すでに危険なタックルの問題ではなく、大学の姿勢が問われていて、それに答えられない大学の信用が著しく損なわれ、そんな大学なら進学したくない、させたくないという気持が蔓延していると私には思える。

 だから入学志願者が減らない、という意見については賛同しかねる。こういう日大の危機だからこそ、我が子を行かせたいという母校愛に燃える親がそれほどいるとも思えないし、より入学難易度が下がってチャンスだと思う受験生もあまりいないだろうと思うのである。

些細なことだが

 映画『さざなみ』の中で、シャーロットランプリングが扮する初老の女性が寝起きに台所に行き、コーヒーを飲んでいる夫の前で食器棚からグラスをとりだして、水道の蛇口から水を注ぎ、それを飲むシーンがある。些細なことだが妙にそこのところに感じるものがあった。

 彼女はコップをすすがない。私はコップで水を飲むとき、まず水道を少しだけ流して、それからコップに水を入れ、それを一度流してからあらためてもう一度注いでそれを飲む。

 コップはもちろん丁寧に洗ってある。それでも棚にあるあいだに埃でもついていないとは限らない。だから洗う。映画のシーンでも、彼女は棚からとりだしたグラスの中を一瞬だが見る。無意識にきれいであることを確認したのだと思う。

 水道からいきなり水を注ぐことも当たり前のようで私にはホウ、と思える。蛇口の手前の水はしばらくそこにたまったままで外気に接している部分である。ほんの少しだけでもそこは流してしまいたい。本当に新しい水の部分を飲みたい。だから私は水をほんの少し流したあと、コップをすすぎ、それから水を飲む。

 もちろんそんなことをいつも意識してやっているわけではなく、無意識にしていることだが、映画のそのシーンを見て自分のしていることを意識化させられたのである。国によっては水は貴重なものだから、そんな水を無駄に流すようなことを嫌うのだろうか。

 これはイギリス映画だけれど、イギリスでは水道の水はそのまま飲んで良いことも知った。世界には水道の水をそのまま飲めないところもある。中国などはそのまま飲むなと教えられるが、これはこちらが旅行者としてその水に慣れていないからなのだろうか。中国の人も生水は呑まないのか。イギリスもその水に慣れているから普通に飲めるのか。日本人はイギリスの生水を飲んで大丈夫なのか。知らないことだから考えても仕方がないことを考えたりする。といってそれをいちいち調べるのも面倒だ。

 些細なことが気にかかった。よくあることだが。

2018年5月24日 (木)

バカの壁

 数独パズルをしているが、いくら考えても何度チャレンジしても解けない問題というのがある。もちろん正解はあるので、解けないのは私の能力の問題である。しかしそういう問題にチャレンジを続けていると、突然新しい解法を見つけ出すことがある。なんだか目の前に立ちはだかっていた壁が取り払われたように出口が見えて、いままで解けなかった問題が解ける。だがそんな壁は次々に現れて、盛り上がった気持を阻喪させる。

 学ぶということはそういうことかといまさらながら思う。パズルからそんなことに気がつく自分を笑うけれど、チャレンジするから気がつくのであって、そのことに意味がある。

 子どもはしばしばどうして勉強なんてするの?と問う。そんなこと勉強してなんの役に立つの?と問う。これに真剣に答えようとする大人がいて嗤ってしまう。子どものこの質問はたいてい勉強が嫌だからしている質問で、答えなど求めていない。求めているような顔をしているのは困っている大人をからかっているだけである。

 それが分かっているから私はそんな質問など大人に投げかけたりはしなかった。しなかったと思う。だいぶ昔のことなので忘れた。それに昔の親や教師はそんなこちらの魂胆はお見通しで、怒られるのがおちだったろう。変なおためごかしはなかったのである。

 世の中は分からないことだらけである。分からないことが分かるようになるためには学ばなければならないし、学んだことから考えなければならない。そうすることで分からなかったことがほんの少し分かることもある。自分のバカの壁が少しだけ崩れて向こうが見える。しかしその向こうにもまた壁がある。

 どうして勉強しなければならないの?と問うことには、すでに学ばなくても十分分かっているではないか、という傲りがある。自分が何を知らないか、そのことが解っていないことがどれほど愚かなことか気がつかない。まあそれで本人がよければそれでかまわないようなものであるが。

 こんなこと勉強していったいどんな役に立つのか。たいてい生きていく上でほとんど直接的には役に立たない。大いに役に立つのは算数と国語の初歩くらいなものか。人生に一度でも役に立てばそれは極めて珍しいくらいなことである。知識などせいぜい他人に対して優越感を持つ材料くらいにしかならない。

 それでも学ぶのは自分のバカの壁を少しでも崩すためである。崩した先にまた新たな壁があり、それは果てしないが、壁が崩せることを知るだけでも学ぶ意味があるし、新たな壁を破るためには古い壁を壊し続けるという積み重ねが絶対に必要なのである。

 同じことをスイスイと理解している人を見ると私のバカの壁は他のひとよりも厚く頑丈らしく思えて、情けない気持がすることが多いけれど、知りたいと思うこと、分かりたいことがあるだけ生きている意味がある気がしている。

 これは自分を励ますために書いた。

映画『さざなみ』2015年イギリス映画

 監督アンドリュー・ヘイ、出演シャーロット・ランプリング、トム・コーティネイ他。

 原題は『45 Years』。ほとんどが熟年夫婦の会話で構成された静かな映画である。それなのに飽きずに最後まで観てしまうのはこの二人の俳優の名演と演出の素晴らしさのゆえであろう。心に沁みる好い映画だった。調べたらベルリン映画祭で主演男優賞と主演女優賞を取った作品だという。

 結婚45周年のパーティを土曜日に控えた夫婦。そんな月曜日の朝、夫の元へスイスから一通の手紙が届く。ドイツ語なので妻には読めない。夫は辞書を片手に手紙を読んでいるが、その内容をなかなか話してくれない。

 やがてその手紙は夫の昔の恋人の遺体が発見されたので確認に来て欲しい、というものであることが夫の口から語られる。昔スイスの山岳をガイドと三人で歩いているときに、氷河の深いクレバスに落ちたその恋人はそのまま助からなかったのだ。温暖化により、氷に閉じこめられたその遺体が見つかったという。

 妻の目から見ていると、それからの夫の様子はいつもと違うのである。夫がその女性の面影を追っていることが分かるのである。互いに微妙な気持のズレを感じ始めた二人だが、そこで感情的になることはない。感情的になることでなにかが解決されると云うよりも、なにかが壊れてしまうことが分かっているのである。過去の死んでしまった女性に嫉妬する自分に苛立ちながら自制する妻。その妻の気持ちを感じながらも思い出に気持が揺れる夫。

「もし彼女が死ななかったらその女性と結婚した?」と問う妻に夫は「YES」、「そのつもりだった」と正直にこたえる。

 こうして土曜日のパーティまでの一日一日の二人の生活と会話から、それぞれの気持の揺らぎが描き出されていく。この揺らぎを表すために邦題は「さざなみ」としたのだろう。心のさざなみである。

 結末は実際に見て欲しい。なにかが片付くということはないが、互いが互いを必要としているということを受け入れればそれでおさまるのだ。それでもラストのシャーロット・ランプリングのいわく言いがたい眼差しはその内面を表現して忘れられない。

 山場らしい山場がなくても(パーティでの夫のスピーチは胸を打つし、山場といえばそれが山場か)すばらしい映画というのは作れるのだと教えられた。それに何しろ大好きなシャーロット・ランプリングが主演なのである。この人、歳をとっても全くその妖しい眼差しの魅力が衰えない。こんな老妻がそばにいたら人生はどれほどすばらしいことかと思うが、かなわぬ高望みである。

2018年5月23日 (水)

自分の標語を妄想する

 映画やドラマやドキュメントを、番組表で選んで録画する。観て面白くなければやめればいいので気楽である。ついたくさん録画してしまう。映画は基本的にブルーレイのディスクに保存して観る。ドラマは半々である。だから録画はいつもイッパイたまっている。

 昨晩は缶ビール一杯だけに節酒して本を読もうと思いながら、ついドラマを観始めたら何本も観てしまった。風呂にも入らず就寝も遅くなり、それでも早めに目覚めたので朝風呂に入った。リタイアして何よりありがたいのがゆっくり朝風呂に入れることである。その朝風呂に入って本を読む。追い焚きできない風呂なので少なめの湯に入りながら、ぬるくなったら湯を足すことで湯温を調節する。一時間くらい入っている。文庫本なら100頁くらいは読める。極楽である。

 今朝は本はなかばにしてボンヤリと考えごとをした。そして自分の標語らしきものを妄想した。

「雨が降ったら映画を観よう」

「ゲームをするより読書をしよう」

「眼が疲れたら音楽を聴こう」

 いまこうして書いてみると、なんだかばかばかしいほど当たり前すぎるものなのに、風呂のなかでは良い標語に感じられたから笑える。

 体重が三日で1.5キロ以上減っている。意識して節制するとすぐ結果が出る。3キロまで数日で減るだろう。定期検診までに、なんとか5キロ落としたいが、急に無理をすると体力が落ちて、それに伴い気力も落ちて、なんのための節制なのか分からなくなる。気力が横溢している状態こそが私の目指すものだからである。

 さて本日は雨である。標語に従って映画を観ている。

周作人『日本談義集』(木田英雄編訳・東洋文庫)から(1)

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 この本を読んで思うところがいろいろあった。とはいえ相変わらずのザル頭には断片しか残っていないけれど、思いつくままに拾い出して反芻してみようと思う。

 日露戦争のあと、中国から日本にたくさんの留学生がやって来た。日清戦争から十年あまりしか経っていないけれど、清国政府は積極的に公費の留学生を送り込んだ。日本が大国のロシアに勝利したことを見て、日清戦争の敗北の真の理由にも思い至ったのであろう、日本に学べ、学んで中国を西洋列強に対峙できる国に立て直そう、と考えたのである。

 ところがその留学生達は日本で学んで自国に帰ると次々に抗日運動の闘士になってしまう。そのことを日中の有識者が憂えてその理由をあれこれ想像して述べた。留学生達が日本で暮らしたときによほど差別的な扱いを受けたのであろう、というのが一般的な意見であった。

 それを周作人は嗤っている。金持ちの子弟であれば、たしかに生活のあまりの違いに、暮らしにくい思いがして日本の生活を憎んだかも知れないが、自分を始めとして多くの留学生は本国でも貧しかったから、生活になじむのに多少の苦労をしたものの憎むほどのこともなく、快適に暮らしていた。もちろん食事にも特に不満はなかった。しかも下宿で差別などほとんど受けた記憶はないという。

 ではどうして留学生が抗日に奔るのか。それは日本にいる日本人と中国の日本人との違いが原因だという。中国にいる多くの日本人の傍若無人であることは目に余るものがあり、それを目の当たりにしての怒りが抗日につながるのだと見るのである。日本が中国に対して傲岸となり、同じ東洋の民としてよりも、西洋人にでもなった気持で中国に対していたことは、彼らの強い反感を招いたのである。

 このあと日本は次々に中国に対して理不尽な要求を重ね、ますます中国の人々の敵意を招いた。日本人は東洋人ではなくなったかのごとくして東亜の代表を任ずるという矛盾についに気がつくことができなかった。そのことについて誰よりも好日的だった周作人の哀しみはいかばかりであったろうか。

 この本ではその日本に対する憤激と、日本を愛する心が葛藤している様子が読み取れる。おかしな錯覚をした日本人達は、しかし敗戦で覚醒したのか。アメリカナイズすることでますます西洋人たらんとして夢から醒めていないのではないか。日本人が何を間違えたのか、歴史を知らない人たちがそのことを知らずにいる。正しいか正しくないかの前に、まず知ることに努め、考えることに努めることが必要だと思うが、自分を振り返っても心許ない。日本人であること、東洋人であることの意味を見つめ直すことも必要ではないか。

 この本は視点を少しずらして、そういうことを考えさせてくれる本だと思う。 

2018年5月22日 (火)

飽食は・・・

 本を読む集中力に波があり、一時的に回復していたのがふたたび衰えて、今回の小旅行には三冊しか(いつもなら読めないと分かっていても五六冊は持っていく)持参しなかったのに一冊も読めなかった。

 昼間歩き回り、晩に美味しいものを食べて美味しいお酒を飲んで温泉に入れば、たちまち睡魔が襲って爆睡する。本を開く間もないのである。そのかわり朝は早くに目覚める。夜明け前に起きてブログを開き、明るくなったら朝風呂に入り、一息入れたら朝食である。

 お蔭で心身共に快調、といいたいところだが、飽食は肥満に直結するのである。旅に出る前からいささかひきこもり気味だったから、運動不足、気分の低迷を癒やすのは酒食ということになって悪い飽食のループにはまってしまい、その仕上げが今回の小旅行と相成ったわけである。歩き回って運動したことを言い訳に、その運動で消費した以上を摂取していたのだ。

 どうも肥満は私の頭の働きを著しく鈍くさせるようである。身体の切れも悪くなるから躓いたりなにかに引っかけたりと思わぬことに苛立つことになる。体調が良く、気分も良かったはずが、だんだん霞んだような不透明なものが脳を蔽って不快である。

 そこで気がついた。本を読む集中力があるときは体重がコントロールされているときで、肥満に傾いたときは本が続けて読めなくなっているのである。これから体重と読書量を記録してグラフにしてみようか。たぶんそのことが確認できるだろう。

 それに気がついたので、つらいけれど三日ほど多少減食、節酒したら驚くべし、たちまち本が読めるのである。あまり酩酊していないこともあるから当然なのだが。

 だいぶ前に読み始めた周作人(魯迅の弟)の『日本談義集』が三分の二ほど読んだところで止まっていたのをようやく読了することができた(後日紹介する)。こんなに面白い本をどうして一気に読めなかったのか不思議である。

 私にとって飽食は心身を不調にする。そのことを何度身に沁みて感じたことか。それなのに肥満と節制を繰り返している。まことに愚かというべきか。

天竜峡(3)

まず訂正をいたします。

大鹿村の大磧神社を「おおぜきじんじゃ」とふりがなを振りましたが、正しくは「たいせきじんじゃ」でした。最初に見ていたガイドブックをそのまま引き写したのですが、今日、大鹿村でもらったパンフレットをもう一度眺めていたら、そこには「たいせき」となっていました。間違いのようです、申し訳ありません。
では今回の小旅行の最後の報告です。

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崖の上から覗き込む。こんな松の枝が張りだしている。こんな枝を見ると、仙人になりたかった男の話を思い出す。

仙人になりたかった男が山に暮らす仙人の元で修行を始めるが、雑用ばかりで全く術を教えてもらえない。何年かしてあまりに男がせがむので、仙人は男を崖の上の松の木に登らせる。「もっと先まで行け」といい、枝がいまにも折れそうなところまで行くと、「そこにぶら下がれ」という。

男は肝が冷えたが、仙人になりたい一心で、目もくらむようなその枝にぶら下がる。やがて仙人は「片手を放せ」という。男は片手を放した。さらに「もう片方も放せ」と仙人はいう。
いまはこれまで、どうにでもなれ、と思って男は思いきって手を放した。男は鳥になって空を飛んでいた。

さて、仙人は本当に仙人だったのか。私は男が鳥になったのを見て最も驚いたのはこの仙人だったのではないかと思っている。元の話を正確に記憶していないのでほとんど私の頭の中の創作である。

そんな話を思い出していた。

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下り道で可愛い道祖神の石碑を見た。

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横にカエルの兄弟がいる。実は大きな親ガエルが反対側にいる。

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崖に「浴鶴巌」の文字が刻まれている。

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これは明治の書家、日下部鳴鶴の書らしい。崖の上から鶴が水浴しているのを見て「浴鶴巌」という書を書き、それを崖に彫り込んだのだという。

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この「巌」という字、凄いでしょう。

このあと、お勧めもあったので、飯田の水引工芸館に行く。水引工芸館はいくつもあるようだが、「水引工芸館せきじま」と云うところに行った。

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入り口入ってすぐのところに大きな龍が水引で作られて展示してあった。ここは撮影できた。写真はその顔の一部だけをアップで撮影。展示作品は撮影禁止なので、写真はこれだけ。

この工芸館は一度見る価値がある。とにかく想像を絶するほど凄い。写真がないのが残念である。飯田方面に行かれたら訪ねたら良いと思う。

最後に二泊した昼神温泉について。

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この土産物を売っている場所の奥、右手が泊まった鶴巻荘。公営の宿である。

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鶴巻荘。昔はこの駐車場のところで山菜や茸を売っていた。

中は見かけより広い。平屋に見えるが二階建て。平日はお年寄りが多いのは他の宿と同じ。

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昼神温泉は、うしろの阿智川沿いに並んでいる。この橋の向こうの建物は「ひるがみの森」という入浴施設で、主に日帰り客用だが、宿泊も可能。

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いまは朝市の場所は河原に近い方に常設されている。六時頃から八時頃まで営業しているという。自分用の漬け物と野菜を少しだけ買った。

最後の日に地道を走り、足助に寄ることも考えたが、少々くたびれたので自宅へ直帰した。

ささやかな旅の話に長々とおつきあい下さりありがとうございました。

2018年5月21日 (月)

天竜峡(2)

木陰のあいだから覗く天竜川を横に見ながら坂を下っていく。


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前方にツツジ橋という吊り橋が見えてくる。

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歩くと揺れるけれど、下が鉄板なのであまりこわくない。ここが網の目の素通しだったりすると、さすがにドキドキする。

そういえば大井川の寸又峡に架かる吊り橋はこわかった。

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看板が掛かった橋のたもとのすぐ横に、

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名水、とあるのにコップがない。注意書きを読んだら、飲用に適さないそうだ。飲めない名水とは。

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吊り橋から見下ろすとちょうど船が通過した。観光客を乗せていないから戻り舟のようである。

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アップにしてみる。艪ではなく船外モーターで進む。

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吊り橋を渡り終えるとふたたび階段が上へ続いている。ふたたび吊り橋が下に見えるようになる。あの龍角峯の上まで階段は続く。

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ここが龍角峯のてっぺん。

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あの鉄橋左手から歩いてきて、吊り橋を渡り、今度は右手からあの鉄橋のふもとまで帰るわけである。鉄橋左手奥が天竜峡の駅である。

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ツツジ橋がこんなに下に見える。

次回、あともうすこしだけおつきあい下さい。

天竜峡(1)

昼神温泉から天竜峡は近い。ゆっくり行っても車で一時間足らずである。天竜峡には娘のどん姫が中学生くらいの時に一緒に来たことがある。そのときは列車で来て日帰りだった。駅から天竜峡の遊歩道は目の前なので、こちらも便利である。


船下りの駐車場(有料)に車を置かせてもらって遊歩道を歩く。一周2.5キロ、40分とガイドブックにあるが、一時間かけて休み休み歩く。前回来た時はどん姫と軽い足どりで歩いた記憶があるが、今回は思いの他のアップダウンの多さに汗をかいた。当日は好天ながら木陰は涼しかったからまだいいが、本格的な夏だったら汗みずくになるところだ。

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鉄橋の上から川を見下ろす。水量が多く、白く濁っている。実は最初遊歩道の降り口を勘違いして違う方向に行ってしまい、無駄に歩いてしまった。間違えようのない間違いで、自分に腹が立った。

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そこらじゅうにこの花が咲いている。

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ミツバツツジというのだ。こういう説明があるとありがたい。

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蛇は苦手である。ましてまむしである。注意といわれても・・・。

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無事石碑にたどり着く。天竜峡の竜が龍である。

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どれどれ・・・。

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なるほど、見事に岩が屹立している。このあとぐるりと廻ってあの岩のてっぺんまで登ることになる。

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龍角峯の足元。川はセメントでも流したように白青灰色に濁っている。以前もこんな水だっただろうか。

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ガイドブックの写真は普通の水色なのだが・・・。

2018年5月20日 (日)

大鹿村(2)

大鹿村の春の歌舞伎興行場所の大磧(おおぜき)神社へ向かう。途中、道路沿いに小さな社がある。


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薬師堂の看板が立っている。ちゃんと手入れがされているのが気持ちが良い。人々の村を愛する心が見える。

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こんな石碑が並んでいて、

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花もきれいに咲いている。

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見上げると高台に傷んだ建物がある。この薬師堂に関連した建物なのだろうか。

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大磧神社の歌舞伎の舞台。広場が観客席になる。

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大磧神社。

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大磧神社は夕立神パノラマ公園という、南アルプス、中央アルプスを見晴らすことのできる展望公園に登って行く道の横にある。登りたかったけれど、道が狭いので私の車ではちょっとこわい。残念ながらあきらめた。ときどき一緒に出掛ける兄貴分の人なら「臆病者め」といってどんどん登って行くはずである。

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神社の庭の木がすんなり空に伸びていい風情だ。

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神社の周りを散策。この大石は場所からいって中央構造線の東側の石であろう。他にも大鹿村をうろついたが、写真はここまで。

中央構造線博物館

中央構造線ということばは記憶にあるが詳しいことは知らなかった。地質や岩石には多少興味があるので、どんなものか知りたくてこの博物館を訪ねた。


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博物館の前に構造線を挟んでの岩石群の違いを特徴的な石を並べて説明している。

入り口で入館料を払い、石を見たり中の説明を読み始めたら、窓口のおねえさんが「よろしければ説明しましょうか?」と声をかけてくれた。ありがたい、喜んでお願いした。

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中央構造線は、もともと日本が中国大陸から分離する前の大昔に東西に走った大断層帯のことである。いま確認されているのは四国、紀伊半島、愛知県から長野県にかけてである。これは地表に現れた露頭などで確認できる。たぶん九州や関東にもつながっているはずなのだが未確認とのこと。

フォッサマグナという糸魚川静岡構造線は有名で、糸魚川のフォッサマグナ博物館は一度訪ねて説明を聞いている。フォッサマグナは南北の大断層で、断層の右側は水没して海になり、後隆起している。それに対して中央構造線は東西方向なのであるが、長野県では大きく曲がって南北方向に走っている。

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これは伊豆半島の成り立ちによるものであること、それは先日ブラタモリで天城を訪ねていたところの話が参考になる。
はるかハワイ方向から海洋プレートに乗った海底火山が日本に近づくに従って日本列島に乗り上げ、日本を押し上げた。その力によって東西に走った中央構造線を褶曲させたのである。

富士山や北アルプスなどはその影響で隆起していったとされる。あのインド亜大陸もそのようにしてユーラシア大陸に衝突し、押し上げたことによってヒマラヤの山々が形成されたのである。

大鹿村はその中央構造線の褶曲部にあたるのである。だから村内に露頭部が二カ所もある珍しいところなのだ。そこでこの博物館があるわけである。

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この立体地形図を前にお姉さんは丁寧に講義してくれた。なんとこの模型は動くのである。中央構造線の断面図が現れ、その中の地質の違いが分かる。

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これは露頭部の崖を切り出した本物の断面。すごいものが展示されている。

おねえさんはまだ若い女性で訥々と説明してくれるのだが、こちらが要らぬ質問を次々にするので、話がスムーズに進まない。それでも嫌がらずに丁寧に私のとんちんかんな質問に答えてくれる。一生懸命なのである。

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構造線を境にしての地質の違いを岩石で説明している。

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石を見るのが楽しいのである。多くないけれどそういう人もいるのである。

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博物館の前を流れる青木川。大鹿村では青木川、小渋川、鹿塩川が合流し、全体が小渋川となって松川方面のダム湖に注ぐ。中央構造線はその青木川と、鹿塩川に重なる。つまりその構造線が谷になって川となっているのである。

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博物館の背後にこのような山の崩落現場が見える。おねえさんに聞いたが、これは露頭部ではなく、明治36年の集中豪雨によって川が崖面下部をえぐり、山体が崩落したものだという。このため四十数所帯が泥流に呑み込まれた。一度に700ミリを超えるというこの豪雨は長野県各地に大災害をもたらしたという。

2018年5月19日 (土)

大鹿村(1)

出掛ける前に地図を眺めていたら、大鹿村が行動範囲にあることに気がついた。映画『大鹿村騒動記』のあの大鹿村である。原田芳雄の最期の出演映画で、共演の大楠道代も絶品で、思い出に残る映画であった。その舞台が実際どんなところか見に行きたいではないか。


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昼神温泉から飯田は近い。その飯田の先、松川からダム湖を越えていくと大鹿村に至る。その道は一部狭いうえにダンプカーがたくさん通るので、ちょっと走りにくいが、ダム湖の先は道路もトンネルも広くなって快適である。

大鹿村役場をさらに高遠方向へ少し走ると鹿塩(かしお)温泉がある。その温泉の前に塩の里という大きな駐車場や食堂、そしてみやげ物屋や観光案内の場所がある。

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その駐車場からの景色。この右手の先に、市場神社という神社がある。ここから歩いて五分あまりである。大鹿村は農村歌舞伎が有名で、映画もその村歌舞伎がテーマである。

村歌舞伎は春と夏に行われる。そしてこの市場神社は秋の歌舞伎の興行される場所なのである。

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ちょっとした坂を登ると、神社の手前に古い石碑が並んでいる。

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神社の鳥居。

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左手が舞台になっている。

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正面が舞台であろう。手前の広場にゴザを敷いて、歌舞伎を楽しむ。衣装も金をかけているし、稽古も化粧もかなり本格的なものだという。映画を思い出した。

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額が掛かっているのだが、ほとんど判読不能。お参りして神社を後にした。このあと春の歌舞伎を興行する大磧(おおぜき)神社へ向かうが、その前に中央構造線博物館に立ち寄ることにする。

中央構造線の名前は聞いたことがあるが、詳しいことは知らない。行って見たら予想以上に面白かった。その話は次回。


加害者なのか被害者なのか

 日大アメフト部の選手によるルール違反の傷害行為が話題になっている。アメリカンフットボールについてはルールもほとんど分からないし、試合を観たことも数回しかないが、映像で見るかぎり非常に危険な行為をしたことだけは見て取れた。だから問題になっているのであろう。

 この選手は、この行為以外にも合わせて三回の違反行為を繰り返して退場になったというから、たまたまうっかりした違反行為ではなく、故意に行ったものだとほぼ断定されているようだ。しからば彼は意図的な加害者であろうと私などは思うのであるが、報道を見聞きしていると、この選手があまり非難されていないのは不思議なことである。

 監督の指示があったからだという前提に立っての見立てによるものらしい。しかしこの選手は監督から違反行為をしろと指示されたりしていないと言っているという。しからば本人の意志でやったということになる。そんなはずはないとみな言っているが、当の本人が指示されていないと言うのである。

 そもそも致命的な傷害行為につながりかねないことをこの選手が知らなかったはずはないのであり、そのためのルールであることも承知していたはずである。指示されようがされまいが、してはいけないことをしたらその罪を問われるのは当然である。一人の人間であり、ロボットではないのである。

 それでも指示には背けないような状態に追い込まれていたのだとニュースでは盛んにこの選手をかばっていて、あたかもこの選手も被害者だと言いたげである。怪我をした選手や関西大学への謝罪にこの選手が行くという話もなさそうだ。

 指示があったのなら正直に言えば良いことである。監督をかばえば選手生命を永らえられるとでも計算したのか。すでに彼の選手生命は絶たれたも同然であろう。監督をかばって自発的な行為であると言えばなおさらである。

 彼にきついことを言っていることは承知しているが、行った行為は責任をとらなければならないのはこの世の決まりである。彼が人間である前に自分の選手生命を選んだことがこの結果なのであるから、その責任は正しく問われなければならないのではないか。

 言われているような、選手の生殺与奪の権を盾にする内田監督の異常さは本当にあったのだろうか、それともそうマスコミが決めつけているだけなのか。

 もしマスコミの見立てているとおりであるなら、監督の選手を鼓舞するためのことばを選手が取り違えた、などという主旨の日大の釈明文は欺瞞であり、監督の指示はなかったと言うことでこの選手はその欺瞞に加担しているのである。

 彼が苦しんでいるだろうことくらいは想像がつく。自分が監督をかばったことでますます苦しい立場に立たされている。そしてそのように自分を追い詰めているのは哀しいかな、自分自身なのである。そろそろ開き直ったらどうだろう。

 それとも本当に勝手に監督の意志がああいう違反行為を望んでいると彼が忖度しただけで、実はことばでは聞いていないことに彼はあとで気がついたのだろうか。ここにもいわゆる日本人特有の「空気」という存在があったというのか。ことばには明確に出さない空気による指示は、あとでそもそも指示は無かったということになるのが日本特有の責任回避術であるから、日大もそれに倣ったのであろうか。

妻籠(3)

小さな展示場で節句人形が飾られていた。


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これでもか、というほどたくさんの武者人形や鍾馗様や、桃太郎、金太郎の人形が所狭しと並べられている。

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こんな鍾馗様なら鬼も退散、厄除けになるだろう。それにしても凄い髭である。風呂に入るときどうするのだろう。

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金太郎さんもたくさんいる。

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こちらは桃太郎様ご一行。ちゃんとサルやキジや犬がいて鬼からぶんどった宝物を曳いている。

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昔ながらの民家の様子。

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説明書き。

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大きな大きな鉄釜が転がしてある。上の札には中で遊ぶな!と書かれている。転がり出すおそれがあって、思わぬ怪我をするぞということらしい。

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カラフルな花を見て、変わり玉という飴を思い出した。いろいろな色の飴があって、舐めていると次々に色が変わる。

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駐車場にあったぴんころ地蔵。ぴんぴんした年寄りになって死ぬときはころりと死ぬというのが人に迷惑をかけない理想の最期か。・・・・たしかにそうかも知れない。

次回は大鹿村を。

2018年5月18日 (金)

妻籠(2)

昼過ぎに自宅に帰着。もう少し見て回っても良かったけれど、けっこう歩き回ったのでいささかくたびれた。馬籠、妻籠、大鹿村、天竜峡、そして水引工芸館など、見ようと思っていたところはほぼ訪ねることができた。天気は心配したほどではなく安定していたが、とにかく暑くて汗をずいぶんかいた。しかし汗をかいた以上に補給したのでほとんど減量できなかったようだ。


さて前回の続きの妻籠である。

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大胆なメニューに思わず笑う。

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これがいわゆる「うだつ」。

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何しろ花が美しく飾られているのでつい写真を撮ってしまう。

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この低い視線からの宿場の様子は時代劇のワンシーンみたいで好きだ。

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もう一歩前から山の緑を背景にして。

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高いところから宿場の日常風景を撮る。たまたま出てきたおばさんが好い点景になっているつもり。

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こんな屋根の家もある。

次回、もう一回だけ妻籠を報告する。

妻籠(1)

妻籠へ向かう。途中右手に旧道が見え隠れして、そこをハイキングしている人も見られる。若いときなら歩く元気もあったけれど、暇がなかった。それに歩いたら車のところへ戻らなければならない。


妻籠に着いたら観光バスから女子高生がぞろぞろと降り立ち、前を歩いている。

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後ろについて宿場に入るが、彼女たちが右へ行くので私は左手に曲がる。水車や高札場のある方だ。

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ここの水車はいつも元気よく回っていて現役である。過去へのタイムスリップの仕掛けの心地がする。

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高札場。ここの高札場は高いところにあり、書かれている文章も読むことができる。高札場らしい高札場で必見。

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民家の軒先の花生け。竹の花入れの風情が良いが、下部が破損しているのが惜しまれる。

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さらに進むと巨大な鯉岩が。どうしてこれが鯉岩というのか。

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むかしはこんな鯉の形をした岩だったのだという。地震で崩落し、いまはただの岩になったが、大きな岩の重量感はやはり迫力がある。

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昔の街道が村落を通過するところはこんな感じだったであろう。ただし道は土だったはずだ。だから宿に入るときはすすぎで足を洗わなければ上がることができなかった。

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こういう宿に泊まったのである。『御宿かわせみ』もこんなふうだったのだろうか。常夜灯が好い。

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この花はさすがに私でも分かる。

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道を引き返し、先ほどの水車のところにいたる。なかなか好いでしょう。

2018年5月17日 (木)

馬籠(3)

馬籠宿ばかりではないが、古い街並みを歩くとさまざまな植物が軒先に置かれていたり植えられている。恥ずかしながら植物の名前をほとんど知らない。父が生きているときは写真を見せるとよほど珍しいもの以外はたいてい分かって教えてくれたけれど、何回聞いても忘れる。私のバカの壁である。その父もいないから聞く人もいない。植物が嫌いなわけではない。好いなと思うことは思うのである。


馬籠で撮った植物の一部を並べる。名前はほとんど分からないし、分かったつもりでも間違えている可能性があるので書かない。それにしてもいつも拝見する方々の植物の知識にはいつも感心している。

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これはメダカらしいが、ちょっと青みをおびていて普通のメダカではないようだ。

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魚の名前は多少詳しい。特に食べる魚については自信がある。これは食べられないタイプの鯉である。

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初めて見た植物。花だと思うのだけれど・・・。

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ガラガラと音を立てて外人さん二人が大きなカバンを引きながら坂を登っていった。上で待ち合わせなのだろうか。

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この花も恥ずかしながらなんというのか分からない。

これで馬籠は終わり。次は妻籠に行く。

馬籠(2)

宿泊している昼神温泉の宿はつい最近改装されたので部屋がとてもきれいで快適である。風呂場は内風呂しかないが、洗い場に畳が敷き詰められていて、滑らないし歩き心地が良い。頼めば、となりの大きなホテルの露天風呂に入る無料チケットをもらえる。わざわざ行くのも面倒だし、こちらの風呂も大きくてゆっくり入れるから行かない。


さて、馬籠宿である。

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坂道を登っていく。朝の日差しがやはり夏の日差しでコントラストが強い。今日も暑くなりそうだ。石畳が白く光っている。

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こういう宿に外国人は泊まっていたようである。時代劇の旅籠そのままだ。左には大八車が立てかけてある。日本の昔を体感できたかなあ。

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縦方向にも目をやる。二回の雨戸の戸袋が破れかけているのが気にかかる。いまは雨戸など閉めないのか。

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馬籠本陣跡、そして島崎藤村記念館。まだ開いていない。何度も立ち寄っているので特に惜しくない。一番奥に、藤村が勉強した二階屋があるのを思い出した。

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こちらは脇本陣資料館。まだ見たことがないので、またいつか立ち寄ることにしよう。

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こんな標識があった。その方向へ少し寄り道してみる。

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恵那山は建物に遮られてさえいなければ馬籠のどこからでも仰ぎ見ることができる。一番下に茶畑で働いている人がいた。日差しのあるときは麦わら帽子は必需品だ。

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馬籠宿の一番坂上の手前に高札場がある。字の読めるひとも読めない人もいただろうから、たぶん読んで聞かせる人がいたのだろう。防火用の小さな桶を積んだ左手のようなものはあちこちに置いてあった。

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坂の一番上に出る。前の道を右手に折れて峠を越えれば妻籠宿である。この舗装された道路そのままではないが、これが中山道である。歩いて行くと三時間弱かかるという。妹が学生時代に歩いて、けっこう大変だったよ、と言った。

駐車場に戻らなければならないから坂を下る。上から見ると登ったときと違う景色が見られるはずだ。

2018年5月16日 (水)

馬籠(1)

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朝七時ころに家を出たので、馬籠には九時前に着いた。店はほとんど閉まっていて、ようやくちらほら開け始めた店が数軒。面白いことにそのような店にいるのは外人さんばかり。

どうやら馬籠の旅籠(はたご)に宿泊したらしい。日本の宿を満喫したことであろう。不便はそれでまた楽しい思い出だ。

馬籠は坂の宿場町である。下側の駐車場に車を置き、下から上に登りながら散策することにする。それなら帰りは下りだから楽である。

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この標識の通り、右に坂を登る。江戸に八十里半、京へ五十二里半、ここは木曾街道、中山道の宿場町である。

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ここが下の入り口。突き当たりを左へ鍵の手に折れてずっと登り坂が続く。突き当たり右手に小さな阿弥陀堂がある。

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もうかき氷のシーズンなのである。

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狸がお出迎え。

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鍵の手のところに水車がある。ここから見えないが、水車の前にベンチがあり、外人さんが数人たむろして情報交換していた。朝日に石畳が光る。

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こんなのが置いてあるとつい写真を撮ってしまう。

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誰ともすれ違わない。

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横道へ逸れて開けたところを見ると、もう田んぼには水が張られていて田植えが始まっていた。

リリィと数独パズルと小旅行

 昨晩、数独パズルを解きながらヘッドフォンで音楽を聴いていた。今朝起きたらずっと頭の中でリリィが歌っていて耳から離れない。

 数独パズルは上級問題、難解問題に挑戦している。上級問題は五問に四問くらいはなんとか解ける。難解問題は三問に一問解ければいい方だ。突破口になる鍵がなかなか見つからない。難しい問題ほど、さらに次の鍵が待ち構えていて、集中力が途切れると全く歯が立たない状態になる。間違うと頭が熱くなる。寝る前にチャレンジすると朝がつらいが、多少はボケ防止になるだろう。

 今日から二泊三日の小旅行に出掛けることにした。本当は天気の良い昨日から出掛けたかったのだが、連泊するつもりの昼神温泉の宿が今日からしか取れなかったのだ。昼神温泉には一昨年、昨年と続けて泊まっているが、今回の宿は久しぶりに泊まる別の宿だ。昼神温泉の公共の宿といえばすぐ分かるところで、十数年前はほとんど毎年のように子供たちや父母を連れて泊まりに行った宿だ。

 そのころはこの宿の前の駐車場で朝市が開かれた。ここで春なら山菜、秋なら茸を買って帰った。いまは常設の朝市が河原の方に設営されている。ここの宿は鯉の煮付けが美味しい。耐震工事を施して改装されたというので楽しみだ。昼神は高級な宿が多いが、ここは比較的にリーズナブルでアットホームな宿である。

 ここを拠点に、馬籠、妻籠、天竜峡、できれば大鹿村あたりを訪ねたいと思っている。さあ、仕度はできている。出発だ。

2018年5月15日 (火)

映画寸評(18)

『ジェーン』2015年アメリカ映画。
監督ギャビン・オコナー、出演ナタリー・ポートマン、ジョエル・エドガートン、ユアン・マクレガー他。

 少女が大事な役で出てくる西部劇の傑作『トゥルー・グリッド』や『ウィンターズ・ボーン』は忘れられない映画であるが、この『ジェーン』のナタリー・ポートマンは母親である。男より非力であるが、精神の勁さでは男以上の女性というのは見ていて気持ちが好い。

 西部劇に出てくる女性といえばひ弱で愚かな女が定番だったが、ようやくその定番を脱する女性が描かれるようになったことは喜ばしい。そもそもその時代の西部には女は男に対してずっと少ない。だから男が女を大事にしたので女がひ弱になったという見立がハリウッド映画にはあったのだろうが、荒くれ男がひしめいているなかで、女がひ弱でいられるわけはないのである。強い女が当たり前だったのではないか。

 女が愚かだ、というのは、女に縁のない男たちの慰め合いからでてきたイメージであろう。しばしば西部劇では同性愛的な男の連帯が描かれるが、女はそれを損なう存在として描かれることが多い。背景に女にあぶれた男たちのそういう負け惜しみややっかみがあったのだろう。 

 街から離れた崖下の一軒家に娘と暮らすジェーンは、何発も銃で撃たれて瀕死で帰ってきた亭主のハムを迎える。ハムはビショップ一味から狙われており、彼を追ってビショップ一味がやってくることを知る。ビショップには彼女も因縁があるのである。

 娘を知り合いの元に預けたあと、彼女がたすけを求めたのは昔の恋人だったダン・フロストだった。ここから二人の過去が回想されていく。ダンは彼女に去られたことで彼女を恨んでおり、その求めを拒絶する。彼女は一人で難局に立ち向かうことを覚悟するのだが、一味の一人に見つかってしまい絶体絶命の状況に追い込まれる。

 それを助けたのはダンであった。ダンは援助を引き受け、二人で一味の襲撃に備えながら少しずつ二人の過去が回想されていく。どうしてダンは愛しいジェーンの元になかなか返らなかったのか。そしてジェーンはなぜダンを待たなかったのか。そこで二人のたどってきた凄まじい体験を互いに知ることになる。

 そしてついにビショップたちがやってくる。準備万端整えていたつもりでも相手は十人をはるかに超えて大勢である。激しい銃撃戦の末についにビショップと直接相まみえることになる。そのビショップに対してジェーンはどういう行動をとったか。母親の怒りの爆発は痛快である。ラストはハッピーエンドなので観たあとの気持もよろしい。大変けっこうな映画だった。

辛坊治郎『こんなこと書いたら日本中を敵にまわす本』(光文社)

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 帯には「東京マスコミが報じないニュースの真実」とある。これは日曜日の午後一時半からの番組、『そこまで言って委員会』という読売テレビの番組を念頭に置いてのことばで、辛坊治郎はここでむかしからメインキャスターを務めている。

 関東だけがこの番組を流していないらしい。歯に衣着せぬ言いたい放題の番組で痛快きわまりないのだが、ずっとメインキャスターを務めていたやしきたかじんのキャラクターが反映しており、かれの意志を相棒だった辛坊治郎が引き継いでいる。関東圏だけが報じる番組は数々あれど、関東だけ流さない番組というのはこれくらいだろう。名古屋にいることでこれを見ることができるのは幸いである。とにかく面白い。

 そこで語られていることが本当かどうかなど分からない。そもそもなにが本当かなんて分からないことだらけなのに、東京をベースにした報道は、体裁だけにこだわって突っ込みが足らないのだというのがこの番組の売りであり、主張である。同感である。

 その番組で言い足りないと思うような、辛坊治郎が入手した情報を総合して彼なりにまとめたものがこの本である。そんな本をいままでにもいくつか出していて、読んだ記憶がある。たいていなるほどとは思うけれどそれほどの目新しいことを知った気がしなかったが、この本も同様である。

 ものごとを詳しく知ることは正しく知るためには大事なことだが、人は忙しいから何もかも詳しく知ることは困難だ。こういう本でざっくりとさまざまのことを知った上で興味のあることをより詳しく知ればいいので、そういう意味では幸便な本かも知れない。

 残念なことに、表題にあるような日本中を敵にまわすようなことは書いていないけれど、知られたくないことを書かれたという意味で不愉快に思う人はいるかもしれない。

2018年5月14日 (月)

映画寸評(17)

『おじいさんと草原の小学校』2010年イギリス映画
監督ジャスティン・チャドウィック、出演ナオミ・ハリス、オリヴァー・リトンド他。

 この前に観た『サイレントマウンテン』というオーストリア映画もそうだったけれど、この映画も特に期待せずに観たが、観て良かったと思う映画だった。こういうことがあるから手当たり次第に観てしまうのだ。どこに当たりがあるか分からないのである。

 題名から想像するようなほのぼのとした映画では決してない。

 ケニアはイギリスの植民地だったが、独立して39年後にケニア政府は無償教育制度を導入し、教育を受けたいものにはすべて教育を受けさせると発表した。電気も水道もない村にも小学校が建てられ、子供たちがいっせいにやってくる。定員の三倍以上の生徒たちが押しかけ、机も椅子も足りないなか、授業が始まる。

 そこへ杖をついて足を引きずりながら一人の老人がやってくる。マルゲという八十歳のその老人は、自分も授業を受けたいのだという。もちろん断られるのだが、政府は誰にでも教育を受けさせるといったはずだとして、老人は断られても断られてもやってくる。

 そしてついに断り切れなくなった女性教師がマルゲの入学を認めて、ここにおじいさんの小学生が誕生する。

 彼には切実に文字を覚えたい理由があった。彼がイギリスからの独立運動のなかで凄まじい体験をしたことが断片的に回想されていく。イギリスがどのような支配をしてきたのか、そしてイギリスの支配に与したもの、抵抗したもの、それらが民族どおしの憎悪にまでつながって、ケニアの人々は凄惨で苛酷な年月を送った時代があったのだ。そしてマルゲはまさにそれを体現する人物だった。

 そんなマルゲを受け入れたことで生徒の親の一部から女教師は迫害を受け、脅迫にさらされることになる。どんなところにも卑劣な人間というのはいるもので、その行為には肌がざわつくほどの怒りを感じる。

 女教師はついに遠方の学校へ転任を命じられ、新しく都会から来た教師がやってくるのだが・・・。

 マルゲが立ち上がり、身を挺しての訴えが行われ、事態は急変する。これは実話であり、驚くべきことに数年後、マルゲは国連で演説をした、とナレーションは伝えるのである。好い映画を観た。

母の日

 昨日の夕刻、テレビでは母の日の話題を報じていた。私の母が死んで今度の夏が来れば丸四年経つ。いまでも母のことを思い出すが、介護の最中のことだったり、寝たきりになる前の、なんとか一緒に温泉などに行けていた数年間のこともある。私は母に優しくなかったことだけが思い出される。いまさら悔いても仕方がない。

 同時に子供たちにとっての母のことにも思いが行く。彼らが小学生の時に家から去って二度と彼女は戻らなかった。彼らが小学生の時に母の日をどんな気持で過ごしたのか、私には分からない。彼らもそのことについて一言も言わない。さまざまな思いを封じこめて彼らは成長した。

 そのことをいまになって強く考えることもあるけれど、いまさらどうしようもないことである。彼らがそのことをどのように内面化し、そのことによって強くなったのか、それとも思い出したくない心の傷になったのか、父親である私はそのことは永遠に知らずに終わる気がする。もちろん尋ねるつもりはない。

 母の日のことなんて、子供たちも私も最初から無いかのようにやり過ごしてきたけれど、昨日は繰り返しそのことを報じていたので、そういう日があったのだということを思い知らされた。べつにかまわないけれど・・・。

2018年5月13日 (日)

映画寸評(16)

『さらば愛しき女よ』1975年アメリカ映画
監督ディック・リチャーズ、出演ロバート・ミッチャム、シャーロット・ランプリング他。

 若いころ、SFと同時にミステリーにはまった。日本のものなら江戸川乱歩や横溝正史、そして高木彬光などだが、それよりも海外のミステリーが多かった。海外のものといえばハードボイルドが面白く、ハメットやチャンドラーの作品などを手当たり次第に読んだ。

 これらの作品の映画化されたものといえば、ハンフリー・ボガート主演の『マルタの鷹』(ハメット原作、探偵はサム・スペード)、『三つ数えろ』(チャンドラー原作、探偵はフィリップ・マーロウ)が思い浮かぶ。そしてこの『さらば愛しき女よ』はチャンドラーの同名の原作で、探偵のフィリップ・マーロウを演じるのはロバート・ミッチャムである。

 この映画を観るのは三回目か四回目だ。話の展開の意外性が面白い作品なのだが、すべて知っているからその意外性を楽しむわけにはいかない。それなのに何度も観るのは好きだからであり、同時にヒロイン役のシャーロット・ランプリングが大好きだからである。彼女の蠱惑的な目に見つめられるとうっとりとしてしまう。

 探偵に依頼する大男のマロイと云う男の一途な気持もちょっと好い。何よりアメリカのハードボイルドは台詞が絶妙で、それがキザに感じられないためにはその台詞が似合う俳優でないと務まらない。やはりボガートであり、ミッチャムなのである。  

『サイレント・マウンテン巌壁の戦場』2014年オーストリア映画
監督エルンスト・コスナー、出演ウィリアム・モーズリー、クラウディア・カルディナーレ他。

 オーストラリア映画ではなくでオーストリア映画である。第一次大戦中のチロル地方でのオーストリア=ハンガリー軍とイタリア軍との山岳戦が描かれる。予想しなかったけれど、好い映画であった。

 歴史的な知識が無かったので、当時のチロル地方というのがどういう地域だったのか、この映画で初めて知ることになった。観光ホテルの持ち主が谷間と山岳に掛け渡すロープウエイを建設する計画を進めており、そのためにイタリアからやって来た若い技師がホテルの持ち主の娘と恋仲とって結婚することになる。

 映画の冒頭はその結婚式の様子が詳しく描かれていくのだが、イタリア人に対して反感を持つもの、純粋に二人を祝福するものなど、さまざまな人々が集う。式もたけなわになったころ、イタリアがオーストリアに宣戦布告をしたという知らせが届く。式は騒然として散会となる。ホテルの持ち主は義勇軍のリーダーとして地元の人々を集め、イタリア人たちは命からがらイタリアへ帰っていく。そしてイタリア人の娘(花婿の妹)が一人取り残される。

 主人公はこのホテルの主人の息子である。彼とその娘との関係、そして想像を絶する苛酷な山岳戦、そしてイタリア軍が進める驚くべき作戦が緊迫感を盛り上げていく。さらに卑劣な男などが登場していやがおうでも感情が高まる。

 人と人とがひき裂かれて行く姿に戦争の悲劇が実感として感じられる。主人公の回想シーンに奇妙な滑稽さと静けさがあり、記憶に残った。

朗読

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 むかしは、人付き合いのない山の中ででもなければ、独り暮らしでも誰かと話さないで生活することはできなかったが、いまは無言でも差し支えない。というよりも独り暮らしだと誰かと積極的に関わろうとしないかぎり無言でいることになってしまう。

 そんな生活がしばらく続いたあとに友人や身内のものと会うと、声がかすれたようになって上手く発声できない。しばしばどうしたのかと問われる。身体は使わないと機能が衰えるようである。しばらく会話していれば普通に発声できるようになるのだが、母が晩年発語障害になって意思疎通ができなくなって急激に認知機能の衰えたのを見ているので、気になっている。

 そのためだけに独り言を言うようにするというわけにもいかないので朗読をするようにしてみたことがある。最初は好きな中原中也や萩原朔太郎の詩を声に出して読むようにした。独りだからかまわないようなものだがちょっと照れくさい。途中から島崎藤村の詩に替えたら七五調で調子が良いし、ある程度の声量がひとりでにでるので具合が良い。

 しかしながら楽しくてやっていることでもないから、こういうことはなかなか続かないもので、最近はサボっていた。そうしたら架かってきた電話にこたえる声がかすれてうまく声が出ない。いままでよりもひどくなっている。

 あわてて朗読を再開した。いまは徳冨蘆花の『自然と人生』を呼んでいる。美文でしかも一つひとつのはなしが極めて短い。黙読で読んでいたときとは違って、描かれている内容が鮮やかにイメージできることを知った。声を出して読んだ方が解りやすい文章というものもあるのだ。これは当たりであった。

 とはいえ、これもどこまで続くか分からない。分からないけれど効果があることだけは分かったので、やめたり再開したりを繰り返すことになりそうだ。別の自分との会話はときどきする。しかしそれは声を出さずにする。いろいろのサークルなどで話し相手を求めるという手もあるが、どうもそういうのが好きではない。猫でもいたら好い話し相手になるのだが、マンションでは猫が可哀想だし、泊まりがけで出掛けることができなくなってしまう。

2018年5月12日 (土)

映画寸評(15)

『エンド・オブ・ザ・フューチャー』2015年イギリス映画。
監督ジャスティン・レフガルネ、出演エリオット・コーワン、エロディ・ユン他。

 近未来(2024年)、合法の快楽ドラッグが製薬会社で製造販売されるようになっている。もちろん違法ドラッグも蔓延し、それは厳しく取り締まりを受けている。合法快楽ドラッグで巨額の利益を得ている製薬会社のコンピューター室で身元不明の若い男の死体が発見され、捜査が開始されるが、そもそも彼がどこから侵入したのか解らない。その死体のDNAに該当する人物は存在しないこと、身体からは全く未知のドラッグが発見されたことなど謎だらけである。

 映画ではその死体となった人物が何をしていたのか、そして誰に殺されたかについて、極めてあいまいながら断片映像が冒頭に映し出されている。これが全体の伏線である。

 捜査官フランク(エリオット・コーワン)は謎を解くために調査を進めるが、警察の上部から圧力がかかって捜査から外されてしまう。そこに製薬会社の影を感じた彼は独自に調べを進めるうちに警察と製薬会社のあいだに異常な癒着があること、何か恐るべきことが製薬会社によって行われているらしいことが分かって来る。

 そして彼が目にしたのは現実にはあり得ない光景だった。信じられないことだが信じざるを得ないことがある。そして事態には彼の家族も深く関係していることを知ったとき、彼はその身元不明の死体の正体を知る。そして彼が選んだ決断は・・・。

 最初の断片映像と全く同じシーンがラストに重なり、結果が大きく異なることを呈示して映画は終わる。何が何やら分からないままの人もいるだろうし、釈然としない人もいるだろうが、私にはそこそこ面白かった。

 SF作家のリチャード・マシスン原作の映画『ある日どこかで』(クリストファー・リーヴ主演)や、イギリスの評論家で作家のコリン・ウィルソンの小説『賢者の石』がこの映画を観るときの参考になるのだけれど、たぶん知らないだろうなあ、とちょっと知ったかぶりをさせてもらう。

『インタープラネット』2016年オーストラリア映画
監督ジェシー・オブライエン、出演ダン・モール、アリーシャ・ローズ他。

 あの『マッドマックス』を思い出させるような、乾いてほこりっぽくて砂まみれの世界が全編を通じて映し出される。オーストラリア映画というのはどうもこの傾向があるような気がする。それほどたくさん観ているわけではないが。

 最初の展開はなんだかテンポが速すぎてストーリーが良く解らない。解らないなりに勝手に解釈して観ていた。主人公が断ることができない事情から、ある依頼を受けて宇宙船から秘密情報を盗もうとするのだが、そこから情報を転送しかけた途中で宇宙船が出発してしまう(!)。その上その宇宙船が見知らぬ砂だらけの星に不時着してしまうのである。無理矢理な展開であるがほとんどはその不時着した星での不思議なお話である。

 理屈を考えていたら観続けるのが難しい映画だが、こう言うのを無理矢理ねじ伏せて読み取るのは嫌いではないのでそのまま観ていると案外面白かった。異星の生物と共生することで生命を復活させるなどというはなしはこういう展開でないと無理だろう。ある意味で再生願望の成就である。だから死んだはずの女性もまた生きて現れるのである。そういう映画なのであらすじを説明するのが難しい。物語は主人公の考える優先順位に従って展開されるので、主人公のやっているゲームを観ているようなものか。

 この映画ではない、同名の映画を以前観たことがあるような気がするのだが、思い出せない。

茶臼山高原


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連休前からしばらく出掛けずにいて、ほとんどひきこもり状態だった。出掛けないでいると出掛けることが億劫になってくる。お蔭でずいぶん映画を観ることができたが、ちょっと精神がくすぶりだした。だがなかなか遠出のきっかけがつかめない。

好天で気持ちの良い日が続いている。もったいないなあと思ったていたら、むかし子供たちと行ったことのある茶臼山高原に行ってみようと思い立った。思い立ったのが昼前で、ちょっと迷ったが、ぐずぐずしていると天気は下り坂である。即出発した。

ナビに設定して走り出したらどうもおかしい。茶臼山高原は愛知県と長野県の県境にあり、愛知県で一番高いところではあるが、ナビは中央道を案内し、はるか北側の長野県から南下するよう案内する。これでは遠回りである。前に行ったときは足助経由で行ったはずで、その方が明らかに近い。ルートを変更する。

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前日は風が強かったが、昨日は風も穏やかであった。駐車場に車を置いてリフトで登る。高度があるのでひんやりする。以前来た時は半袖で震えたが、今回は日差しも暖かく、大丈夫。

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展望台に上れば南アルプスの山々が見える。案内板によれば赤石連峰の3000メートル級の山々であるが、どれがどの山か忘れた。

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むかし牧場があって、牛や馬がいたような記憶があるが、いまは芝桜の花園になっていた。

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最盛期より少し時期が遅かったような感じであるが、なかなか見応えがある。しばらく散策してから景色を楽しむ。

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下りのリフトから見下ろす。

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下りの方が見晴らしが良い。高さも感じることができる。

片道二時間半ほど、帰宅したら五時を過ぎていた。途中足助など、寄りたいところがいくつもあったが、今度また行くことにする。

ドライブしたらとても気分がすっきりした。同時に遠出したい気持ちがふたたび湧いてきた。夜はどこに出掛けようかと地図をいくつも拡げていたら興奮して眠れなくなった。


2018年5月11日 (金)

映画寸評(14)

『図書館戦争 THE LAST MISSION」2015年日本映画
監督・佐藤信介、出演・岡田准一、榮倉奈々、田中圭、福士蒼汰、松坂桃李、石坂浩二他。

 国家による思想検閲がエスカレートして、多くの本が焚書されている近未来世界でのはなしが描かれているのだが、それを「そういうこともあるかも知れない」と思うか、「まさかこんなことはあるはずがない」と思うかどうか。その焚書される本を護るために図書館法を盾に戦う主人公達と権力側の戦争が描かれている。

 もちろん現実から見れば荒唐無稽な物語ではあるのだが、では中国や北朝鮮ではどうなのか。デフォルメされたこの物語ほどではないけれど、信じ難いほどの規制は現に存在する。日本でもそれが普通に行われたことであり、戦後それが進駐軍によってさらに巧妙に規制され、いまは自主規制という名で残されているという見方もできる。もちろん中国や北朝鮮ほどではないが。

 この物語の世界での規制の名目は公序良俗の維持である。公序良俗の保持は大事なことであるが、その名のもとに誰かに都合の良い体制を維持する道具にされてはたまらない。それを象徴するのが本なのである。本を護るために命をかけるということが必要な時代など来て欲しくないが、本などどうでも良いという人が増えれば増えるほど、そういう世界が近づく。

 本好きからすると感情移入するところはあるのだが、戦闘行為によって本が損なわれていくシーンは少々つらい。

『半落ち』2004年日本映画。
監督・佐々部清、出演・寺尾聰、原田美枝子、鶴田真由、柴田恭兵、樹木希林、吉岡秀隆、國村隼他。

 「半落ち」とは犯人が犯行の一部を自供したことをいう警察の隠語。全部を自供することを「完落ち」というようである。

 アルツハイマーの妻(原田美枝子)を自宅で介護していた元警察官の梶(寺尾聰)が、警察に「妻を殺した」と出頭してくる。捜査に当たった志木警視正(柴田恭兵)はその殺害経緯と動機を聴取する。ところが殺害して出頭するまでに丸二日間が経過しており、その間の行動についての供述だけがあいまいなまま梶は黙秘してしまう。

 警察は警察官による尊属殺人の不祥事として「完落ち」として迅速な処理を進めようとする。梶はそれに同意して事件は警察の意向通りに処理されていくのだが、二日間の謎は次第に大きな疑問点としてクローズアップされていく。

 警察、マスコミ、検察、裁判官のそれぞれが自分の立場からの真相究明を行っていき、やがてその謎の二日間の梶の行動とその理由が明らかになっていき・・・・。そこから先はネタバレになるのでここまでとする。この面白い映画(原作は横山秀夫の同名小説)をまだ観ていないのなら機会があれば観ることをお薦めする。大変面白いし感動もする。アルツハイマーの介護という問題に感じるところもあるはずだ。

 実はこの原作の小説は直木賞候補になりながらある理由で選ばれなかった。そのことで論争になったことをこの映画のことを調べていて知った。梶が妻を殺したあとに死ななかった理由が若干不自然な感じがする点に関係しているが、気にする必要はないと思う。

 樹木希林がすばらしい演技をしていた。この人はやはり名優だと思う。高橋一生が最後に大事な役で少しだけ出てくる。

2018年5月10日 (木)

予測

 原発事故の訴訟裁判で地震学者が、「巨大地震の可能性が予測されていたのに東京電力がその対策を講じなかったのだから責任がある」と証言したと今朝のニュースで報じていた。過去にも巨大地震が起き、巨大津波が起きている(吉村昭の『三陸海岸大津波』にはこの地に起きた過去の大地震や大津波が詳細に書かれている)ことは知られており、その可能性は繰り返し指摘されていることである。

 それに対して被告側は、予測については異論もあったので予測は不可能だったと反論したそうだ。異論があったら予測は不可能だったという論理は成り立つのだろうか。異論があったのだから予測は存在しなかったと強弁しているようにしか聞こえない。予測がされていたと学者はいったのであって、予知したといっているわけではない。いまの科学で予知は不可能だということと、予測が出来なかったということとを同一視して責任を否定するのはおかしい。

 私は今回の原発事故は人災だと考えている。然るべき対策が講じられていれば起きずに済んだ事故だと思うからである。現に同様の事態にさらされた福島第2原発や女川原発では原発事故に至らなかった。

 だから原発再稼働には消極的ながら賛同する立場であった。そもそも起きないはずの事故なのだから対策さえとれば安全に稼動できるはずだと考えていたからだ。消極的というのは、起きた事故に対してその責任を引き受けることなく、予測できなかったから責任はない、と強弁する人々を見ているからだ。起きたことの責任をとらない人間は信用ができない。信用ができない人に何かをゆだねることが出来ないと思うからだ。

 その気持ちが次第に高じてきて、そもそも原発を稼動させるということに伴う責任を自覚できない人が数多く原発に関わっているらしい、という気がしてきた。何しろ細かい不具合があまりにも数多く発生している。だからいまは原発はやめる方向にもっていくしかないだろうと考えている。

 核燃料の廃棄物については高速増殖炉などで消化が可能だという夢を抱いていたが、それももんじゅの廃炉によって頓挫した。理論的には可能でも、実用に至るための管理が人間にはまだできないことが明らかにされてしまった。お粗末な不備不具合が頻発して自滅した恰好だ。

 今回の被告たちの非論理的反論を聞いて、こういう人たちが扱う可能性の大きい原発はやめた方が良い、という考えがさらに強くなった。原発は、保身のためとはいえ責任があるのに責任がないというような人間が扱えるようなものではないのだ。責任を引き受ける覚悟のある人間だけが扱うべきものが、そうでないものによって滅茶滅茶にされているものはたくさんあるのかも知れない。

映画寸評(13)

『ファルコン イタリア警察特殊部隊』2017年イタリア映画
監督トニ・ダンジェロ、出演フォルトゥナート・チェルリーノ、ミケーレ・リオンディーノ他。

 イタリアのナポリが舞台。暴走を咎められても平然としているベテランと若手のコンビの刑事二人。若手の失態でベテランは怪我をし、ベテランはそれを咎めないが二人の仲は冷え切る。そんなときベテランの友人の古参刑事が自殺する。洩れてはならない悪事を使っていた情報屋に洩らされて査問にかけられ、進退が窮まったのだ。そのことがきっかけでコンビの二人がさらに別々に勝手に暴走を始める。そしてそれぞれが関わったことをきっかけにチャイナマフィアとの死闘へ突入していく。

 子どもが関わると同様に、事件に犬が関わると人間のこと以上に感情が爆発するようだ。そういう映画をいくつも観た。私はそこまで動物に思い入れはできないが、それでもそうなる気持ちは分からないことはない。この映画にも犬が大きく関わり、そのことで捨て身の殴り込みが行われる。
 
 台詞を切り詰めているから逆に台詞が光り、気持が伝わる。しっかり観ていないとストーリーが分からない。次第に人間関係や、立場、それぞれの気持が見て取れるようになる。こういうクールな映画は好きである。クールだから熱い。そういう映画である。

『壬生義士伝』2003年日本映画。
監督・滝田洋二郎、出演・中井貴一、佐藤浩市、村田雄浩、中谷美紀、夏川結衣、三宅裕二他。

 明治三十二年、ある老人が孫を背負って医院に駆けこむ。医院は明かりをおとし、すでに閉院していた。しかも扉には明日転居すると記された貼り紙がある。それでもあえて戸をたたくと、出て来た医師(村田雄浩)は快く二人を迎え入れる。

 そこで老人が目にした写真には思わぬ人物の姿があった。ここから老人の長い回想が始まる。老人の正体は新撰組の斉藤一(佐藤浩市)、そして写真の主は彼が毛嫌いしていた同じ新撰組隊士で南部藩出身の吉村貫一郎(中井貴一)であった。

 斉藤一が吉村貫一郎を毛嫌いしたのは武士にあるまじき吝嗇で金にこだわる姿だった。そしてその理由を映画は次第に明らかにしていく。なぜ吉村貫一郎が脱藩してまで新撰組に入ったのか、彼が何を最も重んじていたのか。そして実は斉藤一は最初毛嫌いしていたけれど、いまは彼に最も敬意を持っていることも明らかになる。

 彼が最も武士にあるまじきものとして考えていた吉村貫一郎が、実は最も武士らしい武士だったことが彼にも解ったからだ。そしてなぜその医院に吉村貫一郎の写真があるのかが医師から語られる。さらに吉村貫一郎の悲惨で凄絶な最期の様子が知らされる。

 映画としては悪くないのだが、どういうわけか最期の30分間が恐ろしく冗漫で、全体の興を削いでいる。これをとことんそぎ落とす方がずっと余韻の残る好い映画になったのに、と思うと惜しまれる。演じていた中井貴一もうんざりしたのではないか。それに瀕死のなかで語ることばは当然のことながら聞き取りにくいのである。私はいささか耳が悪いので、台詞が聞き取りにくい映画は苦手なのだ。

2018年5月 9日 (水)

残されたことば

 父は大正三年生まれで、生きていれば明日が104歳の誕生日。独り言をよく言っていたことは以前にも書いた。その独り言の中にしばしば「死してのち已む」とか「電光石火の如く」とか「身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり」という中国のことばがあった。もっといろいろあったが思い出せない。

 こういう独り言のときは私たち兄弟に言い聞かせたいときであるから、大きな声で言う。子どもを前に座らせて説教するなどというのが苦手な父だったから、独り言で言いたいことを伝えていたのだと思う。

 いま私が遊び部屋にしている部屋は娘のどん姫の部屋だったけれど、彼女の机の前の壁には、わら半紙に書かれた父の言葉が残されている。父は本や新聞などから気にいった言葉や俳句などを引き写して書くのが好きだった。その中から選んでどん姫にこれをくれたのだろう。

「少年老い易く学成り難し
  一寸の光陰軽んずべからず」

「いつまでもあると思うな親と金
  ないと思うな運と災難」

「若いときの苦労はかってもやれ」

「いまといういまの時なる時はなし
  いの時過ぎればまの時はくる」

「金剛石は磨かずば玉の光は出でざらん
  人も学びて後にこそ誠の徳はあらわるれ」

父の兄弟はみな達筆であり、父も端正な字を書く。その端正な字で書かれたことばをいま眺めている。少なくとも書かれて二十年ほど経っている紙は少し黄ばんでいる。

音楽を聴く

 それほど音楽を熱心に聴く方ではないが、それでも長年のあいだに購入したCDはかなりの数になっている。一時期、中古CDの店があちこちにできて、よりどりみどりで安く購入できたときはときどき店を覗いてはコレクションを増やした。一二度聴いてそれきりのものもあるけれど、繰り返し繰り返し聴いたものも多い。

「Curio Sound」という多機能の音楽ソフトを持っているが、主にCDのハイレゾ化に使用している。CDの音源は48bitであるが、これを96bitに変換してくれる。それほど感度が良くない私の耳でもなんとなく音が深くなめらかになった気がする。

 昨年後半からハイレゾの初心者として音楽配信サービス(私はe-onkyo)からダウンロードしたハイレゾのイージーリスニング的なジャズやクラシックの名曲のさわりを集めたものなどを聴き始めているが、歌謡曲やポップスのCDをハイレゾ化してUSB-DACを通して聴くことも多い。このCDにはこんなにいい音が入っていたのか、などと思うこともある。

 好きな歌手はたくさんいて、そのときどきで聴きたい歌手が代わる。この二三日は久しぶりに西島三重子を繰り返し聴いている。「池上線」や「千登勢橋」、「冬のカルナバル」などは聞いたことのある人もいるだろう。私はテレビで一度だけ見たことがある。一時期は車でいつも聴いていたので子どもたちにうんざりされたこともある。

 歌詞の分かる音楽は聴きながらその歌詞のイメージも追うので、音楽を聴きながら本を読むと集中力が妨げられる。だから眼を休めて音楽に集中するような気分のときに日本の歌手の歌を聴く。歌詞があっても外国語ならイメージを追うほど分からないので気にならない。しかし本に集中しはじめるとほとんど音楽は聞こえない。

 音楽を純粋に音としてそのまま感じて楽しめる人と、イメージ化してから楽しむ人とがいるという。私はクラシックなどはイメージ化しないと聞いても楽しめないから後者である。だからジャズはなかなか楽しめなかった。最近ようやく身体で聞いた音をそのまま感じることができるようになり始めた。ハイレゾで聴くことで臨場感が増したのと、サブウーハーをつけて低音を効かせることができるようになったことが大きいようだ。バスの低音を身体で感じることができる。

 ジャズは言葉やイメージに変換することなく、音をそのまま感じることのできる人がたぶんその素晴らしさをより感じているはずだ。いいオーディオにこだわる人たちもそういう音の魔力に魅せられているのだろう。専門雑誌などを眺めて、つい高価なシステムに食指が動くけれど、いまは我慢している。やりたいことはやればいいというのがモットーではあるけれど、あまりに間口を拡げてもみな中途半端になるからである。

 それにしてもいいアンプとスピーカーが欲しいなあ。

2018年5月 8日 (火)

『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』磯田道史(NHK出版新書)

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 NHKBSの『英雄たちの選択』という番組をご覧になっている人もいるだろう。あの番組のまとめ役をしているのが著者の磯田道史氏だ。歴史上の個別の史実と、全体を大づかみしての歴史の流れの意味を調和して語ることのできる人で、なるほどそうなのかと思わせてくれることが多い。

 磯田道史氏は史学者。史学者は司馬遼太郎を語ることがない、と著者も前書きで書いている。それを敢えて史学者として司馬遼太郎の視点をベースに日本の歴史を語っているのがこの本である。

 実はこの本を読む前に『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録Ⅳ』を読了したばかりだ。そちらはむかしNHKで放映された『雑談「昭和」への道』全12回がベースとなっている。これが後に『「昭和」という国家』という本のベースになっており、さらにそれが展開されて『この国のかたち』全六巻となったものである。そして磯田道史氏もしばしば『「昭和」という国家』を引用して司馬遼太郎の歴史観を解析している。 

 私が学生時代からテーマにしているものがあって、一つは「中国の文化大革命とはなんだったのか」であり、ひとつは「なぜ日本は敗戦必至の戦争などを起こしてしまったのか」であり、そのことはこのブログでも繰り返し書いている。

 日本が戦争に至った経緯についてのひとつの考察が司馬遼太郎のこれらの文章から得られ、それは私の同感するところでもある。そしてそれを司馬遼太郎にのめり込みすぎずに斜めからの視線でさらに分かりやすく語ったのがこの『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』なのである。

 さまざまな歴史の転換点があり、そのときどきにその転換に大きく関わった人々がいるが、残念なことに日露戦争以後、転換点に関わるほどの人物が存在しなかった。どうして負けることが明らかな戦争に突入するまでにそれを阻止する者がいなかったのか。そして愚かな戦争を終わらせるために命をかけた人がいなかったのか。

 すでにもうそのような人は現れないのだ、と覚悟して、では無力に近い自分はどうするのか。そのことを考えることが大事なことなのだと感じてずっとそれにこだわっている。それはそのまま日本という国を考えること、日本人である自分を考えることでもあると思っている。

安眠願望

 しばらく問題なかったのに近頃また睡眠が乱れていた。なかなか眠れなかったり、うまく寝られても二時三時に目覚めてそのまま眠れなくなったりしていた。さすがに無不足がたまったせいか、昨晩は八時過ぎに猛烈に睡魔が襲い、あわてて布団を敷いてそのまま爆睡した。四時過ぎには目覚めたけれど、久しぶりの気持ちの好い目覚めであった。

 今日は自分の誕生日。どん姫とは二日遅れ(生まれたのは当たり前のことながらずっと早いが)なのである。勤めていた会社は六十歳の誕生月を定年退職の期限とするから、思えばリタイアしてもう八年が過ぎたことになる。あっという間のような気がするし、ずいぶん昔のことのような気もする。

 毎日が日曜日の生活になって、最初はみなが働いている普通の日に家でゴロゴロしていることに何ともいえない疚しさを感じた。したことはないけれど、仮病で仕事をさぼっている気持はこんなものかと思ったりした。

 嬉しかったのは、混まない普通の日に旅に出られることだった。宿もとりやすいし、時間帯を選べば道もすいている。帰る時間を気にする必要が無いから、その場で思い立った場所へ足を伸ばすことが自由にできるのはとてもありがたい。予定を立てないで行動することの自由さはいままで得られなかった喜びだった。

 リタイアして半年もすると、何もすることがなくなって寂しくなる、などと良く聞くが、そんなことを感じたことはなかった。ただ、私生活上の問題の整理をするために約三年間、かなりストレスフルな期間があったのはこたえた。裁判所に何度も足を運んでいままであまり知らなかった法律の世界という世の中の仕組みを知ることになった。このときに不眠症気味になった。夜、寝床で相手の言い分を頭で反芻していると興奮して眠れなくなってしまうのである。

 寝床に入り、目を瞑ればスイッチを切るように寝られるたちなので、それまで不眠などというのは年に一度か二度しかないことで、自分が睡眠薬のお世話になるなどとは信じられないことだった。いまも医師に処方して貰っているが、極力服用しないようにしている。

 次第に睡眠薬が不要になってきていた矢先の睡眠不足だったので、少々不安があった。理由のない不眠は慢性になるのではないかと心配したのだ。少々身体をいじめて、疲れから眠れるようにする必要があるのかも知れない。それが最良の睡眠薬であろう。安眠が普通にできているときには安眠のありがたさは分からない。安眠できなくなってそれを実感している。

2018年5月 7日 (月)

想定内

 歩く速度が低下している。もともと歩くのは速いほうだったつもりが、いまは一生懸命歩いているつもりでも、前をゆったり歩いているおばさんになかなか追いつかない。定期検診を受けている病院まで歩いて20分ほどかかるが、意識して早歩きの散歩を習慣づけたら17分になった。それが雨降りとはいえ今日は20分かかってしまった。膝も痛いこともあって、今月は散歩もせずに家にこもることが多かった。足は一気に衰えるもののようだ。

 暴飲暴食の回数はそれほど多くなかったけれど、ドライデーはほとんどなかったから、検査結果は悪いだろうと覚悟していた。空腹時血糖値、HA1cの数字は再びレッドゾーンに振れていた。女医さんは、数字をじっと見てから、どうしましたか?とおたずねになる。このままでは薬をまた増やさなければならないですよ!とのご託宣である。つまり今回は大目にみてくれると言うことらしい。コレステロールや血圧、肝機能の検査はすべて良好。体重はこの3日で3キロおとした。身体の水分を減らすだけなら、やろうと思えばすぐできるのである。ほぼ3キロが限度だけれど。

 連休明けだから混むことが予想されるので早めに行って並んだ甲斐があり、いつも以上にスムーズに診察は終わった。それなのに薬局でいつも以上に待たされた。坐る場所がほとんどないほど混んでいる。仕方がないのである。どうせ本を読んで時間はつぶせる。

 それでも昼には帰宅できた。昨晩から絶食しているから腹ぺこである。さあ、何を作って食べようか。ちょっと甘い物も食べたいなあ。

 いつも行っている、検診前の一週間から十日の節制を全くしないとこうなるであろうなあ、という想定内の結果であった。まあいいか。

言論批判

 かつて言論統制は権力者が行った。いまは、少なくとも日本では、自由にものを言うことができることになっている。しかし昨今の状況を見ていると、自分の意見を自由に語るとネットで必ず批判がある。そしてマスコミはそれを取りあげて尻馬に乗る。マスコミ自身が言っていることではない、世間の人がみなこう言っている、という取りあげ方である。

 自由にものが言えるのであれば、それを批判するのも自由ではないかと反論されれば、いかにもそうかとつい思いかねないが、よく考えれば、最初の意見は、あるものごとについての自分の考えの表明である。しかしそれを批判する人の意見は、しばしば批判している人の考えというよりも、語られた意見の言葉尻の是非についての意見であることが多い。

 たとえば、「そういう意見は男性上位、男性優位の思考からきているから問題だ」、といったものや「それを擁護するのは暴力を肯定するということか」というものや、「差別を肯定するのか」というのがしばしば批判として散見される。それが善悪に還元されて批判されていることが多いのである。

 確かに過去普通に見過ごされていたことも、現代の価値基準に照らしてみれば問題であるということは多い。さまざまな批判が積み重なってようやく世の中が変わっていくものであることも承知している。

 大向こう受けを狙って突拍子もないことを言ったり、わざわざ批判を呼び込むために偽悪的に語るものもいるし、本当に間違っているとしか思えないこと、根拠のないウソを言う者もいるから批判は大事である。

 しかし批判を浴びせられている意見というのが、しばしばものごとの見方を白か黒かの善悪の問題としてではなく、総合的に考えたことを語ることばであることがある。こういう見方もあるよ、という新しい切り口を呈示している場合にしばしば批判が寄せられる。ものごとを善悪としてばかり見る見方に囚われていると、「悪を肯定しているから私がそれを指摘し、たださなければならない」、という義憤に駆られて批判しているようだ。

 人は自分の意見を語っているようで、実は誰かの口まねをしているだけであることがある。私も語ることの多くはその傾向があることにときどき気がつく。それでも、なんとか自分でそのことを自分なりに考えた上で賛同して言うように心がけているつもりだ。  

 相手の言っていることを十分聞かずに、正義の名のもとに批判のための批判だけをしているものが目につくのである。それは自由に物を言う気持を萎えさせる。それがエスカレートしていけば、それは大衆による言論統制ではないか、などと心配になる。公序良俗を推進した果ての世界を描いた『図書館戦争』を連想するのは考えすぎか。

 批判が自由に物を言うことを封じ込めることにつながるような批判になってはならないと思うが、マスコミの過剰な自主規制にその気配を感じている。マスコミは正義の名のもとの批判をもっとも恐れているようである。

2018年5月 6日 (日)

気持を切り替える

 早朝、息子は広島へ帰っていった。今日で連休も最後、明日から世の中はふだんに戻る。ちょっとお祭り気分だった私も定常状態に気持を切り替えなければならない。今日はどん姫の誕生日だ。とりあえずお祝いのメールを入れる。先日来た時は疲れているのか、ちょっといつもの元気がなさそうだったのが心配だ。

 明日は病院の定期検診日。いつもなら一週間前から節酒または休酒するところだが、今回は控え目とはいえほとんど毎日飲んでいる。昨晩は息子が立ち寄ってきたというサントリーの白秋蒸留所で買ったモルトのウイスキーを少しだけいただいた。ウイスキーはふだん飲まないが、さすがに美味い。少しずつ口に含むと口中に馥郁たる香りが拡がる。

 息子はそこの近くのペンションに泊まったという。山中で、夜はとても寒かったそうだ。心配していたけれどさいわい天気にも恵まれ、好いドライブだったようだ。何しろロータスの新車である。先日乗せてもらったけれど、加速感が全然違う。ただし座席の固定される感じが強いので私には窮屈だが、運転の愉しさは格別らしい。仕事が忙しくて以前のようにドライブに出る暇がないのだそうだが、忙しいのはけっこうなことである。

 そんな話を肴に飲んでいると私も車で出掛けたくなる。どこに行こうか。西にしようか北にしようか。いまごろが一番快適な季節である。考えているとだんだん気持が元気になってくる。

2018年5月 5日 (土)

映画寸評(13)

『蜩ノ記』2014年・日本映画。
監督・小泉堯夫、出演・役所広司、岡田准一、堀北真希、原田美枝子、寺島しのぶ、青木崇高、井川比佐志他。

 原作は葉室麟を読み始めたきっかけになった同名の時代小説。藤沢周平が「海坂藩」という庄内地方の架空の藩を舞台にいくつもの小説を書き残したように、葉室麟は九州の小藩である「羽根藩」を舞台にした小説を書いていてこれもその一つである。

 原作への思い入れが強くあり、そのイメージを壊したくなくてなかなかこの映画を観る気にならなかった。ようやく思い立って観てみたけれど、結果として好い映画だと評価したい。

 今回感じたことだけれど、時代劇の善し悪しは正座している姿の佇まいでずいぶん違うのではないかということだ。この映画の登場人物達の座る姿の静かな安定感が実に気持ちがよい。それを立ち位置からのカメラではなく、胸の位置やもう少し下から映している。一部を除いて台詞も必要最小限にとどめて、会話も少ない。沈黙が言葉以上のものを語る、そして人と人の心がそのことによってこそ伝わる、ということを表現することに成功している。

 全体に静かな映画で、時代劇らしい時代劇に仕上がっている。岡田准一の太刀さばきは見事であった。この人は腰が定まっている。武道を本格的にやっていることが見て取れる。三船敏郎の息子の大根役者である三船史郎が先代藩主役で出ていたが、ちょい役だからボロを出さずにいたのは幸いであった。この人、この監督の作品である『雨あがる』でひどい演技を見せていた。小泉監督は黒澤明の弟子らしいから、その縁でなにかの恩情で加えたのであろうか。

『MOZU』2015年・日本映画。
監督・羽住英一郎、出演・西島秀俊、香川照之、真木よう子、池松壮亮、松坂桃李、伊勢谷友介、長谷川博己、ビートたけし他。

 逢坂剛の原作のシリーズをもとにTBSが第一シーズンを、そしてWOWOWが第2シーズンを制作放映したが、その続編となる劇場版の映画である。WOWOWのシリーズ開始前にTBS版をCMを入れずにWOWOWで一挙に再放送してくれたので、全体を観ることができた。

 人間は生死や善悪を超越してしまうと、ずいぶん恐ろしい存在になるものだということを、これでもかとばかりに表現するドラマだったけれど、この劇場版はさらにリアリティすら超越してしまっているので、ある意味でコミカルになってしまった。松坂桃李の血まみれの狂気はあまりに真に迫っているので、笑うしかない。

 ところでドラマでもその存在が呈示されながら正体を見せなかった「ダルマ」が今回登場する。ビートたけしが演じてそれなりに迫力があるけれど、それに心酔する男たちが、どうしてそんなに心酔するのかが私には最後まで理解できなかった。そこがこの映画のウイークポイントのような気がする。それが少しでもいいから分かると、恐ろしさがぐんと増してもっと面白かったのに・・・。

 倉木(西島秀俊)や大杉(香川照之)の不死身さ加減が格段に向上している。普通、あんなふうにされたら死ぬだろう!この劇場版を観たために却って収まりがつかないことになった。続編が描かれたら、また観てしまうだろう。ただ、これ以上荒唐無稽にしないでくれるとありがたいが。それにそもそものモズ(池松壮亮)がこれでは霞んでしまったではないか。

2018年5月 4日 (金)

『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版Ⅲ』(朝日新聞社)

 司馬遼太郎が貝塚茂樹(ノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹博士の弟で、東洋史学者)の言葉を紹介している。

「文明人を標榜する中国人は、なぜ日本人を野蛮人だと見做したのか。野蛮人は死んでしまった人のことを記録しない。文明人はすべて記録する。野蛮人はひいじいさんのことを何も知らない。名前も知らない。中国人はひいじいさんどころかかなり上まで名前を知っている」

 これが正しいとか正しくないと言うことではない。中国人は文明人をそういうものだと認識していると言うことだ。だから歴代の王朝が滅びると必ず次の王朝はその前の王朝の正史を作成する。もちろんそこには前王朝を貶めるような記述があり、新王朝を正当化するようなことも書かれるけれど、厖大な記録が残されているので全くのでたらめが書かれることはない。でたらめを書くくらいなら最初から前王朝の正史を残したりしない。ところが清王朝の正史は作成されていない。その件は別の話なのでここではおいておく。

 記録を残す、ということでたちまち思い当たることがあった。司馬遼太郎も言及しているけれど、『日本で一番長い日』という映画にもあるように、敗戦が決まるとすべての書類を軍部や官庁が必死で焼却していた姿だ。他のドラマや映画でも戦地で退却するときにはことごとく書類を焼却していた姿が表現されているから、日本では当たり前のことなのであろう。

 実際私はそれらを見てそうするのが当然だからそうするのであろうなあ、と思っていた。世界中そんなものだと思い込んでいたのである。しかし日本側の記録がないけれど、海外に記録が残されていて何があったのか検証されるというドキュメントをしばしば見る。日本は特に記録を残さない、貝塚茂樹流に言えば、野蛮国なのかも知れない。

 だから慰安婦問題にしても証拠としての記録書類らしきものがない(本当にないのかどうか疑わしい気もしないではない)から、韓国から一方的に言われたとしても反論資料がないようである。それに残したら都合が悪いから焼却したのだろうといわれればそれまでである。

 あらゆる記録が処分され、そのために戦争のときになにがあったのか、誰によって命令が下されたのか、明確にすることができないことが多い。当然責任も問うことができない。

 百歩譲って、そのことは戦争の場合だから日本に限ったことではないといえるかも知れない。しかし、最近の官庁の公文書についての「記録を失った」「処分した」と官僚達が平然と言い訳する姿に、ああこれが日本の官僚なのだなあ、と感じたのである。同じ思考なのであろう。

 国民に恥じることのない経緯であれば書類を処分する必要は無いはずだ、と思うのは別に不思議ではないはずで、それならば隠したり、なくした、と言い訳するのは疚しいからだ、と決めつけられても仕方がないなあと思った次第である。やはり日本は野蛮なのだろうか。文明人になるために公文書に対しての毀損や隠蔽は厳罰に処すなどの罰則規定が必要だと思ったりした。

不調

 息子が帰省しているのでふだんよりたくさんお酒を飲む。正月のような無茶飲みではないのに身体に堪えていつまでも酒が抜けない。昨晩は夜中に何ともいえない不快感があり、自分が地の底に引きずられていくような不安感を感じて眠れなくなった。熱もなく、脈拍も特に異常ではないので、身体的なものでもないようである。

 朝になってだいぶマシになった。今日は様子を見ることにする。息子は友人と長野方面へ出掛ける。鬼の霍乱か。

2018年5月 3日 (木)

映画寸評(12)

『魔界戦記 雪の精と闇のクリスタル』2015年中国・韓国・アメリカ映画。
監督ピーター・バウ、ツァオ・ティアンユウ、出演チャン・クン、リー・ビンビン他。

 題名から想像がつくように、なんだかいろいろな物語を寄せ集めたような話である。千年に一度魔界の妖魔たちが転生するチャンスが訪れるのだが、それを阻止して人間界を護ろうと、天界の指命を受けた仙人が鍾馗を使って魔界の妖魔たちと戦う。主人公が鍾馗であるというのが珍しい。しかし実はその仙人には別の思惑があり、その上鍾馗は妖魔の美女と心を通わせてしまう。さあ人間界はどうなるのか。

 CGがすばらしい。それはいいのであるが、ところどころ眠くなる。話の展開のリズムが早くなったり遅くなったりして乱れるのである。だからきれいなCG画面を楽しむだけの映画になっている。

『ドラゴン・クロニクル 妖魔塔の伝説』2015年・中国映画
監督ルー・チューアン、出演マーク・チャオ、ヤオ・チェン他。

 題名から想像していたものとは違う映画であった。好い意味で裏切られた。なかなか面白い。

 時代設定は新生中国が誕生して間のない20世紀なかば過ぎのころのようである。崑崙山の山中の洞窟で恐竜のような巨大生物の骨がつぎつぎに発掘される。その発掘現場で崩落事故が起きる。そして崩落の跡のさらに奥に巨大空間があることが分かり、調査隊が結成される。

 この調査隊が地底深く探検を進めていく様子はジュール・ベルヌの『地底旅行』を思い出させる。地下に異世界が拡がっているのである。その調査隊を指揮する博士にはある目的があった。そのためには自分の娘を連れて行く必要があった。

 彼らは多数の犠牲者を出しながら、ついに博士の目指す妖魔塔にたどり着く。そこで博士の目的は果たされたかに見えたのだが・・・。目的はなかばだけ果たされ、時空に異常が発生し、博士とその娘、そして娘といい仲になりかけた主人公の若い男が行方不明となる。

 主人公だけが助かったと思われたのだが、その後年月が経過したあとにとんでもない場所で博士と娘がそれぞれ発見される。娘は本人とは違う人格となっていた。やがて中国各地に異変が起こり、ある砂漠の村の住民が消滅してしまう。それらの事象は互いに関係しているらしい。その村に調査隊が送られることになり、主人公はそこで異形の者たちに襲われ、危機に直面する。

 謎を解き、事態を収拾できるのか・・・。続編がありそうである。

2018年5月 2日 (水)

郵便局で

 昨日の朝の話である。

 出したい郵便があり、振り込みも二点ほどあったので郵便局に行った。連休のはざまであるから混むであろうと予想し、早めに行った。番号カードを引いたときには待ち人は一人となっていた。つまり窓口の前の人が終わってもう一人済めばわたしの番である。

 小さな郵便局なので、振り込みや貯金の扱いの窓口は二つしかない。そのそれぞれの窓口の前の二人がなんだかややこしい話をしているらしく、待てど暮らせど終わらない。耳を傾けてみると、質問をいくつも同時に行っている。そして局員はそれに一つひとつ丁寧に答えているのだが、また同じような質問が繰り返される。二人とも局員の答えが理解できないような人には見えないのであるが、良く聞いていて理由が分かった。

 局員が言っていることが理解できないのではなく、局員の言っていることをほとんど聞いていないのだ。自分の言いたいことだけを繰り返し言い、期待する答えではないものは聞こえないようである。反論しているのではない。だから延々と同じような質問と局員の粘り強い返事が繰り返されているのである。後期高齢者ではない。中年の男性と中年の女性である。

 二十分ほど過ぎてさすがに疲れたのか、それぞれがようやく局員の言葉に頷き始め、しばらくして用件が済んだようである。済んだあとにその女性が私のすぐ横に立ち、携帯で誰かと話している。「こんなややこしい用事をさせないでよ!」と大きな声で相手に怒っていた。私が窓口に行ったときには待ち合わせのカード番号は十人になっていた。

沈黙

 父はけっこう大きな声で独り言を言った。母が一緒に暮らしていたから話し相手は常にいるけれど、母の方が弁が立つから言い負けして沈黙することが多かった。その反動で独り言を言っていたのか。母は言い負かす相手がいなくなって、突然発語障害になり、話すことが困難になってしまった。思いがあるのに話せないのはとてもつらかったことだろう。神様も罪なことをする。

 私は独り言をほとんど言わない。ほとんど、というのは、テレビを観ていてあまりのことに腹が立って思わず声を発することが稀にあるからである。独り暮らしだから話し相手がないわけで、独り言を言わなければ何日も発声しないことになる。

 ときどき友人や息子、娘に会って話すときには最初は声がかすれてしまって声が上手く出ないことがある。母のことを思うと少し心配である。ふだん思いながら語れないことがいろいろあるから、話し相手にそれらをひたすら語りかけ、気がつくと一人でしゃべっているのに気がつく。そうするといつのまにか喉の調子は正常に戻るのである。一方的にしゃべる人間は迷惑なものだ。しかし友人達や子どもたちは慣れているから我慢してくれているのだろう。私の饒舌にうんざりするような人は私から離れていくから、友人にはならなかったのだ。

 そういう意味では私のブログはその独り言だともいえる。私が自己紹介としばしば言うのはそういう意味もある。自己紹介ではなく自己主張だろう、という指摘もいただいたが、言い方の問題で深い意味は無い。何かを見聞きして感じたことを書くことで、私が何をどう思いどう考える人間であるかを表現しているのだから自己紹介と言ったまでだ。口で沈黙する分、ブログを書いている。

2018年5月 1日 (火)

映画寸評(11)

『殺戮にいたる山岳』2016年韓国映画。
監督イ・ウチョル、出演アン・ソンギ、チョ・ジヌン他。

 廃坑のある山で、欲望にとりつかれた男たちとその犠牲になりかけた少女を護る老人との闘いが繰り広げられる。

 山の中の廃坑ではむかし落盤事故があり、多くの人が犠牲になった。そこで息子を失った老婆はいまも欠かさず廃坑に花を供え、息子の冥福を祈っている。彼女は息子の忘れ形見である少女と二人暮らしである。ある日、廃坑近くで崖崩れがあり、そこを通りかかった老婆は崩壊のあとに光るものを発見する。

 金のように見える鉱物を見つけた老婆は、知り合いの刑事にそれを伝えるが、刑事は金に間違えやすい黄銅鉱だ、と笑う。不審に思いながらも老婆はうなずくしかなかった。

 数日後、いつものように廃坑にやって来た老婆はその刑事が引きつれてきた男たちに出会う。瞬時にあれが実際に金であったこと、刑事が自分を騙していたことを老婆は悟る。老婆は刑事を罵り、他のひとに知らせてやると息巻くのだが・・・。

 祖母がいなくなったので少女が探しにやってくる。廃坑にいるだろうことは分かっているからだ。そして少女は男たちに襲われる。それを助けたのはある老人だった。あの落盤事故で一人生き残り、世捨て人のようにして山で暮らしている男であった。少女のこともよく知っている。

 彼が手にしているのは空気銃のみ。それに対して男たちは猟に入るという名目で山に来ているため、スコープ付きの猟銃や拳銃を持っている。老人と少女の追う男たちとの山中の孤独な闘いが始まる。 
 山岳といいながら、ただのそのへんの林の中の闘いである。これは山岳とはいわないだろう。少女が最初少し回転の遅い女の子に見えるのだが、次第にしまった顔になっていくのが不思議だ。見ているこちらの問題か、演技の故か。

 映画というよりテレビドラマ並みのレベルだが、出だしで「山には魔物が出る」などという噂がささやかれるシーンがあり、いつ魔物が出るのかずっと期待していたので、最後まで観てしまった。

『7ミニッツ』2014年アメリカ映画。
監督ジェイ・マーチン、出演ルーク・ミッチェル、ジェイソン・リッター他。

 こんな展開になるとは思わなかった。小さな金融機関に仮面を被った三人組の強盗が押し入る話で、警察が来るまでに金を奪い、逃げるまでのリミットを7分と設定して強盗に押し入った彼らは想定外の事態に出遭う。誰も傷つけるつもりはなかったはずの三人だったのだが・・・。

 舞台は小さな町で、住人はみな顔なじみである。強盗に入るまでの成り行きがフラッシュバックのように挿入されていく。そして想定外の事態が少しも想定外ではない、必然だったことが次第に明らかになっていく。彼らの計画がいかに杜撰だったか、そしてそのためにどれだけの人たちが危難に遭うことになったのか、そして彼等自身も大変な災厄に見舞われてしまうのだ。

 ラストは現実なのかサムの夢想なのか。映画の出来は悪くない。

どうしてうるさいのだろう

 陽気が好いのでベランダを開け放ち、反対側の北の窓も開けると風が通って快適である。こんな気持ちの好い時期は短いのが残念だ。マンションのすぐ近くに幼稚園があり、ベランダに出れば建物とグラウンドを見下ろすことができる。ベランダ側を開けていると園児たちのかん高い歓声が良く聞こえる。

 これがうるさいと感じる人もいるという。私も体調が悪いときなどに耳につくことがないではないが、よほどのことでなければうるさいとは思わない。それより先生がマイクを使うことがあって、そのときは少々うるさい。

 子どものとき祖父母の家に良く泊まりに行った。小さな路地を挟んだ向かいがピアノの先生で、いつもピアノの音が聞こえていた。先生が弾いているときはまだいいが、生徒が弾くたどたどしい音はもどかしい思いがした。でも祖父母も私もうるさいとは思わなかった。祖父母は音楽にほとんど興味が無く、テレビで歌謡曲がかかってもたいてい消してしまう。唯一祖父は島倉千代子が好きで、そのときだけは消さなかった。

 祖母は島倉千代子にヤキモチを焼いていた。二人はとても仲が良かったのである。たまたま中学生時代に祖父母の家でビートルズの来日のニュースを見た。ビートルズはやかましいものだ、と思い込んでいた祖父母、そしてその影響をまともに受けていた私は、そのとき初めてビートルズの曲を聴いた。「あんまりやかましくないな」と祖父が言い、祖母も私もうなずいた。

 ビートルズがやかましいと思い込んでいたのは観客の喚声がやかましいためであったことを知った。それらのことを思い出すと、騒音とは何だろうと考えてしまう。

 以前、わが家の上の階の住人の立てる物音が耳について気になって仕方がなかった。なにしろ戸の開け閉ての音や歩き回る音が切れ目なく続いていて、情緒不安定な人ではないか、などと想像していた。生活音は仕方がない、私だって物音を立てている。それなのに気になるのは自分の精神が不安定なのか、などと思ったりしていた。

 一年ほど前に上の階の住人は転居し、しばらくあとに別の人が入居した。静かなときには同じように物音がする。ところがそれが全く気にならない。明らかな違いがあるのである。物音が連続しないのだ。歩き回る音がしてもそれは用事であり、済めばまたしばらく静かになる。扉の開け閉めの音も一度したらそれきりである。つまり当たり前の生活の音として理解可能なのである。そして以前の住人は、何をしているのかといぶかりたくなるような、理解できない物音の連続だったのだ。

 音に囚われてくると、何か自分に悪意があって立てている物音ではないか、などと考えだす人もいるかもしれない。自分に囚われやすい人は、自分がわずかでも不快な気持になると、誰かの悪意だと感じてしまうのだろう。そうなるとそのことだけに神経が集中するからますますそれが増幅して感じられ、悪意も強く感じてしまうのだと思う。

 日常にはさまざまな騒音があふれているのにそれが気にならず、特定の音だけが気になり出すのは危険な兆候かも知れない。そのためにこらえ性がなくなって思い込みが起こりやすい年寄りはだんだん耳が遠くなるようにできているのか、などとボンヤリ考えた。

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