気をつけているつもりなのだが
学生時代を米沢といういささか牧歌的なところで過ごした。その時代はまさに大学紛争の末期で、東京などではほぼ終息した学生運動もまだ地方ではくすぶり続けていた。工学部の寮に暮らして、左派もいれば日和見もいるし右派もいる。左派にも右派にも先鋭な者も穏やかな者もいた。
敬愛する先輩の部屋が私のよく行くたまり場で、音楽を聴いたりさまざまな話を徹夜で語り合ったりして楽しかった。政治的には日和見集団だったが、どういうわけか、いつの間にかその先輩の了解を取らないとその寮では政治活動をしてはならないというようになっていた(そんな決まりなどもちろんないので先輩も首をかしげていた。自治会が面倒なのでたらい回しをしたのかも知れない)。
だから全共闘(東北では全学闘などといっていた)派や民青(共産党系)派などのオルグ(オルガナイザーをこう呼んでいた・組織の下部組織を作るために派遣される人のこと)がときどきその部屋にやってくる。私が本をよく読んでいたので先輩は、政治的な本を少し読んで勉強しろ、と私に命じた。そちらは全く門外漢だったが、分かりやすそうな本を図書館から借りてにわか勉強をしたりした。
やってくるオルグの連中の相手は先輩がたいてい引き受ける。先輩はユーモアがあって根性が坐っていて、坊さんの息子だから弁も立つ。なにしろ学生なのに地方ラジオ番組のレギュラーを持っていたくらいである。政治的な理屈の話になると私にしゃべらせる。私など付け焼き刃だからトンチンカンなことを言っていたに違いないが、情けないことに、やってくる連中もたいした知識があるわけではなく、私に言い負かされるほど不勉強であったのはさいわいだった。
そんなことは数回しか経験していないけれど、振り返れば面白い体験をさせてもらったと思っている。
寮の生活では上下の幅のある年齢差の中で、上からかなりきつい仕打ちを受けることも多い。長い間に図太くなって慣れてしまうものだが、絶えられない者は中途で退寮した。退寮した者のなかには大根おろしで気持をすりおろされるような、と云う者もいたから、人によってはかなりきつかったのだろう。私は気が小さいけれど面倒くさがりで、いちいち反応するのにくたびれて適当に流すことを覚えた。
だからそんなこんなでかなり面の皮が厚くなって、入社してから営業という仕事を全うできたのだと、いまは感謝している。
ただ、仕事だから得意先には注意していたけれど、会社内ではかなりきついところがあったかも知れない。不誠実で部下を舐めているディーラーなどに対してもかなりきついことばを言い、そのことばで、はるかに年上の相手の顔色が変わるのを冷静に見ていたこともある。ときには年下の同僚に恨み言を云われたりもした。まあ恨み言を言わせる程度には人間関係は出来ていたつもりだが。上司でも、理不尽な場合はかなり強烈に反発した。このことばのきつさは意識しているときもあるし、無意識のときもある。
世の中の人はけっこう繊細な人が多いのだとようやく気がついてから、気をつけるようになった。だから私が歳をとって優しくなった、優しくなった、とみながいうので参った。
本当に書きたいことが別にあって、その前座の話を始めたら、肝心の話にたどり着く前に長くなってしまった。書かなくてもいいことだから、書こうかどうか迷っている話がある。どうしよう。


おはようございます
私も大学時代ひょんなことから代々木に誘われ民主青年同盟のオルグに遭いました。
その時私は「そういえば某宗教団体は共産党と仲が悪いなあ」と思いつき。私はその信者だと言って相手が怯んだところを逃げました。
もしあの時オルグにかかって民青同盟員になっていたら・・・。かなり恐ろしいことになったでしょうね・・・。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2018年6月11日 (月) 06時42分
shinzei様
遠回りする生き方もありますから、そのときはそのときなりに自分のしていることの意味を見つめるきっかけになったかも知れません。
人生は自分の生き方を作っていくものだったといまさらながら感じています。
投稿: OKCHAN | 2018年6月11日 (月) 07時40分