暇つぶしとボンヤリ
無為にボンヤリしているのと暇つぶしをしているのは、似ているようで違うものだと思っている。私の場合、ボンヤリしているときはあまり精神的な焦慮感はなく、オーバーヒートして空回りしている頭を冷やしているのである。もともと容量が小さいからそういうことがよく起きるのである。
しかし暇つぶしで数独パズルなどをしているときは、こんなことをしている暇にもっと本を読んだり映画を観たり散歩に出掛けたりしなければ、などと頭の片隅でささやきかける声がする。休んでいるようで実はイライラしていることが多い。頭の空回りは却ってひどくなっている。
リタイアして時間が自由になったら、あれもしようこれもしようと思っていた。だからずっと楽しく忙しかったのである。忙しいけれど幸せだったのである。なにもしないときも充電のためであって焦る気持ちなどなかった。それがこのごろはしばしば暇つぶしをしながらイラついている。やりたいことをしているのかやろうと決めたからそれに従っているだけなのか分からなくなるときがある。
たいていそういうときは遠出をしたり友人に会いにいったりするとリフレッシュして復活するのだけれど、その効果があまり持続しなくなってきた。やりたいと思うことが多すぎるのかも知れない。多すぎると一つひとつのことの価値が小さなものになってしまう。
人は障害があるほどなにかに夢中になれるもので、恋愛と一緒である。親の反対があったり恋敵がいるほど燃えるのである。忙しくて時間のないときほど本が集中して読めるのである。明日は朝から忙しい、というようなときほど深夜まで映画を夢中で見ることが出来るのである。
いつでもどうぞ、よりどりみどり、などという状態になると芥川龍之介の『芋粥』のように食べる前から食傷してしまうのかも知れない。
ではどうする。それをいまボンヤリ考えている。自分で障害を作らないといけないのかも知れない。でも横着者だからいまさら働いたりボランティアをしたりする気にならないしなあ。
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