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2018年5月19日 (土)

加害者なのか被害者なのか

 日大アメフト部の選手によるルール違反の傷害行為が話題になっている。アメリカンフットボールについてはルールもほとんど分からないし、試合を観たことも数回しかないが、映像で見るかぎり非常に危険な行為をしたことだけは見て取れた。だから問題になっているのであろう。

 この選手は、この行為以外にも合わせて三回の違反行為を繰り返して退場になったというから、たまたまうっかりした違反行為ではなく、故意に行ったものだとほぼ断定されているようだ。しからば彼は意図的な加害者であろうと私などは思うのであるが、報道を見聞きしていると、この選手があまり非難されていないのは不思議なことである。

 監督の指示があったからだという前提に立っての見立てによるものらしい。しかしこの選手は監督から違反行為をしろと指示されたりしていないと言っているという。しからば本人の意志でやったということになる。そんなはずはないとみな言っているが、当の本人が指示されていないと言うのである。

 そもそも致命的な傷害行為につながりかねないことをこの選手が知らなかったはずはないのであり、そのためのルールであることも承知していたはずである。指示されようがされまいが、してはいけないことをしたらその罪を問われるのは当然である。一人の人間であり、ロボットではないのである。

 それでも指示には背けないような状態に追い込まれていたのだとニュースでは盛んにこの選手をかばっていて、あたかもこの選手も被害者だと言いたげである。怪我をした選手や関西大学への謝罪にこの選手が行くという話もなさそうだ。

 指示があったのなら正直に言えば良いことである。監督をかばえば選手生命を永らえられるとでも計算したのか。すでに彼の選手生命は絶たれたも同然であろう。監督をかばって自発的な行為であると言えばなおさらである。

 彼にきついことを言っていることは承知しているが、行った行為は責任をとらなければならないのはこの世の決まりである。彼が人間である前に自分の選手生命を選んだことがこの結果なのであるから、その責任は正しく問われなければならないのではないか。

 言われているような、選手の生殺与奪の権を盾にする内田監督の異常さは本当にあったのだろうか、それともそうマスコミが決めつけているだけなのか。

 もしマスコミの見立てているとおりであるなら、監督の選手を鼓舞するためのことばを選手が取り違えた、などという主旨の日大の釈明文は欺瞞であり、監督の指示はなかったと言うことでこの選手はその欺瞞に加担しているのである。

 彼が苦しんでいるだろうことくらいは想像がつく。自分が監督をかばったことでますます苦しい立場に立たされている。そしてそのように自分を追い詰めているのは哀しいかな、自分自身なのである。そろそろ開き直ったらどうだろう。

 それとも本当に勝手に監督の意志がああいう違反行為を望んでいると彼が忖度しただけで、実はことばでは聞いていないことに彼はあとで気がついたのだろうか。ここにもいわゆる日本人特有の「空気」という存在があったというのか。ことばには明確に出さない空気による指示は、あとでそもそも指示は無かったということになるのが日本特有の責任回避術であるから、日大もそれに倣ったのであろうか。

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