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2018年5月31日 (木)

追い詰める

 自分は怠け者だと自覚をしている。言い訳としていうのではない。怠け者とは、しなければならないと分かっているのにしないことかと思う。しなければならないことはたいてい面倒でわずらわしい。怠け者はやる前につい考える。考えると煩わしさが想像でさらに膨らんでしまう。やらなければならないことをルーティン化すると良いというのは考えないためだろう。

 実際に取りかかると、考えていたほどのこともなく苦もなくこなせることがほとんどだ。本当に逃げ出したいほどつらいことは人生にそれほど頻繁にあるわけではない。ところがそういうことはまとまってやってくる。逃げ出したいようなことが重なると泣きたくなるが、泣いたところで片付くわけではない。

 逃げ出さないで立ち向かうには自分を追い込むしかない。他人に公言して退路を断ったりする。ものが片付いたあとのことを想像してエネルギーにするのも多少は役に立つ。成功を夢見て励みにするわけである。そして乗り越えたときには多少はレベルも上がっているものだ。

 怠け者の私でも、上手に自分を追い込めたときはほとんどうまくいく。仕事の役割で上司になったとき、ほとんどというか、全く自分を追い込まない人間に出遭ったことがある。本当の怠け者である。自分が怠け者だという自覚があるのかないのか。私にはないとしか思えない。

 自分を追い込めない人間にきちんと仕事をしてもらうためには本人の代わりにこちらが彼を追い込まないとならない。怠け者の私にはそれもわずらわしいことだが、それが私の仕事でもある。それでうまくいくことも多いが、それでも動かない者もいた。ついには彼を追い詰めた。追い込むのと追い詰めるのとは似ているが違う。

 追い込むのは自覚を促すためだが、追い詰めるのは逃げ場を失わせることである。逃げ場を失わせることはしたくない。自分が逃げ場を失うようなことになったら私は反撃する。自分の矜持に関わることだからである。だれでもそうだろう。

 しかし追い詰めてもどうにもならない者も当然いて、それはそもそもその仕事が本人に向いていないと判断するしかない。面白いことに苦し紛れに見え見えのウソをついたりする。

 今回の日大アメフト部の問題を見て、追い込むことと追い詰めることの違いが監督やコーチには分かっていなかったのかなあ、と勝手に感じたりしていた。彼らは選手を鼓舞するために追い込んだと言い張ったが、追い込むべきときに、明らかに追い詰めたのである。そのことが自覚できない指導者というのもお粗末だなあと思う。いろいろ論評する人にもその区別がついていない人がいて、そういう人が上司だったら部下はつらいだろうなあと同情する。

「試合に出場させない」とか「やめてしまえ」というのは鼓舞するための追い込むことばではなく、追い詰めることばだと誰にでも分かりそうなものである。

 やらなければいけないなあ、と思っていることは山ほどある。怠け者の私を上手に追い込むための方策を考えなければならないなあなどと机の前でボンヤリ怠けている。

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コメント

ニュースだけの情報ですが、日大アメフト部の前監督は追い詰められてますね。
でも、マスコミの騒ぎ方には違和感があります。

けんこう館様
マスコミはしばしば正義ですから悪と断じたものについては追い詰めて完膚なきまでにたたきます。
マスコミにたたかれるような材料がないことはありがたいことですし、そういう立場には立ちたくないものだと心底思います。
桑場、桑原。
そういえば、この桑原は字の通りで、雷は桑原には落ちないと信じられていたので、雷が鳴るとこうとなえて雷除けの呪いにしたそうです。
マスコミはどこに落ちるか分からない雷でしょうか。

私もマスコミの騒ぎ方にはいつも違和感を感じていますが、今回については多少違う感覚を持ちます。

むかし体育系クラブで酷いイジメにあったものからすれば、今回が特殊事例だとは信じられません、広く蔓延している現象だと思います。 これを機会に教育の場から「鍛錬」の名目で行われるイジメの一掃のきっかけにしてもらいたいものです。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5363/trackback

Hiroshi様
私も今回のマスコミの報道にはそれほどの偏りを感じているわけではありません。
偏りようがない分だけ、正しいことを言いやすいということでしょうか。
それよりも、橋下元大阪市長が、このような体育会系の象徴が真夏の炎天下で行われる甲子園の高校野球だ、と言っていたことが妙に納得できました。
ついでに朝日新聞批判をしていましたけれどね。

最近、野田正影氏の本を読んだばかりですが、同氏の『喪の途上にて』という本は実に心に残る良書でした。

ところで、最近の同氏の著作を検索しようとwikiで調べたら、野田氏と橋下元大阪市長との裁判沙汰を知りました。野田氏は彼を「演技性人格障害か非社会性人格障害」としたことが原因ですが、最高裁は橋下氏の上告を退け、野田と新潮社の勝訴が確定したとか。

真実はわかりませんが、私としては野田氏の診断が正しいのではと、これまでの同氏の本の印象から感じています。

Hiroshi様
野田正彰氏の本を読んだことがありません。
精神病理学者としてたくさんの著作を書かれているようですね。
ただ、法的には問題なしとされたとはいえ、専門家が個人を人格障害と公言して批判する姿勢にはいくら義憤に駆られたとはいえ、如何かという気がします。
詳しいいきさつが分かりませんので、あくまでその点だけについての感想ですが。

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