周作人『日本談義集』(木田英雄編訳・東洋文庫)から(1)
この本を読んで思うところがいろいろあった。とはいえ相変わらずのザル頭には断片しか残っていないけれど、思いつくままに拾い出して反芻してみようと思う。
日露戦争のあと、中国から日本にたくさんの留学生がやって来た。日清戦争から十年あまりしか経っていないけれど、清国政府は積極的に公費の留学生を送り込んだ。日本が大国のロシアに勝利したことを見て、日清戦争の敗北の真の理由にも思い至ったのであろう、日本に学べ、学んで中国を西洋列強に対峙できる国に立て直そう、と考えたのである。
ところがその留学生達は日本で学んで自国に帰ると次々に抗日運動の闘士になってしまう。そのことを日中の有識者が憂えてその理由をあれこれ想像して述べた。留学生達が日本で暮らしたときによほど差別的な扱いを受けたのであろう、というのが一般的な意見であった。
それを周作人は嗤っている。金持ちの子弟であれば、たしかに生活のあまりの違いに、暮らしにくい思いがして日本の生活を憎んだかも知れないが、自分を始めとして多くの留学生は本国でも貧しかったから、生活になじむのに多少の苦労をしたものの憎むほどのこともなく、快適に暮らしていた。もちろん食事にも特に不満はなかった。しかも下宿で差別などほとんど受けた記憶はないという。
ではどうして留学生が抗日に奔るのか。それは日本にいる日本人と中国の日本人との違いが原因だという。中国にいる多くの日本人の傍若無人であることは目に余るものがあり、それを目の当たりにしての怒りが抗日につながるのだと見るのである。日本が中国に対して傲岸となり、同じ東洋の民としてよりも、西洋人にでもなった気持で中国に対していたことは、彼らの強い反感を招いたのである。
このあと日本は次々に中国に対して理不尽な要求を重ね、ますます中国の人々の敵意を招いた。日本人は東洋人ではなくなったかのごとくして東亜の代表を任ずるという矛盾についに気がつくことができなかった。そのことについて誰よりも好日的だった周作人の哀しみはいかばかりであったろうか。
この本ではその日本に対する憤激と、日本を愛する心が葛藤している様子が読み取れる。おかしな錯覚をした日本人達は、しかし敗戦で覚醒したのか。アメリカナイズすることでますます西洋人たらんとして夢から醒めていないのではないか。日本人が何を間違えたのか、歴史を知らない人たちがそのことを知らずにいる。正しいか正しくないかの前に、まず知ることに努め、考えることに努めることが必要だと思うが、自分を振り返っても心許ない。日本人であること、東洋人であることの意味を見つめ直すことも必要ではないか。
この本は視点を少しずらして、そういうことを考えさせてくれる本だと思う。
« 飽食は・・・ | トップページ | 自分の標語を妄想する »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『パイプのけむり』(2024.09.13)
- 戦争に当てる光(2024.09.06)
- ことばと文字(2024.09.05)
- 気持ちに波風が立つような(2024.09.02)
- 致命的欠陥(2024.09.01)
コメント