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2018年5月10日 (木)

予測

 原発事故の訴訟裁判で地震学者が、「巨大地震の可能性が予測されていたのに東京電力がその対策を講じなかったのだから責任がある」と証言したと今朝のニュースで報じていた。過去にも巨大地震が起き、巨大津波が起きている(吉村昭の『三陸海岸大津波』にはこの地に起きた過去の大地震や大津波が詳細に書かれている)ことは知られており、その可能性は繰り返し指摘されていることである。

 それに対して被告側は、予測については異論もあったので予測は不可能だったと反論したそうだ。異論があったら予測は不可能だったという論理は成り立つのだろうか。異論があったのだから予測は存在しなかったと強弁しているようにしか聞こえない。予測がされていたと学者はいったのであって、予知したといっているわけではない。いまの科学で予知は不可能だということと、予測が出来なかったということとを同一視して責任を否定するのはおかしい。

 私は今回の原発事故は人災だと考えている。然るべき対策が講じられていれば起きずに済んだ事故だと思うからである。現に同様の事態にさらされた福島第2原発や女川原発では原発事故に至らなかった。

 だから原発再稼働には消極的ながら賛同する立場であった。そもそも起きないはずの事故なのだから対策さえとれば安全に稼動できるはずだと考えていたからだ。消極的というのは、起きた事故に対してその責任を引き受けることなく、予測できなかったから責任はない、と強弁する人々を見ているからだ。起きたことの責任をとらない人間は信用ができない。信用ができない人に何かをゆだねることが出来ないと思うからだ。

 その気持ちが次第に高じてきて、そもそも原発を稼動させるということに伴う責任を自覚できない人が数多く原発に関わっているらしい、という気がしてきた。何しろ細かい不具合があまりにも数多く発生している。だからいまは原発はやめる方向にもっていくしかないだろうと考えている。

 核燃料の廃棄物については高速増殖炉などで消化が可能だという夢を抱いていたが、それももんじゅの廃炉によって頓挫した。理論的には可能でも、実用に至るための管理が人間にはまだできないことが明らかにされてしまった。お粗末な不備不具合が頻発して自滅した恰好だ。

 今回の被告たちの非論理的反論を聞いて、こういう人たちが扱う可能性の大きい原発はやめた方が良い、という考えがさらに強くなった。原発は、保身のためとはいえ責任があるのに責任がないというような人間が扱えるようなものではないのだ。責任を引き受ける覚悟のある人間だけが扱うべきものが、そうでないものによって滅茶滅茶にされているものはたくさんあるのかも知れない。

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コメント

おはようございます
先日は私の拙い読書論を見ていただきありがとうございます。
この一件で極めて腹がたつのは、昔も申し上げたことがりますが、あの菅直人というバカの行動です。あの男は危機的な現場にもかかわらずひっちゃきまわし、結果としてあの事故の原因の一つを作った感があります。それだけでも万死に値するのにあのバカは折から存在した反原発運動にうまく紛れ込み、結果として自分の”犯罪”をチャラにしました。ある元警察幹部がおっしゃっていましたが菅直人は昔から逃げるのだけはうまかったそうで、このことを見てもあのバカの逃げっぷりがよくわかります。ここのところ野党が証人喚問要求を繰り返していますが、こいつこそ喚問されるべきでしょう。
では、
shinzei拝

shinzei様
菅直人氏については同感するところ大です。
市民運動家のまま首相になってしまった人のような印象があります。
日本にとって不幸なことだった気がしますが、日本人が選んだ首相でもあります。
多くの人がそのことを残念なこととして記憶していると思いますが、どうでしょうか。
すぐ忘れてしまう人もいますけれど。
それにしても政治関係のニュースで登場する人たちの顔が過去にないほど品性のない顔に見えてしまうのはどうしたことでしょう。

確かに震災とその後の原発事故対応は旧民主党に対する信頼を徹底的に失墜させたことは同意します。しかし、これまでの原発政策はそれまでの自民党政権に大きな責任があり、そのことを自問しない自民党こそ無責任ではないでしょうか?  

もちろん、元小泉首相のように 「原発は国策で進めて、それは間違っていた」 という人も一部いますが、自民党の大勢はこのことについて口を閉ざしている。その点で責任は重く、信頼できないと私は感じています。

これにつての私の考察は繰り返しblogの中で行っています。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/msgcate14/archive

追伸: 正直なところ、事故直後から最近まで私は長いこと 「原発再稼働容認派」 でした。 

ところが最近になり、 もはや原発再稼働は「容認できない」と思うようになりました。それは現在の原発政策が上記のような無責任体制並びに利益誘導体制の上に動いていることを気づき始めたからです。

立憲民主党は、「民主党」にしたほうがよいと思います。当時のメンバーが多くいます。

Hiroshi様
おおむね私も同意見です。
事故の処理の不手際に民主党の責任があるとはいえ、原発を推進し、問題があっても抜本的にその対策をすることを怠ってきた自民党政権がその責任を逃れることはできないでしょう。
責任を自覚しないことがふたたびみたび大変な災厄を生むことを教訓にせず、人間はすぐ忘れるようです。
Hiroshiさんがブログにそのことを繰り返し書くのは忘れて欲しくないためだと思います。
私も他のひとがすでに言っているようなことをあえて書くのは同じ気持ちからです。

けんこう館様
党名は党員が決めれば良いと思いますが、それよりも過去の失敗の自覚と反省、そしてこれからなにをどうしていきたいのかを国民に明らかにすることを望みたいところです。
いま聞こえるのは「悪の安倍政権打倒」ということだけのようであり、なにかのビジョンのメッセージが聞こえてきません。
私の耳が悪いからなのでしょうか。

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