何時でも会えると思っていた
親元で一緒に暮らし、独り立ちする前は兄弟など何時でも会えるものだと思っていた。それがそれぞれ家庭を持つとなかなか揃うことがなくなる。年に数回でも会えばずいぶんまめに会う方かも知れない。
先日弟には三ヶ月ぶり、妹には半年ぶりくらいで久しぶりに会った。会おうと思えばもっと会えるのである。しかしうっかりしていると年に一度くらいしか会わないでしまう。残された人生で何回会えるのか、などと考えると愕然とする。
考えてみれば息子や娘とだってそれほど頻繁に会っているわけではない。どちらかといえば淡泊な私だが、わが娘や息子はそれ以上にクールだから、こちらから来るように声をかけないともっと会わないかも知れない。
会ってもそれほど話しがあるわけではないし、面と向かうと少し照れくさい気もするが、会えば嬉しいのは人情である。なにより元気なことが確認できるし、そのことをありがたく思うのである。父母も多分そうだったのだろう。会わなければ心は少し遠くなるものである。
友達も親兄弟も親類も、思い出したらときには訪ねてみるものだと思うのだが、そんな大事なことをすぐ忘れてしまう。池波正太郎の『鬼平犯科帳』などで長谷川平蔵が、忙しい身でありながら、世話になった人や身内のところへまめに手土産を持って訪ねて四方山話をしている場面を読むと、なんだか気持ちが温かくなる。見習いたいものだと思う。
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近くに住んでいる次女でもめったに会いません。
ただ 現在はLINEやメールがあるので頻繁に長野の長女や次女、私・・・、
3人グループLINEをしているので、近況が良くわかります。
良い時代です。
投稿: マーチャン | 2018年6月27日 (水) 07時51分
マーチャン様
たしかに息子はときどきにせよ私のブログを見て私の様子を承知しているようです。
私も多少はそれを意識してブログを書いているところもあります。
投稿: OKCHAN | 2018年6月27日 (水) 08時26分
>グループLINE
確かに! 短い動画を毎日のように沢山家族で交換していると距離を感じませんし、安心感があります。本当に良い時代になったものです。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5325/trackback
こうしたツールを過疎化、高齢化、単身化が進む限界集落や団地を抱える自治体が有効に使うと便利だと思うのですが、、、
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5402/trackback
投稿: HIroshi | 2018年6月27日 (水) 09時44分
Hiroshi様
高齢者の多くが団塊の世代になり、こうしたツールを使える人が大多数になりつつあります。
それを活用することでいままで出来なかったことができるようになることがたくさんありそうですね。
ただ、実際に顔をみることも大事だと思います。
投稿: OKCHAN | 2018年6月27日 (水) 12時44分
姉と妹がいるのですが、母が亡くなってから訪ねてくる回数が減りました。
姉妹ではよく会ってるようです。私は、蚊帳の外です。(笑)(羨ましいということではありません。)
投稿: けんこう館 | 2018年6月27日 (水) 18時55分
けんこう館様
親が亡くなると兄弟が集まる機会は減りますね。
意識して会うようにする必要がありますが、会いたい気持がなければ別にかまわないでしょうね。
投稿: OKCHAN | 2018年6月27日 (水) 19時58分