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2018年5月 4日 (金)

『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版Ⅲ』(朝日新聞社)

 司馬遼太郎が貝塚茂樹(ノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹博士の弟で、東洋史学者)の言葉を紹介している。

「文明人を標榜する中国人は、なぜ日本人を野蛮人だと見做したのか。野蛮人は死んでしまった人のことを記録しない。文明人はすべて記録する。野蛮人はひいじいさんのことを何も知らない。名前も知らない。中国人はひいじいさんどころかかなり上まで名前を知っている」

 これが正しいとか正しくないと言うことではない。中国人は文明人をそういうものだと認識していると言うことだ。だから歴代の王朝が滅びると必ず次の王朝はその前の王朝の正史を作成する。もちろんそこには前王朝を貶めるような記述があり、新王朝を正当化するようなことも書かれるけれど、厖大な記録が残されているので全くのでたらめが書かれることはない。でたらめを書くくらいなら最初から前王朝の正史を残したりしない。ところが清王朝の正史は作成されていない。その件は別の話なのでここではおいておく。

 記録を残す、ということでたちまち思い当たることがあった。司馬遼太郎も言及しているけれど、『日本で一番長い日』という映画にもあるように、敗戦が決まるとすべての書類を軍部や官庁が必死で焼却していた姿だ。他のドラマや映画でも戦地で退却するときにはことごとく書類を焼却していた姿が表現されているから、日本では当たり前のことなのであろう。

 実際私はそれらを見てそうするのが当然だからそうするのであろうなあ、と思っていた。世界中そんなものだと思い込んでいたのである。しかし日本側の記録がないけれど、海外に記録が残されていて何があったのか検証されるというドキュメントをしばしば見る。日本は特に記録を残さない、貝塚茂樹流に言えば、野蛮国なのかも知れない。

 だから慰安婦問題にしても証拠としての記録書類らしきものがない(本当にないのかどうか疑わしい気もしないではない)から、韓国から一方的に言われたとしても反論資料がないようである。それに残したら都合が悪いから焼却したのだろうといわれればそれまでである。

 あらゆる記録が処分され、そのために戦争のときになにがあったのか、誰によって命令が下されたのか、明確にすることができないことが多い。当然責任も問うことができない。

 百歩譲って、そのことは戦争の場合だから日本に限ったことではないといえるかも知れない。しかし、最近の官庁の公文書についての「記録を失った」「処分した」と官僚達が平然と言い訳する姿に、ああこれが日本の官僚なのだなあ、と感じたのである。同じ思考なのであろう。

 国民に恥じることのない経緯であれば書類を処分する必要は無いはずだ、と思うのは別に不思議ではないはずで、それならば隠したり、なくした、と言い訳するのは疚しいからだ、と決めつけられても仕方がないなあと思った次第である。やはり日本は野蛮なのだろうか。文明人になるために公文書に対しての毀損や隠蔽は厳罰に処すなどの罰則規定が必要だと思ったりした。

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