些細なことだが
映画『さざなみ』の中で、シャーロットランプリングが扮する初老の女性が寝起きに台所に行き、コーヒーを飲んでいる夫の前で食器棚からグラスをとりだして、水道の蛇口から水を注ぎ、それを飲むシーンがある。些細なことだが妙にそこのところに感じるものがあった。
彼女はコップをすすがない。私はコップで水を飲むとき、まず水道を少しだけ流して、それからコップに水を入れ、それを一度流してからあらためてもう一度注いでそれを飲む。
コップはもちろん丁寧に洗ってある。それでも棚にあるあいだに埃でもついていないとは限らない。だから洗う。映画のシーンでも、彼女は棚からとりだしたグラスの中を一瞬だが見る。無意識にきれいであることを確認したのだと思う。
水道からいきなり水を注ぐことも当たり前のようで私にはホウ、と思える。蛇口の手前の水はしばらくそこにたまったままで外気に接している部分である。ほんの少しだけでもそこは流してしまいたい。本当に新しい水の部分を飲みたい。だから私は水をほんの少し流したあと、コップをすすぎ、それから水を飲む。
もちろんそんなことをいつも意識してやっているわけではなく、無意識にしていることだが、映画のそのシーンを見て自分のしていることを意識化させられたのである。国によっては水は貴重なものだから、そんな水を無駄に流すようなことを嫌うのだろうか。
これはイギリス映画だけれど、イギリスでは水道の水はそのまま飲んで良いことも知った。世界には水道の水をそのまま飲めないところもある。中国などはそのまま飲むなと教えられるが、これはこちらが旅行者としてその水に慣れていないからなのだろうか。中国の人も生水は呑まないのか。イギリスもその水に慣れているから普通に飲めるのか。日本人はイギリスの生水を飲んで大丈夫なのか。知らないことだから考えても仕方がないことを考えたりする。といってそれをいちいち調べるのも面倒だ。
些細なことが気にかかった。よくあることだが。
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