沈黙
父はけっこう大きな声で独り言を言った。母が一緒に暮らしていたから話し相手は常にいるけれど、母の方が弁が立つから言い負けして沈黙することが多かった。その反動で独り言を言っていたのか。母は言い負かす相手がいなくなって、突然発語障害になり、話すことが困難になってしまった。思いがあるのに話せないのはとてもつらかったことだろう。神様も罪なことをする。
私は独り言をほとんど言わない。ほとんど、というのは、テレビを観ていてあまりのことに腹が立って思わず声を発することが稀にあるからである。独り暮らしだから話し相手がないわけで、独り言を言わなければ何日も発声しないことになる。
ときどき友人や息子、娘に会って話すときには最初は声がかすれてしまって声が上手く出ないことがある。母のことを思うと少し心配である。ふだん思いながら語れないことがいろいろあるから、話し相手にそれらをひたすら語りかけ、気がつくと一人でしゃべっているのに気がつく。そうするといつのまにか喉の調子は正常に戻るのである。一方的にしゃべる人間は迷惑なものだ。しかし友人達や子どもたちは慣れているから我慢してくれているのだろう。私の饒舌にうんざりするような人は私から離れていくから、友人にはならなかったのだ。
そういう意味では私のブログはその独り言だともいえる。私が自己紹介としばしば言うのはそういう意味もある。自己紹介ではなく自己主張だろう、という指摘もいただいたが、言い方の問題で深い意味は無い。何かを見聞きして感じたことを書くことで、私が何をどう思いどう考える人間であるかを表現しているのだから自己紹介と言ったまでだ。口で沈黙する分、ブログを書いている。
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コメント
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私の今の悩みは、定期的に会う人のことです。私の興味のないことを止めない限り話続けるのです。話し終わると本人はスッキリしてるようですが、私が疲れてしまいます。
別のよく喋る人の場合は、もっと声も大きく内容もさほど変わりませんが、疲れませんし飽きません。
原因を考えると、ネガティブ思考とポジティブ思考、柔軟性の違いのようです。
元気な人には元気をもらい、そうでない人にはドンヨリした半日をもらうようです。
OKCHAN様は、元気をもらえるタイプだと思います。(偉そうでスミマセンm(__)m)
投稿: けんこう館 | 2018年5月 2日 (水) 10時03分
けんこう館様
ありがとうございます。
相手に不快感を与えることのないように意識しているつもりですが、自分ではわかりません。
でも声をかければ皆喜んで会ってくれるので、大丈夫なのだと思うことにしています。
投稿: OKCHAN | 2018年5月 2日 (水) 16時39分
こんばんは。
声を出すだけでもよろしいと思いますが・・・?
私は貴ブログをなるだけ声を出して読むように
心がけております。
また新聞もあるページだけは声を出して読んでおりますよ。
効果のほどは不明ですが・・・?
投稿: マコママ | 2018年5月 2日 (水) 18時25分
マコママ様
朗読は好いそうですね。
私も島崎藤村の詩集などを朗読したりして、習慣にしようと思いながら、三日坊主に終わっています。
投稿: OKCHAN | 2018年5月 2日 (水) 19時16分