二度とあっては・・・
「二度とあってはならない、そのために徹底的に対策をする」と偉い人がテレビで言うのを聞いていると怒りを覚える。このことについては一度ブログに書いたことがある(何時書いたか忘れたが)。
どうして腹が立つのか。「二度とあってはならないこと」というのは、「そもそもがあってはならないこと」である場合が多く、それが起きたということは、また必ず起きることが自明に思えるからだ。それなら「二度とあってはならない」というのは決まり文句をただ言っているに過ぎない。それが証拠に、先日インタビューを求められた若者まで口パクで同じことを言っていた。
五歳の娘をいじめ殺した父親がいたけれど、本当にあってはならないことだと思うし心も痛む。これは決まり文句で言っているのではない。娘が五歳だったころを思い出しながら、自分のこととして重ねて考えるからである。もちろん私は昔も今も娘をかけがえのない存在として考えているし、もう少し厳しくしつければよかったという思いがないではないが、それを後悔などしていない。
世の中には異常者が存在する。自分が死にたいから人を殺したり、誰でもいいから殺したり、殺してみたいから殺したり、自分のこどもをしつけと称して殺したり、いじめと称して殺したりする人間はむかしからいるし、いまもいて、そしてこれからもいるのである。
二度と起こさないといえるのは、彼らすべてが「決してしません」と誓い、それを守ったときである。そうでなければふたたびみたび起こるのである。そして誓えるのは事件を起こすだろう人間だけなのである。
その五歳の娘をいじめ殺した父親の事件を受けて、安倍首相が「二度とあってはならないことで・・・」と言ったのを聞いてがっかりした。二度と起きないように関係各部署に厳しい指示を出したのであろう。そのことは認めよう。しかしここで常套句を言わないで欲しかった。上記の理由で、私には他人事でしゃべっているようにしか聞こえなかったのである。
それらの事件を起こす人を、どのようにして事件を起こさせないようにするか考えるしかないではないか。ではどうするか。私に分かるわけがない。それが分かれば二度とこういう事件は起きたりしない。しかしそれが出発点であるなら、「二度と・・・」ということばは出てこないと思うのである。「二度としません」は、やった人間だけが語れることばだ。たいてい守られないけど。
得意の揚げ足取りで申し訳ないが、私と同様方策も持たずに「二度とこのような・・・」ということばを発する口もとを見ているとつい感情的に反応してしまうのである。
まあこういう文章を書くとすぐ、「では放っておけというのか」などというクレームがつくだろうなあ。そんなこと思っているはずがないではないか。それとも本気で私がそう思っていると読めてしまうのだろうか。情けない。
« IR私感 | トップページ | 映画『石榴坂の仇討』2014年日本 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 天気が好いので(2026.09.05)
- 外は雨(2026.09.04)
- 確かにそうかもしれないけれど(2026.09.03)
- 騒音(2026.09.03)
- 体力が衰えている(2026.09.02)


コメント