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2018年6月

2018年6月30日 (土)

暇つぶしとボンヤリ

 無為にボンヤリしているのと暇つぶしをしているのは、似ているようで違うものだと思っている。私の場合、ボンヤリしているときはあまり精神的な焦慮感はなく、オーバーヒートして空回りしている頭を冷やしているのである。もともと容量が小さいからそういうことがよく起きるのである。

 しかし暇つぶしで数独パズルなどをしているときは、こんなことをしている暇にもっと本を読んだり映画を観たり散歩に出掛けたりしなければ、などと頭の片隅でささやきかける声がする。休んでいるようで実はイライラしていることが多い。頭の空回りは却ってひどくなっている。

 リタイアして時間が自由になったら、あれもしようこれもしようと思っていた。だからずっと楽しく忙しかったのである。忙しいけれど幸せだったのである。なにもしないときも充電のためであって焦る気持ちなどなかった。それがこのごろはしばしば暇つぶしをしながらイラついている。やりたいことをしているのかやろうと決めたからそれに従っているだけなのか分からなくなるときがある。

 たいていそういうときは遠出をしたり友人に会いにいったりするとリフレッシュして復活するのだけれど、その効果があまり持続しなくなってきた。やりたいと思うことが多すぎるのかも知れない。多すぎると一つひとつのことの価値が小さなものになってしまう。

 人は障害があるほどなにかに夢中になれるもので、恋愛と一緒である。親の反対があったり恋敵がいるほど燃えるのである。忙しくて時間のないときほど本が集中して読めるのである。明日は朝から忙しい、というようなときほど深夜まで映画を夢中で見ることが出来るのである。

 いつでもどうぞ、よりどりみどり、などという状態になると芥川龍之介の『芋粥』のように食べる前から食傷してしまうのかも知れない。

 ではどうする。それをいまボンヤリ考えている。自分で障害を作らないといけないのかも知れない。でも横着者だからいまさら働いたりボランティアをしたりする気にならないしなあ。

失敗に学ぶ

 渡辺真知子の『朝のメニュー』という歌があって、その中に「失敗作の半熟玉子は今日もかたゆで・・・」と言うフレーズがあっていつも気になる。「今日も」というけれど、今日で何回目の失敗なのだろうか。三回目か四回目かそれとも十回目か。

新婚かまたは同棲を始めたらしい彼は、「そんな時はこうするのさって頭でわっておいしそうにたべてくれるの」だそうだが、「そんなときは」というからには彼も半熟玉子を期待しているのか、はたまた半熟玉子のはずだという思いがあるのであろう。

 生卵とかたゆで卵のあいだに半熟玉子がある。しからば、かたゆでになってしまったなら次は茹で時間を短縮してみるものだろう。時間が足らずに上手く半熟にならなかったなら、次にはどうするか自ずとおおよその答えは見つかるのであって、それが「いつもかたゆで」だというのはどういうことか。何にも考えていないということではないか。

 しまいには彼も愛想を尽かして何も言わなくなるぞ、などと心配するようなことではないのだが、料理の好きな女性は賢いとよくいう。段取りを考え、失敗に学び、メニューを増やしていくことを楽しむにはそれなりの知性が必要であるからだろう。

 生きていれば日々失敗の連続で、失敗したくなかったらなにもしないことであるが、そんなのは生きていることにならない。しばしば「いつもかたゆで」のように同じ失敗をして自分が情けなくなることもあるが、それでもよほどの愚か者でなければ同じ失敗をしないように気をつけるようになっていくものだ。

 生きていく上での失敗にはなにかの岐路に立って、どちらを選ぶかの判断が間違っていたことによるものが多い。明らかに良いと思われる道があれば迷わないが、その差がわずかだったり、道がいくつもに別れていたりすると判断が難しい。

 たいていは目先にとらわれる。選ばなかった道のほうが良かったことにあとで気がついて後悔する。その繰り返しの中でもう少し先を見通すようになれば失敗に学んだことになる。しかしめでたしめでたしの成功などあまりないように、明らかな失敗というのもそうそうあるわけではない。たいていはやるべきことをやらずに怠けたことで物事は上手くいかない。失敗は自ら招いていることが多い。

 失敗に学ぶとはそれに気がつくかどうかということで、自分の力では如何ともしがたいことで起こる災厄は失敗とはいわないだろう。ただ、そういうものを避けるという感性は多少は学ぶことが出来る気はする。

 私はそう考えるから、自分の失敗の多くを他人のせいだと考える習慣のある人が嫌いである。そういう人は失敗からあまり学ばない気がする。たいていそういう人は責任をとらないものだ。ここから原発事故の話などに展開するときりがないのでやめておく。

2018年6月29日 (金)

湿度と温度

 クーラーを入れるのは30℃前後を目安にしようと心がけている。暑さに身体を慣れさせるためであるし、外に出るときに温度差が大きいと体調にも悪い。むかしほど身体の適応が迅速ではなくなっているのだ。

 だから今日の午前中のように28℃前後で風が吹き抜けるときは窓を開け放っていると気持ちが好い。月初めに大汗をかいて網戸を修復したから虫も入ってこない。

 デジタル式の時計が私の定席の横の小物入れケースの上に置いてある。月日に曜日、時間、そして温度と湿度が大きな字で表示されている。ふだんは時間と温度くらいしか見ないのだけれど、今日はボンヤリしながら湿度と温度をずっと眺めていた。

 朝70%以上の湿度だったのに、風が乾いてきたのかたちまち60%台に落ちていく。同じ温度でも湿度が下がると風がさらにさわやかに感じられてくる。ところがそのあと次第に湿度が上がり始め、ついに80%台になっていった。これは天気が崩れる前触れか、と感じる。同時に気温が少し下がっていくのである。そのあと驟雨が来た。

 気温と湿度の変化を知ると身体が感じる風の感触に敏感になる。そのことが面白い。こんな大気の変化をここまで細かく意識したことがない。人はさまざまなことを意識して生きているつもりでいるけれど、実はほとんど無意識に過ごしていることの方が多い。そのことをコリン・ウイルソンという人の『アウトサイダー』という本で教えてもらった。

 何でもかんでも意識しながら生きる、などということは人間には不可能なことだけれど、もう少しだけ無意識を意識化するだけで自分に見える世界は変わるはずだと識った。大げさだけれど、ボンヤリ温度と湿度の変化をみながらそんなことを思い出していた。

気持ちの収まり

 普通ここは「治まり」とすべきところだろうけれどいまは「収まり」のほうがしっくりする気がする。

 昨夜はあり合わせのものでビールとワインを飲む。スナップ豌豆がいいつまみになった。娘のしあわせが第一だから、どん姫が選んだ生き方を黙ってみているけれど、酔って考えていると、本音のところでは結婚などあまりして欲しくないなどと自分勝手な、わがままな気持になる。別にどん姫との間柄がいままでと変わるわけではないのになんとなく寂しい気持がするのは酔ったせいか。

 早めに床に入り、綾戸智恵やペギー・リーを聴いた。心に沁みた。

 朝起きてサッカーの結果を知った。勝敗を知ればそれでよく、勝っても負けてもそうか、と思うだけである。そういえば一人でサッカーの試合を最初から最後まで見ていたという記憶がない。息子や弟はサッカー好きだから試合があればそのテレビがついているが、私はほとんど集中して見ることはない。夢中になり、興奮している人を見るとなんとなく共感できない自分を寂しく思ったりするし、そこまで夢中になれることにうらやましさを感じないことはないが、こういう人間もいるのである。

 生活が少し乱れている。部屋が散らかり始めた。なんだかすべてが成り行きで流されている気配がしている。なにかをしたいからしているというより、習慣にしていることをいやいや片付けているという気分だ。こういうときは本にもあまり集中できないし映画を見る気力もでない。日々の大事な時間を無駄にしているような焦りを感じる。

 読もうと思っていた『古事記』の訳注本を購入した。講談社学術文庫の上中下三冊で、まだ読み始めたばかりだが、読みながら思いついた。このままではすぐに飽きてしまって途中で投げ出しかねない。そんな本ばかりが積まれている。小説や随筆は別にして、中国の古典と日本の古典については毎日必ず一定時間読むようにスケジュール化しようと思う。子どものときから予定を立てるのは大好きだ。早速時間割を考える。三日坊主になるのは今までの経験から明らかだけれど、自分の立てた予定に沿って生活するのも悪くないな、などと考えている。

2018年6月28日 (木)

顔合わせ

 本日は娘のどん姫の彼氏の御両親と妹さんが名古屋にやって来て、顔合わせの会食をした。父上は大声でマイペース、あまり気を遣う必要のない人だったので助かった。

 それでも帰宅したらいささか疲れていた。でも、多分どん姫が一番疲れただろうと思う。

本屋について

 池上彰氏が、その国の少し先の未来を見るためには、その国の主な街に本屋があるどうかが判断材料になると書いていた。そしてその判断はほぼ間違いなかったと経験的に語っていた。そのことに大いに同感である。

 私はしばしば旅に出るが、旅先の地方都市の文化度は本屋の数とその品揃えで測れると、ずいぶんむかしから感じていた。出張で訪ねた街でしばしば時間つぶしのために本屋に立ち寄る。もともと本屋が好きなのである。大きな都市なのにいくら探しても本屋がなかったりする。需要がないということであろう。

 小ぶりでも統一性とコンセプトを持った本屋にであうと嬉しくなる。逆に大きいだけでつまらない本ばかりがあふれている本屋にはげんなりする。えてしてそういう本屋は客もそれなりで、本の扱いが雑であることがすぐ分かる。その本屋が本について知らないことも棚を眺めれば一目瞭然である。遠からず廃業するだろうと予想するとたいていその予想は外れない。

 本の好きな客は本屋を選ぶ。その本屋に欲しい本があるかどうかで客は本屋を選ぶし、本屋も客がどんな本を求めているか分かるものである。本屋は取り次ぎになかば支配されているというが、取り次ぎの人間で本を知らない人間はざらにいるらしい。それに頼っていては本屋は棚を貸しているだけの存在になりはてる。

 本はまとまれば重いものだから、酒屋と同様本屋は肉体労働でもある。しかも万引きのターゲットになることも多い。儲けを出すのは至難のことであり、いまのように下手な鉄砲も数打ちゃ当たるとばかりに次から次に新しい本が出ていては本当に大変な仕事だと思う。そうして街から本屋がどんどん減っていく。

 電子書籍があるから良いと云うけれど、私などはどんな本があるのか知るには本屋が頼りのようなところもある。目当ての本などなしに本屋に行き、本屋の棚の本に呼ばれて手に取ることで本を選んでいるので、本屋がなくなることはとても残念なことなのである。

 昔は雑誌もよく買い新聞も取っていたから、そこに掲載されたさまざまな書評を参考にして本を探すこともあったけれど、新聞の購読をやめて久しいし、雑誌もあまり買わなくなった。繰り返すが本屋が頼りなのである。

 いまは名古屋のジュンク堂か丸善、または三省堂を頼りにしている。なんとかいまの水準を維持して欲しいと心から願う。そういえば先日大阪で本屋に入り、思ってもいない本に出会い、さすがにワンランク上だなあと実感させられた。

2018年6月27日 (水)

命令するならそれなりの見返りをすべきだろう

 アメリカが「イラン産の原油を買うな」と各国に求めている。要請というよりも命令しているように聞こえる。それは言うことを聞かなければ制裁することを臭わせているからだ。

 日本はイランから総原油購入量の5%を輸入しており、いきなりアメリカの命令に従うのは困難である。それならアメリカはその分をイランから購入できる価格以下で日本に供給することを約束するのが筋だろう。アメリカは世界一の産油国だからイランの原油を止めても少しも困らないし供給することは可能なはずだ。

 もちろんそんなことはトランプ大統領の念頭にないだろう。知ったことではないと思っているはずだ。それにアメリカが供給すると言ってもその準備と輸送にかかる時間がたぶん一年以上かかることになるから現実的でもないが。

 イランの原油を購入しないように各国が足並みを揃えたところで、抜け駆けをする国が必ずある。中国だ。イランは原油を売らねば困るからその足元を見て安く買いたたき、経済的に有利になる。ISの石油にしたってどこかが買っていたのであって、それがどこかは想像力を働かせれば見当がつくというものだ。なにしろ世界一のエネルギー消費国であり、エネルギーをがぶ飲みしなければやっていけない国なのである。さすがに公然とは購入しないだろうが、いままでもこれからもそれなりの手立てをつくすだろう。

 すでにヨーロッパはトランプにうんざりして嫌気がさしているように見える。世界がトランプに嫌気がさせばアメリカはますます自らの首を絞めていくことになる。トランプには相手の気持ちを測るなどと言う高等な思考があるように見えない。いまが良ければいい、自分のパフォーマンスに喝采する国民がいればそれでいいようだ。

 それは中国やロシアのひそかに喜ぶところだろう。せめて日本だけでもつなぎ止めておくために、イランの代わりにアメリカが原油を供給するくらいのことを口先だけでも言ってみてもいいと思うが、属国にはそんな気遣いなどするつもりなどないか。

 こんなことぼやいたところでごまめの歯ぎしりなのだけれど、ぼやかずにはいられない。情けないことである。

何時でも会えると思っていた

 親元で一緒に暮らし、独り立ちする前は兄弟など何時でも会えるものだと思っていた。それがそれぞれ家庭を持つとなかなか揃うことがなくなる。年に数回でも会えばずいぶんまめに会う方かも知れない。

 先日弟には三ヶ月ぶり、妹には半年ぶりくらいで久しぶりに会った。会おうと思えばもっと会えるのである。しかしうっかりしていると年に一度くらいしか会わないでしまう。残された人生で何回会えるのか、などと考えると愕然とする。

 考えてみれば息子や娘とだってそれほど頻繁に会っているわけではない。どちらかといえば淡泊な私だが、わが娘や息子はそれ以上にクールだから、こちらから来るように声をかけないともっと会わないかも知れない。

 会ってもそれほど話しがあるわけではないし、面と向かうと少し照れくさい気もするが、会えば嬉しいのは人情である。なにより元気なことが確認できるし、そのことをありがたく思うのである。父母も多分そうだったのだろう。会わなければ心は少し遠くなるものである。

 友達も親兄弟も親類も、思い出したらときには訪ねてみるものだと思うのだが、そんな大事なことをすぐ忘れてしまう。池波正太郎の『鬼平犯科帳』などで長谷川平蔵が、忙しい身でありながら、世話になった人や身内のところへまめに手土産を持って訪ねて四方山話をしている場面を読むと、なんだか気持ちが温かくなる。見習いたいものだと思う。

2018年6月26日 (火)

大賀ハスを見に行く

妹が家を新築した。弟夫婦と一緒に妹の新築の家を見に行った。もともと妹のつれ合いの実家の場所の古い家を取り壊し、新築したのである。それにしても家を新築するとは甲斐性がある。立派なものである。


その家のすぐ近く、歩いて行けるところに千葉公園があり、そこで大賀ハスがちょうど見頃だというので見に行った。

朝咲いて夜閉じ、また咲いてを繰り返して四日ほどで散るという。

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咲いたばかりのころはこのように色が濃い。見事な大輪である。

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日を経ると次第にこうして色が薄くなっていく。

大賀ハスの種は千葉市の検見川というところの遺跡調査で発掘された。発掘に参加した女子中学生によって三粒が発見され、植物学者の大賀博士が発芽を試み、一粒だけが奇跡的に発芽した。調査によると、二千年以上前の、弥生時代より前のころの種である。

祖父母の家がやはり千葉公園から歩いて行けるところにあったので、中学高校時代にはしばしば私も散策した。ずいぶん久しぶりでなつかしい。

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左が弟夫婦で右が妹。

久しぶりに兄弟三人が揃った。

鹿島神宮

五浦から千葉の弟の家に行くのに、常磐道に乗らずに一般道を南下する。東関東道に乗るつもりである。その手前に鹿島神宮がある。以前から行きたいと思いながらまだ果たせていなかったのだ。


関東地区は自分の生まれた場所でもあり、仕事も含めてかなりあちこち走り回ったのに、どういうわけか茨城県だけはあまりなじみがない。せいぜい袋田の滝周辺や、大洗周辺くらいしか知らないのである。

三年ほど前に佐原(現香取市)の香取神宮を訪ねた。そのときに鹿島神宮にも行きたいと思った。

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鹿島神宮の鳥居。

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参道。

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境内案内図。右から左に進み、楼門をくぐり、拝殿に拝礼してさらに左に進み奥宮に拝礼、突き当たりを右折して要石を見に行く。

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楼門。

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拝殿。

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左手奥に回り込んで本殿を望む。

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奥宮に向かう。

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座り込む人も見られたが、それほど遠いわけではない。

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奥宮の近くにさざれ石があった。『君が代』に歌われているあのさざれ石である。

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参道の樹木の緑が深い。

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奥宮。神韻を感じる。

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まるで深山のおもむきがある。

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これが要石。まさかと思うほど小さく見える。しかし・・・。

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この看板の説明によれば、この要石の回りを七日七夜掘ってもその極まるところを知らずという。巨石のまさにその先端だけが見えているということらしい。

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こういう自然木の巨木に生命の神秘を感じる。塚原卜伝がここで剣の極意を神受したのも分かる気がする。

満足して東関東道に至り、今回の旅を終えた。

2018年6月25日 (月)

五浦

ドライブマップを見ると、小名浜の南に五浦という場所があり、天心記念館や六角堂があるらしい。ナビに「ごうら」と入力したら該当するものがない。天心記念館で入力してようやくヒットした。


五浦は「いづら」と読むことをこの天心記念館で知った。ナビも「いづら」ならヒットしたはずだ。

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天心記念館は岡倉天心に関する資料や関連する日本美術画家たちの作品を常設している茨城県立の記念館である。とにかく広々としていて贅沢な造りになっている。

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特別展が定期的に行われているが、ちょうどここを訪ねた日はそのはざまであった。そのため入館料は190円だけ支払えばよい。窓口のおねえさんが、「いま次の特別展の準備中で、常設のところしかみられません」と申し訳なさそうにいうが、別になにも目指してきているわけではないのでかまわないのである。それより岡倉天心とはどういう人か、正直よく知らない。しかもどうして五浦に記念館があるのかも知らないのである。

日本美術に造詣のある人なら知っているだろう。明治時代、日本で日本美術の素晴らしさを海外に知らしめ、その再興に努め、多くの日本画家を輩出する手助けをした人だが、自ら設立に参画した日本美術学校を追われるように辞めて、ボストン美術館のアドバイザーなどを長く勤めた。長い海外生活の後、この五浦に別荘を建て、横山大観や菱田春草などがここに集ったという。

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美術館の大きな窓から見えるのは小名浜か。

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記念館の先に岡倉天心の墓所がある。ここは分骨して建てられた丸い土盛りの墓所である。

その向かい側の崖の階段を降りると天心の別荘があるのだが、その手前に小さな無人の展示館がある。

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晩年に近い頃の岡倉天心の像が置かれていた。

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別荘手前の林のあいだから海が見える。

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これが岡倉天心の別荘。

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少し階段を降りると六角形の建物がある。これが六角堂で岡倉天心が建てたもの。平成24年に建て直されたらしい。

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六角堂の前から左手の岬を見る。鎮座しているのは大観荘別館。一等地を占拠し、客以外は入れない。私には無粋に見えるがどうか。

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好い景色のはずなのに。岡倉天心ならどう言うだろうか。

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天心の別荘を海側から見る。

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面白い石柱が立っている。

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説明の石版。「あじあはーなり」・・・何のことかと思ったらアジアは一つなりということだった。

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別荘をあとにする。これでほぼ旅は終わりである。このあと千葉の弟の家に向かうが、もう一カ所だけ寄りたいところがある。

霧の檜原湖、そして太平洋へ

土津神社を後にして北上し、檜原湖を見に行く。天気は思わしくないが、雨は降っていない。


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湖面を左手に見て左回りに一周することにした。霧が出て来た。

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湖の最北部にこの会津米沢街道檜原歴史館がある。小さな建物で、中のメインはラーメンなどの食堂であり、展示スペースは一部屋だけ。寸志として100円を寄付して欲しいとあったので投入する。それをおばさんがじっと見ていた(気がした)。展示物は撮影禁止。正直言ってなぜ撮影禁止にするのか理解不能。ほかの場所の猿まねだろう。そもそもほとんど人は立ち寄りそうもないし、写真撮影が見物の人の邪魔になるとも思われない。

湖岸の西側を会津と米沢を結ぶ街道が走り、檜原村がその宿場だったのだ。この巨大な檜原湖が明治時代の会津磐梯山の大噴火によって形成された堰止め湖であることをここの展示物の説明で思い出した。檜原村及び周辺の村落の多くは噴火による火砕流や土石流で埋没し、どれだけの人や建物が喪われたのかよく分からないのだという。ここの展示物の多くは湖底に沈んだ村から引き揚げられたものである。

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歴史館の前から檜原湖を望む。霧が深くなって暗くなってきた。

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小さな島がある。噴火前は普通に登れたことだろう。

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檜原湖の西側を走る。霧がますます深くなる。肉眼ではもっと視界は悪い。

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湖はこんなふうにしか見えなくなった。

ここから脱出することにして、磐越道に乗り、郡山を通過してさらに東走。天気はガラリと変わって青空を見る。常磐道に乗り換えてついに太平洋へ。

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太平洋に出た。

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ここは塩谷岬。美空ひばりの歌に歌われた塩屋の灯台が岬の上に立つ。

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久しぶりの陽光と海をボンヤリ眺める。

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寄せては返す波を見ていたら眠くなってきた。潮の香りが心地よい。ここから北へ行けば福島原発があり、いまだに苦しむ人たちがいる。東京電力の責任者たちはその責任を自覚しているのだろうか。

さらに南下して小名浜・三崎のマリンタワーに行ってみたが海が霞んでいるので登ってもなにも見えないと判断し、タワーを見上げるだけにした。

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ガラス越しに風景の写真を撮ってもろくな写真は撮れないし。

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タワーの下の放射線の測定値は0.087マイクロシーベルト。

2018年6月24日 (日)

土津神社(はにつじんじゃ)

猪苗代の宿は高台にあり、猪苗代湖が見下ろせる。その宿のすぐ近くに土津神社がある。土津神社は徳川第三代将軍家光の異母弟、保科正之を祀っている。この保科正之が会津松平家の藩祖である。


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土津神社入り口。

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土津神社由来。

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正面からの坂道ではなく、横手の階段を登る。しっとりした緑に囲まれた好い場所である。

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本殿手前の中庭。

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拝殿。二礼二拍手一礼する。

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ここは野口英世がしばしばお参りに来た神社だという。日本に一度だけ帰郷したときにもここを訪れ、自ら写真を撮っている。この看板の写真は彼が撮ったもの。

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雨を集めて水量は多い。神社をさらに登れば保科正之の墓所があるらしいが、失礼した。

本日(現在)夕方自宅に帰り着いた。一昨日は千葉県の弟の家に泊まる。昨日はやはり千葉にある妹の家を訪ねる。家を新築したのだ。そして晩は兄貴分の人と久しぶりに船橋で会食。飲みすぎで酩酊したのに、帰ってから弟と一から飲み直したので、今朝は二日酔い状態。ようやく正常に戻ったので名古屋に帰ったのである。

歳を考えてもう少し酒を控えなければ・・・と思うのだがつい調子に乗ってしまう。飲んだあとで反省しても後の祭りなのだが。

旅の話はまだまだ続く。

2018年6月23日 (土)

雨の猪苗代

会津若松市内を通らずに迂回して(ナビは変な峠道を案内し、どこを走っているのかさっぱり分からなくなった)気がついたら猪苗代湖畔に着いていた。


米沢(母校がある)から白布峠を越えて檜原湖へ降り、そこから猪苗代湖へ抜けて福島というのがたびたび通った道で、だから猪苗代湖はちらりと横目で見て来たが、ゆっくり見るのは初めてである。

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その猪苗代湖はこんな景色である。誰もいない。

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湖岸を少し南へ走ってみた。天気がよければ磐梯山が望めるはずなのである。まるで雨天の海岸のようである。なにも見えない。それにしても猪苗代湖は大きい。

雨でも大丈夫な野口英世記念館に行く。

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野口英世の生家が復元されている。

記念館に入るときに係員が、「ただいま修学旅行生が入ったところなので少々にぎやかですがよろしいですか?」と尋ねた。こどもがにぎやかなのはそれほど気にならない方なので、かまいませんと返事をして入館。

実はあたりに子供たちがうじゃうじゃいるのだ。

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この人、こちらがカメラを向けているのに気がついているはずなのにいつまでたってもここに立っている。仕方がないからそのまま写真を撮る。

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野口英世はこの囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負い、指が癒着してしまう。彼の原点だ。彼の伝記を子どものときに読んだ。とても偉い人だというのが頭に刻み込まれている。しかし実はかなり自分勝手な人だということもあとで知った。

故郷を発って生涯で一度だけこの生家に帰ったことがある。無学だった母が心をこめて書いた手紙を見てのことだ。

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母シカの手紙。

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野口英世本人が身振り手振りをしながら説明してくれる。それに聞き入る小学生たち。

いろいろと思うことがあった。それを胸に宿に向かう。

宿は猪苗代湖の北側、土津神社(はにつじんじゃ)の裏手の高台に立つ温泉ホテル。

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宿からのながめ。遠くに猪苗代湖が見える。手前の花はわたぼうしというのだと聞いたが、私は記憶力があやしいし耳が悪いので聞き違い覚え違いかも知れない。とにかく美しい。

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夕方はたしかにこのように猪苗代湖も向こう岸も見えていた。

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翌朝の夜明け前。ちゃんと湖が見えている。

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朝湯を浴びて部屋に戻ると霧が立ちこめてきて、

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たちまちこんなふうになってしまった。そのあとはずっとこうである。

ところでこの「四季の里」というホテルは最高だった。いままで泊まった宿の中で最も満足度が高い。部屋もいいし、食事も接客態度も申し分なかった。機会があれば是非また泊まりたい。

雨の大内宿

川治温泉を発ち、会津西街道すなわち国道121号線を北上する。国道352号線、さらに国道400号線が合流して、この会津西街道は珍しい国道の三重複線となる。


明治時代、あのイギリス女性、イザベラ・バードがこの道をたどって峠越えをしている。その様子は『日本奥地紀行』に記されている。案内人を連れていたとはいえ、外国の女性が旅することが出来たというのは、それだけ日本が安全な国だったということだろう。

山王峠を越える。イザベラ・バードと共に峠を越えれば、栃木県から福島県に入る。さらに北上するとこの会津西街道は、日光街道とも合流する。阿賀川に沿い、併走する野岩鉄道はここから会津鉄道となる。

そのまま会津若松に至ってもいいが、そこから国道121号線の一本西側の県道(福島県)131号線を北上する。イザベラ・バードもこちらの道をたどった。そして大内宿の美濃屋という宿に宿泊している。

大内宿に至る。雨が降っている。幸い小雨であるが、傘なしでは歩けない。

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大内宿を歩く。前を行く人も傘を差している。

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下は舗装されていない砂地である。ぬかるむようなことはないようになっているが、上手に歩かないと足元が汚れてしまう。

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店先にはむしろ囲いして、客が濡れないようにしている。みやげ物屋が多い。

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本陣跡が資料館になっている。迷った末に入らなかった。雨だとテンションが下がる。写真も撮りにくい。

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おお、美濃屋がある。ここにイザベラ・バードが泊まったのか!と思ったら、分家とある。本家はどこだろう。結局分からなかった。

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左の絵はのれんの絵。天気がよければこの絵のような佇まいの写真がゆっくり撮れたかも知れない。上手く撮れないのは雨のせいである。

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宿の一番奥に社がある。赤い服を着せられたお地蔵様がいるがお寺なのだろうか。

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こんな階段を登る。

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こんな小さなお堂があった。晴れているように見えるが雨は降りつづいているのである。

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階段の上から雨の大内宿を見下ろす。

駆け足で宿内を歩いて車に戻った。雨が恨めしい。

2018年6月22日 (金)

白滝と太閤下ろしの滝など

湯西川から東に行けば国道121号線に至る。右へ行けば今晩の宿の川治温泉が近いが、少し早いので北上する。国道121号線は会津西街道、野岩鉄道と並行して縫うように走る。そのまま行けば会津だが、途中で国道400号を右に折れる。


国道400号は会津東街道である。湯の香ラインなどと名付けられているようだが、その風情は感じない。標高1142mの尾頭峠をトンネルで越える。

さらに東に行き県道19号線を南下する。ここは有料道路だ。この辺は奥塩原になるらしいが、ほとんど人家はない。有料道路にしては道路はあまり整備されていない。しかし道幅はあるので道路の傷みを気にしなければ走りやすい。

こちらへ来たのは、地図によれば道路に近いところに滝があるからだ。

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ドライブインのすぐ裏手にある白滝。ドライブインは閉鎖されている。シーズンには開くのだろうか。

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そばまで行ける。落差15mだからそれほど大きな滝ではない。

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滝の落下口。

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滝壺、というほどでもないが。

白滝からさらに南下すると川治ダムを遠望する展望台がある。

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本当に遠望である。

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精一杯のアップにしてみる。

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有料道路主点近くに太閤下ろしの滝がある。ここが降り口。階段を降りて100mとあるので、100mも降りるのはかなわないと思ったら歩く距離のようであった。

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階段を降りるとこんな道が滝へ続く。左に淵がある。

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ちょっと深そうな淵。なにか主(ぬし)が潜んでいそうである。

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滝は二段になっている。説明書きがないので、太閤がどういう理由で下ろされたのか分からない。滝の間近に行くために自然石のちょっとした段を登り降りするのだが、少しよろける。信じられないほど平衡感覚が衰えている自分がこわい。

このあと滝を背にしたら女性のかすかな声が背後から聞こえたような気がしたが、誰もいなかったはずなので振り返らなかった。

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行きより帰りの淵の方が不気味に見えた。

平家の里・追加と天楽道吊り橋

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今年が平清盛生誕900年だそうだ。これが平家の里の入り口。雰囲気がある。

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平家塚。なにかが埋められているということでもなさそうだ。

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この辺りに生息する動物として鹿や熊の剥製が置かれていた。

そういえば最近動物が人家の近くに出没することが増えているようだ。棲み分けが上手くいかなくなっているのは人間のほうに問題があるのかも知れない。動物は人間の衰えを敏感に感じ取っているのではないか。ドライブ中に道路に傍若無人に居座っている猿たちをときどき見かけた。

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平家の里の駐車場の横から遊歩道を通って吊り橋があるらしいので行って見る。熊は出ないと思う。出ないで欲しい。蛇も出ないで欲しい。

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見上げると木漏れ日が美しい。

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吊り橋。

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吊り橋の向こうに道路があり、さらにその向こうへ遊歩道がずっと続いている。

吊り橋の途中で見下ろすだけにしておくことにした。

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きれいな水が流れている。

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もともと川というのはこのようにきれいなものだったと思う。

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汚れてしまった川を急にこのような清流にすることなど出来ないが、せめて残っている清流はこのままであって欲しい。

湯西川温泉をあとにする。

2018年6月21日 (木)

蛇王ノ滝と平家の里

瀬戸合峡から鬼怒川に沿ってさらに東へ走る。途中「蛇王ノ滝」という標識が眼にとまったので立ち寄る。川へ降りる道はない。道路から鬼怒川越しに眺めるようになっている。


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蛇王ノ滝全体。コントラストが強すぎる。

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下部の明るいところ。

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上部の暗いところ。瀧を眺めるのは大好き。機会があってそこまで行くのが困難でなければなるべく立ち寄る。

この先で県道23号線からU字に川向こうから西行し、さらに北上する。湯西川温泉方向へ走る黒部西川線という峠道だ。この未知も狭いし急カーブの多い道。だんだんこういう道を走るのに慣れてきて、あまりドキドキしなくなった。それにほとんど車が来ない。

土呂部峠というのが最高地点のようだ。「どろぶ」と読む。

湯西川温泉は平家落人伝説の伝わる温泉地だそうだ。「平家の里」というところがあったので、立ち寄ってみる。

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入り口の門を入ると中はとても広い。建物もたくさんある。

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こういう建物のそれぞれにテーマがあって、中を見学できるようになっている。

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高い、吹き抜けの天井。こういうところでは天井を眺めるのが雰囲気に入りこむコツだ。

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子どものころ、電気こたつなどなかったから、こたつの火はこんな行灯式だった。足が当たるので邪魔なのだが、それが当たり前だった。掘りごたつの家がうらやましかった。

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もったいないほど広いのである。

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こういう風物を見るとなつかしい気がする。

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これを唐臼というのか。見たことがあるような・・・。

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平敦盛がいた。呼び止められて引き返し、若くして熊谷直実に討たれた。謡曲の『敦盛』を思い出した。

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平清盛もいる。敦盛も清盛ももちろんこの里にいたわけではない。

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一番奥の大きな建物の中。

この平家の里は立ち寄る値打ちのあるところだ。誰もいないので私一人で貸しきりで見学したが、もったいないことである。

川俣大橋と川俣ダム湖

先ほど立ち寄った間欠泉の下を流れていたのは鬼怒川の源流である。その鬼怒川の最初のダムが川俣ダム。県道(栃木県)23号線を東に走るとダム湖に架かるアーチ式の川俣大橋を渡る。


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橋の向こうから来た。こちらの橋のたもとに駐車場とトイレがある。トラックが通るときはほかの車は交差できない。それなのにトラックがよく通るのである。

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駐車場の横にいくつかかわいい石像がある。

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こちらは七福神だ。この日は日差しが強くてコントラストが激しい。

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橋の途中まで歩いて行く。こちらは西側、源流側である。

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水没した樹木が見える。

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ダムのこういう景色が好きである。

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ダム側、つまり東側。この辺はほとんど人家がないから水の色は本当に美しい。

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釣り船らしいボートが見える。イワナ釣りなどをする人が乗ると思われるが、こういうところを降りて行く人の気が知れない。釣り人というのは本当に釣れるとなるとどこにでも行く。

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これは川俣ダム。この下一帯が瀬戸合峡という絶景場所らしいが、階段を降りていかなければならない。

見晴らし場所に食堂があり、そこの杖をついた腰の曲がったおじいさんが「降りないのか?」と声を掛けてきた。降りたらまた登ってこなければならないから遠慮した。

ここから見たダム湖が上手く写真に撮れないなあ、と思っていたら、食堂の横奥に案内してくれて、「ここからのほうがよく見えるぞ」、と教えてくれた。

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それがこの写真。

2018年6月20日 (水)

奥鬼怒林道

丸沼高原のロープウエイ、そして日光白根山に思いを残して東へ向かう。ここから金精トンネルを抜けて栃木県に至る。カーブが多く、秋から春は閉ざされている道だ。


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金精峠を越えて少し降りると小さな見晴台がある。男体山の勇姿と湯の湖が一望に出来る。

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美しい湯の湖。この湖畔には湯元温泉がある。小学校の修学旅行ではここに泊まり、戦場ヶ原をハイキングした。風呂場でダイビングしたら思った以上に浅くて膝を打ち、翌日ずっと痛くてつらかった。そのころはただのバカだったのである(いまもそうか)。

戦場ヶ原の途中から左に曲がり北上する。標識は光徳牧場方向となっているが、分かりにくい。途中からこのまま進んでいいかどうか迷うような細い道となる。看板があって、ところどころデコボコがあり、カーブも多いので、時速は二十キロ程度で走行するように、とある。車長が7メートルを超える車は走れないそうだ。ここは林道なのである。

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こんな道が続く。ここは少し広くて車が停められたので写真が撮れた。ほとんどが車のすれ違いが難しいほど狭い。ところがほとんど車が来ないのである。

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こんな道。愛車のアテンザは車幅が普通の車よりあるので、狭い道は苦手なのである。だからこういう道を走るとドキドキする。それなのに気がつくとこういう道ばかり走っている。ドキドキするのを実は楽しんでいるのかも知れない。

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ついに奥鬼怒林道を抜ける。来た道を振り返る。左手の暗がりが林道である。この近くに川俣温泉という小さな温泉地があり、そこに間欠泉があるらしい。

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間欠泉展望台の標識。

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こんな木の階段を降りていく。展望台の横に足湯があるのだが、五十度以上はありそうでとてもではないが入ることが出来ない。

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十分ほど眺めていたがいつまでたっても噴き上がらない。間隔は約六十分と書かれていた。ぞろぞろとおじさんおばさんがやってきたので、諦めて引き揚げた。たぶんそのすぐあとで噴き上がったに違いない。そんなものだ。

ここから県道(栃木)23号線をダム湖に沿って東へ走る。

快晴なのに

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 いま川治温泉にいる。今朝(現在)は雨。もともと今回はすべて雨の可能性が高い予報だったが、晴れ男の威力で一昨日は曇り、昨日は快晴だった。さすがに本日は力尽きたようだ。写真は現在の宿の窓からの景色。

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 川治温泉は会津西街道の男鹿川沿いに温泉宿が並んでいる。

 部屋は川を見下ろす場所で、川音がする。夜半に蜩の鳴き声がするように思ったが、まさか蜩は夜鳴かないから、カジカが鳴いていたのだろうか。

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 最近温泉宿に元気がないように感じる。川治温泉も夜半客室の灯りの入っていない宿の方が多いようである。ウイークデイで梅雨時だから特にそうか。

 昨日朝は快晴。宿(環湖荘)のフロントのお兄さんにロープウエイを今日にして正解だったね、と声を掛ける。今日の天気なら富士山が見えますよ、とのことであった。宿には小学生の集団(修学旅行か)が泊まっていて、聞くと彼らは今日、戦場ヶ原を歩くそうだ。天気がよくて何よりだ。

 彼らより早く出ないと観光バスに道をふさがれる。丸沼から国道へ出るまでの二キロばかりの道はとても狭いのだ。彼らより先に出発する。丸沼高原のロープウエイ乗り場は近い。しかしなんたることか、本日運休日との看板が出ている。まさかと思い窓口に行くがしまっている。宿に運休であることを連絡した。ほかのお客さんが行くかも知れないし、宿が知らなかったのも問題だ。これから気をつけるだろう。

 仕方がないので別の峠道を走り回ることにする。その報告は次回。

2018年6月19日 (火)

丸沼

夕刻、丸沼を散策した。


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環湖荘を出て、こんな橋を渡って遊歩道へ入る。

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右手を湖畔沿いに歩いて行く。

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こんな立ち枯れの木があるということは、ここは火山(たぶん草津白根山か)の噴火で出来た湖だということだろう。この周辺には大小の沼がいくつもある。

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遊歩道の途中にはベンチも置かれている。坐って湖面を眺めるのにいいが、なにか敷かないと坐る気にならない。

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水鳥でもいるのかと思ったら釣り人だった。

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ところどころこんな林を抜けていく。

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水は澄んでいる。

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江戸川乱歩の小説に登場する湖畔の宿の舞台の湖みたいだ。ちょっと神秘的で妖しい感じがする。

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立ち枯れの木の株を飾りに入れて撮る。

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ツツジの赤が湖の色を引き立たせる。

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安い高倍率ズームレンズで花を撮るのは難しい。

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すぐ近くには個人所有の別荘もいくつか散見される。

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環湖荘へ戻る。

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別荘の背後には高い山があるようだ。四郎岳(2156m)かと思われる。

環湖荘

Dsc_6639 環湖荘・標高143mのところに建つ

 母にはIさんという女学生時代からの唯一無二の親友がいた。毎年ふたりであちこち旅行に行っていた。母は旅行の計画を立てるのが好きで、時刻表を眺めるのも好き、宿の予約を取るのも楽しんでいた。私が学生のときにはふたりで東北にやって来て、天童温泉では三人で混浴に入った。母も私も平気だったが、さすがにIさんは恥ずかしがっていた。思えばまだ母もIさんも四十代だったのだから、恥ずかしがるのは当然といえば当然だ。

 そのIさんが七十過ぎで亡くなってしまい、母は気力の半分を喪うほど落ちこんだ。そしてそれはついに元に戻らなかった。かけがえのない人を失うということの痛みを母を見て実感した。

 その母とIさんが泊まりに行くお気に入りの温泉があちこちにあって、私がリタイアしてからいくつか母を連れて行った。私にはIさんの代わりはできない。母はなにを思っていただろうか。

 その一つが老神温泉という赤城の山の裏側にある古い温泉である。母と二三度来て連泊し、ゆっくりした。私にも思い入れのある温泉になり、年に一度か二度やってくる。それに赤城の表側には友人がいて彼を訪ねるのも楽しみである。

 いつもなら老神に泊まり、吹割の滝を散策し、丸沼を眺めてから金精峠を越え、日光を見に行くのだが、この丸沼の湖畔に建つ環湖荘がいかにも湖畔の宿という佇まいで、母と来た時にも、いつかは泊まろうと話していた。ついに念願を叶えたというわけだ。

 関越自動車道で北上し、赤城高原を過ぎて沼田ICで降りる。そこから国道120号線を東へ走ると老神温泉があり、そのすぐ先には吹割(ふきわれ)の滝、さらに東に行けば尾瀬への入り口、さらに東に進み、金精峠を越えれば奥日光に至る。金精峠が群馬県と栃木県の県境だ。金精峠からは奥日光の湯の湖、男体山が一望できる。

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 丸沼はその金精峠の群馬県側、すぐ近くに丸山高原があり、そこからロープウエイで登れば日光白根山(2578m)に登れる。そこからのながめは絶景だ。

 小雨の名古屋を発ち、途中どしゃ降りの中央道から岡谷ジャンクションを左に折れて長野道に至るころには雨もやんだ。さらに北上して更埴から上信越道へ入る。残念ながら浅間山を拝むことは出来なかった。さらに関越道に至り北上して沼田インターへ。

 途中長野道のサービスエリアに入って初めて大坂の地震を知る。大阪は奉職していた会社があり、友人知人もいる。知人達にはさいわいそれほどひどい被害はなかったようである。

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 環湖荘は古いホテルで、開高健がときどき泊まりに来ていた一軒宿の温泉ホテルである。目の前で釣りも出来るし、静かに執筆も出来る。

Dsc_6701 環湖荘入り口

 早めに着いて丸沼高原のロープウエイに行くつもりだったが、山は雲に隠れている。宿で確認してもらったら、ロープウエイの山頂駅周辺は霧が掛かっているようで、ときどき霧雨状態とのこと。翌日に行くことに変更し、丸沼の遊歩道を散策することにした。そこで撮った写真はまとめて次回に。

Dsc_6705 夕刻の部屋の窓からの眺め

2018年6月18日 (月)

大沢在昌『極悪専用』(文春文庫)

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 暇つぶしに読み始めたら面白くて一気に読んでしまった。アニメでも見ているような気楽さで読む本であって、リアリティなどあまり気にしてはこういう本は読めない。

 北方謙三に続くハードボイルドの旗手の一人として、馳星周などとともに著名な著者(なにしろ『新宿鮫』シリーズで不動の地位を占めている)だが、ときにこのようなコミカルな、軽妙なハードボイルドが書けるのはこの人が随一のような気がする。

 裏社会の超大物を祖父に持ち、脳天気にやりたい放題に生きてきた「俺」こと望月卓馬が、ついに祖父の怒りを買い闇に葬られかける。そこで何とか生きのびるチャンスとして命じられたのがあるマンションの管理人助手の仕事を一年間全うすることだった。そのマンションの管理人助手を最も長く勤めることが出来た者で四ヶ月半、中には当日早々仕事を失ったという。そこでは仕事を失うというのはこの世から抹消されることで、つまり死んでしまうのだ。

 そのマンションは超高額の賃貸で、常識を越えた極悪人の住人が暮らしている。マンション内での殺人も珍しいことではなく、死体は専門の業者に処分が依頼され、跡形もなくなるという。「俺」はそこでゴリラのような、しかも頬と口とが真一文字に切り裂かれた白旗という管理人の助手として働くのである。

 さんざん悪事をしてきたつもりの「俺」もレベルの違う住人たちの極悪さにドギモを抜かれる。そこで起こるさまざまな事件とそれを処理していく管理人の仕事が語られ、次第に管理人の白旗の過去が明らかにされ、彼も関わるある人物のためについにマンション最大の危機が訪れる。

 読んだらすぐ忘れてしまうだろう本だが、ときにはこういう本を楽しむのもいい。最近小説が一気に読めなくなっていたが、久しぶりに一気読みを楽しんだ。

佐藤優『民族問題』(文春新書)

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 著者の本を読むと、自分がいかにものを知らないか思い知らされるとともに、ニュースなどで知らされる世界情勢が、もしかしたらかなり偏った世界観で報じられているのかも知れないと気付かされる。どちらが正しいかではなく、判断する材料そのものが必要なだけ呈示されているかどうかが問題なのである。

 民族問題とはなにかについてすでに多くの碩学が研究し、論を立てている。それを著者が読み解いて、分かりやすく説明してくれる。さらにウクライナと沖縄を民族問題のケーススタディとして取りあげ、歴史的背景と著者なりの分析を行っていて分かりやすい。

 民族を考えるとき、その捉え方は原初主義と道具主義に大別される。いまは学術的には原初主義は趨勢で、道具主義が大勢を占めている。これは信じ難いことだが、民族という概念は実は歴史的にせいぜい19世紀頃に固まったものだという。当然民族という概念がなければ民族主義もなく、ナショナリズムもないわけである。幕末の志士たちのナショナリズムはそういう意味で極めてあたらしい思想だったということになる。

 信じ難いと思うのは、私が日本人だからのようである。日本ほどの大人数での単一民族というのは世界にもあまり例がないため、日本人特有の捉え方をしているためだというのだ。だから日本人はほとんど原初主義を信じていて、そうではないなどと言われても理解しにくい。

 この本はその思い込みの色眼鏡を優しく丁寧に外してくれる本なのである。そしてその思い込みを外してあらためて民族問題を考えると、全く違う世界が見える。分かりやすく書かれているものの内容が高度なので、私のザル頭では十分理解したとは言いがたいが、民族問題について新しい見方があることを知っただけでもありがたいことであった。

2018年6月17日 (日)

映画『石榴坂の仇討』2014年日本

監督・若松節朗、出演・中井貴一、阿部寛、広末涼子、高嶋政宏、真飛聖、藤竜也、中村吉右衛門ほか。

 傑作とまで云わないが、見て好かったと思える映画だった。ラストは知らずに観た方が良いが、それほどこだわる必要も無い。浅田次郎の原作は未読だが、たぶん読んだ人でも楽しめると思う。

 彦根藩屈指の剣の腕を持つ志村金吾(中井貴一)は藩主の井伊直弼(中村吉右衛門)の近習に取り立てられ、お側警護の任につく。安政七年三月三日、その井伊直弼は桜田門外で水戸浪士を中心とした集団に襲撃されて討たれてしまう。警護を全うできなかった金吾は切腹しようとするが、彦根藩の家老から激しい譴責を受けた上、襲撃者の首を井伊直弼の墓前に手向けるまで切腹は許さずとの厳命を受ける。

 それから事件の襲撃者たちの追跡が始まる。しかし時代は大きく変わっていく。もともと時代を変えようとした志士たちによる襲撃であった。彼らは身を捨てて国事に奔走しており、金吾の追求も空しく次々に命を落としていく。

 時代は変わり、ついに明治となる。桜田門外の事件から13年の月日が経ち、江戸は東京となっている。妻セツ(広末涼子)の働きで糊口をしのぎながら志村金吾は節を曲げずに追求を続けていた。

 見かねた人たちからの援助があり、ついに最後の生き残り(阿部寛)を知ることになる。そしてその生き残りの人間にも長い辛苦の日々があった。石榴坂でふたりの決闘が始まる。

 好い映画だと思うのは、なにより日本映画特有の後半部の無意味な冗漫さがあまり感じられないからである。それに中井貴一も阿部寛も殺陣が上手い。時代劇は殺陣が下手だとぶちこわしである。ここで引き合いに出すのは可哀想だが、テレビドラマでの向井理の殺陣は下手くそである。もっと練習して欲しい。敵役によく阿部寛を選んだものだ。はまり役である。これでラストが生きてくる。

 それと広末涼子が好かった。嫁いできたときの白無垢の姿、そして角隠しから恥じらいながら上げた顔の美しさに息を呑んだ。色が白いことが美しさの要素でもあるとあらためて思った。人妻となり夫と共に辛苦を重ねながら気品を失わず、心に強さを秘めている武士の妻をきちんと演じていて好感が持てた。疲れて寝入っている妻を静かにのぞきこむ夫の姿に、ふたりの情愛が切々と感じられる。死ぬことの覚悟が、同時に、生きることの大事さを感じさせるのだと教えてくれる。

二度とあっては・・・

「二度とあってはならない、そのために徹底的に対策をする」と偉い人がテレビで言うのを聞いていると怒りを覚える。このことについては一度ブログに書いたことがある(何時書いたか忘れたが)。

 どうして腹が立つのか。「二度とあってはならないこと」というのは、「そもそもがあってはならないこと」である場合が多く、それが起きたということは、また必ず起きることが自明に思えるからだ。それなら「二度とあってはならない」というのは決まり文句をただ言っているに過ぎない。それが証拠に、先日インタビューを求められた若者まで口パクで同じことを言っていた。

 五歳の娘をいじめ殺した父親がいたけれど、本当にあってはならないことだと思うし心も痛む。これは決まり文句で言っているのではない。娘が五歳だったころを思い出しながら、自分のこととして重ねて考えるからである。もちろん私は昔も今も娘をかけがえのない存在として考えているし、もう少し厳しくしつければよかったという思いがないではないが、それを後悔などしていない。

 世の中には異常者が存在する。自分が死にたいから人を殺したり、誰でもいいから殺したり、殺してみたいから殺したり、自分のこどもをしつけと称して殺したり、いじめと称して殺したりする人間はむかしからいるし、いまもいて、そしてこれからもいるのである。

 二度と起こさないといえるのは、彼らすべてが「決してしません」と誓い、それを守ったときである。そうでなければふたたびみたび起こるのである。そして誓えるのは事件を起こすだろう人間だけなのである。

 その五歳の娘をいじめ殺した父親の事件を受けて、安倍首相が「二度とあってはならないことで・・・」と言ったのを聞いてがっかりした。二度と起きないように関係各部署に厳しい指示を出したのであろう。そのことは認めよう。しかしここで常套句を言わないで欲しかった。上記の理由で、私には他人事でしゃべっているようにしか聞こえなかったのである。

 それらの事件を起こす人を、どのようにして事件を起こさせないようにするか考えるしかないではないか。ではどうするか。私に分かるわけがない。それが分かれば二度とこういう事件は起きたりしない。しかしそれが出発点であるなら、「二度と・・・」ということばは出てこないと思うのである。「二度としません」は、やった人間だけが語れることばだ。たいてい守られないけど。

 得意の揚げ足取りで申し訳ないが、私と同様方策も持たずに「二度とこのような・・・」ということばを発する口もとを見ているとつい感情的に反応してしまうのである。

 まあこういう文章を書くとすぐ、「では放っておけというのか」などというクレームがつくだろうなあ。そんなこと思っているはずがないではないか。それとも本気で私がそう思っていると読めてしまうのだろうか。情けない。

2018年6月16日 (土)

IR私感

 カジノを含む統合型リゾートをIRというのだそうで、そのIR法案が与党などの賛成により委員会で可決されたそうだ。これで本会議に上程され、同じように可決されることになるらしい。それについていま感じていることを書く。経済的なことも含めて考量した結果ではなく、詳しいことも知らない(詳しく調べるつもりもない)ので、あくまで私感である。

 カジノは賭博であろう。日本では賭博は法的に原則禁じていると承知している。競輪競馬競艇などの公営ギャンブルはあるけれど、これは歴史的な背景もあって例外的に許されているものかと思う。規模も大きいし、関連する人数も多く、設備投資も含めて多額の資金を必要とするから、反社会的集団が私的に開催することは簡単に出来ない。

 しかるにカジノ賭博はすでに反社会的集団が不法に行っていることが知られており、当然処罰の対象になり、警察はそれを検挙する。では、IRでのカジノ賭博を許し、反社会的集団の行うカジノ賭博を取り締まると云うことの区別をどう根拠づけるのか。やることは同じである。

 もちろん根拠がないからIRに反対ということではない。法律で決められれば合法的になるのであり、すでにカジノ賭博が許されている国と同様になるというだけのことである。

 問題は国民にそのIR法案の意味と根拠があまりにも説明不足ではないかということである。強行採決までしてどうしてそんなに急ぐのかが分からない。せめてこれだけの税収が期待されて、追加の消費税アップをしないで済む、くらいの言い訳でもあればともかくあれよあれよの進行である。

 ギャンブル依存症の人間を身内に持つ人は悲惨である。それで身を持ち崩した人を目の当たりにもした。今回のIRのカジノでは入場料を取ったり入場回数を制限するなどというのはギャンブルの怖さをよく承知しているからこその方策だろう。怖さを知りながらそのようなものを新設するということについての説明が十分だとはとても思えない。

 私は若いときにギャンブル依存症になるタイプだとプロの手相見の人に言われた。よくぞ言ってくれたと思う。博才はないのにのめり込みやすい、いわゆるカモのタイプなのである。そう思い当たるところもあって、それからはほとんど控えるようにした。嫌うように努力したし、そもそも存在しないものとして眼を逸らしている。

 いくつかの重要法案が野党の反対を抑え込んで強行採決されてきた。それぞれに賛否があり、その法案内容すべてが問題であるとも思えないのに反対ばかりしている野党に不快を感じることが多い。すべて反対では論議のしようもないし、問題点の修正も行われずに結果的にそのまま通過する事態を生み出してしまう。

 反対するのももっともだ、と国民の多くが思えばそれを力にすることが出来るはずなのに、野党がそれを結集できないのはお粗末である。その繰り返しを見せられている中の今回のIR法案の強行である。これこそイデオロギー抜きで与党批判を結集できそうなものと思うが、不思議なことに大きな話題にならない。

 私と似たように感じている人も多い気がしているが違うのだろうか。それなら今回の与党のIR強行は、あとで国民の反発を買うきっかけとなり、選挙での敗北につながるかも知れないとさえ思うのだが・・・。

 このことで自民党の、つまり安倍政権の傲慢の匂いを(遅ればせながら)感じた。国民に対する感度が低下している。そしてそれ以上に無力な野党への失望も倍加した。そろそろ安倍政権交代の時期かも知れない。

 ところで蛇足だが、理科系の人間としてIRというとInfra Redつまり赤外線のことで、私などは赤外吸光分析(IR分析)を思い浮かべてしまう。経済に詳しい人なら、IRと聞けば企業の投資家向けの広報活動のことだと思うそうである。

映画『半次郎』2010年日本

監督・五十嵐匠、出演・榎木孝明、白石美帆、津田寬治、坂上忍、雛形あきこ、竜雷太他

 主演の榎木孝明が自ら企画し、この映画を作り上げることに貢献している。彼自身が鹿児島生まれであり、西郷隆盛や中村半次郎(桐野利秋)に強い思い入れがあるのだろう。榎木孝明は武術も本物(薩摩示現流)だし、絵もすばらしい。自らのアートギャラリーを持ち、そのうちの大分県の九重にあるギャラリーには二度行っていて、その都度彼の画集を購入している。私の好きな絵である。

 意識して彼を観始めたのは内田康夫原作、市川崑監督の映画『天河伝説殺人事件』だった。思えば内田康夫(つい最近亡くなったのはまことに残念である)を読み始めたのもこの映画がきっかけだった。購入して読んだ彼の本は軽く百冊を超えている。

 この映画で浅見光彦についてのイメージが定着した。テレビ番組でさまざまな感じの良い俳優が浅見光彦を演じているけれど、だから榎木孝明以外の浅見光彦がどうしても受け入れられない。誰とは云わないがひどいのもいる。たいていの原作は読んでいるけれどもどうしてもドラマで見る気にならないのは残念でもあり、さいわいでもある。手を広げすぎると時間がいくらあっても足りない。

 中村半次郎について詳しく知ったのは若山富三郎が演じた『風雲児半次郎』という連続テレビドラマである。私が中学生くらいのころの話しだから大昔で、もちろん白黒だった。むさ苦しい唐芋侍を地のままに演ずる若山富三郎がどういうわけかとても魅力的で夢中で見た。傑作ドラマだったと思う。久保菜穂子など、共演した女優をかすかに覚えているが、ほかに誰がでていたのかもう忘却の彼方だ。

 いろいろあって榎木孝明が演じる中村半次郎の物語にとても興味があった。西南戦争の凄惨な戦いのプロローグのあと、物語は西郷との出会いから始まる。そしてこの映画のメインのテーマは西南戦争である。西南戦争について、たぶん榎木孝明も思い入れがあるのであろう。有為の人間が負けると分かっている戦いに身を投じた経緯が丁寧に描かれている。

 私としては中村半次郎という無類に明るく人なつっこい人間がどういうふうに作られたのか、それをもう少し知りたい気がした。それこそ薩摩の男を生み出した薩摩の風土とはなにかを知ることにつながる気がするからである。リリィが母親役でちょっとだけ登場した。西南戦争が詳しい分だけ最後が少し冗漫になった恨みがあるが、それはそこにこそ榎木孝明や監督の云いたいことが込められているからであろう。

 白石美帆が熱演しているが、多少くどい。ラストシーンに登場させたのは如何かと思う。全体としては、不満がないではないが、おおむね満足した。

2018年6月15日 (金)

フライパン

 どうしたわけかフライパンが三四年しかもたない。食材がこびりつくようになると極めて不快である。使い込むと油がなじんでこびりつかなくなるなどと聞くが、テフロン加工のフライパンは使い込むほどこびりつくようだ。使ったあとの手入れが悪いのかも知れない。

 ちょっとだけいい物に買い換えることにした。重くて深めのフライパンを見つけた。高いけれど、使い勝手がよくて長持ちすれば却って安上がりだ。金のヘラも使えます、などと書いてあるけれど、前のもそう書いてあった。それは信じない。注意書きに、空だきしないで下さい、などと書いてある。しかしフライパンは空だきに近い状態で使用するものである。空だきするとテフロン膜を損傷するそうだが、いままでもそれが原因か。ちょっとがっかりする。

 卵焼きその他の料理に使ってみた。極めて調子が良い。しかしそれはいままでのフライパンも最初はそうだったのであてにならない。ただ、深めなので具材の量が多くても使いやすいし、油の飛び跳ねも多少は少ないようだ。

 さて今度のフライパンはどれくらい使えるであろうか。

養老孟司&小島慶子『歳をとるのも悪くない』(中公新書ラクレ)

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 養老孟司師があとがきで、小島慶子に初めて会ったときは若くて角(かど)があったと書いている。その角は歳とともに取れているようである。師は若いときは角があっても好いという。かどのある人のほうが生産性が高く、日本の生産性が低いのは企業が角のある人を嫌い、角(つの)を折ってしまうからではないかという。どうせ歳とともに折れる角をわざわざ教育と称して折る必要は無いのに、というのである。

 私も角が多少ある若い人が好きである。云いたいことを遠慮無く云う若い人のことばに耳を傾けることは大事である。もちろん言い方や態度にある程度の敬意は必要だ。傍若無人な角は人間関係を損なう。人間関係に対する配慮は必要であることは云うまでもない。

 小島慶子の角が感じ取れることが私にもしばしばあった。思いが強すぎて止められないのだろうとも思ってみていた。その小島慶子が初対面以来養老孟司師に心酔して敬愛していることがこの本を読むと分かる。角がある人が心酔するのは、師がよほどの人物だからだろう。はるかに鋭い角があるのか、または角をやんわり包み込むだけの包容力があるのだろう。

 小島慶子が私的なことをさらけ出して師に質問し、自分の考えを話し、指針を乞い、ものの見方の教えを受ける。師が相手でなければ彼女は自分の弱みなど見せないはずだ。弱みまでさらけ出すほど彼女としてはかなりつらい日々を送っているのだろうと見える。

 賢くて好い女がそこまでしてすがってきたら、男冥利に尽きるのであるから受け止めてあげるのが男というものだ。そんなホンワカしたムードで、会話が進んでいくが、ときに彼女の角がちらつく。もちろん師に対してではない。彼女には世の中に対してもの申したいというエネルギーはあふれるほどあるのである。そして実は養老孟司師も同様である。

 ただ、師は世の中が自分にそう見える、そう感じられることについて、自分自身の考え方を常に見直すという作業を怠らない。自分のひとりよがりなのではないか、という疑いを常に持ちながらものを考えることは、出来るようで出来ないことである。

 かんで含めるようにその思索をもとにした考えを小島慶子に、そして読者に伝えてくれている。いつもよりずっと分かりやすいけれど、その分少々もの足らないところもある。

2018年6月14日 (木)

たとえ百万あっても無限ではない

 片付けても片付けても散らかるのは自分がだらしないからだが、それにしても際限が無い。前々から家の中にあるものを大小関係なく数えたら、いったいいくつあるのかと考えていた。十万か、百万か。どんな小さなものをもひとつと考えたところで百万もあるとは思えない。それほど広い家でもないし、物持ちでもない。

 それなら、今日、百なり二百なり片付ければそれだけ片付くのである。一年で三~五万は片付くし、二十年でうまくすればすべてが片付いている。最後が自分自身だ。

 そう気を取り直して二時間ほど精を出してみた。こころなしか空間が拡がったような気がする。自己満足だけれど達成感があった。まだ百万のうちの五千分の一くらいしか片付いていないけれど。気持ちが好い方へ回り出したようだ。

 弟が今月でリタイアする。来週末くらいに訪ねようかと思っている。それならその前に何日か旅に出ようかなどと思う。天気予報は思わしくないが、私は晴れ男で旅に出ると予報では雨でも晴れることが多い。思い立ったのですぐ計画し、宿の予約を入れる。機会があれば泊まりたいと思っていた宿が取れた。月曜日に出発予定。その前に出来ることをしておこう。さあ忙しくなるぞ。

快適

 片付けるためにものを買ったりしている。捨てるべきものは適宜捨てているのだが、捨てずにおきたいものも多い。そうなるとそれらを分類して整理しなければならない。整理するためのものを買う。それらが雑然と部屋の中に拡がっている。一つの分類が片付けばすっきりするのだが、すぐに次が待っている。なにもしなかった方が散らかっていなかったと思うが、やり出したらとめられない。

 ニトリでカラーボックスを買う。もちろん収納のためである。いままで無駄になっていた収納スペースを発見したのである。それに適合するものの目星はすでにつけてあった。店内を眺めていたら座椅子が眼にとまった。

 数年前にどん姫から肘付きの重くて大きな座椅子をもらった。極めて快適で気にいっていた。ところが、昨年秋(もっと前だったかも知れないが忘れた)それを潰してしまった。リビングの壁面と天井の継ぎ目部分が少し破損していたので椅子に乗って補修していたのだが、ちょっとした弾みで転げ落ちたのだ。体重90キロの巨体が転げたのだが、ちょうど落ちた場所にその座椅子があった。 

 しばらく腰と脇腹が痛かったが、大事に至らなかったのはその座椅子のお蔭で、そのかわり座椅子のリクライニングがバカになり、使えなくなって処分せざるを得なかった。どん姫には済まないことであった。

 最近自分の姿勢が悪くなっていることを実感している。どうも座椅子がなくなってから前屈みの姿勢になることが増えているせいではないかと思う。だから座椅子があると、いろいろ見比べていた。ニトリのその店には腰のところをしっかり後ろから支えてくれるタイプがあった。思ったより安いのでカラーボックスと一緒に購入した。

 思った以上に快適で、いまご機嫌でその座椅子に座ってブログを書いている。さて片付けはどうしよう。

2018年6月13日 (水)

米朝会談

 昨日のテレビのニュース番組は米朝会談一色といってよい程だった。しかし会談の内容はほんの一部しか分からないし、合意文書にしても具体性に欠けるから、それをどう評価するかは今後に待たなければならないのは仕方がない。そもそも史上初めての会談で突然すべてがすらすら解決するなどと云うことはよほど楽天的な人でも期待していなかっただろう。

 テレビ局やネットのニュースで興味があるのは、その具体的な内容がまだ明らかではない段階での今回の会談に対するそれぞれの評価である。現時点ではまだ分からないというのが妥当なところだと思うが、悲観的なもの、手放しで楽観的な評価をしたりしていると如何なものかと思う。中には「日本政府は落胆している」などという見出しのものもあったが、どういう根拠でそう言っているのだろうか。

 コメンテーターとしてテレビの番組によばれる北朝鮮の専門家と云われる人たちは、私の目から見ると北朝鮮寄りの立場で解釈することが多いようである。最初はそれが面白くなかったけれど、彼らも情報を入手するためには多少そのようなポーズも必要なのだろうと最近は考えるようになった。想定されるバイアスをこちらが割り引けば良いだけのことである。そもそも北朝鮮からもたらされる情報は極めて少ないようだから、想像力で補って解釈するしかないのであり、専門家も想像力を駆使しているはずだと思っている。

 早くも米韓軍事演習をやめるなどとトランプが言ったと報じられている。これから次々に驚くようなことが出てくるに違いない。アメリカ政府もトランプが勝手に約束したことの尻ぬぐいに翻弄されることになりそうな気がする。約束は約束、とトランプはこだわらないから、そんな約束をしては駄目だったと知らされればすぐそれを反故にすることになんの痛痒も感じない人物であることはすでに明らかなので都合がよいことはよいが、世の中は信用で成り立っている部分もある。

 それをないがしろにしても平気でいられるのは自国が強国だからであって、彼がディールに長けているからではないのだが、それはたぶん彼には理解の外なのだろう。とんでもない人物がアメリカ大統領になってしまったとあらためて思うけれど、まさかノーベル平和賞を受賞したりしないだろうなあ。もともと軽いノーベル平和賞がますます軽くなってしまう。

 今回の会談が終わったあとの金正恩の安堵したような顔が印象的だった。実は厳しい交渉に疲れ切っていたけれど強がって見せていた、などとは感じられず、本当に一安心したように見えたのだ。もちろん最初に厳しくやり過ぎれば、相手が引っ込んでしまってもう出てこなくなると読んだアメリカ側の作戦だろうと思う。それを進展がなかった、具体的な成果がなかったなどと云う人が必ずいることだろう。たいてい実務をしたことがなくて、評論だけしている人だ。そういう人の云うことはあまり参考にならないことが多い。

 次のセレモニーはロシアでのFIFAワールドカップか。残念ながらほとんど興味が無いのでたぶん見ない。

曽野綾子『納得して死ぬという人間の務めについて』(KADOKAWA)

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 夫君の三浦朱門を昨年初めに喪って、その介護、そして死を看取った経緯と、生活と心境の変化について綴った本である。先日も彼女の同じテーマの本を読んだばかりであるが、私も母の介護と看取りをした経験があるので、共感するところが多いにある。

 しかしアンチ曽野綾子はたくさんいるから、亭主の死をネタにせっせと稼いでいる、などと陰口をたたく人間がいるかもしれない。

 この本では強調したい部分が太字になっている。おせっかいでもあるが、たしかに赤線を引くならこの辺かと思う。それにしても太字が多すぎる気はするが。

 この本を読んで元気になった。たまたまバイオリズムが上昇ラインなのかも知れない。しかし元気で明るく前向きに、しかもやりたいことをやろう、やっていいのだと励まされた気になったのである。

「努力と結果は決して一致しないし、一生懸命学ぶことは将来の成功とも幸福ともほとんど関係ない」と看破しているところなどはちょっと震える。これは努力すれば必ず報われる、などということばを否定するもので、その通りだと心から思う。もちろん、だから努力しなくてもいい、のではない。そのことが解る人と解らない人がいるのだろうなあ、と思うのである。

 功利的な目的ばかりで努力する人は、あたかもあの和歌山の資産家のようだなあ、と思ったりする。しあわせならそれで好いけれど。

身内を、かけがえのない人を喪うことで受ける思いを淡々と語っているけれど、嘆き悲しまずに深い喪失感を抱えながら日常を静かに暮らす姿に感銘を受けた。残された人にはすることがある。自分を生きるという大事な仕事である。

2018年6月12日 (火)

映画『ビジター 征服』2014年カナダ

監督チャド・アーチボルト、マット・ウィール、出演ジュリアン・リッチングス、リサ・フール、アダム・セイボーロド他。

 異星人の存在を暗示しながら、手持ち映像を多用してなにが起こっているのか観客にはよく分からない状態に追い込み、緊張感を盛り上げていくというお決まりな手法で映画は進行する。

 過去に異星人に拉致されたとネットで主張する謎の人物を追いかけ、ついにインタビューすることになったマニアが映した映像が一つ。まさにその晩にその男の家の近くに宇宙船が落下する(これは偶然ではなく必然的なものらしいがそれもよく分からない)。その宇宙船を軍の特殊部隊(お粗末な連中である)らしき者たちが探索のために深夜の森を駆け回る。その映像が一つ。そしてその謎の人物が軍の調査員(らしいが、かなりえげつない)が拘束し、訊問する様子が一つ。

 それらがランダムに、そして交互に映されていく。

 宇宙船も痕跡だけで実体は見せないし、宇宙人らしき死体はちらりと垣間見えるのだが、全体が見えない。これほど低予算でできあがった映画はないであろう。すべてが思わせぶりである。

 カナダ映画だから期待はしていなかったが、期待していないときにはしばしば当たりが出るので、それをひそかに期待したらやはり外れであった。やはり期待したらいけないのだった。

池上彰『知らないと恥をかく世界の大問題 9』(角川新書)

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 この題名の本もついに第9回にまでなったのかと思う。暇なときにそれぞれを読み比べても面白いかも知れないが、残念なことに読み終わるごとに処分しているので手元にない。世界の情勢について、政治、経済、民族問題、軍事などを総括的にまとめてくれているので重宝な本である。巻頭にはさらに現時点での世界の問題点をテーマ別に図示してあるので簡易的な参考書になる。

 トランプの出現によって世界がいままでとどう変わってきているのか、これからどうなるのか考えるときの参考書になるのである。もちろんその他にもさまざまな変化が起こっている。それをどう捉えるかは自分の問題である。

 巻末に「池上さんはどう考えるのですか。池上さんの言うことを信じます」と彼の番組の中で(たぶん)ひな壇の芸人が言った言葉に対して「それがいちばん危険なんですよ」とたしなめたことが紹介されている。人の考えを鵜呑みにして自分は考えないことこそ問題なのだと云いたかったのであろう。

 考えるのも判断するのも自分である。そのための材料を簡単に手に入れられる時代だからと云って、他人の頭で考えてもらってはいけないのだが、私も含めてなかなかそれが解っている人は少ないようだ。つい誰かの受け売りをしてしまう。私はこう思う、という話はかまわないけれど、これはこう考えろ、そう考えるべきだ、などと断定的に言う人間は、だからちょっと敬遠しておく方が好いのだろう。注意はしているつもりなのだがどうか。

2018年6月11日 (月)

前回の続き

 コメントで異論をいただいたものに反論したら、いつもの悪い癖が出て不快な思いをさせてしまった。異論は歓迎しているつもりだが、本文に対する異論ではなくコメントに対するものだったので、誤解されていると感じてついことばが過ぎたらしい(自覚がないのは前回書いたような生き方をしてきたからである)。申し訳ないことである。

 ただ、その引き合いに、さらに別の方が、コメントで「(私が)揚げ足取りをしている」と指摘したことを取りあげたのは残念である。たしかにその傾向があるのは認めるが、お互い様のところもある。そちらには、ブログはときとして誤解されるもので、炎上することもあるのだ、と書かれていた。まさか炎上をさせるぞ、と忠告されておられるわけではないだろうが、そのような誤解もあり得ると教えてくれたわけである(これも揚げ足取りか?)。

 そうなるといささか感情的になりかけるが、前回のブログで書いたように、自分では何でもないと思うことが相手には鼻白むほど強い反論になっていることもあるのだと気がついた(忘れていたけれど思いだした)。 

 気をつけなければと自戒するものの、本性になっているところもあって、たぶんあまり変わらないだろう。つまりこれは前回を下敷きにした長い言い訳である。

気をつけているつもりなのだが

 学生時代を米沢といういささか牧歌的なところで過ごした。その時代はまさに大学紛争の末期で、東京などではほぼ終息した学生運動もまだ地方ではくすぶり続けていた。工学部の寮に暮らして、左派もいれば日和見もいるし右派もいる。左派にも右派にも先鋭な者も穏やかな者もいた。

 敬愛する先輩の部屋が私のよく行くたまり場で、音楽を聴いたりさまざまな話を徹夜で語り合ったりして楽しかった。政治的には日和見集団だったが、どういうわけか、いつの間にかその先輩の了解を取らないとその寮では政治活動をしてはならないというようになっていた(そんな決まりなどもちろんないので先輩も首をかしげていた。自治会が面倒なのでたらい回しをしたのかも知れない)。

 だから全共闘(東北では全学闘などといっていた)派や民青(共産党系)派などのオルグ(オルガナイザーをこう呼んでいた・組織の下部組織を作るために派遣される人のこと)がときどきその部屋にやってくる。私が本をよく読んでいたので先輩は、政治的な本を少し読んで勉強しろ、と私に命じた。そちらは全く門外漢だったが、分かりやすそうな本を図書館から借りてにわか勉強をしたりした。

 やってくるオルグの連中の相手は先輩がたいてい引き受ける。先輩はユーモアがあって根性が坐っていて、坊さんの息子だから弁も立つ。なにしろ学生なのに地方ラジオ番組のレギュラーを持っていたくらいである。政治的な理屈の話になると私にしゃべらせる。私など付け焼き刃だからトンチンカンなことを言っていたに違いないが、情けないことに、やってくる連中もたいした知識があるわけではなく、私に言い負かされるほど不勉強であったのはさいわいだった。

 そんなことは数回しか経験していないけれど、振り返れば面白い体験をさせてもらったと思っている。

 寮の生活では上下の幅のある年齢差の中で、上からかなりきつい仕打ちを受けることも多い。長い間に図太くなって慣れてしまうものだが、絶えられない者は中途で退寮した。退寮した者のなかには大根おろしで気持をすりおろされるような、と云う者もいたから、人によってはかなりきつかったのだろう。私は気が小さいけれど面倒くさがりで、いちいち反応するのにくたびれて適当に流すことを覚えた。 

 だからそんなこんなでかなり面の皮が厚くなって、入社してから営業という仕事を全うできたのだと、いまは感謝している。

 ただ、仕事だから得意先には注意していたけれど、会社内ではかなりきついところがあったかも知れない。不誠実で部下を舐めているディーラーなどに対してもかなりきついことばを言い、そのことばで、はるかに年上の相手の顔色が変わるのを冷静に見ていたこともある。ときには年下の同僚に恨み言を云われたりもした。まあ恨み言を言わせる程度には人間関係は出来ていたつもりだが。上司でも、理不尽な場合はかなり強烈に反発した。このことばのきつさは意識しているときもあるし、無意識のときもある。

 世の中の人はけっこう繊細な人が多いのだとようやく気がついてから、気をつけるようになった。だから私が歳をとって優しくなった、優しくなった、とみながいうので参った。

 本当に書きたいことが別にあって、その前座の話を始めたら、肝心の話にたどり着く前に長くなってしまった。書かなくてもいいことだから、書こうかどうか迷っている話がある。どうしよう。

2018年6月10日 (日)

諦念

 鯨がめったに食べられなくなって久しい。子どものころの鯨肉は、安価だがややクセがあって大好きと云うほどではなかったが、大人になってから食べた鯨肉は、これがあの鯨肉かと思うほど美味いものだった。それが食べられないのは残念だが、食べられないからといってプレミアのついたものを探し求めるほどのことはない。なければないでかまわない。

 さかのぼれば鰊もなかなか食べられない魚になった。北海道で昔はおもに肥料にした時代の鰊倉を見学した。鰊も大好きである。数の子が入っている雌より、白子の入った雄の方が私は好みで、その塩焼きを想像すれば食べたくなるけれど、ずいぶん久しく食べていない。

 千葉県の九十九里浜に近い街に育ったので、地引き網で獲ったイワシ、鯵、サバ、キス、カマスなどを毎日のように食べた。いまは地引き網など観光用である。それだけ獲れないのだろう。地引き網で捕れるイワシは真イワシではなく、地元でセグロとよばれる小ぶりなイワシだ。これを手開きにして酢に軽く漬けてほぼ生で食べたり、天ぷらにしたり、すり身にしてネギや味噌を加えてつみれだんごにしたりして食べた。さっと煮て食べても美味しい。

 サバは特に大好きな魚だ。子どものころは生きの良いのを普通に刺身で食べていたが、ある時期、好塩菌とかいうものが原因の食中毒が続いて、わが家も家族全員苦しめられた。それから母はサバの刺身は絶対に作らなくなった。作ったのはほとんど味噌煮である。いまと違ってけっこう大ぶりのサバが獲れていたから脂が乗ってうまかった。そんな大きなサバはいまは獲れないし、量も激減しているという。店頭で見るサバはほとんど海外からのもので名古屋ではたいてい塩鯖である。

 子どものころ、九十九里ではナガラミという陶器質のかたつむりのような巻き貝がたくさん取れた。九十九里の荒波の中、漁師が一物にのみ藁しべを巻いた全裸で、太く長い棒付きの大きな網籠を使って波になかば浮かぶようにしてこのナガラミを獲っていたが、そんな姿を今は見ることが出来ない。ほとんど獲れなくなって高級料亭用の貴重品になってしまった。

 イワシもサバもあまり獲れなくなり、数年前から三河湾や伊勢湾などではシラスやコウナゴ(関西ではイカナゴ)がほとんど獲れなくなり、買うのをためらうほど高くなってきた。生の成魚のコウナゴを薄味で一煮したもの(もちろん自分で料理したもの)を肴に飲むのは至福の味であるが、それもいまはかなわない。

 二三年前からイカが不漁だという。海辺の観光地などのイカ焼きの値段も急騰しているらしい。佐渡で、参ったかというほどのイカづくしを堪能したことがあるけれど、いまはどうなのだろう。

 日本ウナギが激減してシラスウナギも獲れず、養殖もままならないという話が毎年のように聞かれる。卵からの完全栽培養殖に期待していたけれど、残念ながらなかなか実用までの成功の報道ははない。

 食べられなくなっていくものについて考えていたら、たちまちこれだけのものが思い浮かぶ。たぶんもっとさまざまなものがあるだろう。豊かになったために、豊かになったことで失われていくものは無数にある。食べ物だけ考えてもこれだけあるのである。文化的なものにおいても同様だろう。

 失われたものと得たものとの勘定が合っているのかいないのか、その答えはそう遠くない将来に出るだろう。しかしその記憶のある私などは失われたことを知っているが、最初からない状態しか知らなければ失われたという実感もないだろう。

 いまは失われるものを懐かしむばかりであるが、それで仕方がないのだと諦めている。誰かが悪いのだと言い立てる元気はもうない。懐かしむことが出来るだけしあわせだったと回想するばかりである。

眼のこと、ほか

 父は頑健な人だった。結婚して数年は戦地で罹患したマラリアの影響でたまに高熱を発したりしたが、大病らしい大病はそれくらいしか記憶が無いと母から聞いた。歯も七十くらいまで虫歯もなく、耳がやや遠いくらいで健脚であった。しかも酒も煙草も全く嗜まない。酒は私が飲むようになってから無理矢理つき合わせて多少飲めるようになった。

 ただ何年かに一度風邪をひくくらいのことはある。そのときは体温が37℃ちょっとで大騒ぎしてうなるのがおかしかった。そのように頑健だから97歳の誕生日過ぎまで長生きしたのだろう。その父が神経質に気にしていたのが眼だった。自分でホウ酸水を作って目を洗ったりしていた。眼をとても大事にしていた。もともと近眼だったが老眼で中和してから、めがねはほとんどかけずにテレビを観ていた。

 父に眼を大事にしろといわれてきたのに、その息子である私は眼を酷使している。しばしば眼の調子がおかしくなる。年に一度、眼の精密検査をしているが、不安である。私の楽しみのほとんどが眼を使うもの(読書、映画やドラマの鑑賞、写真、ブログにゲーム)なので、眼は命より大切なのだが、それを酷使しているのである。

 眼の不調は休ませると緩和する。だから酷使が不調の原因であることは明白なのだが、懲りないのである。とはいえだんだん緩和しにくくなっている気もする。もっと意識して眼を休めなければと思っている。

 BS朝日の『鉄道・絶景の旅』という番組が好きで、必ず録画して楽しんでいる。録画を観るのはCMを飛ばすためだ。以前はナレーションが峠恵子さんだったが、今年度から林家たい平に替わった。私の好みからいえば、峠恵子さんの方が良かった。

 彼女のナレーションだと旅をするわくわく感があって共に旅する気持になったし、ここに旅をしたいなあと思わせてくれた。たい平のナレーションにはそれを感じることが出来ない。けっして下手だとは思わないが、気持ちが伝わらないのだ。これほど違うとは思えないほど違う。正直たい平になってから、つい番組を観ながら他のことを始めたりしてしまう。

 そろそろ録画するのをやめようかなと思ったりしている。

2018年6月 9日 (土)

内田樹vs安田登『変調 日本の古典 講義』(祥伝社)

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 能、論語、古事記などについて、見方によっては妄想の掛け合い漫才のような対談が繰り広げられる。論拠を示せ、という人たちなど無視である。なぜならものが見え、感じられてしまう人たちだから、なぜ見えるのか、なぜ感じられるのか、という質問は意味をなさない。

 実は私もそういう経験をしているので多少は分かる。私の父もそういうところがあり、今日は誰某が来る、などというと突然その人がやってくるなどということは当たり前にあった。私も子どものころは、かなりその感性があって母親が気味悪がったりしたものだ。感じてしまうし分かってしまうのだから、どうして、と聞かれても答えようがない。

 この本で語られている、見えないものが見えたり感じられたりするのと、妄想で見えないものが見えるのとは違う。人間は空間的な要素に時間的な要素を加えてものが見える能力が本来あるのだ信ずるかどうかである。死んでそこにいない人が見えるということである。そしてそれは超能力とは似て非なるものではないかと私は思う。

 孔子は周公を幻視していたのだという話は私には得心できるが、そういう人は少ないだろう。言霊というように、言葉の力というものも強い呪力を持つ。そもそも儒教の儒とは呪でもある。そのことを酒見賢一の『陋巷にあり』や諸星大二郎の『孔子暗黒伝』を引き合いに出しているのが嬉しい。私は『陋巷にあり』で儒教とはなにか、初めて分かった気がしたのを思い出した。そしてその二作とも、白川静の『孔子伝』をベースにしているという。そういえばそうかも知れない。白川静の『孔子伝』を読み直してみたくなった。

 武芸などの達人はときに感性が現実を超越した。時間がゆっくりになったりする。それなら結果的に自分のスピードが増したことになるから勝負に勝つのはたやすい。理屈では逆なのかも知れないが達人にはそう感じられるということだろう。達人にあたかも予知能力があるかのような話はいくつも読んだことがある。虫の知らせを聞くことが出来るのである。

 白川静の漢字論を荒唐無稽、妄想の集積だと切って捨てる学者もいる。エビデンスなしに決めつけていることが多いからだが、その解釈は整合性があって説得的である。白川静には漢字の成り立ちを、字を見つめるだけで時空を超えて感じ取ることが出来たのだというのが二人の見立てである。

 安田登は能楽師でもあるし、老師も能を長く嗜んでいる。能はしばしば死者との会話、いまそこにいないものとの関わりが描かれる。能を観るということは、能の舞台にその三次元空間だけでなく、時間軸も加えて感じ取ることを求められる。

 シャーマニズムと西洋的な呼びかたをするが、その見方では憑依という現象はただの妄想であろう。日本古来の神道はその憑依なしに語ることが出来ない。梅原猛の古典解釈がしばしば妄言であると批判されたのはそこの視点が違うからだろう。彼には見えて他の学者に見えないものがあり、それが見える学者は彼に賛同した。明治以後の国家神道など、国学を元にその時代になって人間によって作られたもので、もともとの日本の神道とはまったく異なるものである。

 この本から受け取ったことをとりとめなく思い出すままに記している。そんな話は受け入れられない、と云う人には無意味な本であり、そんなこともあるかも知れない、と思う人にはふたりの話はとてつもなく面白いはずである。こういう本を読めば古典を読みたくなる。それにしても現代の学校教育では、漢文や古典がますますおろそかにされ、英語ばかりに偏重しているらしく聞く。誰の陰謀なのだろう。日本人を日本人ではなくすることを目的にする人たちがいるのだろう。若者は古典を読んで欲しい。このような本がそのきっかけになると好いのだが。

映画『リベンジ・リスト』2016年アメリカ

監督チャック・ラッセル、出演ジョン・トラボルタ、クリストファー・メローニ、レベッカ・デモーネイ他。

『モンテクリスト伯』や『忠臣蔵』を引き合いに出すまでもなく、人は復讐譚が好きである。物語の主人公が恨みを晴らすのを見て快感を感じるという心持ちは、しばしば世の不条理によって溜められた感情を浄化する作用があるからだろう。

 自分自身の蒙る災厄以上に、身内やかけがえのない人が理不尽な理由で命を奪われれば、それに対して怒りを覚えないものがあろうか。法的な処罰が犯罪者に与えられることでその怒りを鎮めることを求められるが、その裁きそのものが正当になされなければ、怒りが爆発するのは当然だと感じるのが普通だ。

 しかし法による裁きが不十分だという思いは多くの人にある。復讐はほとんど違法行為である。その違法行為はドラマの中だから許されることで、現実には許されることではない。それでも人はそのような物語に感情移入するのである。

 主人公(ジョン・トラボルタ)の目の前で妻が強盗たちに殺される。彼も怪我を負ったが、目撃した犯人の一人を警察のあげた容疑者の中から見つけ出す。ところがその容疑者が釈放されてしまう。彼は警察に抗議するが相手にされない。

 その怒りが彼を過去へ引き戻す。妻と出会ったあと、一般市民として長く暮らしてきたが、彼はプロの特殊工作員であった。容疑者を追って彼の暴走が始まる。手がかりを掴んだ彼は裏社会に通じる昔の親友に情報を求める。親友は即座に彼の意図を知り、そしてその容疑者のバックにいるらしい黒幕ギャングが恐るべき集団であることを調べ上げる。

 それでも躊躇することなく復讐に乗り出す主人公に、親友は自発的に協力する。次々に強盗犯たちを突き止めて一人ずつ復讐していくのだが、敵にも彼の正体が見抜かれてしまう。敵によって親友や主人公の娘の家族に累が及び始める。

 見抜かれたのは理由がある。その理由こそ妻が殺された真の理由に関わるものであった。ギャングたちに妻を殺させたさらに黒幕がいたのだ。多くの護衛に護られた強大な敵の屋敷に捨て身で乗り込む主人公、その運命は如何に。 

 正直下ぶくれ顔のトラボルタはあまり好きではない。あの口もとが嫌いなのである。だがこの映画に限って云えば悪くなかった。思えば嫌いなわりに彼の出演映画を何作も観ているのであるが。

2018年6月 8日 (金)

池内紀『みんな昔はこどもだった』(講談社)

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 誰にもそれぞれの生い立ちがあり、それがそのひととなりを形作っている。三つ子の魂百まで、というのは経験的に了解できる真実だ。この本では著者が敬愛している人15人について、生い立ちと事績との関わりを著者なりの愛情の眼差しで語っている。

 語られている人には手塚治虫、向田邦子、深沢七郎、稲垣足穂、林芙美子、宮本常一、柳田國男、池波正太郎、幸田文、高峰秀子、野坂昭如などがいて、ほかに、二三私の知らない人も取りあげられている。

 最初が手塚治虫なのだが、ふだん読み慣れている池内紀の文章のリズムとは少し違う気がした。だからすらすら読めなかったのだが、次の向田邦子からシンクロできて、あとは一気であった。著者の興味の赴くところはもともと私の思いに近いのである。もちろん池内紀の視界は私よりもはるかに広がりが大きいから、ほんの一部に同期させてもらっているだけであるが。

 この中で、池波正太郎、幸田文、高峰秀子、野坂昭如については私も本人の自伝的な文章を読んでいるので、著者のいわんとするところ、気持の入り方がよく分かった。

 池内紀はドイツ文学者でエッセイストであるが、独り旅を愛好する人として、そしてその視点のユニークさについて敬するものがあるので、大好きである。私の十年年上であるが、まだまだ元気そうなので、これからも新刊が出れば読みたいと思っている。

ちょっと緩める

 一昨日につづき、昨日も雑用を片付けた。机周辺をはじめとして、いろいろ先送りにした案件が積み重なっている。すでに処理したものが多いのだが、うっかり忘れているものがないとはいえない。

 領収書、各種案内、過去の旅行の未処理の資料、保険会社、証券会社、行政からのさまざまなお知らせなどが、ほかのものと一緒に山になっている。ついでに机の引き出しの中も引っ張り出して分類しながら処理していく。

 さいわい、あっとびっくりするような忘れものは出てこなかった。処理すべきことを一覧にしてメモし、たいていのものは廃棄処分にした上で、残ったものをファイル分けにした。まだまだ片付けるものはあるけれど、とりあえず一段落。

 メモにした処理手順に従い連絡するべきものは連絡し、なかばを片付けた。あとは床屋と歯医者。それとせっかく去年張った網戸が一部破損したので張り替えをしなければならない。使ったゴム枠が少し小さくて、押さえが不十分だったのだ。一からやり直しである。やりながらブログのアーカイブの印刷を行う。2013年の残りと2014年を少しでふたたび今朝補充したインクと用紙がなくなった。用紙約1000頁、大の黒インク一つ消費。あと四年分か。

 そうこうしていたら、久しぶりにいつも一緒に旅行に行く兄貴分の人から連絡があった。長老と会ったそうで、体調も回復したのでまた三人で旅行に行こうということであった。声をかけてくれてとても嬉しい。夏の旅行は涼しいところ、というのがご所望で、旅行先の案をいくつか考えて提出するようにというお命じである。

 どこにしようかな。たちまち下北半島あたりが思い浮かぶ。おふたりには飛行機で青森か秋田まで来てもらい、私が車で駆けつけて案内することになるだろう。他にも案を考えて、こちらの希望に誘導する作戦を考えなければ。

 そうしたらリゾートホテルグループのマネージャーと称する人から電話が入る。そういえば長老の属するクラブのホテルに泊まったときにアンケートを書いたことがあった。会員になればグループで格安で泊まれるという。会費等も含めて案内を送ってもらうことにした。ふだんなら慇懃に断るところだが、今日はちょっと違うのだ。

 来週か再来週には弟もリタイアするので、慰労の意味で一緒に温泉にでも行こうと思っている。そんなときにそういう会員制のところに連れて行けば、兄貴の格も上がるのである。なんだかいろいろなことが動き出した。テンションが上がってわくわくする。そうしたらお酒がとても飲みたくなった。

 スーパーに行ったら25センチあまりの黒鯛が200円ほどで売られている。眼を見ても鮮度は悪くない。しめさばの好いのがあった。どちらにしようかと迷ったが、両方購入。黒鯛は塩焼きがうまいはずだが、あえて煮付けにする。生姜を入れてシンプルに炊きあげた。煮付けにしたのは舐め回すように、とことん丁寧に食べたいからである。

 オクラを茹でてマヨネーズで食べることにする。ゴボウサラダを久しぶりに用意する。これだけ揃えばふだんよりたくさん飲まずにいられるわけはない。

 黒鯛は目の玉周辺はもちろん、頭の骨の隙間もしゃぶるように食べ尽くし、さらに煮汁を足して骨湯にして成仏していただいた。しめさばもしめすぎくらいだったけれどそれで好い。

 気がついたらずいぶんお酒を飲んでいたが、いままで締めていたのを意識的に緩めたからそれで好いのだ。お蔭で今朝は心身共に快適。昔はいつも日々こんな調子だったことを思い出した。なんとか持続したいものだ。

2018年6月 7日 (木)

『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録Ⅵ(完結編)』(朝日新聞社)

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 これで全六巻を読了。それぞれの講演を読みながら、感じたこと、考えたことがあったのだけれど、いきおいでメモをとらずに読み進めてしまった。すぐ忘れるから読み直さないと思い出せない。

 この巻では子規、中国、古書、室町時代と能、私小説、世間、日本人とシルクロード、河井継之助などについて語られている。強く興味をもっているテーマが多いので読んで面白い。思えばこれらのテーマについて、ずいぶん司馬遼太郎の見方に影響されてきた気もする。それは刷り込まれた、というような意味ではなく、それまでになかった見方を持つことができるようになったという意味である。

 この本の、アメリカについて語っているなかに、現在のトランプによる貿易摩擦のことを考えさせてくれる文言があり、興味深かったので、長いけれど引用する。

 科学と工学を不可分に結びつけることで日本が経済的に巨大化したことを述べたあと、その巨大化は、

「むろん、アメリカの市場に物を売る、主としてアメリカの門戸開放主義に依存した上でのことです」

「--商品がよかったから(値段が高くなくて、故障が少なくて、アフター・ケアも悪くなかったから)売れたのだ。という話題は、私の語っている大づかみな話の中では他の主題に属することなのでここでは差し控えます(都合で文意を変えない範囲で一部文章改変)」

「ここで、不用意に門戸開放主義ということばを使いましたが、むろん狭義では、あるいは正確には、1899年(明治32年)から第二次世界大戦までの対中国政策の基調をなした政策のことです(19世紀のある時期までイギリスは中国貿易を支配していました。ところが、ドイツやロシア、イタリア、フランス、後発として日本が中国分割に乗りだして、イギリスの中国における老舗としての維持が困難になりました。門戸開放をひそかに唱えたのはイギリスだったと言われています。中国に対して手つかずだったアメリカにそれを言わせたといわれています。その後アメリカの基本政策になり、いわゆる”満州事変”以後の日本と対立しました)。」

「アメリカは国内的にも、Open doorで、だからその自信の上に立って対外政策でもそのようにOpen doorを主張し続けたのでしょう。内外の市場開放主義こそ、アメリカの本質であり、将来もし濃密な保護政策をとるような時代になれば、アメリカはアメリカであることを失うでしょう」

「アメリカ文明の特徴の一つは、経済におけるOpen doorであると思います。第二次世界大戦後、極東政策の用語としての門戸開放主義は歴史のファイルに入りましたが、開放的な市場経済は、アメリカの基本姿勢になりました。つまりは新しい文明の基準になりました。このアメリカの基本姿勢もしくは本質は、農業と製造業において世界に卓越している、という条件においてのみ成立するものです。その二点でアメリカは十分に自信がありました」。

 このあとに日本との対比が語られていき、戦争に至る背景としての考察がなされていく。それは同時に文明論になり、現在の時点で最新の文明としてのアメリカの位置づけが行われる。文明とは普遍性を必然とするという彼の見方も語られている。翻れば日本は文明を決して生み出し得ないということにもなるのである。

 文明論はさておき、アメリカの市場開放主義が、「農業と製造業で世界に卓越している」という条件においてのみ成立すると看破している。トランプは、もはやアメリカは卓越していない、条件が成立しなくなっていると見做したのであり、アメリカ国民の多数もその見做しに賛同したということなのだろうか。そしてアメリカはアメリカであることを失いつつあるのだろうか。

 この講演は1991年におこなわれている。

映画『プリンセス トヨトミ』2011年日本映画

監督・鈴木雅之、出演・堤真一、綾瀬はるか、岡田将生、中井貴一他。

 大阪は実は日本政府もひそかに認める独立国であるという奇想天外なお話。原作は万城目学。

 会計検査院の調査官、鬼の松平(堤真一)、そして鳥居(綾瀬はるか)、ゲンズブール旭(岡田将生)の三人が大阪にやってくる。目的はOJO(大阪城址整備機構)の調査である。何日もかけて綿密な調査をするが問題点は全く見つからない。あるきっかけで不審なものを感じた松平たちだったが、さらに詳しく調べてもなにも異常は見つからない。鳥居が思わず言う。「これがもしウソなら大阪中が口裏合わせをしていると考えるしかない」。

 そのことばに松平のスイッチが入る。さらに念入りに調べだしたことで驚くべき事実が発覚する。

 大阪中が松平たちに反旗を翻し結束した瞬間、大阪中から人が消えるところなど、あとの説明と矛盾している。どうして子どもや女たちまで消えたのか?(決起するのは特定の男性だけのはずなのである)。矛盾点を上げていけばキリなくあって、それでシラケてしまう人もいるだろうが、それほど真面目に考える事もなく、展開を楽しめばいいと思う。

 先日観た『本能寺ホテル』はこの映画の鈴木雅之監督、堤真一、綾瀬はるかとスタッフが再結集して作成されたというのでこちらを探したら出てきたので観てみた。錚々たる俳優たち(最初にあげた人以外でいえば、宇梶剛士、甲本雅裕、菊池桃子、平田満、江守徹、玉木宏、笹野高史、和久井映見など)が、大真面目に(そして楽しげに)演じている。

2018年6月 6日 (水)

雨の日だから

 今日は朝から雨。ベランダのガラス戸が汚れたままになって気になっていた。窓ふきは雨の日が良いとどこかで聞いた気がしていて、雨が降ったらやろうと思っていた。半年に一度くらいの作業だが、前回は息子が来た時にきれいに磨き上げてくれたので自分でするのは久しぶりだ。どうということのない作業なのに、これだけで汗もかくし、大いにくたびれた。情けないことである。

 ついでにいままでのブログのアーカイブのプリントアウトもする。月末ごとにアーカイブを作成してファイルになっているのだが、まだ一年分ぐらいしかプリントアウトしていない。あと六年分あまりもあるのだ。なにしろ一ヶ月分がA4で100頁前後もある。一ヶ月ごとをバインダーに挟むようにしていて、その棚とバインダーも準備しているがとても足りない。

 三ヶ月分をプリントアウトしたら、一部のインクがなくなり、用紙も足りなくなった。買いに行きたいけれど雨である。どうしようかと空を見ている。今日はやむことはなさそうだ。

 床屋と歯医者に行かなければと思いながら先延ばしし続けている。床屋にはかれこれ三ヶ月以上行っていない。髪が伸びてもどうということはないのだが、襟足が伸びているのがむさ苦しくて嫌だ。洗面台の鏡を見るたびにそう思う。最近は歯磨きを励行しているので歯は特に問題ない。歯医者から定期検診の案内が来ていて、歯石のメンテナンスをしなければと思いながら先延ばししているのである。治療でなければそれほど嫌なわけではないのだが、床屋同様面倒なのである。

 読んだ本や読みかけの本、これから読もうと思う本がそこら中に散らばっている。

読了した本
 『司馬遼太郎が語る日本 Ⅵ完結編』
 『みんな昔はこどもだった』池内紀

読みかけの本
 『自然と人生』徳冨蘆花・・・これは朗読用
 『大政翼賛会への道 近衛新体制』伊藤隆・・・なかなか読み進めない
 『醒睡笑 上・下』安楽庵策伝
 『峠 慶次郎縁側日記(シリーズ第四弾)』北原亞以子
 『死の日本文學史』村松剛
 『文化大革命の真実 天津大動乱』王輝・・・ようやく半分まで来た
 『北越雪譜』鈴木牧之
 『イザベルに薔薇を』伊集院静
 『西湖夢尋』張岱・・・寝床用に読み始めたところ
 『変調 日本の古典』内田樹vs安田登
 『青くて痛くて脆い』住野よる 

 これから読もうと思っている本は数十冊積んであって、どれが先に読み終わり、次にどれに手が出るのか自分でも分からない。

 そういえば、雨の日は映画を観よう、ということにしていた。映画でも観ることにしようか。

自分の理解力のないのを棚に上げて言う

 ネットニュースを読んでいて、書いてあることの意味が分からないことがある。経緯や関連する背景の知識がないことによることが多い。残念なことだが当方のキャパは小さいので、なにもかもにそれなりの知見を持つというわけにはいかない。池上さんのニュース解説でいまに分かるようになるだろうと思って、とりあえずやり過ごす。

 しかし理解不能なものに韓国のニュースが多いのはどうしたことかと思う。これは知識不足もあるけれど、書いてある事実は分かるのに、その記事が結局何が言いたいのか不明であることがあるのである。ずっと記事が日本語に訳されるときの翻訳に問題があるのかも知れないと思っていた。ことばの使い方が変な場合が多いのである。こなれた日本語になっていない。他の国のニュースはそんなことはあまりなくて、韓国に特に多い。

 しかしどうもそればかりではないようである。朴槿恵元大統領がしばしば不思議な言葉遣いとレトリックで語り、意味不明のことが多かったけれど、韓国のニュースにはしばしばそのような不思議なレトリックが駆使されている気がする。レトリックは文章表現を飾って、言いたいことを強調する狙いで使われるもののはずだが、レトリックによって分かりにくくなってしまったら元も子もない。

 そこでようやく分からせないことが目的かも知れないと気がついた。翻訳が悪いのではなく、原文のままなのかも知れない。事実や言いたいことをそのまま書くと韓国内で批判を浴びるし、韓国国民に迎合すると嘘になるし、そのジレンマがあの複雑怪奇なレトリックになっているのかも知れない。それだけ巧妙なのではないだろうか。それこそレトリックである。

 意図的に書かれた、解る人には解る文章なのであろう。それが読み取れないのはひとえに私の理解力のなさが原因なのだろうと気がついた。記事が悪いのではないとすると、二重に傷つくなあ。

2018年6月 5日 (火)

戦争に負けるということ

 今朝の「雑感」という私のブログにいただいたコメントの返事に書いたことを再録する。コメントまで読まない人もいるだろうと思うからだが、再読になった人には申し訳ない。

 韓国の経済が悪化するのではないかというニュースを見ての私のブログに、韓国に詳しい方から韓国の国民の反応についてのコメントをいただいた、その返事である。

「これから北朝鮮問題を解決していくために巨額の費用が必要となるだろうときに、肝心の韓国の経済が悪化していては困りますが、アメリカはたぶんお金など出す気はないでしょうし、中国は出すとすれば出した金以上の見返りを求めるでしょう。
どちらにしても韓国も北朝鮮も(たぶん中国もアメリカもロシアも)すべての責任は日本にあるとして日本に金を無心することになりそうですね。
出しても当たり前のことだといわれながら出すのは業腹ですが、結局そうなりそうです。
出すことが決まったとしても慰安婦問題や徴用工問題は永遠に問われ続ける気がします。
ちょっと悲観的に過ぎるでしょうか。」

 戦争に負けるということはこういうことである、とあらためて思ったのでこういう書き方をした。では日本は永遠にこういうことを続けていくしかないのか。そうなのである。それを解消するにはもう一度戦争をして勝たなくてはならない。

 では誰と戦争をするのか、どうしたら勝てるのか。前回の太平洋戦争と同じく、世界中と戦って勝たなければならないし、勝つ方法などはない。そもそも中国と戦い、アメリカと戦い、世界と戦った前回の戦争で、日本は勝てると思ったのか。勝つということはどういうことか、負けるということはどういうことか、それが分かって戦争をしたのか。

 実は全くなにも考えていなかったのである。だから戦争を終わらせる時期や状況が全く想定されていないのである。だって勝つとはどういうことか、負けるとはどういうことか想定されていなければ、ここで勝ち、ここで負け、という判断の仕様がないわけである。

 およそ世界で起こった戦争でこれほど愚かな戦争はあまりないのではないかと思う。だから負けたときはあまりにもとことん負けたから、次には勝つぞ、という精神的心棒さえぽっきりと折れてしまった。だから日本中ぐだぐだになってしまった。しかしその心棒そのものが折れてしまったことは、却ってよかった面もあり、日本の再生に恥も外聞も無く突き進むことが出来たといえる。

 戦争に負けるということはそういうことで、負ければ次に勝つまでは屈辱に耐え続けなければならないし、勝った側が忘れない限り、負けた側はその屈辱を永遠に引き受けなければならない。戦争はしてはならないのだ。ましてや、勝つということはどういうことかすらわからないような愚かな戦争など言わずもがなである。

 日本が置かれているのはそういう情況の中であることを日本人は自覚しているのだろうか。誰か(軍部や政治家や戦犯)のせいにしても、勝った側はあのとき負けた日本人としか見ないのだと分かっているのだろうか。少なくとも私が生きているあいだぐらいはこの状況は変わらないのだろうなと思っている。 

 正義と公平を相手に求めても敗者にはそれは適用されない。理不尽な金の請求に見えても、退けることは出来ない。困難な道であるが、せめてその見返りのいくばくかを与えてもらうための交渉しか出来ないだろう。悲観的に過ぎるだろうか。どうもそれが現実にしか見えないのだが。

雑感

 ネットニュースで韓国経済の今後について悲観的な意見が多数掲載されている。これは日本の新聞ではなく、韓国の新聞の社説やコラムの意見である。ところが青瓦台(韓国大統領府)は韓国の経済は好調を維持していると判断しているようで、さまざまな経済指標をどう読み解けば青瓦台はそんな判断が出来るのか、とさらに批判が高まっているようだ。

 経済指標が悪化していると評価すれば的確な対策が必要だという判断が行われるけれど、好調だという評価では対策は後手に回ると心配しているようだ。たしかに雇用は悪化し、自動車産業も不調のようだし、エレクトロニクス分野についても中国の追い上げが急で、今の好調がいつまでも続くかどうか危うい。

 歴然と悪化してからの対策は効果が現れるのに時間がかかる。日本を見れば良く分かる。もともとの経済規模が日本より小さいから、いまの自由貿易の逆風は韓国にとって一気に深刻な事態を招きかねないと心配しているようだ。

 マスコミはしばしば悲観的でしかもオーバーだけれど、最悪シナリオを想定した準備はしておくにこしたことはない。しかし文在寅大統領は最悪シナリオを想定するつもりがないのか、その現実から目を背けているかしているかのような書かれ方である。どのみち来年または再来年あたりにはその答えが歴然と出ているはずだ。

 せんじつ、飛鳥座神社(あすかにいますじんじゃ)の祭神が事代神(ことしろのかみ)であり、その事代神は大国主神の第一子だと、神社の由緒書きをそのまま紹介した。そのことが心に引っかかっていた。

 大国主神といえばそもそも出雲の神様で、国譲りをした神様だ。その第一子を飛鳥に祀るということの意味はどういうことなのだろう。そういえば天狗とお多福の性的なお神楽が奉納されるというのも、飛鳥のものというよりも出雲などの地方の祭祀のお神楽のような気がする。古事記や日本書紀について知識が全くないが、奈良を歩くのなら、そのへんを少し勉強する必要がありそうだ。

 それにしても日本の古代についてなにも知らないのも恥ずかしいことだ。この歳で勉強するのもずいぶん遅いが、却って年齢相応のテーマかも知れないとも思う。ただ、名前がややこしくてどうにもなじめないのがつらい。中国の名前だと比較的にすっと頭に入るのだけれどなあ。

2018年6月 4日 (月)

映画『ガルム・ウォーズ』2014年日本・カナダ

監督・押井守、出演メラニー・サンビエ、ランス・ヘンリクセン、ケビン・デュランド他。

 最初、この映画は三次元アニメだと思い込んでいたので、キャラクターの映像がすばらしくよく出来ているなあと眺めていた。ランス・ヘンリクセンが登場したあたりから、どうもCG満載の実写映画だと気がついた。監督は押井守だが、台詞はすべて英語、映像を意図的にアニメ風にしていたような気がする(勘違いの言い訳か)。

 三つの部族が戦いを繰り広げている戦いの星アンヌン、戦いのための武器は進歩を遂げて強力、兵士は常にクローンが用意されていて、その戦いの記憶などは常にトレースされ、記録されており、兵士が死ぬと自動的に新しいクローンに引き継がれる。永遠の戦いと戦闘能力の進化が続くかと思われたが、トロイの木馬のような謀略によりその戦いの均衡が破られる。

 物語はその三つの部族の三人が出遭い、意図せずしてアンヌンの永遠の戦闘の意味を探るための、困難な旅をする様子を描いていく。
 
 私の勝手読みだが、これは彼らにとっての失われた神ガルムを探す旅であろう。その神は救いの神ではない。彼らは救いを求めるというより、戦いの意味を知りたいのであって、つまり神の意図が知りたいのである。

 私にとってベストSFである光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』や、小松左京の『神への長い道』などから垣間見える、人類を超越した存在とその意図は人類には推し量るべくもないが、それを垣間見せることでこの宇宙の深淵を垣間見せるという手法がこの物語の背景にもあるように感じた。

橿原(かしはら)神宮

勤めていた会社が大阪南の天王寺から奈良方面へ行く途中にあったので、奈良方面から通う人たちも多かった。だから橿原の地名はよく聞いていたが、橿原神宮には今回初めて行った。


橿原神宮は畝傍山の麓にあり、初代天皇の神武天皇とその皇后を祀っている。創建は1889年(明治22年)と新しいのである。明治政府が天皇を中心とした中央集権体制を敷くにあたって、日本書紀の記述に従い、天皇を神格化するために建てたものかと思う。

Dsc_6587

一の鳥居から参道を見る。とにかく広いのである。橿原神宮駅からこの鳥居まで10分もかからない。

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参道の突き当たりの左手の南神門の前に巫女さんが見えた。赤い袴が鮮やかである。ここから拝殿に入る。

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南神門の前にある深田池。左手側に拡がっていて、写真で見るよりも大きい。

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亀が泳いでいた。

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大きな拝殿が見えてきた。うしろの山が畝傍山。

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拝殿にお参りしてお守りをいただく。

広々とした場所と緑の濃さを増し始めた初夏の樹木を見て気持ちがリフレッシュした。

Dsc_6613

帰り道の途中の叢林を見てなんとなく巨大なパセリに見えた。わが家のベランダのパセリはジャングルのようになって繁茂しているが、いま盛んに花が咲きだした。

数時間の飛鳥界隈の散歩だった。このあと友人と天王寺で待ち合わせ。

奈良はほとんど知らない。今度よく調べて時間をかけて順番に訪ね歩いてみたいと思っている。

2018年6月 3日 (日)

蘇我入鹿首塚

飛鳥座神社から少し回り道をしながら蘇我入鹿の首塚に向かう。


Dsc_6575

こんな狭い道が入り組んでいて、車も通る。バスもここまで狭くはないがすれ違うことが出来ないような狭いところを当たり前のように走る。

Dsc_6578

蘇我入鹿の首塚。なにも看板がないので、知らないと通り過ぎる。

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首塚の後ろから振り返る。正面が飛鳥寺の裏口である。

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そのまま裏口から入り、もう一度境内を通る。

Dsc_6581

小さなお堂の上壁には奉納された絵馬がいくつか掛かっている。平成に入ってからの新しいものである。

Dsc_6584

飛鳥寺の塔が建っていた礎石が発掘された場所。金堂は駐車場のあたりだそうだがいまは埋め戻されている。

Dsc_6585

こちらの石像も新しもののようだ。

このあたりは一日歩き回ったら一日分楽しめるだけの見所があるようで、今回は時間がわずかなことが残念である。実は小学生の集団が先生に引率されて走り回っていた。簡単な地図を渡されて見るべき場所を探し、先生からしるしをもらっていた。実に楽しそうである。天気がよくてよかった。

飛鳥寺の前のバス停から橿原神宮前駅に戻る。軽く昼食を摂ってから橿原神宮に参詣していくつもりである。

飛鳥座神社(あすかにいますじんじゃ)

一昨日は友人と会食したが、いつものように調子に乗って飲みすぎた。天王寺で飲み、鶴橋で二次会(もちろん焼き肉)をして、その匂いをぷんぷんさせて酩酊状態のまま近鉄特急で名古屋に帰った。昨日の朝は本調子に戻るのにしばらくかかった。友人も酒好きだが、最近は酒がこたえるようになってきていると言っていたが大丈夫だっただろうか。


さて、飛鳥に戻る。飛鳥寺の庭を見る。

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飛鳥寺の中庭。いまの飛鳥寺は江戸時代に再建されたものらしいが、規模は当初のものよりもずっと小さい。それでもそれなりの時間を感じさせてくれる。発掘された瓦は1400年前のもので、たぶん日本最古のものだろうということだった。

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飛鳥寺の境内。近くを散策したあともう一度戻る。

Dsc_6547

飛鳥寺を遠望する。

飛鳥座神社へ向かう。持参した古い小さな奈良の観光ガイドブックによれば、飛鳥座神社はもともと雷丘(いかずちのおか)または甘樫丘(あまかしのおか)にあったものを829年に現在地に移したという。境内には陰陽石があり、子授けの神として信仰されているそうだ。二月には天狗とお多福の演じる奇祭が行われることでも有名だという。

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飛鳥座神社。石碑は飛鳥座神社となっているが、鳥居には飛鳥社と掲げられている。

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鳥居をくぐって階段を登る。右へ折れるとその先に拝殿がある。誰もいない。

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拝殿。夏の日差しがまぶしくて、暑い。

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拝礼してもっと前まで行こうとするとチャイムが鳴る。賽銭箱の前を越えてはならないようだ。奥の本殿の神鏡がちらりと見える。それを分かるように撮りたかったけれど前へ出られないので位置的に無理だった。

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さらに奥に向かう。前日までの雨で日陰はまだ道がぬかるんでいて歩きにくい。

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これも陰陽石だろうか。なにも説明書きがないので分からない。

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なにが祀られているのか見てみると、神石だと書かれている。

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後ろに回ってみると、暗がりの中に大きな石らしきものが見えるが、暗いし囲いがあって近寄れないので分からない。

どんな形をしているのだろう。

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力石。札に書かれているとおり、真ん中から左手を差し込んで下の丸い石を掴んで持ち上げてみる。持ち上げることが出来たので、私も福が掴めたようだ。

飛鳥寺の近くに蘇我馬子の首塚があるのでもう一度飛鳥寺に戻って首塚に行ってみる。

2018年6月 2日 (土)

飛鳥大仏

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奈良の飛鳥に行ってきた。飛鳥に行くのは初めてである。名古屋から近鉄特急で大和八木まで行き、近鉄吉野線に乗り換えて橿原神宮前駅で下車、駅前からバスに乗り、飛鳥大仏前まで行く。目の前が飛鳥寺である。

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飛鳥寺の門。

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飛鳥寺について。ここには1390年前とあるが、二十年前に住職が記したものなので、現在から見れば1410年前ということになる。

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本尊の飛鳥大仏(釈迦如来)。案内の方が詳しく説明してくれる。高さ3メートルの銅製で銅15トン、金30キログラムを使用して作られたが、平安時代と鎌倉時代に大火で建物が焼失し、像もかなりの損傷を受けたらしい。必死でこの像を守り抜いた人たちがいたので現存するのだという。

もともとは光背もあり、脇侍の観音像も左右にあったらしいが、いまは本尊のみが現存する。

ここは写真撮影自由、ストロボもフラッシュも使用してよいという。出来るだけ写真をいろいろな人に見てもらって、もっとたくさん来て欲しいというのが寺の考えだという。

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お顔立ちは法隆寺の百済観音に似ている気がする。作ったのは鞍作鳥(くらつくりのとり・止利仏師)という人だというが朝鮮半島系の人ではないだろうか。よいお顔立ちである。

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これは藤原時代の木造の阿弥陀如来像。

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室町時代に作られた聖徳太子16歳の時の木像。父親の用明天皇の病気平癒を祈願されている姿だそうだ。

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飛鳥寺は蘇我馬子の発願により、推古天皇によって創建された日本最古の寺院で、元の広さは甲子園球場の1.7倍あったというから大きな寺だったのである。

聖徳太子もここで学んだといわれる。大化の改新によって蘇我氏が滅び去り、この寺も毀損され、さらに二度の大火ですべて焼損してしまった。大々的な発掘により、塔や金堂の位置や大きさも確認されたが、現在は埋め戻されている。

「四天王寺に似ていますね」と説明の人に尋ねると、「そのつもりで見当をつけて発掘したら、はるかに大きいことが分かったのですよ」と答えてくれた。

庭園を拝見してから、近くの飛鳥座神社(あすかにいますじんじゃ)へ行ってみる。

2018年6月 1日 (金)

映画『合葬』2015年日本映画

 監督・小林達夫、出演・柳楽優弥、瀬戸康史、岡山天音、門脇麦、オダギリジョー、リリィ他。

 原作は杉浦日向子の漫画。その漫画を見ていないので比較ができない。ただ、この映画からその漫画のイメージを多少は想像することが出来た気がする。というよりもこういう絵を映像化したからこんなシーンになったのだろうなあという裏返しの推察である。

 好い俳優を使いながら、はっきり言って私には駄作にしか思えなかった。カリカチュアということばがあって、風刺画とか漫画、戯画と訳される。カリカチュアライズとは漫画化すること、戯画化することである。そこにはデフォルメがあり、誇張があるけれど、そのことによって真実をより強力に伝える力もある。

 彰義隊の話である杉浦日向子の漫画は、すでに無血開城して将軍慶喜が城を出て謹慎しているのに、その慶喜に(死んだわけではないけれど)殉じて決起しようとする者達の、無謀な行動とその無意味にも思える死をカリカチュアライズして描いたものである(はずである)。

 この漫画という形式でのカリカチュアを実写で行おうとしたのがこの映画で、それに失敗した作品だというのが私の見方である。無意味な死の空しさが目を背けたくなるようなものになってしまっている。それが狙いだというなら、それまでである。なにも死に尊厳を持たせろ、と道学者めいたことを言うつもりはない。しかしせめて犬死ににも犬死にの意味を少しくらい与えて欲しい気がする。無意味にも無意味という意味があるのではないか。

 原作にはないかもしれないが、せめて無意味な死を煽動した無能者達(彼らが無意味な死を止めようとする森という男(オダギリジョー)の暗殺を指示したのだ)の末路を垣間見せてもよかったのではないか。そこに無意味な死の無意味さという意味がより鮮明にならないか。

 オダギリジョーがいつものように存在感のある演技をしていた。この人は風貌も好いけれど、声がすばらしい。聞き取りやすいのである。リリィが女主人の役でちょっとだけ出ていた。最近は妖しいおばあさん役が多かったのに、若返っていた。顔を見るだけで嬉しい。

 自分の勝手な想像を確認するために、原作の杉浦日向子の漫画を読みたいような、しかし映画に影響されてしまって素直に読めずにがっかりするような気持がしている。

暑くならなければよいが

 本日は大阪で友人と会食する。日帰りだが、せっかくなので早めに出掛けて奈良を歩くつもりである。興福寺や奈良公園一帯、法隆寺周辺を歩き回ったことはあるが、今回は飛鳥寺あたりを考えている。初めて行くところである。三時過ぎの待ち合わせなので時間はあまりない。二カ所くらいしか訪ねられないだろう。

 さいわい本日は梅雨前の好天のようである。ただ梅雨前の晴天は真夏の予行演習のように暑いことが多い。そんなに暑くならなければよいが。

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